大阪府政を振り返って

開催日 2008年6月25日
スピーカー 太田 房江 (政策研究大学院大学客員教授)
モデレータ 佐藤 樹一郎 (RIETI副所長)
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議事録

地方分権は進んだのか

太田 房江写真平成12年に地方分権一括推進法ができ、その直後から小泉政権下で三位一体改革が始まりました。

三位一体改革とはバブルの崩壊を受け、国や地方が疲弊する中、地方の3つの税源(地方交付税、補助金、税収)のバランスを保つことで、交付税に頼らなくてもやっていける、自立型の自治体を実現することを最終目的としたものでした。

そこで、「骨太の方針」を発表後、小泉政権がまず着手したのが3兆円の税源移譲です。しかし同時に、その財源として4.7兆円分の補助金等がカットされることになったため、結果として地方は1.7兆円の減収を経験することになりました。

また、平成12年度までは交付税だけで交付税部分を賄っていましたが、平成13年度以降、臨時財政対策債が含まれるようになり、臨時財政対策債の額は平成15年度まで増加し続けます。この期間の景気は下降局面で、地方税収は減少し、それでも補助金の額は一定のため、交付税に頼る自治体財政が続きます。その後も地方の景気は低迷し、一方交付税は平成15~18年度で5.1兆円減らされています。

私たちが地方行財政改革を進めたのは、このように、差し引き、5.1兆円+1.7兆円分の一般財源の減が起こった中でのことでした。

地方分権は地方が政策を企画し、実行し、責任を持つという、地方のオートノミーを実現するための改革です。ですので、そこでは地方が最初から最後まで徹頭徹尾責任を持つことが大原則となりますが、地方の特色を活かした地域づくりを進めるための基本的枠組みや、地方と東京の関係についてのビジョンは国が示すべきと考えます。そうしたビジョンが無ければ、地方は安心して地域づくりをすることができません。しかし現状では、国の側にそうしたビジョンを提示する気力が無いように思えます。

財政が窮迫する地方自治体にとって行革は不可欠な取り組みであり、行革を進める中でナショナルミニマムを実現することは知事に課せられた大きな仕事です。

過去10年間の国・地方の歳出総額をみてみると、平成8年度を100として、平成18年度の国の歳出総額は103.3。一方、公共事業は削減され、ナショナルミニマムは守らなければならない中、地方の歳出総額は90.1となっています。定数削減状況については、平成14年度を100として、国家公務員数は平成19年度で98.5ですが、地方公務員数は93.9にまで減少しています。こうした努力についても、「結局国に召し上げられて、我々の果実としては残らなかった」というのが地方の率直な感想です。

現在の橋下大阪府知事は1100億円の歳出減を目指していますが、大阪府には約3兆円の予算があります。このうち、約1兆円が人件費、約二千数百億円が府の裁量に係る事業、残りが公債費と法律で国により義務付けられている事業に係る費用に使われています。

まず、法律で義務付けられている事業は、その費用を削ることはできません。また、公債費は過去からの金利の支払い等なので、やはり削ることはできません。したがって、削れるのは府の単独事業費と人件費となります。橋下行革はこの人件費の数十%削減と、府単独事業費の約400億円削減を目指しています。ただし、地方の税財政制度は非常に複雑なため、一般財源で府が単独にしている事業をどんなに削っても、交付税や地方税収が減ってしまえば、それに追加して行革を実施しなければならなくなります。これが自治体の置かれている立場です。

国と地方の間では、800兆円ともいわれる借金を抱える中で、誰が、どこで、何を切るのか、それをどこが吸い上げるのか、といったサバイバルゲームが始まっているといっても過言ではありません。たとえば、つい最近も、地方税で一番大きな部分を占める法人事業税を、東京、大阪、愛知等々の10都道府県から国に逆移譲し、地方に再配分することについて、政治と行政の間で合意がなされました。これは三位一体改革の税源移譲とはまったく逆の動きで、地方分権の下では、あってはならないことです。しかしそれも起こってしまうぐらいのサバイバルゲームが起きているのが、現在の国の置かれた状況です。

二兎を追う――再生と再建

財政再建は確かに重要ですが、同時に税収を上げる努力をしなければ、どこまでもチキンレースが続く状況が地方では起こりかねません。そうしたことを念頭に、私は二兎を追う府政運営をしてきました。

私が大阪府知事に就任した平成12年は大阪の有効求人倍率が底を推移していた時期で、実際、有効求人倍率は0.49と全国最下位から2番目という低さでした。

そうした状況でまず始めたのが中小企業対策です。産業再生プログラムの下で、ものづくりを大事にする中小企業支援のための政策の体系を整備しました。次に、金融新戦略の下で、中小企業への1兆円融資を始めました。民間金融機関との協力で、制度融資ではあるけれど、ポートフォリオ型や成長重視型といった、新しいタイプの融資も実施することにして、従来型制度融資を5000億円、新型制度融資を5000億円、それぞれ取り混ぜて実行しました。この1兆円融資は、平成19年度に達成されました。

大阪の景気は、デジタル家電景気を背景に平成14年から持ち直します。そして2007年8月に実現したのが関西国際空港の24時間化です。私は、朝でも夜中でも、世界中のどこからでも部品が届き、こちらからも製品を運び出されるような状況を作らないと、大阪経済の復興・復旧はあり得ないと考えました。たとえば13時に品物を受け取って上海に運ぶとします。深夜便を利用すると翌日夕刻には搬送が完了します。ところが深夜便が使用できない空港だと、搬送が完了するまでに合計50時間かかります。この間の差は22時間。1時間、2時間を競争する世界ではこれは大きな数字です。

関西国際航空の24時間化は、後ほど説明する企業誘致を成功させる上でもカギとなりました。中国産マツタケも現在では6割が関空経由で輸入されるようになっています。

平成14年には、工場等制限法も廃止されました。これは、大阪商工会議所を中心とした経済界が工場の都心回帰を訴えた結果です。また、工業再配置促進法が平成18年に廃止され、大阪府も企業誘致に一生懸命取り組んだ結果、10年前には7~8件規模であった工場立地が、最近では40~50件の規模で起きるようになっています。次世代型製品を製造する工場や研究所の誘致も大きく進み、関連企業の参入もあって、大阪湾岸を中心に投資額は1兆円に上りました。

財政再建では行革を積極的に進めました。独立行政法人化のほか、当初約1万7000人であった知事部局の職員数も3割程度大幅削減しました。かつて105~106であったラスパイレス指数も、私の知事就任期間の8年で97、全国レベルで下から4番目にまで引き下げました。出資法人の数も92から35にまで削減し、パブリック・プライベート・パートナーシップ(PPP)の取り組みでも、総務サービスセンターや入札契約センター等、民間企業が府庁内でサービスを展開する組織を立ち上げ、人員・経費の削減を実現できました。特に、入札契約センターでは電子画面上ですべての契約・入札活動が行なわれるため、警察官2名に入ってもらい、たとえば指名停止業者の入札が起こらないよう透明性・信頼性を高める工夫もしました。

これらの結果、年間1000億円のペースで歳出削減・歳入増が達成でき、私が知事に就任した8年間では約8000億円、前知事分までを含めると1兆円超の歳出を削減することができました。

それでもなぜ、5兆円もの負債残高があるのか。これについてある前知事は「国に協力すればする程、つまり、国に誉められた県程、現在苦しんでいる」と述べています。どういうことでしょうか。平成3年にバブルが崩壊した後、国は総合経済対策として公共事業を中心とした景気対策を数多く打ち出しました。その際には大阪府が中心的役割を果たし、積算の大きな部分を作り、国からは優等生として「誉められた」のです。ところがその際に作った負債がその後4~5年で急拡大し、5兆円に達する結果となったのです。

ただ、再生と再建を目指す中で府債を極端に減らせば「痛み」が府経済に出てくるため、私は府債の削減は時間をかけて実施すべきだと考えました。たとえていうならば、大外科手術的な財政再建ではなく、生活習慣病対策として財政再建を図ったのです。それが凶とでるか、吉とでるかは、数年後にならないとわかりませんが、私は現在でも、生活習慣病的対応を粛々と行うのが自治体の役目ではないかと考えています。

福祉、医療、教育、治安

福祉、医療、教育、治安はいずれもその枠組みが国により定められています。ですので、地方の自由度が働く場面は非常に限られています。しかしそれでも、国の制度が機能するには自治体の目配りが必要です。

たとえば子供の安全については、各小学校に警備員を配置するため、1週間のうちに7億円の補正予算を2005年予算に組み込みました。また、家庭教育が軽視されている状況を受け、大人と子供が向き合い本音で語る「心の再生」府民運動も展開しました。介護・医療分野では、中学校区を単位とする地域で、高齢者に目線を注ぎ、見守り、声掛けをして、それぞれの高齢者が真に必要とするサービスを提供するためのネットワーク(「いきいきネット」)を整え、国の制度を補完するようにしました。教育面では、吸収レベルがとりわけ大きく異なる小学校1~2年生に先生の目がきちんと行き届くように、少人数学級を設けました。治安面では、ひったくり件数が突出している状況を改善すべく、平成14年に「大阪府安全なまちづくり条例」を制定し、ひったくりの撲滅を府民運動として展開しました。結果、平成12年には1万1000件程度あったひったくり件数も半減させることができました。

太田氏と佐藤副所長写真

地方行政の役割と課題

現在は、東京一極集中の問題への対応や、国と地方の役割および権限・財源の振り分け方に関する議論が宙に浮いた形で、財政のサバイバルゲームだけが激化する状況になっています。確かに外交・防衛・金融は国がすべきことですが、はたして産業行政を、そしてインフラ整備を「道州」の単位で片づけてしまって良いのでしょうか。私はインフラ整備含みの産業行政をどのレベルで行なうべきなのか、さらに議論を重ねる必要があると思います。道州制の議論は、そうした中身のある議論をした上でなされるべきなのではないでしょうか。また、地方も、口を開けて補助金を待っているだけでは何も始まりません。自治体と住民が連携をして、あるいは住民が行政に参加しつつ、新しい地域づくりを自らの手で進めていく。それこそを日本の新しい姿とすべきだと思います。もちろんそのためには、相当の意識改革と能力向上が必要となることも忘れてはなりません。

質疑応答

Q:

能力向上のための、中央から地方への人材配置は最も困難な課題に思えますが、この点についてもう少し詳しくお話を伺えればと思います。

A:

行政や政治の機能が現在のように東京に集中する限り、経済面でも東京への一極集中は避けられません。ですから、たとえば中小企業庁は大阪、文化庁は京都といったように、いくつかの省庁を地方に移転させてはどうかと考えています。地方への人材配置はそうした取り組みを進めない限り、なかなか難しいと思います。

地方にも優秀な人材はいます。しかし、地方財政が窮迫し、知事も頻繁に代わる中、安定した行政を継続していくのはなかなか難しいことです。地域のあるべき姿について理念ができたなら、それを少なくとも10年といった長期スパンで追求しない限り、能力は育たず、地域も良くならないと私は考えています。ところが現在の制度、あるいは政治はそうしたことを可能にするものとはなっていません。わかりやすい政治が求められるあまり、継続性や、人材育成のための組織能力の向上が後ずさりする状況に私は危機感を抱いています。

Q:

公共サービスを供給する主体は国や地方自治体でなくても、民間企業であっても良いと思います。最適な主体が最適なサービスを供給するという視点があれば行財政改革はさらに進むのではないでしょうか。

A:

「官から民へ」、「民にできることは民に」ということで、私もさまざまな工夫をしてきました。先ほど説明した総務サービスセンターは庶務事項を企業コンソーシアムに委託した例で、これにより400人程度の人員を削減できました。入札契約センターでも民間の力が発揮されています。PPP改革も実施し、民間企業に運営を移管した府立体育館もあります。川や道路を整備した後の管理・維持は住民が担うアダプトリバー事業、アダプトロード事業も実施しました。官民協働型の「民にできることは民に」はかなり進んでいると思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。