経済産業省の研究開発戦略と“技術戦略マップ”の活用

開催日 2006年6月23日
スピーカー 安永 裕幸 (経済産業省産業技術環境局研究開発課長)
モデレータ 川本 明 (RIETIコンサルティングフェロー/内閣府科学技術基本政策推進担当室長)
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議事録

「技術ロードマップ」とは

「技術ロードマップ」という言葉は1997年頃から広範に使われるようになりました。「技術ロードマップ」の最も一般的な定義は、ブランスコム元米国大統領科学技術顧問の提唱した「A consensus articulation of scientifically informed vision of attractive technology futures」と考えられます。技術ロードマップは当初は閉じられたコミュニティ内で作成されていました。しかし、研究者間、研究者と経営者、サプライヤー=ユーザー間、産学官等、定義中の「consensus」の当事者の範囲は徐々に広がっています。また、「scientifically」とあるように、技術ロードマップに含まれる将来の技術は、過去の技術トレンドや専門家による議論、特許の動向分析等の科学的根拠に基づくものでなくてはなりません。

「技術ロードマップ」という言葉を学術的文献に初めて用いたのはモトローラです。モトローラは、今後展開する製品を構成する要素技術の年度展開に関する「Product Technology Roadmap」と、製品が具体化されていない新技術の展開に関する「Emerging Technology Roadmap」の2つのロードマップを策定していることを研究開発マネジメント関係の学会誌に発表しました。メインフレーム全盛時代のIBMも、社内の開発目標と開発スケジュールを規定するためにロードマップを作成していました。

1980年代半ば、日本の半導体産業はDynamic Random Access Memory (DRAM)を中心に高い競争力を維持していました。それにより発生した日米半導体摩擦は政府間の協定で解決する運びとなりました。日米半導体協定には、アンチダンピング条項による日本の半導体メーカーの米国市場侵食の阻止と、日本市場における外資半導体メーカーのシェアの向上が盛り込まれました。同時に、技術面で日本に敗北したことを認識していた米国の半導体産業は、Semiconductor Manufacturing Technology(SEMATECH)というコンソーシアムを設立し、研究開発のプレーヤーを装置メーカーや大学に広げて政府資金や産学連携を導入しました。その際、研究目標や研究の分担を決めるため、可視化された研究のマネージメントツールとして技術ロードマップが作成されはじめたのです。このSEMATECH ロードマップが、後に「マイクロテック2000」、さらには「National Technology Roadmap for Semiconductors(NTRS)」となりました。NTRSは、現在最も有名なロードマップ、International Technology Roadmap for Semiconductors (ITRS)の前身です。

モトローラのガルビン元会長は、「技術ロードマップ」は、(1)技術の将来像の提示、(2)対話の手段、(3)産業界や政府を惹きつける手段、(4)技術への刺激と技術進歩の監視、(5)技術の可能性(限界)を示す指標、の役割を果たすと述べています。

半導体産業における「技術ロードマップ」の役割

半導体産業における「技術ロードマップ」の果たした役割には、以下の4点が挙げられます。

(1)研究開発プレーヤーの拡大による競争促進メカニズムの構築
1990年代以降、半導体の製造プロセスが複雑化・高度化したことに伴い、半導体のプロセス研究開発投資のプレーヤーを、チップメーカーのみならず装置メーカーや材料メーカー、大学等に拡大する必要性が増大しました。すなわち、技術ロードマップは技術目標と達成期待年を可視化するメカニズムですので、これによって技術進歩を生むための競争促進の仕組みが構築されました。

(2)競争促進メカニズムの牽引力
半導体のロードマップでは、一定の数値目標が定められますが手法は固定されません。このため、さまざまなアイデアが生まれ競争が促進されました。また、大手デバイス企業がその大きな購買力を活用して装置メーカーから新技術を用いた試作装置を購入し、評価して改善点を指摘することに積極性を示し、ロードマップの牽引力となりました。

(3)実用化間近における技術の絞り込み
半導体産業では「ムーアの法則」(3年で集積度が4倍になる)が関係者間で共有されており、一定のペースで微細化を進めることが不可欠となっています。このため、期限が迫れば技術を絞らなければなりません。実用化の約2年前に次世代の微細化の技術を選択することにより、重複投資が避けられます。これは一見、(1)の競争促進と矛盾します。あくまでも、量産間近の技術の選択に用いられたということです。

(4)モジュール化の流れに適合
半導体プロセス技術ではモジュール化が進んでいます。ロードマップの手法はこの流れに非常に適合していました。

半導体産業では新技術の導入時にコストや信頼性の問題が発生するため、既存技術に若干の改良を加えることで技術の延命を図られてきました。ITRSの過去のロードマップを比較すると、過去に使用されていた技術に多少の改良を加えることでさらなる微細化への対応が可能になることが分かります。たとえば最近では、露光技術に関しては、2003年までに実用化されていたアルゴンフロライド(ArF)エキシマレーザ露光技術を2005年版では液浸技術を加えることで改良しています。これにより、ArFの「次」と目されていたF2エキシマレーザ露光は日の目を見なくなる可能性が高まり、ArF技術は液浸という改良技術を付加することによって、ArFの「次の次」と目されていた「EUV(極端紫外線)露光」が実用化されるまで延命される見通しになってきた訳です。すなわち、半導体製造プロセスにおいては、新しい技術体系は旧来の技術体系からの転換コストがかかり、信頼性にも不安があるため、極力既存の技術を延命することを最優先として研究開発が進んできました。私はこれを「incrementalism」と呼んでいます。このような流れを進めるのにはロードマップは大きな効果がありました。ロードマップには、量産間近に選択肢を絞り込まなければならないという構図も明確に表れています。

半導体産業で「技術ロードマップ」が機能してきた理由

半導体産業は進歩が激しい一方、リソグラフィー技術やエッチング技術、成膜技術など、そのプロセスの基本は三十数年前から変わっていません。デバイス構造的には、半導体集積回路のシリコンComplementary Metal Oxide Semiconductor(CMOS)構造は、平面的で微細化しやすいので高集積化に適した構造となっています。また機能的には、シリコンCMOS系半導体は主にメモリーやロジックといった、二値デジタルのデバイスとして機能します。すなわち、シリコンCMOS系半導体は、デバイス構造、プロセス、機能の3点において「技術の構造」が確立され、プロセスと構造を結ぶ基本原理としてプレーナー技術が非常に早い段階で確立されました。さらにデナードが発見したスケーリング則に従って集積度を高めることにより、安価で高速処理、低電力消費、という「一石三鳥」の技術構造が実現するため、技術発展の方向性が明確です。このため、半導体産業ではロードマップが作りやすく、機能しやすいのです。さらに、産業界から大学までのプレーヤーの拡大、大手のデバイスメーカーの購買力による技術発展の牽引、重複投資を回避する役割分担の自発的な構築といった産業構造により、技術ロードマップはさらに機能しやすくなっています。この流れを底辺で支えた「ムーアの法則」は、ユーザーやメーカー、ベンダー等全当事者が共通の認識を持つ契機となりました。

ITRSについては、産業界から次のようなコメントが寄せられています。

「最先端の企業は、ITRSより進んだロードマップを有しているが、技術の流れを作るのにはロードマップは役に立つ。2番手以下の企業は、自ら試行錯誤せずにITRSをガイドラインとして用いるので、これまたメリットがある」
「製造装置メーカーとしてITRSより前倒しで開発を行っている。最先端のチップメーカの要請にすぐ対応するためである。」
「材料屋にとって、グローバル化した市場においては、ITRSは顧客の最大公約数的な動向を把握するための的確な情報源である」
「ITRSは『産業界における政府』の役割を持つ」等

しかし、微細化による技術的なメリットを手にすることは徐々に難しくなっています。2005年版のロードマップでは微細化は技術的観点から非常にコスト高となり、更なる微細化(More Moore)を求められるニーズも限られてきました。他の技術要素と組み合わせて新しい技術体系・産業(More than Moore)を形成する必要性も生じています。

一方、半導体という特殊な産業以外で、技術ロードマップが同様に効果的に機能するかどうかは大きな課題です。他の産業で技術ロードマップが機能するためには、(1)技術構造、(2)市場・産業の構造、(3)ドライビングフォースの作用メカニズム、の3点を理解し考慮する必要があります。

「技術戦略マップ」の目的

経済産業省では2005年に「技術戦略マップ」の策定に着手しました。その目的は以下の4点です。

(1)国民や研究者に対する説明
経済産業省の研究開発投資の考え方や成果等を納税者に示し、予見可能性をもって技術動向を企業や大学を含めた研究者コミュニティに説明するために役立てます。

(2)職員の技術マニュアル
省内で研究開発を企画立案する際には技術動向や市場動向を把握する必要があります。このためのツールとして使用します。

(3)研究開発の方向性を議論するためのツール
技術はますます複雑化しています。ナノテクのように複数の用途を持つ技術や、地球温暖化防止のように政策目的が牽引する技術もあります。こうした周辺状況を考慮しつつ研究開発の方向性を議論するためのツールとして利用します。

(4)経済産業省以外の活動に貢献
経済産業省の産業技術環境局研究開発課の予算(約2000億円)は、日本の官民の研究開発費の総額17~18兆円のわずか1%です。産業技術環境局研究開発課の予算のみならず、他の省庁による研究支援ためにも役立てたいと考えています。また、民間のリソースを用いて異分野融合、異業種連携や産学連携を行う際の技術的なヒントとして用いることも目指しています。すなわち、この技術戦略マップを組み合わせ、改変して新たな研究開発の目標や製品コンセプトの議論を行うためのツールとしても利用できるのではないかと期待しています。

「技術戦略マップ」の概要と策定プロセス

「技術戦略マップ」は、(1)導入シナリオ(政策)、(2)技術マップ(統計的な技術の強み)、(3)技術ロードマップ(マイルストーン)の3部から構成され、20以上の分野を網羅しています。原案は新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)に設置された官民の専門家約400人から成るタスクフォースが作成し、策定プロセスの審議は産業構造審議会産業技術分科会研究開発小委員会が行っています。

「ITや電子等の分野では、市場のニーズから技術を特定しロードマップを策定できます(「市場→製品→技術」というトップダウン型)。ナノテクや材料等の分野では、「機能」から生まれる価値を念頭に、トップダウン型とボトムアップ型を併用して、開発すべき技術を特定しなければなりません(「新たな価値←→機能←→技術」)。環境やエネルギーの分野では、現在は顕在化していないが将来必要となる市場ニーズを見据えて技術ロードマップを策定する必要があります(「社会ニーズ→製品/機能→技術」というトップダウン型)。このように分野によって策定方法が異なるので、半導体の事例のみを参考にするのでは不十分です。策定には民間企業の意見も取り入れています。

「技術戦略マップ」の活用法

「技術戦略マップ」は、コミュニケーションツールとして活用できますし、技術予測や重要技術の絞込み等にも活用できます。経済産業省では、予算化やプロジェクトの議論の際に活用していきます。しかし、現状の「技術戦略マップ」は、個々のプロジェクトの是非を議論するには不十分であり、全般的政策論には細かすぎるという問題を抱えています。今後、省内の研究開発予算やリソースの配分にリンクさせながら議論することが重要と考えています。

Micro Electro Mechanical Systems(MEMS)技術等の異分野融合を促進するには、まだ分野間の壁が大きすぎると考えられます。これを受け、経済産業省では異分野融合の「ロードマッピング」を行いました。これはロードマップそのものに価値を見出すというよりも、「ロードマッピング」の作業を通じて異分野の研究者が新しいアイデアを獲得するための知的な刺激となることを目的としています。

経済産業省では従来、官との関係が希薄だった学会に「技術戦略マップ」を提示し、将来の技術に関する新たな取り組みを促すべく働きかけています。学会では「科学」ロードマップの作成や異分野融合のためのロードマッピングが予定されています。

また、地域コンソーシアム等に「技術戦略マップ」の情報を提供することで、地域の地場産業の活性化や新たなビジネスプランの構築につなげたいと考えています。こうした施策を通じて、地域の中小企業は「技術戦略マップ」を発展的に活用できると考えます。この取り組みは今年中に実施する予定です。

日本のイノベーションプロセスの課題

日本企業の収益や採用、投資等は拡大していますが、研究開発の面ではまだまだ安心できない状況にあります。企業の経営努力のなかで中長期的な研究開発投資は減少しており、その担い手である従業員や研究者も削減されてしまったケースが多々あるからです。科学の力でメカニズムを解明しないと解決できない技術課題も増えてきました。また、分野横断的な取り組みなしには新技術は生まれません。日本企業には、自社の技術の価値を理解していない企業も多いと思います。

産学イノベーションが発展するためには、科学、技術、ビジネスの各領域が重複する分野で知の交流や人の交流をさらに活性化させる必要があります。「技術戦略マップ」は、科学、技術、ビジネスの各界に共通認識を与えるためのコミュニケーションツールとなることを目的としています。共通のビジョンが欠如しているため事業の発展形態が見えないという問題を解決できればと考えています。

技術ロードマップの限界と課題

経済産業省はロードマップが万能だとは考えていません。技術ロードマップの限界として、disruptive innovation(これまでの延長線上にない新しい技術)を見逃しがちになる点が挙げられます。まったく新しい技術の出現はロードマップに載っていないことも多々あります。あるメーカーからは、「やってみないと分からないのにロードマップに書いてあるが故にそれ以外の技術を研究しなくなることには危険を感じる」とのコメントも寄せられています。ですので、ロードマップは常に見直すことが重要です。また、「ロードマップ」というアウトプットよりもむしろ、「ロードマッピングプロセス」における知の共有の方が重要ともいえるでしょう。

「技術戦略マップ」の策定において、産業界や大学の関係者が「国のロードマップに協力した」という姿勢になることは歓迎しません。関係者からは主体的な関与を得られるようにしたいと考えています。また、政府やNEDOの関係者が技術の提案を受けたときに、「技術戦略マップ」に載っていないという理由のみに基づき優れた提案を却下することがないよう、十分な注意が必要と考えています。

質疑応答

Q:

「技術戦略マップ」は、既に普及している半導体技術のプロセスをマップにした時代錯誤的な取り組み、という印象を受けました。エネルギーや環境、ITやバイオ等に注力すべきです。スウェーデンは2030年に石油依存をゼロにすると公言しています。戦略的な考え方や重点分野の技術についてはどうお考えですか。

A:

「技術戦略マップ」には半導体のみならず、ナノテクや材料、環境、医療等が含まれています。
経済産業省は、国是である癌対策のロードマップを今年新たに作成しました。いつまでにどういう薬を実現させるのか、癌の検診・診断装置として何を開発するのか、といった点を政策の流れと共にロードマップ化したものです。
環境問題は非常に政策指向です。石油依存をゼロにするという目標は設定していませんが、新エネルギーや省エネルギー、水素社会の実現等、石油依存度を低減するためのさまざまな手法をロードマップのなかに政策的なマイルストーンと共に盛り込んでいます。
「技術戦略マップ」はまだ完全ではありません。半導体のような技術構造の分野についてはロードマップを精緻に作成しやすく、ロードマップも機能しやすいのですが、それ以外の分野ではまだ状況が整っていません。ロードマップを改善すべく取り組みを続けています。

Q:

特許庁の技術動向調査は非常に優れています。また、文部科学省の未来動向調査はデルファイ法を用いて専門家の認知を集束させています。文部科学省と経済産業省の縦割りの壁を越えた、政策形成的な相乗効果を生むような取り組みに期待します。

A:

特許庁からはロードマップのタスクフォース運営の審査官として参加を得ています。特許情報は技術的な動向を示す最も確実なデータですが、それを確実に取り込めていないのが現状です。
製品動向を把握するときに過去に遡ってロードマップを見直すことも興味深いでしょう。
文部科学省科学技術政策研究所 (NISTEP) の調査は、客観的なデルファイ法を用いており、過去30年間の蓄積もあります。経済産業省の「技術戦略マップ」には産業界の意思が反映されており、2年間の蓄積しかありません。両者間で調査の内容が異なることもありますが、これは悪いことではないと思います。「技術戦略マップ」を使って何を研究するのかというヒントにできれば良いと考えています。

Q:

特に重点課題だと思われる点を3点ほど教えてください。

A:

最も重要かつ困難な課題は、研究開発テーマを政府へ提案するときのたたき台として産業界や大学の関係者に「技術戦略マップ」を確実に利用してもらうようにすることです。2番目の課題は、「技術戦略マップ」の作成によりオフロード技術の提案を刺激すること、3番目の課題は、「数十年後に石油が使用できなくなったときにエネルギーのみならず化学原料の観点から何を考えどのような世界をつくっていくのか」を提示することです。

Q:

ITRSのロードマップには、実際の科学とは直接関係しないが産業開発に付随する技術(信頼性等)のロードマップも含まれています。ロードマップを単なるメトロノームにしないためには、こうした付随する部分をいかに体系化していくのかを政府として考えるのが重要だと思います。
たとえば半導体装置に関しては、ポンピングシステムやチャンバー等の点では技術的なロードマップを描くことができますが、ユーザーの要求するスループットの向上等個別の調整が必要な点ではロードマップを描くことはできません。同一製品でも、市場、ユーザー、設計者等、どの視点に立つかが重要です。その点がまだ明確になっていないのではないでしょうか。

A:

周辺技術のロードマップ作成は、国が行うべきか民間が行うべきかという二者択一の問題ではないと思います。「技術戦略マップ」は、マップに沿ってそのまま実施するための指針ではありません。また、「技術戦略マップ」を出したからには、国の予算をより競争的かつよりオープンに使うことが必須です。
ITRSのチャプター分類は、通常の半導体プロセスのチャプター分類とまったく異なります。ご指摘の問題については、チャプターの分類の仕方如何で妥協が図れると思います。歩留まり向上や工場のインテグレーションといった縦割りの切り口のロードマップも必要ですが、そのための方法論は確立されていないため注意が必要です。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。