【通産政策史シリーズ】資源エネルギー政策(1973-2010)

開催日 2011年10月6日
スピーカー 橘川 武郎 (一橋大学大学院商学研究科教授)
モデレータ 西垣 淳子 (RIETI上席研究員 (兼) 研究コーディネーター (政策史担当))
ダウンロード/関連リンク
開催案内/講演概要

資源エネルギー庁が誕生し、第1次石油危機が発生した1973年から、東日本大震災・福島第一原発事故が発生する前年の2010年にまでいたる、我が国の資源エネルギー政策の展開を振り返る。

三つのE(Energy Security, Economy, Environment)の位置づけが時系列的にどのように変化したかに注目し、主要な資源エネルギー政策の歴史的評価を試みる。

可能であれば、東日本大震災・福島第一原発事故後のエネルギー政策のあり方についても、言及したい。

議事録

「正確なファクト」と「オープンな議論」を

橘川 武郎写真今週(10月3日)、総合資源エネルギー調査会基本問題委員会(以下、基本問題委員会)の第1回会合が行われましたが、原発の問題がセンセーショナルに取り上げられる中で、まずは基本的なファクトを整理する必要があると感じました。

たとえば今、電力業界の総括原価方式が問題とされていますが、実際に総括原価方式が適用されているのは、全事業分野の4割にすぎません。つまり6割が競争分野であることを踏まえて議論を行う必要があります。また、再生可能エネルギーにしても、日本はすでに2007年の時点で、水力を含めた再生可能エネルギーがkWベースでは原子力を上回っています。ところがkWhベースになると、原子力の3分の1。再生可能エネルギーの稼働率の低さがそこに端的に表れているといえます。

こうしたファクトを整理していけば問題を絞り込めるわけですが、あたかもすべてが総括原価方式であるかのような偏った認識、あるいは再生可能エネルギーの出力が小さいといった誤解を1つ1つ正す必要があります。ファクトを正確に認識するためには、それぞれの専門家が立場を超えて知見を結集することが必要です。エネルギー問題にこれほど関心が高まったのは石油危機以来のことです。世論の関心が高まり、必然的に改革が起こっていく中で、その過程を皆で議論することが大事だと思います。

つまり、「正確なファクト」と「オープンな議論」。この両方が重要だということです。

資源エネルギー政策の現実性、総合性、国際性

その上で、いま資源エネルギー政策に求められるのは、「現実性、総合性、国際性」という3つの視点でしょう。まず「現実性」ですが、私は3・11以降、世論はぶれていないと感じています。最も多くを占めるのが「減原発」、次いで多いのが「現状維持」、その2つを足すと全体の7割以上となります。これはつまり、原発は危険だから無い方がよいが、需給やコスト、CO₂といった問題を考えると、すぐには無くせないというコンセンサスがあると考えられます。

このように世論が「脱原発依存」に傾く中、現実性という点では、「リアルな原発の減らし方」を考える必要があります。また、原発に依存できなくなった以上、電力構成に占めるゼロ・エミッション電源の比率を2020年に約50%以上にするという計画は見直さざるをえないでしょう。そこで問われるのは、リアルに原発を減らしていく具体的な方策を、どれだけ的確なタイミングで打ち出していけるかということです。しかも、「リアルな原発のたたみ方」を示しながら、一方で産業の空洞化を阻止するために再稼働の道筋をつけるという、一見、矛盾することをやってのけることが求められています。

2つ目の「総合性」については、たとえば再生エネルギーの推進には分散型電源が望ましいため、小規模事業者が適していますが、今後比重が高くなると見られる火力に関しては、化石燃料の調達面で購買力の強い大規模事業者が適しています。この矛盾をどう解くかです。また、現在は「原子力か再生エネルギーか」に焦点がいっていますが、今後10~20年のエネルギー政策の焦点は火力にあるので、火力についてのエネルギー政策を打ち出していく必要があるでしょう。

3つ目の「国際性」として、本年5月のG8ドーヴィル・サミットでは、「原発が問題なのではなく、地震国で原発を推進することが問題なのだ」という落としどころが見えてきました。これをアジアに当てはめて考えるならば、日本で減原発が進む一方で、韓国、中国、ベトナム、インドなどでは原発が増えていくことになります。その中で、非核保有国である日本が核技術を捨ててもよいのか、という別の論点も浮かび上がってきます。また、CO₂削減を国内原子力ではなく、海外石炭火力で推進していくといったことも国際的な視点で考えていく必要があります。

福島原発事故を受け、付記を加筆

7月に発刊した『通商産業政策史10-資源エネルギー政策』では、歴史過程を2010年時点から逆照射していく手法をとりました。エネルギー政策基本法(2002年)を基本的な視点とし、3つのE(Energy security, Economy, Environment)が、資源エネルギー庁が発足した1973年以降の歴史の中でどのように展開されてきたのか、という観点から書きました。できるだけ直近までの政策をフォローするため、シリーズ全体の対象期間である1980~2000年を超え、2010年までを対象としています。

ただし、すべての執筆を終えた後に東日本大震災が起きたため、異例のことですが、個人名の「付記」として、4月12日時点の状況に対する個人的なコメントを掲載しています。奇しくも4月12日は、原子力安全・保安院がINES(国際原子力事象評価尺度)に基づく福島第一原発事故の評価を、「レベル5」から「レベル7」に引き上げた日でした。

『通商産業政策史10 -資源エネルギー政策-』の構成

『資源エネルギー政策』は、次のような構成となっています。

  • はじめに
  • 第1部エネルギー動向と政策遂行体制
    • 第1章国際エネルギー動向
    • 第2章国内エネルギー動向
    • 第3章資源エネルギー政策の遂行体制
    • 第4章資源エネルギー政策の関連予算
  • 第2部資源エネルギー政策の展開
    • 第5章総合政策と国際協力
    • 第6章石油日天然ガス政策
    • 第7章石炭政策
    • 第8章鉱物資源政策
    • 第9章電カ・原子力政策
    • 第10章ガス政策
    • 第11章省エネルギー政策
    • 第12章新エネルギー政策
  • おわりに
  • 付記

第1章および第2章ではエネルギー需給を概観し、2010年版エネルギー白書に基づきエネルギー安全保障上の危機に注目しています。第3章では組織体制、第4章では予算制度といった、資源エネルギー政策の推進体制に言及しています。

第5章では総合的施策、エネルギー基本計画を網羅し、「3つのE」における重点の置き方の変遷について分析しています。石油危機のあった1973~82年はEnergy securityに重点が置かれましたが、原油価格が下がり円高が進む1983~88年はEconomy、リオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(地球サミット)の前後にあたる1989~2000年は Environmentが前面に押し出されています。これらが一巡した2001~03年には3Eの同時達成を目指すエネルギー基本計画が策定され、そこから再び原油価格が上がる2004~08年はEnergy security、そして2009~10年にはEnvironmentが強調されています。特に京都議定書以降は、全体的にはEnvironmentを底流としつつ頻繁に重点を変えていくようなメカニズムが働いていたと思われます。

第6章では石油・天然ガス政策について、日本石油産業の固有の脆弱性として、上流と下流の分断、上流企業の過多・過小といった問題提起から入っています。そして脆弱性克服の道として、下流企業の組織能力強化、上流企業の水平統合を提案し、さらに、ナショナル・フラッグ・オイル・カンパニーの必要性を述べています。第7章では、石炭政策について、国内石炭産業の構造調整、海外炭の安定供給確保、クリーン・コール・テクノロジーの開発・普及、という3つの分野にわたって分析しています。

第8章は鉱物資源政策です。とくに、JOGMEC(独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構、旧金属鉱業事業団)の3段階方式による国内探鉱、海外資源開発への支援、レアメタル備蓄制度の整備、鉱害防止技術の国際移転など、優れた取り組みに焦点を置いています。

第9章は最も注目されている電力・原子力政策です。日本の電力業界の特質は、約128年続く歴史のうち12年1カ月だけが国家管理であったことを除き、残る116年は民営主導方式で進められてきたということです。民営の方が「低廉かつ安定的な電気供給」という公益的課題を実行できるという選択だったわけですが、石油危機でそれが一転、低廉な電気供給の時代は終わり、電力自由化が必至となりました。その後、2008年の第4次電気事業制度改革によって自由化が抑制されたと考えられますが、実は2004年辺りからの「原子力ルネッサンス」の流れの中で電力自由化が止まったという印象を持っています。

第10章はガス政策です。天然ガスは特性からして化石燃料の中では「3つのE」の同時達成に最も近いといえますが、ここでは主に2000年代初めの「天然ガスシフト」とその挫折のプロセスについて描いています。

第11章は省エネルギー政策です。人類最大の問題は貧困ですが、地球にとっての最大の問題は温暖化です。「貧困を無くそうとするとCO₂が増えてしまう」という二律背反を解決するには、省エネルギーしかありません。大げさに聞こえるかもしれませんが、「省エネは地球を救う」のです。また、具体的な省エネルギー法の制定、改正のプロセス、部門ごと(産業・民生・運輸)の省エネルギー動向を追いかけながら、セクター別アプローチの重要性について述べています。

第12章では、新エネルギー政策について政策当局が試行錯誤し、チャレンジしてきた軌跡をたどっています。代替エネルギー法の制定(1980年)、新エネルギー法(1997年)、RPS法(2001年)、自動車燃料へのバイオエタノール混入(2005年)、エネルギー供給構造高度化法・非化石エネルギー法(2009年)といった法律が次々と制定されました。

あえて書かなかったこと

今回の執筆では、経済産業省の正史という本書の性格を念頭において、あえて書かなかったことがいくつかあります。第9章では2点あり、1つは、日本では原子力が立地の部分は国が関与するという「国策民営方式」で進められてきたという点です。私は以前から、原子力は民間から分離すべきだという意見を持っており、「国策民営方式」には問題があると思っています。もう1つは、原子力安全・保安院の独立性です。保安院は独立していなくても良いのだろうかと気にはなっていましたが、調査研究ヒアリングを通じて科学技術庁と通商産業省の機能が一元化されることのメリットの方が大きいと感じたため、そちらに重点をおいた記述となっています。

10章のガス政策では、LPGは政策上、石油・天然ガスの流通部門として位置づけられていますが、流通というとサプライチェーンの下流に特化している印象を受けます。私は、ガス政策として、原料の調達部分から下流までを一気通貫で見るべきだと思っていますが、これは体制に関わることでもありますので、書きませんでした。

12章の新エネルギー政策において、エネルギー供給構造高度化法では、電力構成に占めるゼロ・エミッション電源の比率を2020年に約50%以上にすることを義務付けています。その方向性は妥当ですが、「義務化」には違和感があります。電力会社にとって重要な決定事項である電源構成に関して、政府が口出しするのはいかがなものでしょうか。ただし経済産業省の正史という本書の趣旨を踏まえ、本書では特に主張をしていません。

おわりに~今後、さらに求められる「総合性」と「国際性」

日本の資源エネルギー政策は、1973~78年には石油危機で混乱していましたが、1979~84年になると、今日につながるような長期的施策が講じられてきました。省エネ法のトップランナー方式といった考え方の芽が早い時期に出てきたことは、注目すべきでしょう。目先のことに対処しながら、少し落ち着いたところで長期の手も打っていくという政策の立て方は、後世に伝えていくべきです。

また、今後の資源エネルギー政策には、総合性と国際性が求められると感じています。

執筆を終えての反省もいくつかあります。まず、現状の視点から歴史を逆照射するというのは、歴史家とすれば禁じ手なのかもしれません。また、対象期間がかなり長期にわたることから、歴史的記述の濃密さが不十分であることは否めません。また、個人的な意見を踏み込んで述べた部分と、あえて書かなかった部分、そして気づかなかった部分がありますが、特に原子力安全・保安院の仕組みについては、もう少し洞察力を働かせるべきだったと思います。原子力安全・保安院には、やはりNRC(米国原子力規制委員会)のような強い独立性が求められます。それには1000人のスタッフが必要だから無理だといわれますが、JNES(原子力安全基盤機構)の使い方によっては十分可能だと考えています。そして、もし再び機会が与えられるならば、安全・保安院について、少なくとも経産省の中にあった時代にまでさかのぼってヒアリングをしてみたいと願うものです。

さらに、この『通商産業政策史』の枠組みで書くのが難しいと感じたのは、「経済産業省のトータルな政策は世界的に見るとどのような特徴があるか」といった国際的な視点での記述です。この政策史のプロジェクトが今後も継続するのであれば、その点を考える必要があると思います。

近年、IEA(国際エネルギー機関)やIAEA(国際原子力機関)といったエネルギーの国際機関で日本人がトップに就くことが多くなっていますが、これはひとえに1つ前の世代の人たちによる国際活動の成果だと思います。一方、IAEAの部長、課長クラスの中核メンバーは圧倒的に中国人、韓国人が多く、彼らは帰国後、大いに出世していくそうです。しかし日本では、ウィーンでの勤務経験は母国での評価につながらないため、ウィーンへ行く人が減っているという話を聞きました。それが本当だとすると、危機感を抱かざるをえません。

質疑応答

Q:

京都議定書の延長について、御意見をうかがいたいと思います。

A:

1997年に採択された京都議定書自体は評価していますが、現状として、日本は原発に依存できなくなり、削減の道筋が無くなった以上、国内で減らしていくという目標を立てるのは間違っていると思います。そういう意味では、京都議定書の延長には反対です。ただし日本は、「国内では無理だが、高効率石炭火力の技術移転と二国間クレジットにより、二酸化炭素排出量を3億2000万トン削減する旗は降ろさない」という姿勢を表明していく必要があると思います。

Q:

これから地球上の資源が採取され尽くしてしまう懸念が高まる中、資源が乏しい日本のこれまでの経験を世界に生かし、サステナビリティを担保するような道はないのでしょうか。

A:

日本は小資源国ですから、石炭、石油、そして石油危機の時には原子力とLNGと海外炭を総動員してやってきました。多様なエネルギーオプションのそれぞれの長所と短所を知った上で、時々の情勢に合わせて使いこなすのが日本人の知恵だと思います。原子力ルネッサンスの頃には、もう石炭火力をやめるべきだという話がありました。しかし、そこでやめていたら、いま二国間クレジットというカードは切れなかったわけです。脱原発派の人が「原発をすぐに廃止すべき」と言うことに違和感を覚えるのも、資源のない日本でオプションを減らしてしまうのはよくないという理由からです。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。