開催日 | 2008年11月5日 |
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スピーカー | 安倍 誠 ((独)日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所新領域研究センター技術革新と成長研究グループ長) |
モデレータ | 山田 正人 (RIETI総務副ディレクター) |
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議事録
再び政治課題となった赤字問題
最近になって、韓国の対日貿易赤字が再び政治課題化しています。
確かに、対日貿易赤字は昨年に300億ドル近くに達するなど、1997年通貨危機以来の減少から再び拡大基調に入っています。その中で韓国全体の経常収支が昨年後半から赤字に反転したこともあり、対日貿易赤字が一層注目を浴びるようになったといえます。
中でも政治的に重要なのが、対日外交に関して「歴史」より「実用」を重視する李明博大統領の就任です。李大統領は当選早々に「(対日)貿易逆調」の問題を取り上げ、根本的解消策の策定を指示しています。また、2008年4月の訪日でもこの問題を取り上げ、日本と解決策を協議したいと述べています。そこで特に強調したのが部品・素材分野です。韓国側は日本企業を対象とした部品・素材専用の工業団地を設置するとして、日本企業の韓国進出に対する期待を表明しています。さらに民間経済団体同士でも、同様の協議が進行中です。
昨今の「逆調」のもとは部品・素材分野にあるというのが韓国側の見解です。韓国政府は2000年に振興法を策定したり、専門団体を立ち上げたりするなど、「部品・素材」を1つのキーワードとした産業政策を推進しています。同部門で赤字が拡大したことについて、韓国のマスコミなどは、日韓産業の技術格差を指摘した上で、赤字解消には同部門における日韓協力、特に日本の中小企業の韓国投資が不可欠であると主張しています。
これまでも韓国で対日貿易赤字が取り沙汰されたことはありますが、同時にその頃から、二国間の貿易収支に一喜一憂する妥当性が問われていました。人口規模が小さい韓国は、必要な部材を日本から輸入することで、組み立て加工製品の輸出を拡大させてきた経緯があります。つまり、対日赤字は急速な発展を遂げた故の現象であって、問題視するにはおよばないという意見も出ていたのですが、ここにきて、またしても政治問題化した訳です。
部品・素材分野の貿易赤字を政治問題化する主張がされ、それに対して政策的措置が講じられることは、一体どこまで妥当なのでしょうか。
部品・素材貿易の品目構成を見ますと、対日赤字が拡大したのは圧倒的に「素材」部門でありことがわかります。韓国の対日輸入に占める「部品」の割合は、2000年の40.6%から2007年には30.3%にむしろ縮小しています。一方、「素材」が占める割合は、同21.6%から26.9%に上昇しています。特に増えているのが、一次金属製品(鉄鋼、鋼材)や石油化学製品といった中間材です。
しかし、これらの中間材は中小企業より大企業が得意とする分野です。また、赤字拡大の原因も、はたして日韓の技術格差によるものなのか。鉄鋼を事例にこれらの点を検証します。
韓国鉄鋼業界の産業再編
鉄鋼材の品目別輸出入を見ますと、韓国は対日に限らず、全体として「川上」部門(鋼半製品、熱延鋼板など)が輸入超過となる一方で、「川下」部門(冷延鋼板、その他表面処理鋼板)が輸出超過となっていることがわかります。日本からの輸入は、そうした川上の中間製品・鋼半製品が多くを占めています。中間材を輸入して、めっき製品などを輸出する産業構造であるが故に、工程間インバランスが顕著化している。つまり、川上の供給不足と川下の供給過剰故の対日赤字だという訳です。
このようなインバランスが生じた背景には、韓国の鉄鋼産業政策の転換があります。
かつて韓国の鉄鋼業は、ポスコ1社が韓国唯一の高炉メーカーとして、川上から川下までの生産を事実上独占していました。鉄鋼工業育成法に基づく事業者指定制度などがそうした一貫生産体制の背景にありましたが、これが1980年代後半になって廃止され、新規参入と設備増設が原則自由化されました。さらに、1980年代の大きな転換として、ポスコの株式公開があります。こうして個別の産業育成法は廃止されましたが、それに代わって産業全体を包む工業発展法ができ、一部の新規参入・設備増設などについて政府介入を許す制度も設けられました。また、ポスコに関しても、政府は一定の持ち株を保持、人事に関する影響力を維持していたと見られています。
1980年代の政策転換によって鉄鋼業界では設備投資が一気に加速しました。中でも増設に最も積極的だったのがポスコです。これまでは主に中間材を供給する立場にあったのですが、株式公開をするようになって収益指向が強まり、より付加価値の高い川下への本格的展開を図るようになります。これに対して、既存の川下企業も、新規参入企業も、同じ川下部門での設備投資に乗り出します。その典型的な例が、現代グループによる冷延鋼板の製造です。
対照的に川上部分の増設は非常に限定的でした。川下の生産能力が過大となる中でも、ポスコは高炉増設に関して一貫して消極的でした。現代グループは1990代に高炉建設計画を打ち出しましたが、財閥への経済力集中を恐れた議会の反対にあい、実現しませんでした。それ以外にも、電炉メーカーの韓宝製鉄がホットコイルの生産やCOREXを用いた一貫生産を試みますが、通貨危機による破綻で頓挫しました。
その後、1997年の通貨危機により、多くの鉄鋼メーカー、特に電炉メーカーやステンレス系企業が倒産しました。危機後の業界再編の核となったのが、現代自動車グループです。危機以降は冷延鋼板の増産ないし設備増設が本格的となり、先述の川上と川下の工程間インバランスが顕著化しました。それでも、財務健全化を優先させたポスコは、量的拡大よりも高付加価値化と海外展開に目を向けていたこともあって、川上への拡大には非常に慎重でした。その結果、ポスコと現代自動車グループ傘下の現代ハイスコの間でホットコイルの供給をめぐって法廷紛争にまで至りました。
日韓垂直取引の拡大
そうした経緯から、自動車用鋼材を生産する現代ハイスコは、日本メーカー、特に川崎製鉄(JFE)からホットコイルをはじめとする原材料を調達するようになります。2001~02年当時は、中国市場が急拡大する直前の段階にあり、日本メーカーは川上部門の設備過剰に苦しんでいる状態でした。そのような事情もあって、川上の供給不足に悩む韓国メーカーとで利害が一致したようです。同様の関係が他の日韓メーカー間でも築かれ、現在でも続いています。単なる原材料供給だけではない技術供給の側面もありますが、基本的にはインバランスを解消する目的でこうした取引が拡大していきました。
ところで、ポスコは利益の面から見て非常に優等生です。利益率は1990年を通じて新日鉄を上回っていて、現在でも高い利益率を誇っています。
通貨危機以前のポスコは、低コストでの汎用鋼材の大量生産を競争力の源泉としていました。運用・維持にかかるコストをできるだけ削減するために、工場のレイアウトを簡素化・直線化し、設備仕様を統一しましたが、そうしたシステムの制約もあって高級鋼材の生産はあまり伸びませんでした。積極的なR&Dによってさまざまな製品開発に成功したにも関わらず、実際に生産する鋼種数は少なめに抑えられました。
しかし、こうした戦略は通貨危機を境に大きく転換します。アジア需要の落ち込みに加えて、自動車産業などが一気に品質経営に傾いたこともあって、汎用鋼材中心の路線からの転換を余儀なくされたのです。
さらに現代自動車グループ傘下の現代ハイスコが自動車鋼材の生産に着手しました。自動車メーカーが自ら使用する鋼材の生産に乗り出したのです。そうした試みが可能となった背景には、JFEとの協力関係による技術移転と、自動車メーカーであるが故の共同開発体制があったと考えられます。そうした中、自動車用GA鋼板やTWB、ハイドロフォーミングなど加工分野の開発と生産をめぐってポスコと現代ハイスコの2社の競争が激化しました。
現段階の状況
高付加価値材の生産に本腰を入れた結果、2007年時点で現代グループは必要な自動車鋼材の50%以上をグループ内で調達できるようになりました。さらに、現代ハイスコを含めた国内全体の自動車用鋼材の生産能力が強化された結果、自動車産業全体で見ても、国内調達がほぼ可能となりました。日本からの輸入は相変わらず多いのですが、これは購買戦略上の選択によるものです。一方、ポスコが日本自動車メーカーに納入する自動車鋼材の量も拡大しています。そのことから、技術に関しても急速なキャッチアップが起きていることが伺えます。
さらに最近では、現代自動車グループが川上部門への進出を再び試みようと高炉建設を進めています(2010年末までに稼動開始の予定)。それに対して、グローバルな供給体制の構築に力点を置くポスコは、インドやベトナムでの工場新設と国際的再編を踏まえた新日鉄との包括的提携を進めています。
日韓貿易赤字の拡大は、基本的に工程間インバランスの問題であり、政策転換のゆがみといった韓国国内の事情によるところが大きい点に留意する必要があります。いわゆる高級鋼材に関しても、韓国の生産拡大に応じて日韓で水平的取引がされるようになっています。それと一貫製鉄所の建設もあって、鉄鋼の工程間インバランスは今後、ある程度解消される見込みです。
日韓の鉄鋼市場は事実上、単一市場化しています。そのような中、国境を線引きして収支を云々する意味はそれ程無いと思われます。また、他品目でも同様の指摘ができる可能性があります。たとえば石油化学の中間原料の輸入超過についても、韓国側の設備不足が明らかに作用しているようです。貿易赤字の解消に関して根本的な議論をするなら、産業政策の撤廃をめぐる経緯など、各産業の事情を見極めた上で話を進める必要があります。
質疑応答
- Q:
韓国メーカーの中でも、サムスンは海外で圧倒的な競争力を誇っていて、日本メーカーの方がむしろ押されがちだと聞きます。サムソンの好調と部品・素材の問題とはどう関係するでしょうか。
- A:
IT企業全般に共通しますが、サムスンの強みは世界中から部品を調達して、良い製品を作るところにあります。また、社内で調達できる部品に関しても、より良い部材が他社にあればそこから調達する風土となっています。そうしたことからも、一国の単位で貿易赤字を云々する是非が問われると思います。
- Q:
韓国は日米以上に政治がポピュリズム化している事情があります。歴史問題などもからんで、かつての米国のように、あるいはそれ以上に、是正策を求める世論の動きが強まる可能性はないでしょうか。
- A:
今回に関しては、韓国全体の経常収支が赤字化したことで、対日貿易が槍玉に挙げられた面があります。特に昨年まで続いたウォン高の影響が大きかったと思われ、今後はウォン下落もあって、経常収支赤字が落ち着く見込みです。そうなると対日赤字もそれほど取り沙汰されることはないと楽観しています。
ポピュリズムにしても、「日本が技術移転をしないからだ」といった過去に見られた日本悪玉説ではなく、むしろ「韓国国内をどうするか」という論調が中心になっています。日本市場の閉鎖性への言及はありますが、「その中でいかに日本に協力してもらうか、チャンスを見出すか」という姿勢が主で、感情的な反応はあまり起きない模様です。
- Q:
韓国国内での高炉建設が難しくなっているようですが、これは土地利用ないし環境規制による制約、あるいはそれらを含めた政策的な問題によるものか、それとも単なる経済上の問題によるものでしょうか。たとえ日本からの輸入が減っても、国内の生産能力が増加しないままでは、インドやベトナムなどからの輸入が増えるだけではないでしょうか。
- A:
環境規制による制約はそれほど大きくない模様です。ポスコに関しては、むしろ海外に照準を移したことが国外での高炉建設を後押ししたと思われます。また、川上への進出を狙う東国製鋼は、原材料立地ということで、ブラジルの鉄鉱石メーカーとの合弁で高炉を建設する話を進めています。したがって、韓国国内の工程間インバランスは一部分残ると思いますが、各企業の戦略的判断によるところが大きい印象です。
この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。