金融政策と物価

開催日 2007年7月30日
スピーカー 田谷 禎三 ((株)大和総研特別理事)
モデレータ 川本 明 (RIETI研究調整ディレクター)
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議事録

物価の安定を前提とする日銀の政策金利

日銀は物価の安定を「消費者物価指数(CPI)の前年比0~2%程度で物価が推移する状態」と定義しています。そして前年比CPIが安定的に0%を超えることが日銀が利上げの判断をする最大の基準です。

今年度のCPIは+0.1、来年度は+0.5というのが現在の日銀政策委員の大勢見通しです。ただし政策委員は、政策金利について市場金利に織り込まれたとみられる市場参加者の予想を参考にしつつ見通しを作成しています。このため、私は政策委員の見通しは若干高めになるきらいがあると考え、個人的には今年度はゼロ、来年度は+0.4程度が適当な数字ではないかとみています。

欧米諸国の金融政策

成長率はそこそこで推移するものの、物価変化率が望ましいレンジを超えている。これが欧米の中央銀行が直面した現実です。2000~2001年をピークとしたハイテクバブルが崩壊し、実体経済にデフレ懸念が生じた際、欧米各国の中央銀行は早期金利引き下げに動きました。しかしその後デフレ懸念が払拭されるに従い、政策金利は中立に戻されつつあります。

スイスは2003~2004年はほぼゼロ金利の状態でしたが、2004年前半から金利の正常化として金利の引き上げを図ってきました。このときの物価変化率は1%前後です。ここが日本とは決定的に異なります。今年2月に消費者物価変化率がゼロに低下したときも金利の正常化過程は継続させ、4月と5月には消費者物価変化率は0.5%にまで上昇しています。日本とスイスでは物価情勢が異なるので、スイスと同じように日銀が金利を正常化させることはできない、というのがここでのポイントです。

台湾が金利の正常化を図り始めたのは2004年後半からですが、その時点での物価変化率は相当高いレベルに達しており、地価の前年変化率も早期にプラスに転じていました。ここでも、物価・地価情勢が現在の日本とは異なる点に注目できます。

足許の物価だけを金融政策の判断基準にするのは望ましくないとの日銀関係者の見方があります。そうした考えを裏付ける例としてよく挙げられるのが英国です。英国は物価変化率が1%台前半であった時期、つまり2003年後半から政策金利を上げ始めました。一旦下げ止めた政策金利を上げ始めた理由は、住宅価格の動きをみると納得できます。住宅価格変化率は2001年から大きく伸び始めた後、2002年後半をピークに下がり、2005年7月にはほぼゼロにまで低下しました。そこで8月に政策金利が0.25%下げられました。その結果、物価変化率は2%を超え、住宅価格変化率が大きく高まったので金利を再び上げ始めたという訳です。ここが日本とは異なります。

米国は2004年からフェデラル・ファンド・レート(FFレート)を引き上げ始めました。この時点で物価変化率は2%を超え始めていました。米国の場合、世界的な影響を考えると英国のように頻繁な利率の上げ下げはできないため、今後は当面横ばいが続き、将来わずかな上げがあるのではないかというのが現在のマーケットの強い思惑となっています。

ユーロエリアではCPI変化率は2%に留まっていますが、現在のエネルギー価格情勢からすると2%を超える蓋然性が強くなっています。また、賃金上昇に呼応してさらに利上げがなされるともいわれています。ここでも、日本とは物価・住宅市場情勢が大きく異なる点に注目すべきです。

中立金利を模索する日本

景気に対して抑制的でも刺激的でもない中立的な金利水準はどこにあるのでしょうか。

1985~1995年の名目GDPとコールレートの推移をみると、円高不況への対応と財政再建路線で金融政策に景気維持の負担がかかり、結果的には実体経済に対して金利が相当低い状態が数年続きました。そうして景気が後退局面に入ったときはコールレートがキャッチアップできない状態が生まれました。

現在はどうでしょうか。日本では1%台後半の潜在成長率を若干上回る成長が今年度、来年度に続くとみられています。これに対し金利はほぼゼロとなっています。であれば、本来ならば実体経済と金利の関係が何らかの問題(インフレ、住宅価格・地価の問題、過剰設備投資等)を起こす筈です。それがなかなか起こらないのが現在の日本であり、そうした状況認識が金利正常化を施行する日銀の基本的認識のベースとなっています。

物価変化率は早晩プラスに転じ、プラスが定着すると日銀が考える根拠の1つに需給ギャップと物価変化率の関係があります。確かに設備判断DIと雇用人員DIの加重平均はGDPギャップ(需給ギャップ)がプラスの領域に入り、物価が上方圧力を受けることを示唆しています。しかし、ここ数年はフィリップスカーブがフラット化し、GDPギャップの改善が物価を引き上げる程度は限定的になっています。国内企業物価指数も根拠として挙げられることがありますが、国内企業物価指数や企業向けサービス価格指数の変化率がプラスに転じたとしても、川下のCPIに上方圧力がかかる度合いはそれほど大きくありません。

そもそも欧米と日本の物価情勢が違うのは、日本のサービス価格が上がらないためです。日本の一般サービス価格の変化率がほぼゼロなのに対し、欧米はかなり高い変化率を維持しています。

日米間で最も大きく異なるのは家賃・帰属家賃の推移です。現在米国のCPIは前年比約2%で上昇していますが、その半分は家賃・帰属家賃の上昇で説明できます。しかし日本の家賃・帰属家賃はゼロもしくはマイナスで推移しています。これらが地価上昇と共にプラス浮上すれば、CPIプラス変化率定着の大きな要因として説明できるでしょう。

雇用者報酬を実質GDPで割ったユニット・レーバー・コストは日本では下がり続けています。このことは、労働生産性の範囲内でしか賃金が上がってこなかった、あるいは下落さえしたことを示しています。主要国のユニット・レーバー・コストは上がり続けています(ただし欧州で物価が最も安定しているドイツの伸びはほぼ横ばい)。台湾は日本と似た推移で、所得と物価が相互に影響して停滞しています。

雇用者報酬を名目GDPで割った労働分配率は全世界的に下がり続けています。特に日本の低下は顕著です。同時に、日本では非正規雇用者の割合が高く、労働市場の柔軟性が平均賃金の押し下げ圧力になっています。また、1947~1949年生まれのベビーブーマーの退職で1人当たりの賃金が低下しています。ベビーブーマーの退職は各国共通の現象ですが、彼らの退職で平均賃金に下方圧力が掛かるというのは、55歳が賃金ピークとなる日本に特殊な現象ではないかと考えています。

こうした労働分配率の低下や労働市場の特殊性がユニット・レーバー・コストの低下に結びつき、物価上昇が抑えられていると理解できます。

コア消費者物価指数の見通し

コアCPI変化率は7月で0%か-0.1%、8~10月は7月よりもマイナスの値になるとみています。日銀が8月に金利を動かさないとすれば、9月が今年最後のチャンスとなります。

参院選も終わり利上げの思惑が強まっているところで利上げをした方が良いのではないでしょうか。今年、政策金利が0.5%に引き上げられた折、経済同友会が政策金利の望ましい水準と、そうした水準の実現時期予想をアンケート調査したところ、1.9年後に1.62%という回答が得られました。この回答は日銀ウォッチャーの予測と大差ありません。このことからも、今年8~9月に0.25%利上げをしても、大きな批判は生まれないのではないかと考えられます。

インフレターゲット論者の主張はこうです――現在の物価情勢にかんがみ、利上げを当面控え、高まった期待インフレ率を経済活動にビルトインさせることで物価変化率を引き上げるべきだ。私はこの主張にはリスクがあると思います。0~2%が望ましい物価変化率のレンジであるとすれば、将来物価変化率が2%を超えるという予想が無い限り、利上げは無理ということになります。これはリスクです。かといって現在の状態を続けるのが適切なのか。日銀は進退両難な難しい立場に立たされています。

質疑応答

Q:

他国に例をみない長期低金利のリスク要因を長期的な景気循環論や成長論等でより詳しく解明する方法は無いのでしょうか。円キャリートレード等、マーケットの流動化がリスク要因となっていませんか。

A:

円キャリートレードの規模は物価に影響を与える程大きくはなく、キャリートレードに関する言説には誇張があると思います。

実体経済に合わない金利を続けると確かに問題が生じますが、金融政策を実施するためには問題の兆候が現れることが必要条件となります。問題が顕在化しつつあるときに慎重に正常化を進めるべきだという立場と、物価の安定が崩れることの蓋然性が出てきて始めて動くべきだとの立場がありますが、たとえばスイスの中央銀行は3年後までの物価変化率を予測し、それを基に金利政策を判断しています。3年後の物価変化率を正確に予測するのは非常に困難ですが、スイスはこれを市場とのコミュニケーションのための1つの手段としています。日本ではこうしたコミュニケーションが不足しています。日銀とマーケットのコミュニケーションは、時々刻々とマーケットに流れる情報と、これに対する解釈を介在して行なわれる筈ですが、現在の利上げ予測はこうした分析を経由していません。何らかの方法で現在のコミュニケーションのあり方を変えていくべきです。

Q:

2月の利上げはどのように位置付けられますか。また、通貨の安定に向けて日銀はもっと対策を講じるべきではないでしょうか。

A:

半年に1度程度の金利調整は必要と考えます。福井総裁は12月の段階で第3四半期の消費が弱いと発言しましたが、1月にはそうした消費の落ち込みが一時的な現象であったことが判明していました。しかしそれを一般の国民や政治家に説明するのは難しい状況にあり、さらに第4四半期のGDP統計で強い数字が出ることはほぼ確実でしたので、コミュニケーションの観点からも、GDP統計が発表された後の2月に利上げをすれば良いと判断したのではないでしょうか。

為替水準の一義的な責任を負うのは財務省です。日銀法改正の折には、為替調整の権限を日銀に与えるべきだという議論もありましたが、結局与えない方向で落ち着いています。日銀は円安、円高の結果に対して金融政策を講じるほか手段は無いと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。