日本のFTA政策-その政治過程の分析

開催日 2008年3月28日
スピーカー 関沢 洋一 (東京大学社会科学研究所准教授)
モデレータ 小滝 一彦 (経済産業省製造産業局化学課アルコール室長)
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議事録

問題提起の背景

地域貿易協定(関税同盟と自由貿易協定(FTA))は、1990年代以降急激に増加しました。それまで地域協定に極めて否定的であった米国は、イスラエルとのFTA締結を皮切りに、カナダとのFTA締結、北米自由貿易協定(NAFTA)締結に動きます。欧州でも、1950年代のEEC、が1992年に欧州連合(EU)へと進化しました。これに対して、日本を含めた東アジア諸国は、1990年代においてはFTAに対して極めてネガティブな態度を取っていましたが、2000年頃になって急激にFTA締結に動き始めました。特に日本は、それまでの世界貿易機関(WTO)重視からFTA重視へと大きく方向を転換しています。今日報告したいのは次の2点です。1点目は、1990年代にFTAに頑なな態度を取っていた国々が急激に方向転換したことをどう説明したらいいのか。2点目は、政治力のある農業関係者が強く反対していたFTAをどうやって日本は推進できるようになったのか。

反FTA戦略の協調路線という仮説

地域貿易協定では、その差別的性格によって不利益を被る国が出てきます。従来の理論では、そのような国は、バンドワゴン戦略、ブロック化戦略、ラウンド戦略の3つの対応策でもってそれを是正しようという説明がなされています。

これらの戦略以外に、FTA非締結国同士の協調路線による反FTA戦略があると思われます。仮にABCDの4国があるとして、AとBがFTAを締結した場合、CとDの双方にFTAを締結したくない事情があれば、CにとってAやBとFTAを締結するよりもDと協同して反FTA戦略をとるメリットの方が大きくなります。この場合、DがFTAを締結しない限り、CはFTAを締結しないわけですが、何らかの事情によってDがFTA締結に方針転換すると、CとしてもFTA締結に動かざるを得なくなる場合がでてきます。この見方によると、非締結国のうちの1国でもFTAに方針転換すれば、全体がドミノ倒し的にFTAに方針転換します。私の仮説は、東アジア全体が1990年代に反FTA戦略の協調路線をとっていたというものであり、その協調を促したのがアジア太平洋経済協力(APEC)だったというものです。そして、その協調路線が一部の国々の方針転換によって崩れたというものです。

東アジアで何が起きたのか

東アジアの中で1990年代に反FTA戦略をとるインセンティブが確実にあったのは日本です。90年代前半の日本は、米国との通商交渉を有利に進める観点から、WTOルールに基づく通商政策を重視するようになったため、FTAには否定的な態度をとらざるを得ませんでした。また、GATT上は、「実質的に全ての品目(substantially all items)」について障壁を取り除くことがFTA締結の条件となっていたため、自由化がタブー視されていた農産品を含むFTA締結は不可能であるという認識が国内にありました。さらに、マレーシアの「東アジア経済協議体(EAEC)」構想が米国の反対で潰された経験もあって、米国を排除した形でのFTA推進には、特に外務省で大きな抵抗感がありました。

韓国でも日本と同様の事情があったと考えられます。中国はWTO加盟交渉中で、FTAを考える余地はなかったでしょう。EAECを否定されたマレーシアは、その後、二国間主義に極めて否定的になりました。タイやインドネシアにとっては、自動車産業や鉄鋼業等における関税撤廃のリスクが大きかったように思われます。フィリピンについては、周辺国がFTAを締結しない中であえてFTAを推進するメリットを見出さなかったのでしょう。東アジアの中で唯一、シンガポールは反FTA戦略をとるインセンティブが弱かったのですが、東南アジア諸国連合(ASEAN)から抜け駆けできなかった面があります。

また、各国に共通する事情として、1997年の通貨危機までは経済が非常に好調だったため、その中で政策転換するには抵抗がありました。また、この時期は、米国が強引な二国間主義で他国の市場を開放しようとしていたこともあって、二国間主義に対する抵抗感が東アジア諸国には強くありました。APECが反FTA戦略の牙城だという決定的な証拠はありませんが、APEC設立において中心的役割を果たした日本とオーストラリアにおいては、その当時から、欧米の地域主義を危惧する問題意識がありました。また、APECが提唱する「開かれた地域主義(open regionalism)」も反FTA的な性格を示唆するものでした。

そうした中で、反FTA戦略はいかにして崩れていったのでしょうか。

それには、次の理由があると考えられます。(1)通貨危機による「成長神話」の崩壊と現状改革に向けた意識の高まり、(2)米国の景気好転による各国への市場開放圧力の緩和、(3)APECにおける分野別自由化プロセス(EVSL)の頓挫。そうして、韓国やシンガポール等、一部の国がFTA路線に転じたことで、東アジア全体がFTAに流れたと考えます。

日本の方針転換――メキシコとのFTA締結の事例

次に、日本の国内情勢に目を向けて、日本はなぜ2000年代になってFTAに方針転換することができたかについてみてみたいと思います。ここでの問いは、なぜ政治力の強い農業関係者が反対していたFTAを推進できたかということです。FTAに拒否反応を示していた農業関係者がなぜそれを許容するようになったのでしょうか。産業界が推進したからでしょうか。

農産品が対象となった最初の例である日本-メキシコ間のFTA締結を事例に見てみましょう。当時、メキシコは米国やEUとのFTAを締結済みで、それによって不利益を被った日本の産業界が政府に働きかけた、というのが通説となっています。しかし、実際にインタビューをしてみると、FTAに意欲的だったのは商社のみだったことがわかりました。他の業界では意見が割れていました。たとえば、メキシコに工場進出していた自動車会社は、メキシコ政府から無税輸入枠を与えられていたため、FTAを推進する理由は必ずしもなかったのです。エレクトロニクス業界では、当初こそマキラドーラ制度(輸出向け製品の原材料の関税免除措置)がNAFTAによって廃止されることに対する代替措置としてFTAに意欲的でしたが、プロセック制度(輸入部品の実質関税を0%から5%に制限)が後継措置として導入されたことで、FTA推進の熱意を失いました。もう1つの主要業界である鉄鋼業界は、最初からFTAに無関心でした。

結論として、産業界がFTAを推進した訳ではないといえます。既存研究は次の点を見落としていたようです。(1)経団連が実際に政治家に根回しした形跡は無い、(2)輸出企業の多くは現地進出していたため、FTAを支持する必然性は無かった、(3)FTAでは原産地証明が必要となるため、関税率が高くない品目については、FTAに基づく無税輸出よりMFN税率に基づく輸出の方が負担が少なくコスト的に有利であった、(4)顧客である農業関係者を敵に回すことを避けたい企業もあった。

認知療法モデルによる説明

1.自動思考

それでは、日本では一体誰がFTAを推進したのでしょうか。農業関係者の反対を押し切るような強力なプロモーターがいる筈、というのが常識的な考え方でありますが、実際にはそうした勢力を見つけることができません。ここで、いったん、FTAから離れて、精神医療の一分野である認知療法を使って、この現象を説明するモデルを提示したいと思います。

人間の感情と行動について認知療法が発見したことは、人間の感情や行動を決めるのは外部の状況ではなく、それに対して生じる思考であるということです。この思考は自動思考と呼ばれており、頭の中に鳴り響く声(voices in the head)」とでも呼ぶべきものです。

たとえば、みなさんが道路で車を運転しているときに、みなさんの車の前に、別の自動車が割り込んできて、腹を立てて、抗議したとします。この時に、あなたが腹を立てたのは、自動車が割り込んできたからのではなく、「自動車が割り込んでくるのはおかしい」「自動車が割り込んでくるなんてあってはならない」という思考を抱いたからなのです。これが認知療法が明らかにしたことです。

ここでもう1つの概念を導入します。戸矢哲郎『金融ビッグバンの政治経済学』によりますと、政治の世界では「利益集団政治」と「公益政治」という2通りの決定プロセスがありますが、FTA推進においては利益集団政治ではなく公益政治が決定的な役割を果たしたように思われます。大衆がある種の情緒的反応を共通して抱くイシューは、正面から反対することが難しくなるために、明示的な推進勢力が無いにも関わらず推進されるという仮定です。

公益政治と認知療法モデルを組み合わせることによって、日本のFTA推進を説明してみましょう。人々が他国のFTA締結に関して「自分には関係ない」と思っている間は何の行動も感情も起きませんが、そこに「中国もFTA交渉を始めた」「欧米諸国に先を越されたせいで日本企業が損をする」といったストーリーが入ると、同じ出来事に対して「日本は何をやっているのだ」という思考が生じ、それは怒りや不安を引き起こします。そして、抗議行動が生じます。

メキシコとのFTA交渉に関しては、人々の感情変化を誘発したと見られる2つのトリガーが存在します。1つは中国のFTA推進です。中国が2001年11月にASEAN諸国とのFTA締結を発表したのを機に、「FTA競争で中国に負けるのでは」という意識を国民が抱くようになりました。もう1つは、「(米国、EUとメキシコとのFTAによって)日本のGDP上の損失が3950億円に上る」との試算が日-メキシコのFTA研究会において発表されたことです。こうした中、新聞各社は政府批判を強め、「世界の流れにこれ以上乗り遅れるな」「FTA競争アジアで加速、後手の日本に焦り」といった類の論調が出てきました。従来FTAに反対だった農業関係者等も、正面切って反対するのが難しくなったため、賛成あるいは例外品目を設けるといった条件闘争に転じるようになったと見受けます。

2.中間的信条

国民が2つのトリガーに敏感に反応した理由も認知療法のモデルに沿って説明できます。

認知療法のモデルによれば、「自動思考」はランダムに生じるのではなく、「中間的信条」(intermediate belief)、そして、更にその背後にある「核となる信条(core belief)」と呼ぶべき基本的な思考プログラムに沿って起こります。

たとえば、「国家間関係=競争」という「核となる信条」を抱いている人は、「欧米や中国に負けてはならない」という中間的信条が生じます。そういう人が「中国のFTA締結」といった情報を受けると、「日本は何をしているのだ」という自動思考が発生し、それが怒りや政府批判につながります。一方で、農業関係者はそうした世論を受けて、「ここで反対したら『抵抗勢力』『国民の敵』とされる」という自動思考が生じて、純粋な反対から条件闘争へ方針転換するようになります。つまり、積極的に推進する団体が無くても、「国家間関係=競争」という信条が一般的に共有されると、「勝った、負けた」といったエモーショナルな反応から国全体がFTA推進に傾いてしまうことがあり得るということです。逆に「核となる信条」「中間的信条」「自動思考」の各段階について、この思考や信条が本当は正しくないことが認識されれば、FTAを推進しなければならないという流れは止まることになります。たとえば、国家間関係を競争と見なす「核となる信条」について、ポール・グルーマンは「危険な妄想」(dangerous obsession)と論じています。クルーグマン的な見方が国民の間に仮に広がることがあれば、FTA路線はまた転機を迎えるかもしれません。

質疑応答

Q:

「官僚」という要素(ファクター)についてはどうお考えでしょうか。

A:

まず、proactive な意味では、このようなFTA推進に向けたシナリオを書いたのが官僚だったという見方ができると思います。またreactive な意味では、FTAに対する国民の見方の変化に農林水産省を中心に受動的に反応したと見ることができると思います。

(コメント)

日本の基本的態度は、「GATT35条」の悪夢もあり、ウルグアイ・ラウンドを含めて、マルチ一筋で通してきたと思われます。二国間協定の弊害を是正するために、GATTができ、マルチラテラルな関税合意が提唱されましたが、そうした理想からはますます離れていっているのが現状だと思われます。殊に悪いのは大国がハブ・アンド・スポーク(hub-and-spoke)アプローチで近隣の小さい国と個別にFTAを締結(例:EU-旧宗主国)していることで、それが世界全体の貿易に大きなひずみをもたらしていると見ます。

また、現在のFTA状況は、弁護士の天国といった印象です。条文がやたらと多く、長くて、専門の弁護士にしか解釈できない状況となっています。

最後に、シンガポールとのFTA締結は首相訪問の手土産でしかないように思われます。それまで地域協定に反対だったのが、いつ方針転換したのか、その審議プロセスも不透明です。これまでのFTAを見ると、大して実質的効果の無いケースの方が多いように見受けますが、いかがでしょうか。

A:

日本は従来からGATT主義だったという見方があることは理解しているのですが、私自身は、反FTA 路線はむしろ90年代に強まったと考えています。たとえば、1960年代における太平洋諸国のFTA構想であるPAFTA構想を当時の三木外務大臣が支持していたなど、FTAをタブー視する論調は必ずしも強くなかったように見えます。一方で、90年代の日本には、WTOを武器にして米国に対抗する意識が明らかにありました。

弁護士の天国――そして、官僚の天国でもあるのかもしれません。WTO交渉が停滞することは、通商交渉に携わる官僚にとってはその存在意義を否定されることになりかねず、FTA交渉は、こうした官僚に対して、新たな存在意義を与えるものでした。見方を変えれば、FTA交渉が推進されることによって、官僚がWTO交渉を真剣に推進するインセンティブが低下したと見ることもできます。

シンガポールとのFTA締結は、御指摘のとおり、経済的には意味がなかったと思います。しかし、政治プロセスから見ると非常に有意義だったと思われます。このFTAによって、少なくとも経済産業省と外務省におけるFTAへの反対勢力は相当沈静化しました。これによって、メキシコとのFTA交渉に当たっては、これらの省庁の内部における反対勢力との対立は少なくなり、農業関係者との関係に専念することができたのだと思います。

Q:

戦前の地域主義が国内の経済不況および戦争の原因となったという反省を踏まえてGATT・MNFが提唱されましたが、その精神がいまやFTAによって次第に侵食(erode)されていると見受けます。逆にFTAさえ無ければドーハ・ラウンドでの合意は可能だと考えています。大切な国際的公共財であるWTOをないがしろにすることは、将来的に大きな損失につながるという危機意識を持つべきだと思います。

A:

最初に述べたFTAを巡るゲームは、ゲーム理論的にいえば、「鹿狩り」のゲームであり、全員がFTAに参加しない――つまりWTO一筋でいく――のがベストな選択ですが、ひとたび誰かが裏切れば、後は全員がFTAに流れていきます。これは望ましいことではなく、どこかの段階でWTO路線に戻す動きが必要になると思われます。本来は鹿(=WTO)を追うことで最大の利益が得られる筈なのに、誰かがウサギ(=FTA)を追い始めることで、皆がウサギに走った結果、鹿狩りが成立しなくなる。そのように最終的に全員が損をする状況は何としても避けなければなりません。どうやったら避けられるのは難しいのですが、主要国の首脳がもうFTAをやらないと合意するといったことがありうるかもしれません。

Q:

「国家間関係=競争」ということですが、国際政治学的にいうと、リアリズムだということですか。リベラリズムでは説明できないのですか。

A:

外務省などリベラリズム的な協力としてのFTAという見方もありましたが、主流ではなく、主流的な見方は、国家間競争に勝たなくてはならないというものです。ただ、これはリアリズムというよりは、リアリズム的な思い込みに基づくとコンストラクティヴィズムというのが正しいと思います。認知療法のモデルを使って説明しようとしたら、結果的には、コンストラクティヴィズムと似たような結果になりました。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。