開催日 | 2008年11月17日 |
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スピーカー | 岡本 浩一 (東洋英和女学院大学人間科学部教授/内閣府原子力委員会専門委員) |
モデレータ | 佐藤 樹一郎 (RIETI副所長) |
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議事録
不祥事の殆どはトップ主導
日本の不祥事の殆どはトップ主導で起きています。食品偽装や電力会社のシュラウド(事故隠蔽)もそうですが、不正を見て見ぬふりをするいわゆる「黙認」も一種の意思決定と考えれば、殆どの不祥事にトップが関与しているといえます。
トップの意思決定には2種類あります。1つは会議など正式な場で少なくとも追認された意思決定。もう1つは意思決定の所在が曖昧なまま「社長の意思」ないし「創業者の考え」として押し通された意思決定です。後者にはルールがなく、一種の明文化されない価値観が根っこにあるようです。その価値観が形となっているのが組織風土であると見ています。
組織風土の裏にある価値観は、明文化されないだけに明示的な議論の対象にならず、変更が大変難しいものです。組織風土はある種の価値観に関して非常に保守的な機能を果たしますが、そこに不祥事の根っこになるような価値観があると、組織として不祥事を起こす方向に傾くのと考えられます。
権威主義とは
組織風土を論じる際に一旦は「権威主義」を議論するのが社会科学の教科書的手順となっています。権威主義というと、第二次世界大戦のヒトラー政権とホロコーストが連想されますが、厳密にはそれが起きた過程全体を指します。実際にホロコーストが起きる10年ぐらい前から、社会全体の価値観が傷みだし、国家的暴力を是認する方向に暴走していった。そうした過程を権威主義といいます。
権威主義は企業社会でも起こり得ます。つまり価値観が傷んでくるということですが、多くの場合、その背景には、リーダーの言動や価値感、特に自身でも十分に吟味していない価値感の問題が横たわっています。さらに、もう1つの面として、二分法的思考で物事を判断し是々非々の議論を省略するのも権威主義の表れです。
その意味で、何かにつけ「改革」で押し通すのも一種の権威主義の兆候かもしれません。たとえば郵政民営化も、その是非はとにかく、意思決定の過程を見ると権威主義である条件を殆どすべて満たしています。まず、自民党の総務委員会で(棄権を含めて)2割程度の賛成票しか得られなかったのにそのまま党議にかけたこと。それに従わない議員を追い出すといった過大な懲罰思考も権威主義の兆候です。また、代表民主制では選挙を国民投票の代わりに使わないのが大原則ですが、2005年の解散総選挙は「郵政選挙」という名の国民投票に化けました。そうした過程が権威主義的だという訳です。
組織風土としての属人思考
不祥事が起きやすい企業の特徴として「属人思考」があります。これは権威主義と非常に強く相関する変数の1つであり、権威主義の1つの形態であると考えられます。
「企業風土に問題がある」との認識は企業自身にもあるようですが、「風通し」や「たこつぼ文化」といった抽象的な言及に留まる場合が殆どです。いずれも定義不能かつ実態の無い概念であり、指標としては役に立ちません。
そこで私は企業風土を測定するために「属人思考(Person-oriented thinking)」という指標を開発しました。事案の記憶、処理、意思決定において「人」情報を重視し「事柄」情報を軽視する傾向を指します。事業進出といった多項的な判断が求められる局面において、「○○さんが言っているから」、「社長の言うことが聞けないのか」など「人」を機軸に判断するのがその典型例です。多項的な判断にはもちろん「人」の要素も加わりますが、属人思考ではその「人」のウェイトが過度に大きくなります。その反対が是々非々で物事を詰める属時思考Issue-oriented thinkingですが、会議をするからといって属時思考の組織であるとは限りません。
属人思考と組織的違反
属人思考が強いと組織的違反が増えます。違反には個人的違反と組織的違反の2つがありますが、不祥事は圧倒的に組織的違反の結果起きます。
個人的違反と組織的違反は社会科学的に相関しないという点は非常に重要です。コンプライアンスの徹底が昨今叫ばれていますが、企業の取り組みは個人的違反を対象にしたものが多く、組織的違反にはあまり効果が無さそうです。「違反を減らそう」とするあまり、個人的違反と組織的違反とでは対策のシステムが違うという点を看過しがちです。
たとえば、首都圏の一部上場企業に勤める会社員を対象にした調査では、属人度が高い企業で法律違反の放置、不正の庇い合い、不祥事隠蔽の指示、上司の不正容認、規定手続きの省略といった組織的違反が生じやすいという結果が出ています。
属人思考の組織であるかの診断ポイントですが、まずは忠誠心重視が挙げられます。日本人は総じて忠誠心が高い傾向にありますが、それにも関わらず忠誠心を重視するような評価ないし言語的やり取りがあれば、それは過剰な属人思考の表れです。また、公的関係が個人の趣味や嗜好などの私的関係に影響するのもそうですし、「鶴の一声」で物事が逆転する頻度があまりにも高い場合は、上司が部下(の忠誠心)を試している可能性があります。すると同時に、些細なことでも上が報告を求めたり関心を持ちすぎたりするようになります。また、創業者をはじめとする個人の「偉業」が強調されるのも属人思考の兆候です。昔の美談や武勇伝を持ち出す裏には「他の社員もがんばれ」というメッセージがありますが、それを直接的に言わずに人にからめて伝えようとするからです。それとコインの表裏となっているのが、問題が起きた際に犯人探しや懲戒処分に走る過剰な懲罰傾向です。さらに属人思考が進むと、オーバーワークが期待される一方で、特定の職業集団では病的にオーバーワークを拒否する傾向が出ます。
属人思考の問題点
属人思考の問題点として、まず会議が機能しなくなること、それから細部への注意がおろそかになることが挙げられます。提案者や賛同者の「名前」が重視されるなど、会議が対人関係で進むようになると、資料の準備やチェックがおろそかになります。そうなると、コピー取りなどの事務的な処理までもが雑になります。私が調査したところでトラブルがあった企業のうち、事務処理が完璧だった企業は皆無です。さらに会議に人間関係の紐がつくことで、反対意見が躊躇されたり、意見の「貸し借り」が起きたりします。その結果、職場全体として対人情報に過度に依存するようになり、「AとBはよく一緒に飲む」、「CとDは仲が悪い」といった対人関係に不要な注意が払われたりします。
さらに権威主義が高まると、単純思考が随所に見られるようになり、懲罰傾向が強くなります。また、「王は法なり」――つまりトップに限り逸脱を容認する空気が生まれ、政策採用や人事が属人的になってきます。
トップが陥る属人思考
さて、属人思考には組織風土としての属人思考と人格としての属人思考があります。
人格としての属人思考を示すものとして、二分法的な思考がまず挙げられます。日本ではよく「竹を割ったような性格」という表現が良い意味で使われていますが、これは裏を返せば「とっつきにくいが懐に入れば良くしてくれる」、「(問題があると)過度の懲罰を課す」といった傾向にも結びつきます。あいまいさや「待った」を許容できないのも、「徹底的」や「一致団結」といった強調的言語の多用も、二分法的思考の表れです。そういう人は概して人や部署にあだ名を付けるのが得意ですが、それは強調の上手さであって、他の性質や要素を切り捨てることにもつながり、認知の仕方が二分法的になっていくのを助長します。さらに属人思考が進むと、スタンドプレーとしての即断即決や心遣いが増えます。
上司としてやるべきこと
1.測定的な組織診断
上司の仕事は直接見えない組織を「見る」ことです。その際には間接的指標からの判断が不可欠となります。「自分はたたき上げだからカンでわかる、肌でわかる」と思い込むのは危険です。内部告発やセクハラに関しても、個々の相談に対応すると同時に、それらを統計的に見る必要があります。たとえば、セクハラは他の事柄で不満が強くなるにつれ表面化する傾向があります。サボタージュや健康の問題も同様であり、そうした問題がある部署から急に出てきた場合は、別の問題が根っこにあると考えてみるべきです。
現場の属人性を見極めるには、まず、敬語的関係のずれなど上下関係に破断が無いかを見ます。男女間の言葉遣いも同様です。それから現場の空気。視察の後に自己観察をして気付いた点をメモしておきます。
2.自己鍛錬
人格としての属人思考に陥らないためにも、上司は自己鍛錬すべきです。日本や中国では「年齢に応じて人徳が豊かになる」と信じる傾向がありますが、実際は45歳をピークに体力や判断力だけでなく人徳も衰えてきます。部下に対する忍耐力やストレス耐久力もそうですが、大事なのは衰えるスピードをいかに遅くするかです。
能力が衰える最大の原因は上司(チェックする人)がいなくなることです。それから自分に対する過度の自信、あるいは自分の仕事や地位に対する過度の依存です。そうした自分の職位に対する心理的依存は、仕事以外の世界を持ち、名刺に依存しない人間関係を作ることでチェックすることができます。また、社会的に成功する人の特徴としてネガティブな結果を過大視する能力がありますが、トップに上るとそれが却って足かせとなるため、物事を実物大で評価する習慣が重要になってきます。また、特定の部下に依存しないことや40代前半の社員が能力を最大限発揮できる環境を整備することも重要です。また、管理職の方々は自分の仕事の範囲内で物事を大枠で捉え判断を下す思考訓練ができていますが、地位が上がるにつれ、そうした思考の延長で判断すると危ない問題が増えてきます。たとえば食品偽装でも、「もったいない」、「節約」で利益を生んできた思考のまま判断するから大きな問題となるのです。トップに上った暁には、もう一度足元で問題を考える習慣を取り戻す必要があります。
そうした思考の鍛錬には、自分の専門領域と異なる本を読むことが効果的です。毎日少なくとも30分。古典文学などの教養書のほか、放送大学の教科書や高校生向きの受験参考書、また小説もお勧めです。本を読むことで自分の感情を統制する訓練ができますし、職業人としての自己から離れて自分の知性に対する自信や抽象的な意味でのアイデンティティが生まれる効果もあります。さらに小説を読んでいて、登場人物の価値観に接するうちに、自らの価値観、特に普段は無自覚のまま抱えている価値観の矛盾やループが調整されてきます。そうした調整が無いと、価値観がループになっている部分で問題が生じた際に判断を誤ったりします。
質疑応答
- Q:
組織の主として制度的に工夫できる点は。
- A:
懲罰を過大にしないこと。たとえば自衛隊空幕長の更迭問題に関しても、論文1本で国益に対するこれまでの貢献をすべて帳消しにするのは正当な手続きでないといえます。職場全体として妥当性のある思考の積み重ねが無いと、企業でも類似の問題が起きます。懲罰を一旦重くしますと、類似の問題が出た際にまた重い懲罰を課すことになり、戦力になっている社員を失ったり、周りの士気低下を招いたりします。賞与についても同様です。賞罰の与え方を全体的に穏やかにする、少なくとも事柄比例的にするべきでしょう。
- Q:
権威主義の問題はわかりますが、一方で、日本企業にはサムスンやマイクロソフトといった海外企業に見られるような強いリーダーシップが不足しているとの指摘もあります。リーダーシップと権威主義とではどう違うのでしょうか。
また、官僚不祥事が相次いでいますが、組織風土との関係においてどの点が一番問題なのでしょうか。
- A:
マイクロソフトの創始者ビル・ゲイツ氏は、リーダーである以前に天才であり、それがリーダーシップの源泉となっています。誰が見ても優れた能力を持つリーダーの場合は、能力イコール権威ですので、権威主義に陥る必要がありません。権威(つまり能力)が十分に無いリーダーの下で権威主義は起きます。特に(純粋な能力ではなく)ある種の「手続き」の産物としてリーダーが生まれるような大企業でそれが起きやすいといえます。
役所の不祥事は今に始まったことではありません。昔は職場全体にそれを容認する風潮があったため、今程不祥事が明るみに出なかったともいえます。役所が最近になって急に悪くなった様には見えず、むしろ過度の規制緩和を懸念に思います。また、いわゆる「天下り」に対する世間の誤解も大きいと思います。天下りを廃止する流れの中で、オフレコのコミュニケーションをする場が無くなったことも、不祥事が明るみに出始めた背景にあると思われます。
- Q:
認識されない問題を「文書化」する具体的方法は。
組織風土には良いものもありますが、良い組織風土を定着させる有効な方法は。
良い組織風土が経営環境の関係で劣化する場合がありますが、どのようなメカニズムが作用しているのでしょうか。
- A:
文書化すべきとは考えていません。文書化されていない故の強みもあるからです。ただし、そうしたものを数値的に「測定」する必要はあります。経団連などが第三機関を設置して企業風土を評価する仕組みができても良いと考えます。
良い組織風土の定着ですが、従来の終身雇用制度が崩壊したことによって、文書化されない価値観が伝播されにくくなることが懸念されます。
風土悪化の原因ですが、即断即決が要求される非常事態が生じたのをきっかけに、トップダウンの意思決定が定着し、時間をかけて決めるべき事項までもが即決されるようになるケースがあります。また、明確な定義をせずに「風土刷新」などというスローガンで突っ走るのも、拡張解釈と価値観の一元化を招くといえます。
この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。