競い合うアジア太平洋の自由貿易協定(FTA)

開催日 2009年7月6日
スピーカー 片田 さおり (南カリフォルニア大学国際関係学部准教授)
コメンテータ・モデレータ 浦田 秀次郎 (RIETIファカルティフェロー/早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授)
ダウンロード/関連リンク

議事録

※講演内容を引用される場合は、引用元を明記ください

はじめに

片田 さおり写真関税と貿易に関する一般協定(GATT)/世界貿易機関(WTO)に登録された自由貿易協定(FTA)の数は、1948~1988年の80ケースから2008月7月段階での402ケースにまで増加しています。特に、既存のFTAへの加盟ではなく新たにFTAを締結するケース(Green Field FTA)が1990年頃から増加しています。

そこで、13名の日・米他の研究者による共同出版となる今回の研究(Competitive Regionalism: FTA Diffusion in the Pacific Rim/競い合うアジア太平洋の自由貿易協定(FTA))では次の3点を中心に検討を進めることにしました。第1に、FTAが世界的に急増する理由は何か。第2に、コストの高さに関わらず、その多くが二国間で新たに結ばれるFTAとなっているのは何故か。第3に、こうしたFTAネットワークは、今後の地域統合・地域協力にとっての基盤となるのか。

結論から先に述べます。第1に、一国のFTA政策は他国のFTA政策に左右されます。第2に、環太平洋諸国政府のFTA政策は多様な競争圧力から大きな影響を受けています。第3に、こうした競争力学がFTAの急速な拡散につながっています。その力学は貿易地域統合政策に往々にして負の影響をおよぼします。

私たちの研究ではFTAを政策拡散理論で捉えています。政策拡散とは「あるグループが、ある特性や行動様式を、ある時点で採用することにより、それを採用してないグループのその後の採用決断や可能性に影響を与えること」と定義されます。本研究では、自国とは直接関係のない国々で締結されているFTAも自国に関連することが明らかとなっています。

仮説:「模倣」と「競争」

FTA政策は独自に、かつ自己完結的に結ばれているというのが基本仮説(null hypothesis)です。次に、この基本仮説に対する反証として2つの仮説を立てました。

1つ目が「模倣」による政策拡散です。FTAは、ある1つの国がFTA先進国のマネをすることで拡散するという考えです。その広がりは多方向に向かい、FTAは自国と似ている国と結ばれることが多いという仮説です。

2つ目が「競争」による政策拡散で、ある国の政府は競争相手とみなす国のFTA政策を中和する、またはそれと拮抗するためにFTAに乗り出すという仮説です。競争相手との間で結ばれるFTAは選り好みが激しくなります。

行動主体、すなわちFTA政策に一番大きな影響をおよぼす主体は、拡散圧力が「模倣」の場合は「認識共同体(epistemic community)」、つまり官僚といった同じような専門知識を持つ人々のネットワークであるとされています。一方、拡散圧力が「競争」の場合は、ビジネスグループや経済官僚、政治家、外交の専門家が行動主体になるとされています。

私たちは「模倣」による政策拡散では地域統合が自然に発展する可能性が強まり、「競争」による政策拡散では、多種多様なFTAが結ばれることになり、また、地域の外の国とのFTAも多くなるため、地域統合がバラバラになる可能性が強まると考えました。

本研究では「競争」による政策拡散に重点を置きました。

FTA政策拡散圧力としての「競争」には、「経済的競争」、「政治・安全保障面での競争」、「法的競争」の3つの種類があります。

「経済的競争」とは、貿易創出による相対的利得を獲得したり経済ハブになったりするための競争や、直接投資を呼び込むための競争です。FTAから漏れた国々の貿易転換によるコストも経済的競争の一部に入ります。

「政治・安全保障面での競争」は大国と小国とでは大きく異なります。大国は勢力均衡のための政策、または小国を懐柔するための政策として、小国は安全保障上の脆弱性を補う手段として、FTAを活用すると考えられます。

「法的競争」はWTOといった上から下に向けての基準・ルール設定ではなく、二国間といった下から上に向けての基準・ルール設定のための競争と捉えられます。

国別事例研究I:チリ

FTA先進国チリのFTA政策は北米自由貿易協定(NAFTA)から非常に大きな影響を受けています。チリはNAFTAを模倣する形で1994年からFTA政策を本格的に開始させます。また、新たに民主化した国がラテンアメリカ地域に再統合されるための方策として、チリはFTAや特恵貿易交渉を活用しました。南米におけるFTAのハブとなることが、チリのFTA政策の大きな動機になりました。その結果、「スパゲティ・ボウル」ともいわれる、FTAが錯乱する状態の中で、NAFTA型FTAと経済補完協定(ECA)型FTAが入り交じるようになりました。ブラジルやアルゼンチンといったメルコスール諸国からは、チリは地域統合の阻害要因となっているとの批判も出ています。

国別事例研究II:中国

中国はWTOに加盟した2001年以降、FTA交渉に向けて各国に積極的にアプローチしています。中国にとってはWTOの膠着状態がFTA政策を進める上での大きな動機となっています。中国は他国のFTAを積極的に学習(模倣)しています。同時に、日本に対するライバル意識が強く、力関係・利害関係を非常に重視して交渉相手を選択しています。また、自国の生産コスト上昇への緩和措置としてFTAを活用している面もあります。自国が強い競争力を持つ産業に関しては、原産地規則の適用で自国産業保護に乗り出しています。自国を市場経済として認めた国と優先的にFTAを締結するというのも、中国のFTAの特徴です。

中国はまた、米州自由貿易地域(FTAA)など他の地域の貿易ブロック化を阻止するためにFTAを活用しています。地域貿易統合に強い関心を持つ中国には、アジアでリーダーシップを確立するためにFTAを活用するという側面もあります。

各国の事例研究から

「模倣」と「競争」は共に、環太平洋諸国のFTA政策に影響を与える圧力となっています。

米国やチリなど早期(1990年以前~1990年代後半)にFTAに乗り出したラテンアメリカ諸国は当初、独自の動きを見せていましたが、NAFTAから大きな影響を受け「模倣」が広がります。アジアでは独自にFTAを打ち出した国はありませんが、韓国とシンガポールではかなり早い時期(1990年代後半~2002年)からFTAが生まれています。ここでも「模倣」が圧力となっています。ただ、その後は、ラテンアメリカ地域でもアジアでも、FTAの流れは「競争」により加速されることになります。

競争の種類は国の経済規模により大きく異なります。シンガポールやチリ、あるいは韓国やメキシコといった経済規模の比較的小さい国は、「経済的競争」がFTA政策に非常に強い影響をおよぼしています。ですので、欧州連合(EU)や米国といった大きな市場を狙ってFTAを結ぼうとする傾向があります。他方、経済規模の比較的大きな国では、日本の場合のように経済的利益を追求してのFTAもありますが、それ以外の利益を追求したFTAも見られます。日本では、競争政策としてアジアで高いFTAスタンダードを作ることを目指した「法的競争」もかなり見られます。中国、米国では、「法的競争」や「政治的競争」がFTAに強い影響を与えています。

結論

  1. FTAの拡散はいろいろな形での政策拡散の原理で成っています。
  2. 中でも「模倣」と「競争」は各国のFTA採択に大きな影響をおよぼしています。
  3. 比較的小規模な国では「経済的競争」がFTA政策で非常に重要な意味を持つ一方で、大国にとっては「政治・安全保障面での競争」や「法的競争」がFTA締結に対する大きな動機となっています。
  4. 競争によるFTAの拡散は無秩序なFTAネットワークと政治的ライバル関係を生み出し、地域貿易統合の可能性を低めることになります。

コメント

浦田 秀次郎写真コメンテータ:
(1) 仮説はどのような方法で検証されたのでしょうか。

(2) 競争的リージョナリズム(regionalism)の終着地点は果たしてカオスで、地域レベルでのFTAにはつながらないのでしょうか。現在、ASEAN+6では東アジア包括的経済連携協定(CEPEA)、ASEAN+3では東アジア自由貿易協定(EAFTA)、さらにはアジア太平洋の自由貿易圏(FTAAP)といった枠組み・構想が議論されています。その1つの理由は、「スパゲティ・ボウル」効果で企業が余計なコストを負担するようになっているからであり、その意味で、地域レベルでのFTAは企業にとっても重要となります。そうであるとすれば、カオスの先では、調和的なFTAに対する要求が強まるのではないでしょうか。

(3) 日本のFTAについては、日本が積極的にアプローチしたものと、アプローチされて対応したものの2つに分けることができます。後者の場合、「模倣」とも「競争」とも違った形でFTA交渉に入っていることになります。こうした事例は、どのように評価されますか。

片田氏:
(1) 事例研究では国際関係論でいう「プロセストレーシング」という方法論でFTAが増えるプロセスを調査しました。研究に参加した研究者の多くは、各国・地域でインタビューを行っています。中国の場合は、シンクタンクへのインタビューとシンクタンクから発表されている文書の分析が行われました。

(2) 地域レベルでのFTAについては本研究では中期的な結論は出していますが、最終的にどうなるかの言及はしていません。ご指摘のあったCEPEAやEAFTA、FTAAPもある意味では大国同士の競争の一部ではないかと考えています。

(3) 日本は例外的です。米国や中国はFTAを政治的に使っており、そうなると日本もそれに反応せざるを得なくなります。そうしたとき、大国が、企業コストといったボトムアップのプレッシャーにどれだけ応えていくのかが、スパゲティ・ボウルの中に整合性を持たせる上での重要なポイントとなります。地域統合は長期的には進むと思いますが、そのためのシステム作りには時間がかかると思います。ご指摘の通り、日本の場合は相手国からアプローチしてきたFTAも多くあり、今回発表したような国別の研究では各国の動機は見ることはできますが、相手側からみた関係を捉えるのには限界があります。

質疑応答

Q:

FTAを地域統合につなげるには何が必要なのでしょうか。「競争」や「模倣」以前の問題として「最初の一歩を踏み出したい」という動機はどう整理できるのでしょうか。

A:

日本のように、FTAを締結することで国内で経済改革が行われ、農業が段階的に開放されるというステップを重ねることで地域統合の素地が整えられる国はあると思います。特に日本はステップ・バイ・ステップの動きとなっていますが、中国のように国内調整が不要の国はFTAがやりやすく、スピードは大きく違うと思います。このスピード感の違いが地域統合を難しくしています。では何をしたら良いのか。これは難しい問いですが、一番簡単な答えは、カスタムズ・ユニオンにすることやコモンマーケットにあると思います。ただ、実現はなかなか難しいと思います。とはいえ、それが難しいのはグローバル化の進展を示すものでもあるため、必ずしも悪いことだとは限りません。

「最初の一歩を踏み出したい」というのは、今日話をした基本仮説に該当します。FTA採択の初期(1990年以前~1990年代後半)の米国やチリは他国から影響を受けずに独自にFTA政策を進めたと考えられます。

Q:

FTAと地域統合の考え方について米国といった他国はどうみているのでしょうか。この枠組みでトランスパシフィック・パートナーシップ(TPP)はどう評価されますか。また、リージョナリズムはどう定義されますか。

A:

米国でもFTA採択の後期(1990年代後半~)には「競争」圧力が働いています。もちろん競争を引き起こしたのは米国ですが、ある程度の国がFTAに絡んでくると、競争的リベラリゼーション(liberalization)を活用し、米国とFTAを組めると主張する国(can-do-country)をラテンアメリカ諸国から抽出・選択するようになっています。米国は自国の強い立場を利用して相手に良い条件を作らせていますので、米国や中国が競争の中に入っているのは確かなことです。

TPPは競争の一部です。特にリベラリゼーションが進んだ小国は、一国ではルールメーキングができないので、共同でルールメーキングをしています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。