TPPの論点 - TPPお化けの正体と農業再生

開催日 2012年2月28日
スピーカー 山下 一仁 (RIETI上席研究員 / キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹)
モデレータ 中沢 則夫 (RIETI研究調整ディレクター)
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開催案内/講演概要

消費税と並んで国論を二分している問題が、TPP(環太平洋パートナーシィプ協定)への参加問題です。野田総理は、昨年11月「TPP交渉参加に向け、関係国と協議に入る」と表明しました。しかし、民主党内の反対派は、事前協議を行うと言っているだけで、参加を決定したものではないと主張しています。しかし、いずれ参加するのかしないのか決定しなければなりません。その時期は近付いています。

交渉に参加することを決定した後においても、農業分野において例外品目を主張していくのか、日本国がアメリカ企業から訴えられるという懸念が表明される一方で日本企業の投資保護の必要性が主張されるISDS条項について、日本はどのような交渉方針で臨むのかなど、重要なテーマについて国論が二分されている状態では、交渉の対処方針さえ決定できません。

今回のBBLセミナーでは、TPPを巡る諸問題について、正しい政策選択のための材料を提供したいと考えています。

議事録

開国(自由貿易)の必要性

山下 一仁写真TPPへの参加をめぐって国論を二分するような状況になっていますが、日米事前協議が進むにつれ、徐々に反対論のお化けの正体が見え始めてきたように思います。

2008年に穀物価格が3倍に高騰した際、輸出規制に走った国はありました。しかし米国が禁輸を行うことはないでしょう。なぜかというと、米国が1970年代に大豆を禁輸した結果、日本はブラジルのセラードを農地開発し、大豆生産を始めました。そして、いまやブラジルは、米国を脅かす世界第2位の大豆大輸出国になっています。禁輸によって別の地域で生産が拡大し、自国の地位を脅かされる経験を持つ米国が、再び穀物禁輸を行うことは考えにくいわけです。

穀物価格の高騰によってインドやフィリピンなどは大変な苦労をしたと思いますが、日本はこれまでも関税などで高い食料品価格を払っているため、穀物価格が3倍に高騰しても、農水省が輸入穀物から徴収している課徴金の額を少なくした結果、消費者物価指数はたった4%しか上がりませんでした。やはり、高くなっても買える経済力を持つことが、穀物価格が高騰した際の対応策として必要ということです。つまり、自由貿易によって経済成長することが、食料安全保障につながるわけです。

現在、2006年に発効したニュージーランド、チリ、シンガポール、ブルネイによるP4という経済連携協定(自由貿易協定)を基に、米国、豪州、ペルー、マレーシア、ベトナムが加わってTPP交渉が進められていますが、P4協定の特徴として、日本がこれまで締結してきた経済連携協定では農産物について多数の例外品目を設定しているのに対し、ほぼ全品目についての関税撤廃を掲げており、自由化のレベルが高いといえます。そのため、日本の農協は反対しています。関税がなくなれば価格は下がり、農協に入る価格に比例した販売手数料収入が少なくなるためです。

2つ目の特徴として、物品の貿易のみならず、サービス貿易、政府調達、競争政策、投資などさまざまな分野を包摂した包括的な経済連携協定という点が挙げられます。21分野にもわたっており、農業だけの問題ではないとTPP反対論者は言いますが、これまで日本が結んできた経済連携協定は、これらの分野をほとんどカバーしています。

日本にとってのTPPの重要性

近年の中国におけるレアアース輸出規制や投資の制約、海賊版の問題に対し、それをやめさせる力は日本にはありません。では、日本はどうすればよいのでしょうか。中国の経済活動に力で対抗することはできなくとも、かつての米国通商法301条とWTO紛争処理手続の関係のように、大国の持つ力に国際規律というルールで対抗することができます。そのルール作りの場として、TPPを活用することができるのです。

またTPP参加によって貿易自由化が実現し、最も利益を受けるのは消費者です。日本は国産農産物の価格を高くすることで農業を保護しています。その価格水準を維持するために外国産農産物に対しても、関税等を課して消費者に負担を強いています。小麦の国内生産は消費量の14%しかないのに、その価格を維持するために86%の外国産小麦に高い関税等を課しているのです。国産農産物についての消費者負担を財政負担による直接支払に置き換えれば、外国産農産物に対する負担は財政負担に置き換える必要なく消滅します。つまりその分、消費者負担が大幅に消滅するというメリットがあるのです。

中国、インド、ブラジルの台頭に伴って、WTOにおける日本の発言力は弱まってきています。しかし、TPPで先行して投資や競争といった分野のルールをつくることができれば、将来WTOで同じ分野のルールをつくる際に参照されます。つまりTPP交渉に参加することによって、WTOという世界の貿易ルールに日本の利益を反映することができるわけです。

TPPに参加しないことのデメリットは多く、たとえば米国市場やEU市場において、これらの国とFTAを結んでいない日本企業が韓国企業に比べ不利な競争条件を甘受している点が指摘されています。同じように、日本が昨年11月TPP交渉への参加を表明すると、カナダとメキシコも慌てて追随する形となりました。カナダとメキシコにとっては、これまでの米国主体のTPP9カ国の市場と、日本も加わる新しいTPPの市場は、まったく別物と受け止められるのです。つまり自由貿易圏が拡大していけば、TPPに参加するメリットが増えると同時に、参加しなければ広大な地域のサプライチェーンから排除され、デメリットも増えるということです。

東日本大震災の影響で東北の自動車部品工場の生産が中断した際、輸出先の米国ミシガン州の自動車工場での生産も困難になりました。東北だけではなく、日本全体の中小企業はアジア・太平洋地域という広大な地域のサプライチェーンに組み込まれているのです。もし日本がTPPに参加しなければ、東北を含め日本の部品企業は広大な地域のサプライチェーンから排除されてしまうでしょう。これは東北の復興を困難にします。TPPに参加すると東北農業の復興が困難となるという主張がありますが、被災地域の農家のほとんどは兼業農家で、農業所得の比重はかなり低いというのが実態です。農業の復興も必要ですが、産業の復興を果たさなければ、農家の生活は改善されません。

TPP反対論の問題

書店には、TPP参加に反対する本が山のように積まれ、お化けどころではない的外れな主張が展開されています。その1つが、米国が輸出を拡大するために日本参加を促すという「米国陰謀説」ですが、私がワシントンで聞いている話はまったく逆です。オバマ政権がTPP参加を決めたのは、他の8カ国の中に工業製品を輸出する国がなく、政権を支える労働組合がゴーサインを出したからです。日本や韓国が参加していれば、オバマ政権がどう判断したかわかりません。オバマ政権を支持する自動車業界・労働組合にとって日本を含むTPPは脅威であり、日本が交渉参加を表明した途端、彼らは反対の意向を表明しています。

TPPに参加すると物価が徐々に下がり、買い控えが起こるという「デフレ論」もみられます。しかし自動車やテレビのような耐久消費財であれば買い控えも予想されますが、食料品で買い控えは起きません。

また米国が日本の労働基準引き下げを狙っていると反対論者は主張しますが、共通の義務を負うのが協定あるいは条約ですから、そうなれば米国の労働基準も下げざるをえません。さらに、日本の労働基準を下げ、安い労働力でつくられたものが米国に関税ゼロで輸入されることを、オバマ政権を支える米国労働組合が受け入れるでしょうか。米国は事前協議において、単純労働者の受け入れをTPPの対象としないことも言明しています。これで1つのお化けが消えました。

TPPお化けの1つであった公的医療保険制度の米国による改変要求については、われわれは、政府によるサービスですからWTOサービス協定の対象外であり、これまでの自由貿易協定でも対象としてないと主張していました。米国も事前協議において、TPPでこれを取り上げないことを表明しています。これも消えたお化けです。

医薬品についても大変な問題が起こると危惧する人がいますが、米国が関心を持っているのは、知的所有権と薬価決定の透明性です。知的所有権については、ベトナム、マレーシアが問題となりますが、日本は対象となりません。薬価決定の透明性についても、韓国については問題視しましたが、日本には中医協とその中に独立性ある機関が存在していることから、米国の医薬品業界は、これを問題にするつもりはないようです。

日本の食料安全規制が引き下げられると心配する声もあります。WTO・SPS協定では、国民の生命・健康の保護と貿易自由化の推進のバランスについて、各国が国際基準より高い保護の水準を設けることができ、これから科学的証拠(リスクアセスメント)に基づき厳しいSPS措置を設定できることが認められています。米国もこの枠組みを変更するつもりはありません。そんなことをすると、米国内の消費者団体が騒ぎ出します。

遺伝子組換大豆の流通については、前提として各国とも安全性を確認したものしか流通させていません。その上で、米国は遺伝子組換農産物についての表示義務付けは一切不要としていますが、EUは遺伝子組換農産物を1.0%以上含めばすべての農産物と加工品について表示を義務付けています。日本はその中間にあり、DNAが残る豆腐など、検証できるものには表示を義務付け、醤油や大豆油といったDNAの残らないものは表示不要としています。米国は厳密なEUの表示義務を問題視していますが、十数年経ってもEUの表示制度を本格的にやめさせようという動きはみられませんので、より合理的な日本の表示が問題になる可能性は少ないでしょう。また、豪州やNZも日本と同じ制度ですので、米国が問題視したとしても、これらの国と連携して対抗できます。

ISDS条項によって、外国企業に訴えられて規制を変更させられるのではないかと心配する人もいますが、ISDS条項は、原則として投資を行い、損害を受けていることが前提となりますから、やみくもに訴えられるわけではありません。また、仲裁裁判所は金銭賠償のみで規制変更を命じることはありません。実際に、これまで米国が敗訴するケースも多く見られます(NAFTA成立後20年たって米国企業がカナダを訴えたのはわずか16件、1年に1件にも満たない。また、そのうち米国企業が勝ったのはわずか2件、負けたのが5件)し、勝訴しているケースでは、やはり相手国の政策に問題が認められます。日本の政策がまともであれば、けっして恐れる必要はないということです。

TPP反対論の構図

TPP参加によって関税が撤廃されると、農産物価格は低下します。直接支払を行えば農家は影響を受けませんが、価格に応じて販売手数料が決まる農協は困るわけです。つまり、正しい問題の設定は、「TPPと農業問題」ではなく「TPPと農協問題」といえます。TPPで既得権益を侵される農協が、同じく既得権益で守られてきた医療とかの他の業界を陣営に組み込んで反対しているというのが基本的な構図です。

米国が公的医療保険制度をTPPで取り上げるつもりはないと、さらに単純労働を問題視するつもりはないと明言し、徐々に足のないお化けは消えていき、TPPお化けの正体が現われてきています。共同通信による世論調査では、農林漁業者のうち反対は45%に留まり、賛成が17%、残る三十数%は態度未定という結果が出ています。つまり、専業農家を中心として、「大本営発表」を信じない人たちが、農業界にも出始めているわけです。

TPPという多国間の協議では、個別の分野や論点ごとの合従連衡が可能です。薬価、食の安全規制、遺伝子組換食品の表示問題では、豪州やニュージーランドと連携して米国に対抗できます。逆に投資、海賊版、政府調達、工業製品の関税などでは、米国と連携して途上国に規制撤廃・取締強化・市場開放を迫ることが可能です。ただし残念ながら、孤立する部分もあります。それは農業について関税撤廃の例外を要求する時だと思います。しかし、関税ではなく直接支払で保護するという米国と同様の政策に転換すれば、農業についても孤立することはありません。

「例外なき関税撤廃」が求められるTPP交渉において、農業団体に配慮する日本政府は、「せめてコメだけでも例外を」と主張することになるでしょう。そのため輸入枠の拡大が代償として要求され、日本のコメ生産は縮小し、食料自給率は低下することが予想されます。

日本農業発展の方策

1人当たり米消費量は過去40年間で半減しています。20年足らずの間に、コメ生産は1200万トンから800万トンへ3分の1も減少しています。国内市場は今後の高齢化と人口減少でさらに縮小しますので、日本の農業は人口が増加する海外へ輸出し、新しい市場を見つけていく必要があります。つまり農業が今後も維持あるいは振興していくためには、輸出相手国の関税を引き下げられるTPPなどの自由貿易協定が必要になるのです。

TPPではなく日中韓FTAを推進すべきという人もいますが、日中韓の自由貿易協定交渉で、中国の米関税をゼロにしても十分な輸出はできません。実は日本は中国の関税割当枠(ミニマムアクセス)を利用して、すでに、関税ゼロで米を中国に輸出しています。ところが、日本のスーパーで500円/kgで買える日本米が上海では1300円/kgで売られています。事実上の関税が800円徴収されているのです。なぜかというと、中国の高級米の値崩れを防ぐために、国営企業が日本米の価格を高く設定するためです。つまり関税がゼロになっても、こうした国営企業の措置をやめさせない限り、日本は中国市場へ自由にアクセスできません。

米国は、TPPで高いレベルの貿易や投資のルールをつくり、いずれ中国がTPPに参加する際に規律を加えようとしていますが、特に重視しているのは、こうした国営企業に対する規律です。日本が米を自由に中国へ輸出するためには、TPP交渉に参加し、米国と共同して作業すべきなのです。

これまで日本は、高い関税で外国の農産物から国内農業を保護してきたにもかかわらず、農業は衰退しています。ということは、その原因は、米国や豪州、中国にあるのではなく、国内に存在することを意味します。農政を国際比較すると、米国やEUは直接支払という財政支出による保護にシフトしていますが、日本は相変わらず減反による価格維持+直接支払(戸別所得補償政策)によって保護しているため、関税率が高くなっています。そして高米価・減反政策によって零細農家が滞留し、規模は拡大せず、単収(単位面積あたりの収量)が抑制されるという歪みを生じています。日本の単収はカリフォルニア米の1.4分の1です。

コメの減反は廃止すべきです。そうすれば、まず単収が増えます。次に価格が下がるので、高コストの零細兼業農家は農地を貸し出すようになるでしょう。そして一定規模以上の企業的農家に限って直接支払を行い、地代負担能力を上げていけば、規模拡大によって効率化が進み、コスト・ダウンを図ることができます。収益が上がれば、農地の貸主に払う地代も上昇するでしょう。今でも15ヘクタール以上層のコストは60kgあたり6000円です。これがカリフォルニア米並みの単収となれば、4300円に下がります。これは今の国内米価の3分の1、輸入している中国産やカリフォルニア産のコメの2分の1以下です。こうした効果によってコメ産業を輸出産業に転換できれば、日本の農業を縮小する必要がなくなります。

人口減少時代には、海外の高い関税を下げ、日本の農産物をより輸出しやすくする自由貿易こそが食料安全保障の基礎となります。農業を保護するかどうかが問題ではなく、価格支持か、直接支払か、どちらの政策をとるかが問われているのです。

質疑応答

Q:

農業の規模拡大のためには、農地をめぐる法制度の改革が必要になってくると思います。その見通しについて、お考えをうかがいたいと思います。

A:

農地法は「所有者=耕作者」の理念に基づいており、借地であれば株式会社も農業に参入できますが、株式会社が農地を取得・保有することを認めていません。したがって、若者がベンチャー株式会社を作って資金を調達して農業に参入できるよう、一定の資本金以下の株式会社が農地を取得して参入することは認めていくべきだと思います。

また、農地法も土地のゾーニング規制を行っている農振法もザル法のため、日本では農地が転用され続けています。ゾーニングをしっかりすれば、将来的には農地法も必要ありません。欧州はゾーニングだけで農地を維持しています。ゾーニングさえ維持すれば、そこへ入ってくるのが個人であろうが、株式会社であろうが関係ないというシステムにできるのではないかと思っています。

Q:

ISDS条項はどの協定でも全く同じではないのではないでしょうか?

A:

その通りです。世界共通のISDS条項があるのではありません。もし、日本が懸念するところがあれば、交渉してそれをTPPのISDS条項の規定に反映することができます。現に米国も外国企業を差別しない環境規制等はISDS条項の対象外となるよう、モデル条項案を改定しています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。