忍び寄る国際経済危機~英国からの検証~

開催日 2006年8月10日
スピーカー 小松 啓一郎 (日本貿易振興機構(ジェトロ)ロンドン・シニアフェロー/コマツ・リサーチ&アドバイザリー代表(英国))
コメンテータ 入江 一友 (日本貿易振興機構(ジェトロ)企画部長)
モデレータ 川本 明 (RIETI研究調整ディレクター)
ダウンロード/関連リンク

議事録

今日の経済におけるビジネスチャンスとリスクは、2001年9月11日の米国同時多発テロ以降、安全保障問題や国際政治といった新要因を検討せずして分析することはできません。本日はこの観点から話を進めたいと思います。

世界経済の推移

2000年春の米国ITブーム(またはITバブル)の崩壊の影響を受けた2001年、世界経済成長率は大きく落ち込みました。しかし、2002年以降の世界経済は順調に回復しています。「重病人」といわれてきた欧州連合(EU)の経済もようやく回復の道を歩み始めました。米国の経済成長率も1990年代半ば以降は、おおむね4%前後で推移しています。日本経済については「失われた10年」を経て全般的に明るいムードが漂っています。BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)が目覚しい伸びを示すなかで、アジア経済も回復基調にあります。英国経済は1990年代初頭のバブル崩壊以降、急速に回復し、1993年以降の成長率は常時2~3%台のレンジに収まっています。このように、世界経済は2001年に底をついて以降、見事に回復しています。

日本経済をさらに詳しくみてみると、1995~1996年に回復し始めたものの、1997~1998年に失速しました。1999~2000年に再び上向きましたが、2001~2002年にはまた失速しています。第1回目失速の国内要因は緊縮財政措置の導入が時期尚早だったことであり、国外要因はアジア・太平洋通貨危機です。第2回目失速ではデフレがその国内要因となっています。金融部門の不良債権がデフレによって実際には拡大していたという大きな誤算です。国外要因は米国ITブームの崩壊でした。

1980年代前半の経済成長率がそのまま続いた場合の「失われた10年」の後の経済規模は、実績とほぼ重なります。したがって、「失われた10年」は必ずしも悪い経済ではありませんでした。日本経済の規模は非常に大きく、1990年代の「失われた10年」でさえも平均成長率は1.4%を達成しているのです。つまり、絶対的規模で考えた場合、日本経済は2年間で南アフリカ経済、3年間で香港経済、4年間で韓国経済とほぼ同等の規模の経済を創出したことになります。したがって、個々の企業レベルに視点をおいて見るならば、日本経済は依然として大きなチャンスをはらんだマーケットでした。ここが本日の議論の最初のポイントです。つまり、大変な状況でも見方を変えれば大きなチャンスがあるという点です。本日の発表のタイトルは「忍び寄る国際経済危機」ですが、ここで言う危機も裏返せばチャンスがあるということを示唆しています。もちろんチャンスの裏にはリスクもあります。

今年に入り、日本経済を含む世界同時景気回復が始まり、日銀等から強気の発言が相次ぎました。一方、国際情勢ではこうした発言がいつ覆されてもおかしくないような新たなリスク要因が数多く出現し、欧米諸国は事態を深刻に受け止めています。それにも関わらず、日本では安全保障や国際危機を度外視した景気強気論が沸き起こっているわけです。海外ではこういった現象が起きる日本を指して、「茹で蛙」つまり「釜の下で火が焚かれ水温が上昇していてもそれに気づかず茹で上がってしまうまで悠然と泳ぐ蛙=日本」という比喩が使われています。「大変だ、大変だ」と冷静さを失うのも望ましくないですが、茹で蛙になるのも望ましくありません。大切なのは、リスクとチャンスを等身大で捉えることです。

世界経済でのリスク

1997年危機で各国通貨は急激に下落し、韓国、シンガポール、タイ、マレーシア、インドネシア等の成長率は国際機関予想値から大きく外れました。国際機関の予想値を前提に国家や企業が行動していた場合、大きな損失になります。

タイが固定相場制から変動相場制に移行することに関し、当時のメディアでは「10年以上にわたる経済発展の結果、アジアが市場を開放し、次の段階に進もうとしている。資本主義市場に本格参入する良い傾向だ」という見方が大勢を占めていました。変動相場制移行にいたる背景を問題視していたのは、タイ経済に詳しい関係者やその方面の経済学者だけでした。そして、移行の数時間後にタイバーツが1日で15%も下落するという考えられない事態が起こりました。影響は1週間でアジア地域全体に、半年後にはオーストラリアやニュージーランドの国民経済にまで広がりました。このようにグローバル化しているのはビジネスチャンスだけではありません。リスクもグローバル化しているのです。英国経済のほうは、ミクロ面では対アジア市場向け輸出が1998年から目に見えて低下するという影響を受けましたが、対欧州シフトや対米シフトをしていたため、国民経済全体として影響を受けることはありませんでした。

こうしたことはリスクや突発事件と言いながらも、伝統的な経済理論に従って動いている側面もあります。たとえば、英国の対日輸出は1996~1997年に増加して1998年に通貨危機の影響で反転していますが、同時期のポンドと円の交換レートを見るとJカーブ効果が明確に確認されます。これは通貨変動の影響が貿易量の変動に見事に現れた例です。

日本と英国の実質経済成長率の推移を1993~2004年で比較したとき、日本経済の変動幅は大きく、英国経済は非常に狭いレンジで安定的に推移していることが分かります。米国と比較しても英国の推移は安定的です。

米国同時多発テロ以降の世界

「9.11」は歴史の転換点となりました。欧米諸国は「ベルリンの壁」崩壊と「9.11」という2つの大きな事件を経て「次の次」の時代に入ったと見ています。そうした状況で根本的に変わりつつある国際社会のルールに適応しなければ、日本は個人も企業も国家も対応できなくなります。第二次世界大戦後に大きな社会的変動を経験していない日本には「次の次」の視点がないため、どうしても危機感が弱くなります。これは日本の弱点です。

「9.11」を受け、米国のブッシュ・ジュニア政権は「対テロ戦争」を打ち出しました。敵は「国家」ではなく、「テロリスト集団」であるというまったく新しい概念です。国際法が定める正規の戦争の相手を「国家」ではなく「テロリスト集団」に位置付けたのは大きな変化です。米国はこの考え方に基づき、テロ集団を匿い支援するすべての政権を敵と見なすとしています。さらに、世界のすべての国家を「対テロ戦争」の同盟国かテロ支援国家かに色分けし、中立を認めない姿勢を明確にしています。

これは近代法のあり方そのものに対する挑戦です。「戦争」という以上、テロリストは戦闘員なので拘束した場合にはジュネーブ協定が適用されることになります。そこで、同協定を適用せずして「戦争」と位置付けるにはどうすれば良いかという法律論争が起こりました。

多様な民族が複雑に入り組んでいるアフガニスタンに米国型の自由化や民主化、正義を単純に持ち込めるのでしょうか。それぞれの民族が独自の文化、歴史、価値観を持っていることが問題を複雑化する要因となっています。

米国はさらに、先制攻撃を容認する「新ブッシュ・ドクトリン」を打ち出し、イラク国民への攻撃ではなく、サダム・フセイン政権への攻撃と規定して対イラク先制攻撃を開始しました。フセイン政権は崩壊しましたが、ゲリラ戦は泥沼化し、米国はその後も対イラン関係、対北朝鮮関係で緊張化の道を歩んでいます。最近ではイスラエルとレバノン南部イスラム教シーア派組織ヒズボラとの大規模な戦争も起こり、情勢は複雑化の一途をたどっています。

イラクの場合も、民族・宗教宗派が複雑に入り組んでいます。こうした国で戦争をした場合には、アフガニスタン同様に社会構造上の問題が生まれ、泥沼化することは事前に完全に予想できたことです。

英国の実質経済成長率は年間でみると2~3%のレンジで安定的に推移していますが、四半期毎にみると「9.11」直後に2%を割り、イラク戦争が一段落するまでこの状態は続きました。英国経済は、1997年の通貨危機からも、2000年の米国ITバブル崩壊からも、ほとんど影響は受けませんでしたが、安全保障問題からは明確に影響を受けたのです。これは日本人が見落としやすい点です。「9.11」から5年を経た今日、日本では経済のファンダメンタルズを見て「日本経済、世界経済は上向いている」との議論が行われてがちですが、こうした議論には安全保障の視点が欠けています。

欧州では2006~2007年に経済を崩壊させるリスクのトップに鳥インフルエンザが挙げられています。「9.11」のような大規模テロの再発も脅威(リスク要因)ですが、こうした事件については、テロリストに政治的目的がある以上、ある程度の予想はつきます。しかし、鳥インフルエンザはどこで発現するかも分からず、ウイルスが進化してヒトへの感染が広がった場合、これを阻止することもできません。欧州では鳥インフルエンザに感染した鳥が発見されるたびに大パニックが生じています。ワクチンは存在しますが、その実効性は明らかでなく、ワクチンの量も十分ではないからです。

その他のリスク要因としては、油田地帯に近い地域での内戦やテロの激化があります。これはエネルギー安全保障についての懸念であり、イスラエル周辺での現在の紛争とイラクの泥沼化が今後、サウジアラビアにも影響する可能性が非常に高いと考えられます。欧州に限れば、欧州中央銀行が統一通貨ユーロを引き締め過ぎているとの懸念もあります。

第2、第3の「9.11」の脅威は去っていません。これらの脅威を防ぐためのコストそのものも大きなリスクとなっています。開戦直前にブッシュ政権が見積もった対イラク戦争のコストは約500~600億ドルでしたが、実際のところ、計算の仕方によってはすでにその約40倍に達しています。米国の国防費(戦費)は3年間で倍増し、米国は戦後未曾有の財政赤字に陥っています。それでも米国の経済が大過なく推移しているのは、1つに米国が機軸通貨を有しているからであり、もう1つに原油価格高騰によるオイル・マネーが逆流しているからです。しかし、これら要因で均衡状態が保たれているのはある意味で偶然のことであり、その均衡状態はいつ崩れてもおかしくはありません。

米国経済が崩壊すればどうなるのでしょうか。外国資本による対中投資と、米国内で好調だった不動産売買が世界経済回復に貢献している割合は、ここ3年間で40%程度になっています。つまり、世界経済はこれら2つの要因に極端に依存しながら回復していることになります。ところが、蓋を開けてみると、米国の場合は個人も国家も借金に埋もれ、不動産売買も頭打ちになっています。中国の場合も、対中投資とは言っても、外資7割もの貢献度となると、世界経済の成長はどちらも不安定で脆弱なモノポリー的な要因に支えられていることになります。米国市場に問題が起きれば、日本、中国、欧州は共倒れとなります。BRICsとて例外ではありません。

このような米国経済の構造的な問題を懸念する投資家は、リスク分散のためにユーロや円に投資します。ところが、こうした投資が増加すると、今度はドルが下がって他通貨の資産が上がらなければ儲からなくなるので、個人レベルでは「下がって欲しい」という動機が出てきます。カネや債権は売買取引を通してこそ儲けも出ますが、売るにしても、買うにしても、取引を増やすには口実(=材料)が必要となります。そして、現在はこのようにネガティブな理由でドルを売る材料が数多くあります。問題は誰(おそらく機関投資家やヘッジファンド等)がどこで仕掛けるかです。ドルが急落した場合、米連銀はドル防衛のために金利の引き上げに動きます。短期金利を引き上げているうちはまだ問題ないのですが、長期金利が引き上げられるなら景気が一気に冷え込み、世界経済危機に陥ります。

原油価格高騰の背景には油田地帯での紛争拡大に対する不安感があります。こうした不安感が投機家の行動に説得力を持たせ、パニック心理が利用される土壌ができあがっているわけです。今までの原油価格が低すぎたので、現在の高騰は単なる調整段階であるとの見方もありますが、これが情勢不安定化への懸念による調整なのであれば、それは問題です。原油価格が何らかの拍子で前人未到の額に達した場合、市場はパニックに陥り、原油価格高騰の急激な進展が国民経済に影響を及ぼすようにななれば、さまざまな問題が生じるでしょう。

問題の本質は1990年から貧富の格差が急激に広がったことにあると考えています。所得の格差は資本主義の発展原理、あるいは発展の原動力として理解できますが、機会の格差は機会を与えられないグループに絶望感をもたらし、テロリズムへとつながります。また、機会の格差が極端に広がれば拡がるほど、健全な競争原理も失われていきます。ここが国際金融制度の弱点であり、改革が求められる点です。いまや経済ファンダメンタルズといった単眼的視点からではなく、政治・経済の両面を含んだ新たな複眼的視点から現実を見直すという発想の転換が必要なときが来ていると私は考えています。

コメントと質疑応答

コメンテータ:

英国は、世界の情報の流通拠点となっている点、世界唯一の超大国である米国と特殊な関係にある点、断片的情報を組み立てる分析の枠組みがある点――の3点で特徴的であるといえます。
1990年代に米国が主導した世界経済運営が貧富の格差や政治の不安定を生んだということですが、米国と強い同盟関係にある、あるいは米国に追随してきた英国は、今後どのように動いていくとお考えですか。日本への示唆を頂ければと思います。

A:

トニー・ブレア首相が取り組んだ改革の1つに北アイルランド問題があります。長年にわたってテロが続いてきた北アイルランドで独立派と本格的に話し合う体制を整えたのです。同首相はスコットランドやウェールズに独立国に近い自治権を与え、それぞれの文化の違いを尊重しながら地方自治の問題を提起することで高い人気を得ました。しかし、アフガン戦争から人気は下降し始め、イラク戦争で急激に低下。来年にも首相交代が起きると言われています。英国が政治的転換期を迎えているとの見方も活発になり始めています。そうすると、英国が対米政策を転換する可能性もあり、状況は流動的になりつつあります。
興味深いのは日米が「ディレギュレーション(deregulation)」(規制緩和・撤廃)に動く一方で、英国をはじめとする欧州では「リレギュレーション(reregulation)」が活発に論じられるようになっている点です。1990年代型の規制撤廃は無法地帯を作るだけであり、自由競争経済を機能させるには一定のルールが必要という考えです。

Q:

国際的なテロの動きに対する日本の対応は甘いと思います。極端に高い中東への石油依存率や先進国では考えられないほど低い食糧自給率への対応が日本の喫緊の課題であるにも関わらず、危機感はまだまだ薄いようです。英国との比較において、こういった点への危機感についてお考えをお聞かせ下さい。

A:

一般論として日本人は確かに危機感が薄いようです。本日の発表で紹介した格差問題は日本国内で騒がれているような格差とはレベルが違います。ケニアでは40万円の学費と生活費が賄えないため、実力があっても大学に進学できず、人生をあきらめるどころか、想像を絶する極貧生活に戻っていく若者が多くいます。そこにテロリストがリクルートに来たらどうなるか。私がいう機会均等の格差とはまさにこういうことで、本人の努力如何に関わらずチャンスが失われる世界がテロの温床となり、先進国のビジネスを脅かしているため、制度的対応が急務なわけです。
英国では地球温暖化問題や鳥インフルエンザ問題も大議論の的となっています。

Q:

アジア通貨危機では資本の動きが制御不能になり、ニューヨークやワシントン、ロンドンにいる代理人への規制が機能しなくなりました。こうした動きからロンドンも恩恵を受けていますが、この問題への対応は可能ですか。
アジアのリスクも含め、さまざまなリスク要因があるなかで、日本の座標軸は何だとお考えですか。あるいは日本のアイデンティティはどのような方向付けをすべきだとお考えですか。

A:

問題への対応は確かに難しいですが、難しいからといって何もしないのでは絶望感が広がり、リスクが高まります。1990年代型市場主義の根底には冷戦で勝利した米国の戦勝意識がありましたが、欧州ではこのような市場主義に疑問を呈する議論が活発になってきています。ここに欧米亀裂が生まれ、亀裂は今後広がる一方だと懸念します。これは日本の座標軸に関する議論にもつながる動きです。冷戦時代は米国追従しか選択肢がないという単純な構造でしたが、今はそうではありません。国の数が200あれば200通りの動き、さらにこれらに加え非国家主体の動きもあります。日本はこうした事の複雑さに気づく必要があります。単純に超大国の1つに追従しているだけでは、かつての日独伊同盟のときのようにその国と共に孤立してしまう危険があります。米国は日本の重要な同盟国ですが、一定の距離は必要で、どのくらいの距離が必要かは米国の情勢、欧州の情勢、反米勢力の情勢を観察しながら見極めなければなりません。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。