開催日 | 2008年7月31日 |
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スピーカー | 船木 成記 ((株)博報堂企画業務局企画開発部アカウント・ディレクター/内閣府 男女共同参画局、及び仕事と生活の調和(ワークライフバランス)推進室 政策企画調査官) |
モデレータ | 山田 正人 (RIETI総務副ディレクター) |
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議事録
ソーシャルマーケティングとは
私はソーシャルマーケティングの専門領域として、環境コミュニケーション、CSR/SR、市民参加型の地域づくり、観光分野の人材育成、地域の観光ブランディングとヘルスプロモーション(健康力向上)、社会起業家・ソーシャルベンチャー支援、NPO支援、パートナーシップ構築のプロデュース等をこれまで手がけてきました。こうした経験から、国民との対話やコミュニケーションについて考えるきっかけを得ています。
実は、ソーシャルマーケティングの明確な定義は、まだ存在していないといった方が正しいかもしれません。そのような状況ではありますが、私は主に3つのカテゴリーに分別できると考えています。(1).企業などの従来のマーケティングのソーシャル(社会)化、(2).社会的組織・団体(非営利組織)のマーケティング化、(3).(1)と(2)を含む社会全体の変革運動、社会課題を社会化し、その解決のための行動を促す。という3つです。
特に、3番目の事例としては、たとえば環境領域では、「100万人のキャンドルナイト」、「打ち水大作戦」、私が関わっている事例としては「市民風車」があげられるでしょう。その他には、「ピンクリボン」や「ホワイトバンド」といった活動もあります。特定の問題意識ないし目的を核に複数の団体が集まって1つのプラットフォームを形成し、メッセージを出していく。そこに企業やメディアが関心を示し、テーマが社会化されると物事が自立的に動きだします。そうした状況をプロデュースすることが、ソーシャルマーケターとしての私の役割だと考えております。
マーケティングの「社会化」とは?
そもそも、「マーケティング」とは何を意味するのでしょうか。
全米マーケティング協会は1965年にそれを「財(商品)とサービスの流れを生産者から最終ユーザーに方向付ける全ビジネス活動」と定義し、その後1985年に「個人と組織の目的を達成するための交換を創造するためのアイデア、財(商品)、サービスの概念づくり、価格、プロモーション、流通を計画・実行する過程」に再定義しています。「刺激-反応」から「交換」へニュアンスが変わった印象ですが、最近ではマーケティングという言葉の持つ意味や指し示す範囲が広がり、場合によっては企業活動全体を指すまでとなり、簡単に定義できなくなりました。
そのような状況ではありますが、ここで改めてソーシャルマーケティングを考えてみましょう。90年代に日本で初めてソーシャルマーケティングを提唱した井関慶応大学教授(当時)によると、ソーシャルマーケティングとは「複数の当事者同士が相互に関わりあって、コミュニケーションを通じて、あるいは対話を通じて、新しい価値を作り出し、共に目的を達成し、かつ満足を増進させていく、継続的でスパイラルなプロセス」としています。ここでは、「共に目的を達成し」、「満足を増進する」という部分が鍵になります。実際に企業のマーケティングや広報・広告戦略は、ネットのサイトコミュニティやブログを通じた相互のコミュニケーション・インテラクションをマネジメントする段階に来ています。つまり、「マーケティング=調査、広告」の時代ではないと考えていただきたいのです。ソーシャルマーケティングとは、人間の関係性をマネジメントしてゆく作法や手法といえるでしょう。
1960年代に提唱された「AIDMA理論」(注意(Attention)→関心(Interest)→欲求(Desire)→記憶(Memory)→店頭での購買行動(Action)という線形的情報処理モデル)が今でも広告の基本論となっていますが、最近ではウェブの重要性を反映した「AISAS理論」(注意(Attention)→関心(Interest)→検索(Search)→行動(Action)→共有(Share)のモデル)が並行して使われるようになっています。ここでは特に検索と共有が非常に重要な要素となっています。
「共有」のフェーズにおいては、使いたい、あるいは好きな商品・サービスと自分とをEngagementする(結びつける)関係性構築が起きます。つまり「絆を感じる」といった感情のベーシックな部分で、購買・使用を継続したり、それを提供する企業のファンになったりするのです。それからさらに、モノ・サービスを使った経験を誰かに「伝えたい」、よかったという気持ちを「分かち合いたい」という感情が起きます。マーケティングの世界では、そうした感情をマネジメントすることを最も重視してコミュニケーションを構築してゆきます。その意味では、環境や生活などのソーシャルなテーマをそのマーケティング対象として、コミュニケーションを構築してゆくことをソーシャルマーケティングと言ってよいと考えています。
現在のソーシャルマーケティングが対応するテーマは、環境、地域、食、健康・医療、家族、貧困・開発、ジェンダー、市民参加、NPO、ワークライフバランス等、地球規模の問題から身近な地域・暮らしの問題まで多岐にわたります。こういったさまざまなテーマを束ねて接点を見出すことも非常に重要です。そこでいかにコミュニケーションを通じてステークホルダーの気持ちの中に共感・賛同を作り出し、企業、NPO、NGO、自治体等を巻き込んで1つのプラットフォームを構築していくか。そうしたノウハウこそが、ソーシャルマーケティングの領域で現在積み上げられているといえます。
ソーシャルインサイトにマッチした「クールビズ」
国民運動は数多くありますが、モデルとなるような成功例は極僅かです。
真の意味での国民運動に発展する条件として、まずは相当の準備期間が必要です。実は「チームマイナス6%」に関しても、それ以前から構築されていた「環の暮らし」等のプロジェクトを含め、それ以前から準備され、構築されていたネットワークが運動構築のベースとなりました。それからタイミングも重要です。「チームマイナス6%」の場合は、やはり京都議定書の発効が大きな機運となりました。それ以外にも、国際公約という大義名分、NPO、NGO等のプレーヤーの存在、環境省のサポート体制、クールビズといったメッセージの設計、PRパーソン(小池百合子環境大臣(当時))の存在、メディアの関心、産業界・経済界の協力、個別企業の活動(エコプロダクト展等)といった要素が絡み合った結果、国民運動に発展したと思われます。
つまり、国民運動はそう簡単にできないのです。逆に前述のようにさまざまな条件が揃うよう情報戦略を綿密に設計する必要があります。そして最後の段階で、ある意味仕上げとして、鍵となるメッセージやそれを国民全体の課題化してくれるPRパーソンが必要となりますが、逆に言うとその部分だけ構築しても国民運動は実現しません。
国民運動に限らず、社会変革のためのメッセージを効果的に出していく上で鍵となるのがソーシャルインサイトの発見です。本来の意味は社会的な「洞察」ないし「見識」ですが、マーケティング的には、調査では理解できない潜在的ニーズ、言われて初めて気付き、共感するような言葉にならない潜在意識を意味します。それを発見することで、広告的にも、社会的にも誰にでも届く、強いメッセージを打つことができるのです。
2005年夏に始動したクールビズこそ、まさにそういったインサイトを見出した一例であるといえます。「暑いのになぜネクタイをして、スーツを着込んで外出しなければならないのか(男性)」、「夏なのになぜ(冷房のせいで)長袖、ひざ掛けで震えていなければならないのか(女性)」という潜在意識がありました。そうした意識を土台に、「季節と折り合う」意味で「クールビズ」というメッセージを展開することにしました。以前の「省エネルック」の失敗もあり、さまざまな方が導入当時はかなり慎重でしたが、「クールビズ」の響き、語感が良かったせいもあり、想定以上に受け入れられ、瞬く間に認知度が8~9割程度に上昇しました。殆ど予算をかけていないにも関わらず成果を上げられた理由には、やはり国民の中に、インサイトがあったと思われます。
他にわかりやすい例として、1つ上げますが、ホンダの広告「こどもといっしょにどこに行こう」(ステップワゴン)があります。当時の自動車業界ではフォルムの特徴等、車自体が主役の広告しかなかったのですが、その中で「こども」を主役としたメッセージ、車が小さくしか出てこない広告が受け入れられ、カテゴリーの中で再後発の車が大ヒットした背景には、車とは家族の関係性を構築する1つのツールであるというインサイトがあったと思われます。
このように、これまでの常識や基本的価値観に対して、いかに鋭いつっこみを入れられるか。そういう「気付き」を見つけられるかが勝負になってくると思われます。
コミュニケーションファースト! コミュニケーション型行政を目指して欲しい
参考ではありますが、国土交通省の前進の建設省は、平成11年に「国民と共に考え」、「衆知を集め」、「社会的な合意」を行なうコミュニケーション型行政を目指すとしていました。さらに同じHPで、「行政者の自己実現ややりがいは国民とのコミュニケーションによって具現化される」としていました。ぜひともこの考え方を徹底して欲しいと願うのは、私だけでしょうか。
どうもこれまでの経験から感じることは、行政は概してコミュニケーションを後回しにする傾向があります。法律を作って、事業を実施、あるいは事業主体を設立した後になって、ようやくそのための広報資料を作成するパターンがよく見られますが、その考え方は改めていただきたい。そもそも法律や事業が社会課題を解決し、社会を明るく、豊かにする為に存在する以上、それらを具体化する前に国民の意見を汲み取るべきではないでしょうか。それこそがコミュニケーションで最も肝心な部分といえます。後でお話しいたしますが、後期高齢者医療制度の一連の問題は、その最たるものではないでしょうか。私は、発信主義のにおいのする一方的な情報提供の意味合いが強い「広報」という言葉は使わずに、受けて重視、双方向のやり取りを意味する「コミュニケーション」という言葉を使うようにしています。そうした意味でのコミュニケーション型行政は今後ますます重要となります。
行政のコミュニケーションニーズとジャーナリズム
新聞等メディアを通じた報道がはたして行政側にとって最も効果的な情報コミュニケーションであるといえるのでしょうか。ここで報道・ジャーナリズムの特徴を今一度理解しなおす必要があります。「ニュース(NEWS)」という言葉が語る通り、報道・ジャーナリズムは「新しい情報」に最も価値を置きます。そして、主に批判型・警鐘型の報道をする傾向があります。そうした体質を持つジャーナリズムと、社会の共通認識を作るためのコミュニケーションとでは、ベクトルが少し違うように思われます。報道と違い、国民運動においては同じメッセージを繰り返し出すことが重要だからです。リーチ、フリークエンシー、口コミ、という3段構造を確保するためには報道やマスコミ以外の回路が必要となるでしょう。行政側としては、限られた予算で効率的にコミュニケーションを実施するためにも、国民にとってのインサイトの発見と、それを伝えてゆくサイトないしプラットフォーム、つまり継続的な「場所」が重要になると思われます。
最近では、後期高齢者医療制度が行政のコミュニケーションを考える上で良い事例となります。選挙結果を左右したり、国会運営に影響したりする程世論が過熱しましたが、国民皆保険制度という日本独自のシステムを守りつつ将来をどう設計すべきか、という根本的な議論はされず、本質がまったく語られないまま、表面的な忌避意識だけでいたずらに批判が増幅され1つの政治ショーと化してしまった感があります。そのことで最も困るのは他ならぬ国民ではないでしょうか。マスコミも批判するなら2年前、法案が通った時点で取り上げて、より長期にわたって検証すべきだったのではなかったでしょうか。逆に行政側としても、どういったコミュニケーションを行なうべきだったかを反省するべきでしょう。われわれから見ると、官僚も政治もジャーナリズムも、幼い印象を受けます。
最後に――より柔軟なコミュニケーションの設計思想を
いまや、国民運動も含め、行政の広報に潤沢な予算をかけることは考えられない。むしろ非常に低予算の場合が多いです。現在の無駄撲滅プロジェクトのような一律カット、とかげの尻尾きりのような考え方もあります。予算が限られる場合は、普通はウェブサイトを拠点に情報発信をするのが常識的なやり方ですが、会計のシステムなのか、財務省の方針なのか、にわか役人の私にはあまりよくわからないのですが、新たなサイト設立はとにかく、設立後の運用やキャンペーン展開のための外注費用については予算がなかなかとりにくい状況となっています。
やはり、国民に寄り添い、常にメッセージを伝えてゆく、顔の見えるコミュニケーションを展開してゆかなければ、伝わるべき真意もなかなか伝わらないと感じます。現在、役所のサイトではブログを閲覧することも書き込むこともできません。しかし、官僚であっても役所であっても、国民運動を展開する以上、ソーシャルキャンペンナーとして、当該テーマに対して、多くのステークホルダーと接点を持ち、思いを共有する場を持つことも考えてゆかねばならないと思います。
最後の最後に-カエル!ジャパンのお知らせ
インサイト不在の国民運動は迷惑です。といっておきながら、舌の根も乾かぬうちに…という状況かもしれませんが、昨今ようやく社会的な認知度が上がってきましたワークライフバランス、仕事と生活の調和の推進に向けたシンボルマークとキャッチフレーズを策定いたしましたので、最後にご紹介いたします。
ワークとライフのバランスはこうです。こうあるべきです。ということを政府が決めて押し付けることはありません。現状でよいのでしょうか? もし、変える事が必要であれば、ぜひ、一緒に変えてゆきましょう。という気づきと呼びかけのキャンペーンとなっています。変化の意味で、カエルをモチーフとしています。蛙はこれまで無事に帰るなどの意味で使われることも多かったのですが、今回は変化、チェンジの意味で使わせていただきました。なにとぞ、ご協力をお願いたします。
<カエル!ジャパン>
http://www8.cao.go.jp/wlb/index.html
質疑応答
- Q:
「国民運動は本来1つか2つ」と主張されますが、国民運動の展開にはかなりの時間を要するので、その「予備軍」はある程度多い方が良いのではないでしょうか。今日の多種多様な「国民運動」は一種のNPOみたいなもので、真の国民運動に向けたコンペをしていると捉えてみてはいかがでしょうか。
- A:
ご指摘の通りです。国民運動を国がプロデュースする是非にもかかってきますが、個人ないし地域が各自の信念で行なう限定的な取り組み(食育、森林再生、等)が政府の承認を得て、複数の関連トピックと連携し、広範化・主流化するパターンであれば、いくつものアプローチないし予備軍があって良いと考えます。ただし、霞ヶ関の管内だけの、ソーシャルインサイト不在の自己満足的な国民運動だけにはしないで欲しいと感じます。
- Q:
ソーシャルインサイトの発見プロセスについて、もう少し詳しくご説明いただけますか。
- A:
インサイト発見の方法論は存在しません。だからこそインサイトであるといえます。調査を受ける人の頭の中に無いもの、人々の潜在意識にはあるが言葉化・意識化されていないものがインサイトであり、それを人間観察や情報収集を通じて、あらゆる五感ないしアンテナを活かして、マーケッターとしてあぶりだすのが、しいて言えばそのプロセスといえますが、だからといって確実に見つかるという訳ではないです。企画と同様、さまざまな情報やデータを集めて分析して、一旦捨てて、考えて考えて、その上である日突然啓示的に降りてくる場合が多いのです。調査を通じた商品開発の例は見られますが、そこでもこれまでの調査で見つけられなかったような一瞬の「気付き」が成功の鍵を握ります。
この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。