高齢化社会の新しい経済学に向けた多面的実態調査-Japanese Study of Aging and Retirement (JSTAR) 第一回分からの報告

開催日 2009年10月29日
スピーカー 市村 英彦 (RIETIファカルティフェロー/東京大学大学院 経済学研究科教授)/ 清水谷 諭 (RIETIコンサルティングフェロー/財団法人 世界平和研究所主任研究員)
モデレータ 森川 正之 (RIETI副所長)
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議事録

くらしや健康状態が人それぞれ違うように、社会保障の役割や必要性も人それぞれに異なっている。また、急速な高齢化社会や多様化する生活環境に対応するためには、年金・医療・介護・雇用などの個別制度ごとではなく、安心して生活できるしくみとして社会保障全体の役割を考える必要がある。こうした問題意識のもと、RIETIは、一橋大学、東京大学と共同して日本で初めて「どのような環境の人がどのような社会保障を必要としているか」を考えるための『くらしと健康の調査(JSTAR)』を実施している。50歳から75歳までを対象に、健康状態・経済状況・家族構成・就業状況・社会参加など、多面的なデータ収集を継続的に行う本調査の背景、内容と第1回調査から得られた結果を市村 英彦ファカルティフェロー・清水谷 諭コンサルティングフェローが報告した。

「くらしと健康の調査」(JSTAR)実施の背景

市村 英彦写真市村 英彦:
高齢化が進む中、先進国では年金、医療、介護、高齢者雇用などに関する政策が共通の問題となっています。そうした中、RIETI前所長の吉冨氏の発案により、「くらしと健康の調査」(以下:JSTAR)を2005年に開始しましたが、その背景には、欧米諸国に匹敵するデータが必要であると同時に、個々人のニーズが反映され、事実関係に基づいた政策を実現するためには、ベースとなる質の高いデータが必要という認識がありました。

米国のHealth and Retirement Study(HRS)(1992年~)、英国のEnglish Longitudinal Study of Ageing(ELSA)(2002年~)、欧州のSurvey of Health, Ageing and Retirement in Europe(SHARE)(2004年~)をはじめとして、世界各地で同様の調査が進んでいます。韓国は日本より早く着手し、80%の回収率を実現しています。インド、中国でも予備調査は実施済みです。世界標準調査としての比較可能性を担保するため、同様の質問表を用いるなどの調和(harmonization)努力がなされています。

日本は高齢化の速さのみならず、長寿で高齢者の労働率が非常に高いことからも世界の関心を集めています。また、各国と比較してハッピーでないと感じている人が多いのはなぜか、ということも興味の対象となっています。

調査方法

2005年にプロジェクトを開始し、RIETIでのパイロット調査を経た後に、2007年前半に第1回調査を実施しました。パイロット調査の回収率は低いものでしたが、実際に調査に携わる人への指導法などに関するHRSの協力もあって、2007年の調査では60%程度の回収率を実現しています。第1回調査は、滝川市(北海道)、仙台市(宮城県)、足立区(東京都)、金沢市(石川県)、白川町(岐阜)の5箇所で50~75歳の男女(施設入所者を除く)を対象に行われました(合計4200名のサンプル)。第2回調査では、新たに鳥栖市と那覇市を加えると同時に、75歳以上も集計する試みをしています。

今回の調査は、平均1時間半の面接調査と40問の留置調査を組み合わせて実施しました。質問内容は、「A.本人・家族関係」、「B.記憶力、認知力、仮想質問」、「C.就業」、「D.本人および配偶者の健康状態」、「E.所得・消費」、「F.握力」、「G.住宅、資産」、「H.医療と介護サービスの利用と支出」の8項目に分かれています。65歳以上の「H.医療と介護サービスの利用と支出」に関しては、当人の承諾を得た上で、市から医療(国民健康保険)・介護のレセプトデータを入手し、正確な医療費の把握に努めています。過去の職歴などの入手に関しては、社会保険庁のデータ整備が待たれるところです。

JSTARの質問内容は、欧州のSHAREの質問表を基に設計されています。それ以外に、栄養調査を同時に実施していることと、都市ベースのstratified random sampling方式をとっていることがJSTARの特徴となっています。全国各都市とレセプト提供の交渉をするのは実質不可能という面もあり、国全体を調査対象とするnational representative sampleではありませんが、最終的な政策は都市ベースで実施されるため、そうした意味では非常に有用なデータとなります。もちろん、national representative sampleは国全体の政策を考える上で重要ですが、今後、各都市が自前でJSTARと同様の調査をする方向になるよう期待しています。

調査結果の分析――1.中高年の就業・引退行動

日本の男性の労働力率は、国際的に見て非常に高い水準となっています。女性の労働率も国際的に見て決して低くはありませんが、男性よりは低い水準となっています。実効引退年齢を見ても、日本の場合は男女ともに高く、特に男性は69歳以上となっています。ただ、男性の労働力率は55~59歳で上昇していますが、65歳以上では若干低下傾向にあります。女性に関しては、55~59歳を中心に、趨勢的に上昇傾向にあります。また、最近のコーホートであるほど女性の労働力率が高い一方で、男性では逆の現象が見られます。

清家・山田の研究(2004)では、労働力率の低下傾向は労働力構成あるいは個人の就業行動の変化(例:自営業の割合低下)によるとの仮定の下、就業機会の面で定年制度が高齢者労働を非常に阻害していると強調し、結論として定年制度の廃止を提案しています。しかし、個々人の引退状況や職場状況、詳しい健康状態や家族関係などに関するデータは無いため、実際に定年制度が高齢者労働を阻害しているかどうかは分析できません。JSTARのデータでは、労働機会が無いから働いていないのか、自発的に働いていないのかも含めて、就業行動の理由が直接見られるようになっています。

65歳以上での極端な労働力率の低下は、JSTARでも調査対象の5箇所すべてで確認されました。女性に関しては男性ほどの急激な低下はありませんが、それでも65歳以上が1つの制約要因になっているようです。他方、主観的健康度は男女ともに労働参加を左右する大きな要因にはなっていません。記憶力などに関する客観的データを見ても、働いていない人と働いている人との差は殆ど無いようですので、今は働いていない人たちの中にも、労働力としてのポテンシャルを有している人が相当いるといえます。とはいえ、相当するのは男性の10%未満にすぎないので、むしろ男性より長寿である女性の労働力化の方が大きな効果が期待できます。実際、就業率に関しては、女性と男性との差の方が年齢による差よりも大きく、50歳以上女性の活用が、より優先度が高いと思われます。他にも客観的指標として、日常的生活動作(ADL)、手段的日常生活動作(IADL)、移動、視覚、聴覚、咀嚼の問題の有無に関して質問し、ポテンシャル的に働ける人がどの程度働いていないのかを把握しています。

日本に関して各国が非常に驚くことは、障害者年金の受給率が非常に低いことです。JSTARのデータでは大体2%以下ですが、欧州(スウェーデン、デンマーク、オランダ)では15%前後となっています。これは人口構成や健康状態よりは、制度上の問題によるものと思われます。同様の制度をとる米国でも、90年代から受給率が急増した結果、日本と比べて4割程度高い受給率となっています。今の日本の状況がはたして公正か、受給資格が厳しすぎるかどうかは別の問題としてありますが、そこまで分析するにはサンプル不足です。また、今後の制度運用次第で受給が増加し、財政を圧迫する可能性もあります。

調査結果の分析――2.「格差」の実態

清水谷 諭写真清水谷 諭:
ここ数年で「格差」が非常に大きな問題となっています。「もともと格差が大きい高齢者の総人口に占める割合が高くなっただけ」という議論も一時期出ましたが、生活保護世帯やホームレスの増加などの実態は体系的に把握されていません。政府は貧困調査の実施を表明していますが、さらに大きな問題として、「機会の格差」か「結果の格差」か、また「現在の格差」か「将来の格差」かなど、何をもって格差を測るかという議論があります。

さらに「格差」と一口にいってもさまざまな格差(経済的格差、就業格差、学歴格差、地域間格差)があります。そうした中、JSTARの特徴としては、健康格差と経済的格差との密接な関係を解明できる点が強調できます。国際的に比較可能な点も大きな特徴です。

面接による聞き取り調査では、PCを使い、回答パターンによって次の質問が自動的に導き出される方式の、computer-aided personal interview(CAPI)を採用しています。所得など正確な数字が答えられない場合には、自動的に範囲で聞く質問に移ります。所得に関しては、面接に加え、留置(源泉徴収表)調査を組み合わせて把握し、消費に関しては、1カ月間または1年間の食費、外食費、耐久財購費を聞いています。資産に関しては、金融資産と不動産のほかに借金の把握もしています。

格差を示すローレンツ曲線で見ると、所得、資産、消費の3つのうち最も個人差が大きいのが資産でその次が所得です。この点に関しては欧州と同様です。等価可処分所得のジニ係数は、0.4前後と北欧諸国より高くて中欧(ドイツなど)並みの水準となっています。消費格差についても中欧に近い水準となっています。金融資産を含む総資産の格差は、欧州で最も格差が低い北欧並の水準です。また、どれくらいの資産を遺産として残すつもりかを聞くことで、世代間の不平等・格差の問題も検証できるようになっています。

経済格差と健康格差との関連は、欧米では周知の事実ですが、日本でも今回の調査結果でその関連が明らかに観察できました。当たり前のようでもありますが、それが今まで明確にされてこなかった背景には、皆保険制度と一昔前の「遺伝子決定説」があります。

健康格差の実態――身体的健康、健康行動、精神的健康

総論として、男女とも教育水準が低いと健康状態が良くない傾向にあることがわかりました。日常生活の動作(ADL)(食事、着服、排便、入浴など)は、男女の5~6%が支障を感じていますが、男性では教育水準が低いとこの割合が高まります。手段的な日常生活動作(IADL)(食事を用意する、電話をする、請求書を処理する)に関しては、全体の1割程度が支障を感じていますが、これも所得や教育水準が低いほど支障を感じる傾向にあります。

慢性疾患の罹患に関しても、一部の疾病については、社会経済的地位との明確な相関が見られました。たとえば、高脂血症は高学歴・高所得の女性に多い一方で、糖尿病は低学歴・低所得の高年齢・男性に多い結果となっています。脳卒中は高年齢・男性に多く、中でも低学歴に多くなっています。がんは学歴・所得と一見無関係で、むしろ高学歴・高所得に多いという欧州の調査結果もありますが、実は低所得・低学歴の方のがんは致死的なケースが多い故に、患者数だけを見ると高学歴・高所得の方が多い結果となっています。

感覚機能(視力、聴力、咀嚼力)に支障があるのは低学歴の方が多く、握力(寿命のバロメータ)も教育水準が低い方ほど弱いという結果が出ています。

健康行動のうち、喫煙は男性、低所得・低学歴に多い傾向にあります。男性の飲酒量は欧州と比べて多く、半分以上が週5日以上ですが、低学歴では飲酒量が少ない結果となっています。運動習慣とBMIを見ますと、低学歴の男性は運動しない(1日の歩行時間が30分以内)傾向にあり、特に女性の場合は低学歴の方が肥満の傾向にあります。

日本は先進国の中でも自殺率がかなり高く、特に女性は高齢者の自殺率が高くなっています。自殺の前段階といわれるうつ傾向は、全体の2割弱、特に60代女性に多く見られました。男性は離婚するとうつ状態に陥りやすい傾向にあります。社会経済的地位との因果関係ですが、うつ状態にある人は所得・資産が少なく、他者から援助を受ける傾向にあります。うつ状態故に低所得、低所得故にうつ状態のどちらの因果関係の方が強いのか、政策を考える上で解明する必要があります。また、うつ状態は身体的健康状態とも非常に密接に関係しています。

認知に関して、1)時間・場所の思い出し、2)記憶力(10個の単語の記憶)、3)計算力を測ったところ、高年齢ほど低下傾向にありますが、その中でも低学歴ほど障害を抱えることがわかりました。

医療サービスの利用、健康診断、栄養調査

家計・所得に占める医療費の自己負担割合は逆進的で、低所得者ほど高くなります。高齢者の医療費は一般的に若年層の5倍といわれますが、個人差が非常に大きいのが現状です。外来受診は、低学歴の方ほど1回にかかると頻繁に受診する傾向にあります。

健康診断の受診率は高所得・大卒で最も高く、低所得・低学歴ほど低い傾向にあります。被保険者本人と比べて、配偶者(特に女性)の受診率は低めで、また、総じて高年齢になるほど低下します。健康診断の政策的目的は早期発見・予防による医療費削減ですが、健康リスクが大きい低学歴・低所得の方は受診率が低いことと、健診の有効性を示す科学的根拠が乏しいという2つの問題があります。

さらに、1週間に牛肉を食べた回数などを聞いて、栄養摂取を成分別に見ています。塩分摂取は高年齢、女性、高学歴の方が多く、アルコール摂取は低年齢、男性、喫煙者の方が多く、中でも高学歴・高所得の方が多い結果となっています。コレステロール摂取も高学歴で多くなっています。果物・野菜は年齢の高い方が、女性で高学歴・高所得の方が多く摂取しています。このように、栄養状態も社会経済的要因に大きく影響されることがわかります。

「新しい高齢化の経済学」に向けて

「新しい高齢化の経済学」を考える上で疑問に思うことは、今の社会保障議論が財源面に偏っている点です。中高年の状況は個人差が大きいにも関わらず、平均像に押し込めて議論しているために有効な政策を打ち出せずにいるのではないでしょうか。第1回調査と同じ対象者を追跡した第2回調査結果をもとに、健康状態と経済状態との因果関係や政策効果の検証を行い、有効なインセンティブ政策を考えるための材料を提供していきたいと考えています。

今後に向けて3つの課題があると思われます。1つ目は、引退時点で老後をまかなう資力が十分にあるか、という点です。これは公的年金が果たすべき役割に集約されますが、一律的ではなく、もう少し実態に即した年金制度を検証するのも1つの考え方です。2つ目に、引退年齢が高い理由について、もう少しプロセスを追った研究が必要です。3つ目は、医療・介護サービスの効率的利用に向けたインセンティブ設計です。第2回調査で以上の3点を検証しますので、ぜひ政策に活用していただきたいと思います。

質疑応答

Q:

学歴による違いを強調されましたが、高齢者の学歴は今更変わらないので、政策的にはどう働きかければ良いのでしょうか。

A:

一口に経済社会的要因といっても、学歴と所得が何を表しているのかは十分に解明されていません。所得のみが関係する、あるいは学歴のみが関係する指標があるからです。「所得」が現在の所得(年間所得)を示すのに対し「学歴」は生涯所得の代理変数であるともいえますが、政策的インプリケーションを導き出すにはリテラシーの問題などをもう少し詰める必要があります。実は、同じ社会経済的属性でも、学歴と所得とでは作用にかなりの違いがあるという事実は、JSTARで初めてわかったことですが、どちらが何に作用するのか、あるいは両方が同時に作用するのかといった因果関係をより詳しく解明していけば、政策的介入につなげられると考えます。

Q:

健康格差に関して、「所得から健康」と「健康から所得」の両方の因果関係がありますが、欧米の調査では現在どういうコンセンサスになっていますか。

A:

私の知る限り、欧米でも完全に因果関係が特定されたデータは希少で、「健康から所得」と「所得から健康」の両説が並存しています。

A:

英国のホワイトホール(霞ヶ関に相当)で行った調査では、昇進しなかった人は昇進した人と比べて健康状態が悪くなりやすいという結果が出ています。サルの実験でも、仲間外れにされたサルは健康状態が悪化するというデータがあります。また、所得が低いと食べる物も変わってきますが、それによる健康状態への影響はそれほど無いと思われます。それ以上にメンタル面の影響が大きいといえます。

Q:

幸福度と満足度も調査されたそうですが、最も相関が強かった指標は。

A:

結婚の満足度は男女でかなり違いますし、仕事の満足度など職場環境とも強い相関関係が見られますが、「幸せですか」という一般的な質問はしていません。

Q:

低所得者ほど健康状態が悪いということですが、年間所得と生涯所得のどちらの方を指しているのでしょうか。また、所得以外に仕事の有無が関係している可能性もあります。生涯所得の代理変数としては、消費の多寡も考えられます。

A:

ここでいう所得はフローの所得、つまり年間所得ですが、生涯所得も学歴である程度測れると考えます。就業はこの推計では加味されていません。また、消費の多寡を指標にすることも今後の調査の方向としてありえます。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。