経常赤字化の可能性と望ましい経済政策

開催日 2012年3月7日
スピーカー 菅野 雅明 (JPモルガン証券株式会社 チーフエコノミスト)
モデレータ 冨田 秀昭 (RIETI研究コーディネーター)
開催案内/講演概要

前半では、日本の経常収支赤字化の背景、とくに貿易赤字拡大のメカニズムと所得収支の動向を議論し、「貿易赤字と産業構造の変化」および「所得収支の黒字で財政赤字をファイナンスすることの意味」についても考察します。後半では、経常収支が赤字化した場合の市場への影響と政策的インプリケーション、具体的には、経常収支赤字の下で持続的な成長を遂げるために必要なマクロ経済政策の姿について考えてみたいと思います。

議事録

欧州発の金融危機はひとまず封印

菅野 雅明写真欧州の財政危機は、金融危機に発展することが懸念されていましたが、ECB(欧州中央銀行)によるLTRO(長期資金供給オペレーション)のおかげで、当面は一服感のある状況となっています。現在は、ECBがバランスシートを大幅に拡大し、すべてのリスクを封印する形で、LTROを2回行うなど、大々的なオペレーションをしています。この危機が封印された状況は、しばらく続くことが予想されます。

米国も同じように、FRB(連邦準備制度理事会)による金融緩和の長期化に関し、バーナンキFRB議長の戦略は極めて明快です。米国の期待インフレ率がまだ2%強あることから、長期金利を思い切って下げ、長期の実質金利をマイナスにすることで、住宅設備投資需要を盛り上げようという戦略が功を奏し、米国の住宅需要にも明るさが見え始めています。リーマンショック以降、ようやくバーナンキ議長の政策が効き始めてきたといえます。

日銀は、2月14日に追加の金融緩和策を発表しました。こうしたECB、FRB、日銀による一連の動きは、世界の投資家から見ると、各中央銀行間で、あたかも協調を図っているように受け止められるでしょう。実際には、協調でなく独自で行われているとしても、中央銀行がこれだけ強い姿勢を見せている限り、金融危機が起こるというテール・リスクは非常に小さくなったといえます。

昨年後半は金融危機リスクが高まり、投資家たちは、ポートフォリオをリスク・フリーのものへ移しました。それが最近、ようやく少しずつ株や不動産といったリスク資産に再び移されるようになり、資産価格も上がっています。

各国の景気は、それぞれで異なります。中国は、今の減速経済から抜け出すのに予想以上に時間がかかり、出遅れています。米国経済は少し回復し、アジアでは、日本の他に台湾、韓国に明るさが少し出てきています。これまでは、中国が先導して世界を牽引していましたが、今回は少し異なる状況です。

おそらく中国人民銀行は今後、預金準備率を何度か引き下げると思います。するとマネーサプライが増え、夏頃には中国経済に明るさが見えてくると考えられます。ポジティブな材料が出てきて、テール・リスクが抑えられると、循環的な上昇傾向が出てくることも予想されます。それが今年の大まかなフレームワークといえます。

今年後半から来年にかけ、リスク再燃か

ただし、原油価格が重要な要素です。可能性は低いですが、たとえばホルムズ海峡にミサイルが1発撃ち込まれただけで、原油価格は、1バレル当たり200ドルに高騰する可能性があります。そうなれば、先ほどのシナリオは、すべて崩れてしまいます。

世界の原油の在庫が増えていることが、最近の原油価格を押し上げている1つの要因です。もし、リスクシナリオが顕現化しなければ、原油の需給が緩み、価格は下落する可能性があります。昨年のように、コモディティ価格の上昇が世界景気の腰を折る可能性は、今年については少ないでしょう。ただし後半に入り、中国が本格的に回復し始めると、昨年と同じように原油価格を中心とするコモディティ価格が上がり始めることから、今年の後半にはリスクが出てくるものと見られます。

来年になると、おそらく米国が、第1四半期に財政の引き締めを行うでしょう。大統領選挙でオバマ氏が勝てば減税を止めることによって、共和党が勝てば歳出を削減することによって、財政の引き締めが行われると考えられます。つまり、米国はそこで一旦、減速せざるをえません。仮にその時、欧州の状況が悪ければ、世界的に再び減速の局面に入る可能性が出てきます。そこで、おそらくQE3(量的緩和策第3弾)が実施されることになり、為替は円高の方向へ進むことになるでしょう。

欧州については、ECBが時間を買っている間に、財政の統合に向けた諸施策を実施し、それをドイツが受け入れ、ドイツ国民が税金を使ってギリシャ、イタリア、スペインに所得移転をすることがベストシナリオといえます。

もう1つの鍵はイタリアです。イタリアの問題は、単年度の基礎的収支が概ね均衡しているなかで、成長率が低いことです。成長率が低いにもかかわらず、債務残高が非常に高いために、政府債務が将来返済されるかどうか不安に思う投資家が増え、国債金利が上昇しました。イタリアは成長率が再び上がるということを世界に示す必要があります。

貿易・経常収支見通し

2011年、日本の貿易収支は赤字となりましたが、その要因は震災だけではありません。貿易の構造変化(交易条件悪化)は、すでに2000年代初めに始まり、リーマンショック以降、顕現化しています。こうした要因を見落としてはなりません。また世界の資源価格上昇によって、日本の交易条件(輸出価格/輸入価格)は悪化しています。最近は、円高に加え、スマートフォンなどにおける日本製品の競争力低下によって、輸入浸透度も上昇しています。今後は、交易条件の悪化を数量収支の改善で補うことができず、貿易赤字は年間3兆円拡大し、3年間で10兆円を超える赤字が見込まれます。その赤字は、最終的に所得収支などの黒字部分を食いつぶしてしまうことが予想されます。

経常収支の赤字化は、新興国が台頭する21世紀型経済環境下での必然的な現象といえます。先進国の消費者が主導してきた20世紀型、つまり高い賃金を払って輸出する輸出立国型のビジネスモデルはもう通用しません。したがって、新興国の消費者が主導する21世紀型では、先進国の雇用は生まれません。そのため、日本を含めたすべての先進国において、雇用は非常に大きな問題になっています。

そこで、輸出立国型で培ってきた日本のビジネスモデルをうまく変革することが非常に大きな課題だと、私は思っています。経常赤字になるということは、日本が資本の輸入国になるという非常に大きな変化ですから、資本輸入策を真剣に考える必要があります。経済産業省が推し進めてきた対内直接投資の促進は、日本にとって切実な問題になると思います。また市場へのインパクトとして、円は長期的には円安化すると思います。長期金利の上昇テンポは、マクロ経済政策に依存します。

当社アナリストの予測では、自動車メーカーの国内生産は今後減少し、海外生産比率は、2014年には75%を超えることが見込まれています。また、電気機械の貿易収支は、黒字の縮小化が急激に進んでいます。輸出数量は伸び悩み、輸入数量が急速に増えていることには、電機メーカーが為替のエクスポージャーを減らそうと、むしろ部品輸入を増やして円高対策をしているという背景があります。

通信機械は、2009年を過ぎた頃からすさまじい勢いで輸入が増え、輸出の減少との開きが大きく広がっています。これは、スマートフォンなどにおいて、日本の消費者がサムスンなどの韓国企業の技術力を評価し始めたことが反映されています。

鉄鋼でも輸入が少しずつ増えており、化学製品にいたっては、2011年から12年にかけて黒字が消えてしまっています。これは、おそらく円高の影響が大きいと思いますが、素材メーカーにおいても、輸入の浸透度が急速に上昇している状況です。

経常赤字化を防ぐ(遅らせる)には

輸出増対策として、まず政府には、規制緩和、法人税引き下げ、産業用電力料金引き上げの撤廃(小幅化)に取り組んでもらいたいと思います。同時にこれからは、日本の企業でもビジネスモデルを明確に分けていく必要があります。国内ではとにかく高付加価値化、要するに高く売れるものをつくり、そうでないものは思い切って新興国に移すという戦略の見直しが必要でしょう。そのためには、ブランド戦略として何が海外で高く売れるのかを追求し、選択と集中をしなければなりません。

輸入減対策としては、やはりエネルギーの輸入を少しでも減らす必要があるでしょう。また家庭用電力は値上げし、企業向け電力料金は値上げすべきではないというのが私の持論です。消費税は、明日にでも20%に上げる必要があります。そうなると、法人税や所得税率も上げるべきという議論になりそうですが、現状からさらに上げてしまえば、海外の優秀な人材が日本へ来ませんし、海外企業も日本に来てくれないという問題が生じます。日本には低生産性の企業と低所得者しか残らず、ますます税収がマイナスになってしまうような状況を生み出さないための議論がなされないことは、残念だと思います。

日本が資本の輸入国になると、対内直接投資の受け入れ体制整備が重要課題となります。特に、対内不動産投資は今後の有望な分野でしょう。日本はインフラが整備されていますから、自分が住みたい、あるいは不動産投資をしたいという外国人はたくさんいます。特に、マンションなどが割安な地方都市が有望だと思います。政府は、「国益と公序良俗に反する行為」に関して厳正に対処する姿勢を明確にした上で、「特区の設定」や「投資ビザの認可」を推進し、民間投資を積極的に受け入れるべきだと思います。

デフレ脱却策:期待インフレを押し上げることができるか

2月14日の日銀による追加金融緩和策によって、円安へ進み、株価も上がりました。なぜそうなったかというと、1つは、外国人がすさまじい勢いで円売り、そして日本株買いに走ったためです。それは、日銀の追加緩和(国債購入増額と事実上のインフレ目標公式化)が歴史的転換点になったと見ている人たちが多いことが背景にあります。

日本のフィリップス曲線を見ると、期待インフレ率が時とともに低下しています。現状のフィリップス曲線を前提とするとあと2~3年で需給ギャップがゼロになったとしても、日本はまだデフレを脱却できません。なおかつ、日銀の「1%のインフレ目標」を達成するには、同様の前提の下では、12.9%もの需給ギャップが必要ということになります。日銀の計算式でも同様の結果が得られています。

日本の潜在成長率は長期的に低下しています。この間、日経平均株価はピーク時の約4分の1まで下落し、不動産価格も市街地価格指数で見ると、1991年のピーク時の約4分の1です。こうした資産価格の低迷が投資意欲を衰退させ、期待成長率が低下した可能性もあります。期待インフレ率を押し上げるには、再び期待成長率を上げる必要があります。そのためには、構造改革を通じて実際の成長率を上げるのが正攻法といえます。

もし、禁じ手である「財政赤字ファイナンス」を日銀がやれば、カンフル剤となって一旦は上に上がるでしょう。しかし長くは続かず、結果として悪性インフレに陥ってしまいます。いわゆるハイパーインフレを引き起こすことはいとも簡単なのですが、制御可能なインフレを起こすのは非常に難しいことです。したがって、日本は苦しくとも地道に、TPPといった正攻法によって日本国内の新陳代謝を高め、成長率を上げていくべきだと思います。

日銀がゼロ金利を長く続けたために、日本企業の収益率は軒並み下がってしまいました。どんな低収益性企業でも、大きな赤字をつくらない限り、銀行の融資によって生き延びることができます。すると、そうした企業がどんどん安値競争に走ります。結果として、優秀な大企業、中小企業が、安値競争にどんどん巻き込まれていき、全員が体力を消耗してしまいます。それが日本の姿なのです。

ですから日本は、改めて市場に競争条件を入れていく必要があります。そういう意味で、TPPは非常に重要なことです。しかし相変わらず、北風を避け、ぬるま湯の環境を続けたい人たちがいます。それを続けていると、財政赤字が拡大し国民全体が沈んでしまう事態になるかもしれません。

質疑応答

Q:

経常黒字を継続するドイツについて、見解をうかがいたいと思います。

A:

21世紀型経済環境下で世界の資源価格が上昇すると、日本だけでなく、先進国はみな同じ問題に直面します。しかし、ドイツのパフォーマンスは先進国の中で非常に優れています。それはなぜでしょうか。

まずドイツは、為替レートの面で、ギリシャ危機やユーロ危機の結果、自国通貨の大幅な上昇を回避することが出来ました。また、ユーロ圏で為替レートが同じ条件下において、インフレ率が一番低いドイツの企業の競争力が高まったため、ユーロ圏域内内向けの輸出が増加した、という面もあります。

さらに、ドイツでは、中国への輸出が急激に増えています。これは単に為替の問題だけでなく、ブランド戦略がうまいのです。たとえば、中国人が憧れるのは、日本車ではなくドイツ車です。日本は、グローバル市場で安値競争に巻き込まれ、結果として価格を下げて売る状況に追い込まれているため、ブランドバリューを安売りしてしまっている面があります。

また、日本は、昨年の原発事故のあと、国際的商品価格の平均値よりも高く原油を買わされている面があります。国全体でもっと価格交渉力を強めていく必要があるでしょう。交易条件が悪化しているのはどの国も同じですが、日本は他の先進国に比べ速いペースで悪化しています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。