民間からみた日米関係、外交官としてみた日米関係

開催日 2005年8月9日
スピーカー 阿川 尚之 (慶應義塾大学総合政策学部教授/東京大学特任教授)
モデレータ 田辺 靖雄 (RIETI副所長)
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議事録

しろうと外交官任命の顛末

2001年8月頃のことだったと思います。以前から交流のあった外務省の加藤良三氏が駐米大使に就任されることが決定し、その直後にお会いする機会がありました。その際、「公使として一緒にアメリカに来ないか」というお話をいただきました。私にとっては晴天の霹靂であり、「考えてみます」と答えたのを覚えています。その後、田中真紀子氏の後任として川口順子氏が外務大臣に就任されてから発足した「外務省を変える会」のメンバーとして参加しました。そして最終報告書を提出した後、2002年8月1日に辞令が交付されると、その翌月から2005年4月まで在米日本国大使館の広報文化担当公使としてワシントンに赴任することとなりました。当時、民間からは、猪口軍縮担当大使や高島外務報道官など何名かの起用が行われています。

アメリカでは、総勢約7名の在米公使たちと自由闊達にディスカッションを繰り広げ、大使とも色々なことを話しました。また、元来私は安全保障に関心が深いこともあり、部屋が隣で仲の良かった自衛隊の制服の人たちと、防衛問題について意見を交換することも度々ありました。

広報文化公使は、読んで字のごとく広報と文化が担当です。広報とは、主としてワシントンで取材を行なう日本やアメリカその他地域のメディアへの対応であり、文化とは、さまざまな文化行事や大学、企業等における政策広報の講演や説明をはじめ、多岐にわたる活動を行ないます。大使館の仕事を大きく2つに分けるとすれば、政務班や経済班が、国務省、国防省、商務省などを相手として、協定に関する交渉や調整などをふくめ、極めて機微にわたる政府間レベルの外交を行っています。広報文化班あるいは広報文化公使の仕事は若干異なり、政府以外の一般メディア、学者や知識人、学生、一般人等を相手にいわゆるパブリック・ディプロマシーを行います。広報文化公使は、総勢20名ほどのメンバーで構成される広報文化班の班長でもありますが、ある意味で恵まれた立場であったと思います。それは、日米関係の現場の最前線にいて、政府以外のアメリカの知識人・一般人が日本をどんな風に見ているのか、日米関係がどのような状態にあるのかということを常に考えながら、様々な活動をすることができたということです。

ジャパン・バッシングからジャパン・パッシングへ

2002年9月に赴任する以前、色々な方にお目にかかって話をしました。そして多くの方に「君も因果なときにアメリカへ公使として行くことになったものだ」というような意味のことを言われたものです。それはつまり「もうアメリカは日本に興味を持っていないから、ジャパン・バッシングではなくジャパン・パッシングだ。ジャパン・バッシングの頃が懐かしい」ということでした。一足先にワシントンへ赴任したある外交官も私にメールを送ってきて、いわく「1990年代半ばに在米大使館経済班で仕事をしていたときは、経済や貿易の摩擦問題に関するマスコミの対処で忙しくて仕方なかったが、今回再度在米大へ来たら、のんびりとしている。アメリカのマスコミは日本の経済問題にあまり興味を持ってくれない。時代は変わったのだ」と。さらに「日本に対して興味を持ってもらうという広報文化の仕事は、なかなか大変だよ、君」という風に言われ、そんなものなのかと思って日本から出かけたのを覚えています。

そのようにして多くの人からいただいた警告というのは、ある意味では当たっていましたが、またある意味では間違っていたと思います。確かに、10~15年前と比べると、日本に対する関心というのは薄れています。たとえば、よく聞くこととして、日本研究をする学者のもとへは資金が集まらないとか、中国に対する若い人の関心が高いといったことがあるのは事実でしょう。ワシントンポストやCNNといったアメリカのメディアにおける日本関連の記事の地位は、相対的に落ちているのかもしれません。

しかし他方で、日本に対する新たなブームが起こっています。2年8カ月ほどの任期を通じて、日本の新しい文化がアメリカ社会に浸透している度合は、なかなかのものだと感じました。私が文化担当公使であったという立場上、特にそうした話題に触れる機会が多く“裸の王様”ならぬ“裸の公使”だったのではないかという危険性を差し引いて考えても、日本への関心というのは、静かに深く、広く浸透しているといえるでしょう。

赴任後しばらくして、ニューヨークへ出張したときのことです。マンハッタンのセントラルパーク・サウス周辺に立ち並ぶファッショナブルなフランス風のカフェの表に、スシ・バーと書いた看板が掲げられているのを見かけました。フランス風のカフェでもスシが出なければ、アメリカ人は満足しなくなっている。ワシントンのあるギリシャ料理店で、前菜をすべてスシにしたという話も聞きました。

アニメや漫画、映画などにおいても、日本発の文化発信力というのは大したものです。『Foreign Policy』という雑誌に、ジャーナリストのダグラス・マグレイ氏が“Japan's Gloss National Cool”という記事を寄稿して、注目を浴びました。

また日本発のものではないのに日本が活躍しているもの、あるいは日本人によって日本オリジナルでないものを日本風に洗練させたものが注目を浴びている、そういう新しい現象があります。典型的な例が野球です。イチロー、松井、井口各選手などの活躍は、大変な注目を浴びています。これまで日本には特別な関心がなかったけれども大の野球ファンだという人が、イチローという日本人は大変な選手らしいということを感じて、日本に興味をよせる。ニューヨークタイムスに、イチローの野球についての特集記事が掲載されるようなことが起きるわけです。これは、アメリカ産のものを日本人が料理することによって一味違うものになったという例でしょう。また、日本の“Shall We Dance?”という映画がリチャード・ギア主演でアメリカ版にリメイクされましたが、やはり日本のオリジナル版の方が評判がいいようです。日本人が手掛けると、えてして質の高いものができるという、一種の尊敬のようなものが、ジャパン・クールの概念につながっているようです。

対日好感度の改善

そうした現象面での印象だけでなく、数字のうえでも対日好感度は明らかに改善されていると思います。もう帰国してから4カ月経っていますから、若干古い話ですが、2004年2月のギャロップ調査において、アメリカ人が最も好意を寄せている国はオーストラリアで、実に80数%の人が賛同しており、英国、カナダがそれに次いでいますが、何と4位が日本となっており、75%の人が日本に対して大変好意を持っている、あるいは好意を持っていると答えています。ちなみに、フランスは12位、中国が13位です。年代別に見ると、1990年代初頭、ちょうど細川元首相が当時のクリントン大統領に“No”と言った頃は、日本に何らかの好意を持っていると答えたアメリカ人は全体の50%を下回っていました。一方、比較的高い割合を示した年としては2003年が77%、2002年は79%となっており、ここ数年来75%前後で推移しているというのは、実に大変なことだと思います。

2004年12月の読売ギャロップ調査では、日本を信頼していると答えたアメリカ人は67%で、日本を信頼していないと答えたアメリカ人29%をはるかに上回る結果となりました。ちなみに東アジア諸国における対日好感度の状況に目を向けますと、2005年6月の読売韓国日報の調査によれば、日韓関係が良いと答えた韓国人は11%であるのに対し、悪いと答えた人は89%に上っています。また、中国の社会科学院日本研究所によると、日本に親しみを感じる人6%に対し、感じない人が54%となっています。アメリカが日本に持っている好意度と近隣諸国が日本に持っている好意度は、非常に違うということがわかると思います。

私はおよそ25回、在米大使館勤務中に講演出張をしましたが、アメリカのどこへ行っても日米関係の深さや広さといったものを感じました。中西部や南部の小さな町へ行っても、必ず日本に興味を持ってくれている人がいたものです。今まで日本人は、どちらかというとハーバード大学やコロンビア大学、カリフォルニア大学バークレー校などの日本研究者など一部の親日家と付き合い、そこから影響を受けたり、アメリカについての情報を聞いたりしてきました。しかし、アメリカのもっとコアな部分・地域、あちら流にいうと「ハートランド・オブ・アメリカ」で日本に対して良い印象を持っているアメリカ人は非常に多いわけです。ひとことで言えば、日米関係が極めて深くなりつつあり、そして無数で多層のつながりが築かれていることが感じられます。

今回帰国する前に、日米間でどのような交流をするべきかというフリーディスカッションがありました。私が大使や広報・文化班の同僚に申し上げたのは、これまで日米関係にあまり関心がなく、関与してこなかったような人にも、これからはもっと積極的にアプローチすべきだ。キーワードは、野球と若い人と軍人と、日米関係を仕事としていないがアメリカで影響力のある人ではないかといったことを話して帰って参りました。

それでは、こうした好意的な対日観というものがどこから来るのかということについて、公使の1人として大使あるいは同僚たちと色々話をして感じたこと、あるいは実際に間近で見た日米関係を通して、もう少し掘り下げてお話ししたいと思います。

イラクに始まりイラクに終わる

先ほど申し上げたように、私がアメリカへ行ったのは2002年9月ですが、2003年3月にイラク戦争が始まり、翌2004年1月には自衛隊の先遣隊がイラクのサマワへ派遣され、同年3月同地に宿営地が設置されると、本格的なイラク派遣が始まりました。ご承知のとおり、イラク情勢は未だに不安定な状態が続いています。私の在米公使としての経験は、イラクに始まってイラクに終わったということができるでしょう。もちろん北朝鮮との問題など、イラク以外にも重要な問題がありましたし、在米期間の終盤には、牛にかかわる問題もありました。しかし、ひとことで言うならば、やはりイラクの問題が一番大きかったという感じがしています。開戦前は、大使館の中でも、日本としてどういった立場をとるのかということについてディスカッションを重ね、そして開戦直後には、ご承知のとおり小泉総理がアメリカ支持を表明する非常にいい演説をされました。その後、自衛隊派遣が決定されるまでも色々ありましたし、今もサマワでの陸上自衛隊の活動について問題になっています。

私が非常に良い日米関係の環境の中で広報文化公使として仕事ができた背景には、やはり9.11同時多発テロ事件以降、特にイラクに関する日本の政策の一貫性というものがあったと思います。一般の日本人はイラクの問題について懐疑的ですし、特にブッシュさんを支持しているというわけでもなく、アメリカの政策を必ずしも肯定しているわけでもないでしょう。しかし、現場にいてアメリカと仕事をした外交官の一員として思うのは、この問題への日本の支持は、アメリカにとって非常に大きな意味を持ち、ブッシュ政権のみならず一般の人であっても、日本への恩を感じたということです。

もちろんアメリカにも、ブッシュ大統領が大嫌いという人が、民主党を中心としてたくさんいるわけですし、イラク政策は間違っているという人もたくさんいます。それにもかかわらず「我が国アメリカの軍隊が危険にさらされている所へ出て行ってくれて、本当にありがとう」と手を握って感謝をされるような経験が随分とありました。一方で、民主党の支持者の中にも「(最後の段階でアメリカを裏切った)フランスだけは許さない」と言っている人はたくさんいます。ドイツに対して、同じように思っている人もいます。フランスは、対米関係において決定的なミスをしたといえるでしょう。それに比して、アメリカが日本に対し同盟国として抱く信頼感は非常に高まりました。それをいいことと捉えるかどうかは、それぞれの価値観によって異なるでしょうが、私は良かったと思います。たとえ規模が小さくとも、限られたことしかできないとしても、積極的に支持をした小泉首相やハワード豪首相、ブレア英首相に対する恩はアメリカの一般国民にも浸透しており、それが対日好感度にも表れているのだと思います。

9.11以降、安全保障の世界では、固定相場制から変動相場制へ移行したように思います。アメリカは超大国一極主義だと言われますが、私の印象では、アメリカが自ら好んで一極となったわけではなく、フランスやロシアといった周辺の国々が皆、ついて来られなくなったという状況に見えます。今、アメリカに必死で追いつこうとしているのは中国だけでしょう。

制約はあるにせよ積極的に協力することによって、日本はアメリカからの強い信頼感を勝ち取りました。その象徴がブッシュ・小泉関係です。新聞にも書いてあったことですが、2人は大変仲がよく、ブッシュ大統領が「どうして、日本は国連安全保障理事会の常任理事国でないのか」と言っていたという話があります。日本の安保理常任理事国入りをめぐっては、アメリカが反対しているという報道がされることがありますが、そんなことはないでしょう。ドイツの常任理事国入りは反対するが、日本だけが入るのなら喜んで支持するというのがアメリカの本音だと思います。

ブッシュ・小泉関係だけでなく、加藤在米大使の存在感も大きく、おそらく今、ワシントンの各国大使の中で最も影響力を持っているのは、英国大使と日本大使でしょう。中国がどれほど大国化しても、アメリカの政権が加藤大使に示す姿勢は、中国大使に対する接し方とはまったく異なります。

民間人外交官としての視座から見た日米関係

民間人として外務省に入り、対米外交の現場を見て、幾つか感じたことがあります。第一に、やはり日米関係のコアは日米同盟だということです。これは経済産業省、あるいは財務省など、それぞれの立場によって多少の異論があるかもしれませんが、加藤大使がよく、「私の任務というのは、日米同盟を維持し発展させるために役立つことは何でもやることだ。文化外交もその観点から捉えているのだ」と言われていたのが非常に印象的でした。同盟の維持、マネジメント、発展というのは、やはり民間人ではなかなかできることではありません。また、主要国の大使というのは、なかなか民間人にはできないだろうと思います。たとえば、日米同盟のようなテクニカルな問題について正しい選択をし、正しい政策を立てていくというのは、経験の乏しい民間人には難しいことです。しかも在米大使というのは、内部では人事やマネジメントも行い、日本の政治に精通し、本省との関係や相手先との長年の信頼関係を築いていなければなりません。

民間人外交官は、できることとできないことがありますから、コアの部分は職業外交官が行うのが、やはり正しいと思います。しかし、対米外交に関しては、職業外交官だけでは良くないと思うところもあります。それには幾つかの理由がありますが、とりわけ、アメリカという国は、基本的に個人対個人の信頼や付き合い、あるいは個人の魅力といったことが大きな意味を持つ国だと感じるからです。外務省には非常に優秀な人が多いのですが、あまり大胆な発言をしたりはせず、何かと慎重に、失点がないように手堅く物事を進めることが重んじられているように思います。私は数回、ワシントンで失言してしまったことがありますが、民間出身だから仕方ないということで、大事に至らずに済んだという一幕もありました。

外務省の外交について他省の人と話していると、外務省は同盟の維持ということには非常に熱心に取り組んでいるが、たとえば経済や金融といったことに関してはあまりよくわかっていないという批判があります。経済産業省から人が行って通商問題に対処し、あるいは財務省から来た人が金融外交を別に行う。これまでは、相互の連携があまりよくなかったこともあったと、聞きます。しかし加藤大使のお人柄もあり、経済産業省から来た公使や防衛庁から来た参事官、財務省から来た公使等、大使館ではみな非常に和気あいあいとやっていましたので、特に隔たりは感じませんでした。ただ、そうした縦割システムの弊害は日本全体としてはまだまだあると思います。民間人としては、もう少しオールジャパンとしてやってもいいのではないかと思います。

小泉首相は「民間に任せられることは民間に」という方針を打ち出されていますが、文化外交において悩ましかったのは、一体どこまでを政府が主体となってやるべきなのかということです。ここにも縦割り行政の弊害があって、外務省の傘下には国際交流基金がありますが、文部科学省にも文化庁があり、文化行事について莫大な予算があります。原則の問題として、私は政府が何でもできるわけではないし、やるべきでもないと考えています。

一方、長い目で見て、政府でなければできないこともあります。例として、政府が主導して最も成功しているものにJETプログラムがあります。JETでは、英語圏の若い人を語学指導や国際事業関連の活動のために日本へ招致しています。私がアメリカ国内の出張で訪れる先々で、日本に興味を持つ若い人たちに会いましたが、その多くはJETプログラムの卒業生でした。余談ですが、あるレセプションで会ったワシントンポストの社主の奥さんは、息子さんがJETで種子島へ行っているため、東京ではなく種子島を訪れ、この島で強烈な印象を受けて帰ってきたということでした。有名な某大使のお孫さんも現在、JETプログラムによって日本のどこかで英語を教えているはずです。こうした文化外交のインフラ的な部分は政府が行うべきでしょう。

対日感情の目立った向上と対米感情との複雑屈折

時間も押し迫ってきましたので、最後にまとめとして申し上げたいと思いますが、本年4月に帰国し、私の目に飛び込んできたのは、日中関係の問題やJR西日本の列車脱線事故の話題でした。個人的には、家電店へ行ったところ、洗濯機や冷蔵庫の性能が驚くほど進化していたことや、MD、CD、DVD、さらに新しいメディアが氾濫していて、びっくりしました。街や地下鉄はどんどんきれいになり、日本は素晴らしい国だということを実感する一方で、日本では日米関係にほとんど関心を抱いていないのか、日本人はアメリカに興味を持っていないのかと疑問に思いました。しかも、日本人の抱く対米感情とアメリカ人が抱く対日感情の間には、ある種のねじれ現象が存在しています。これを、対日感情と対米感情の複雑屈折という言葉で表してもいいでしょう。

先ほど、2004年12月のギャロップ調査で、日本を信頼していると答えたアメリカ人が67%いるとお話しましたが、逆にアメリカを信頼していると答えた日本人は38%、アメリカを信頼していないと答えた日本人は53%となっています。イラク政策の影響もあるのでしょうが、日本人はアメリカに対し、ストレートに好意を示すことが少ないように思います。また日本の政治家は野党を中心に、アメリカへの追随外交をやめろということばかりを盛んに叫びます。それはそれで悪いことではありませんが、アメリカに対してやや構えたような、さらには関心さえ抱かないという日本人の日米関係に対する態度を、少々心配しています。

現在、日本と中国、日本と韓国の間の関係は、なかなか難しく、東アジアの中で日本はつくづく寂しい状況になっています。そういった中にあって、日本にとって最大の財産は、アメリカが日本に対して持っている好意です。ですから、日本として主体的に何をしたいのか、どういう風な日米間の関係を築きたいのかということをアメリカにもっとはっきりと伝えることによって、さらに緊密な関係を築けるのではないかと思います。

ちょうど100年前に日露戦争が終結した時、朝河貫一というエール大学の教授は、日本の対満州政策について、またその結果起こりうる日米関係の悪化を非常に危惧し、『日本の禍機』という著作で次のような趣旨のことを述べています。「アメリカの外交には、国利に動かされているところと、正義に動かされているところの両方があり、その片方だけを見ていると間違えてしまう。もし日米が衝突すれば、アメリカには正義の面が出てくるだろう。そうなった場合に悪者にならないよう、日本は国際的な正義を大切にしなければならない。したがって、日本の対米政策のあるべき姿というのは、最も誠実に清国の主権を擁護し、最も熱心に清国における機会均等を確保する主導者となり、それによってアメリカと競争かつ協働し、共に東洋の進歩、幸福を助成することである。そうすれば、清国に関する日米衝突の理由は1つもなくなるであろう」。この「主権尊重と機会均等」を「自由と民主主義」という言葉に置き換えた時、朝河貫一の言葉は、今の日米関係にも大いに当てはまるのではないかと思います。

質疑応答

Q:

アメリカ国内でも共和党と民主党では対日観が違うのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。また、アメリカと日本は民主主義という共通の価値観を持ち、外交政策においても似ている面が多いと思いますが、対イラン政策や対ミャンマー政策に関しては異なります。こうした異なる政策への対応について、何か感じられたことがあれば教えていただきたいと思います。

A:

共和党と民主党の違いについては、よく皆さんからいわれることです。政権が民主党に代わった場合、対日政策もガラッと変わるのではないかという方もいます。そうした可能性はリスクの1つとして認識しておかなければならないでしょう。ただ、私がワシントンで親交のあった外交安保の専門家の話を聞いていても、それほど大きく変わることはないと思っています。また、中国に対する安全保障問題の警戒感というのは、党を問わず非常に強くなっています。北朝鮮の問題の次は中国の問題となるでしょうから、日米関係が大きくぶれることはないと考えています。
ミャンマーやイラクに対する政策の違いについては、正直なところ私はよくわかりません。しかし、アメリカ政府には内部に色々な意見があり、かなり微妙な舵取りを強いられるものだと思います。また一方で、日米間では目立たないところで協調しているところもあります。こうした問題は、私のわからないところで緊密に協議がなされ、おそらく役割分担などもあるのではないでしょうか。

Q:

お話の中で、日米間の今後の交流のキーワードとして野球等と並んで挙げられていた軍人について、具体的に伺いたいと思います。

A:

軍人というキーワードについてですが、軍人として日本で勤務して、良い印象を持って帰る人は大変多いようです。有力な政治家やその家族の中にも、軍人の家族として日本で生活したことがある人が結構います。そういった人たちを、たとえば日本へ里帰りさせてあげたり、日本の行事に呼んだりするというのは、非常に有効な手段ではないかということです。

Q:

日米外交重視の流れの中、対中外交や靖国問題についての意見は国内でも分かれています。アーミテージ国務副長官からは、最近訪日された際、日本は靖国について中国を気にすることはないという発言があったと思いますが、長期的な日米関係重視の中で、日本の外交はどういうスタンスをとるのが望ましいとお考えでしょうか。

A:

とても簡単にお答えできるテーマではありませんが、1つだけ申し上げれば、東アジアの情勢というのは、日本が努力して良くなる部分と、努力してもどうなるかわからない部分があると思います。そして努力で良くなる部分というのは、やはり対米関係ではないでしょうか。東アジア諸国との関係が良くなるのはもちろんいいことなのですが、どうなるかわからない限りは、わかっているところをまず第一に大事にしなければいけないというのが、私の考え方です。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。