アジア経済の真実-アジア危機後の新パラダイムと中国経済-

開催日 2003年12月5日
スピーカー 吉冨 勝 (国際協力銀行開発金融研究所客員研究員/前アジア開発銀行研究(ADBI)所長)
モデレータ 谷川 浩也 (RIETI上席研究員)
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議事録

モデレータ:
吉冨氏は東京大学で経済学博士を取得され、経済企画庁、国連、IMF、OECDなどで日本経済およびアジア経済の分析にすぐれた業績をあげてこられたエコノミストです。1997-98年のアジア危機について、その前の高度成長の時期との整合性を構造分析され、新パラダイムとアジア経済の課題について研究をしておられます。

東アジアの「奇蹟」的成長と「危機」との間を結ぶミッシングリンクとは

私はアジア危機後の新パラダイムの研究を1999年からADB研究所で4年間しました。その成果は今年の5、6月ごろに英語で発表されたのですが(YOSHITOMI and ADB Institute Staff, “Post-Crisis Paradigms in Asia”)、日本語版が9月に出版されました(吉冨勝『アジア経済の真実―奇蹟、危機、制度の進化―』東洋経済新報社)。言語の違いからか、論理の展開などが原著とはだいぶ違ったものになりました。

1993年に世界銀行の“East Asian Economic Miracle”という報告書がでてから、わずか4年後にアジア危機がおこりました。その間に何がおこっていたのか、私はその問題をミッシングリンクとよび、それを解明すれば「奇蹟」を生んだ強みと危機を生んだ弱点が東アジア経済について明らかになり、新しいパラダイムを考える上で不可欠だ、と思ったわけです。そのパラダイムの適用の応用例として、本日は中国経済について考えてみようと思います。

まず「奇蹟」についてですが、資料1(地域別の経済成長の源泉)を見てください。

東アジアの労働者1人当たり生産の年率は4%とほかの国と比べてかなり高い水準を維持しています。物的資本の蓄積率も高く、ポール・クルーマンがいうには、もし全要素生産性の成長が低いようなら経済成長もやがて止まるということですが、その全要素生産性の成長率もOECDを上回っています。またここにはでていませんが、財政がほとんど均衡している、インフレ率は数パーセント、貯蓄率はGDPの30~35%あるということで、マクロ経済のファンダメンタルズは良好だったわけです。これはラテンアメリカ、アフリカとは違う状況です。

危機がおこった直後に、アジアのクローニズム(縁故主義)が危機をおこしたといわれました。しかし、おなじアジアのクローニズムがなぜ奇蹟もおこしたのか、というのが疑問でした。このクローニズムといわれている実態は何か。上述のミッシングリンクを、一方ではキャピタル・アカウント・クライシス(資本収支危機)というコンセプトを充実化していくと同時に、他方でコーポレート・ガバナンス・オブ・ファミリービジネス(家族経営企業の企業統治)を中心に考えていきました。つまり戦前の日本の財閥のような、大家族経営企業が支配的な経済がどのようなかたちで奇蹟を生み、また危機をも生んだのかということです。

資料2(東アジアの上場会社の究極的支配の構造)

家族企業の富の集中度をみますと、トップ5が全国の株所有の3~4割を占めるという国が圧倒的に多いのがわかります。ただし今日の日本はそうではない。不特定多数の個人の株所有が占めている割合は韓国を除いて小さい、という状況です。したがって株式市場に基づいたコーポレート・ガバナンスがこのままではうまく働かないということがわかります。奇蹟をおこしたという面からいいますと、家族企業、政府、銀行の三角関係が輸出主導型の経済成長主義政策のもとに、さきほどお話したマクロ経済上のパフォーマンスを果たしたわけです。その場合、銀行は支配構造のなかでは下位に位置していたので、戦後日本のメインバンクのように借手大企業と対等もしくはそれ以上の立場で銀行が企業を統治していたのではないか、という仮説は、アジアでは成りたちにくいです。

では家族企業の統治はどのように展開されつつあったのでしょうか。日本の財閥は戦後、独占企業ということで批判され、解体させられましたが、当時の企業統治について、東大の岡崎教授の研究のように、うまくいっていたのではないかという説もあります。家族企業イコール悪という、欧米のエコノミストの説は必ずしも当たらないのではと思います。

この三角関係の中で政府は権威 主義的な開発独裁国家でした。しかし、輸出志向の成長主義と結びついて成功をもたらしたわけです。その権威は成長過程を通して所得の増大とともに、中間所得層が育成され、正当性を与えられてきます。その同じ制度が金融と資本勘定の自由化のなかで、銀行や企業のリスクをとる行動をコントロールできなくなりました。

88年から実施された資本勘定の自由化と、その前から始まっていた国内の金融市場の自由化があいまって、資本が大量にはいってきました。国内の金融市場の自由化と資本勘定の自由化が結びついたとき、どういう問題がおこるかというと、アジアに先立ち、スカンジナビア半島の金融危機にそれがあらわれました。IMFはそれを研究し、結論として、借り手の動向が変わり、銀行のフランチャイズバリューがついては下がって、銀行は新たな利潤の場をもとめてリスクの高い貸出行動をとる傾向がある、ということでした。借り手はそれを使い、不動産投資が急増するわけです。自由化が貸し手と借り手のインセンティブを変え、リスク志向性の強い行動をとり、それがバブル経済を生み、銀行不況を生むというのは、かなり一般的に世界経済の中で観察されることでした。ところがアジアで危機がおこったときには、そういう一般的な見方ではなく、非常にイデオロギー的な見方が支配的になったのだと思います。

上記の政府、家族企業、銀行の三角関係は、輸出振興政策が企業を国際競争市場にさらけだしたため、経営の効率を高め、規律を強めた。だが不況になると、大家族企業や大銀行を政府が救済したので、次第にモラルハザードが浸透していった。そうした中で資本勘定の自由化の下、地場銀行は海外資金を取り入れます。90年代の景気上昇過程に必要とした設備投資の資金の源泉の4割を短期の海外銀行からの資金で仰いだ。新興国の景気上昇期の設備投資が相当部分、海外の短資で賄われたことは、あとで述べます資本の逆転代流出の引金を引いたのは何かという仮説を考える上で、重要な要素です。

資本収支危機はどういう形でおこったか。単純にいいますと大量の資本流入があり、突如、大量の資本流出があったということです。

資料3(東アジア危機国の資本収支危機下の国際収支の大変動)にありますように、資本収支の商業銀行のところを見ますと、96年には653億ドル流入してGDP比では6%あったわけで、経常収支の赤字546億ドルを上回っています。これは危機の直前の基本的な特徴です。98年のところを見ていただくと350億ドルの流出ですから、資本収支の黒字から赤字へのスウィングの大きさはちょうど1000億ドル、GDP比で11%弱ということです。一方経常収支は96年のGDP比マイナス5%は、2年後に一気にプラス7.7%になっています。こういった経常収支の大きな変動というのは、資本収支が動いた結果として生じています。では、商業銀行の資本収支を動かしたものは何か。マクロ経済のファンダメンタルズ、つまり財政・インフレ・貯蓄などのパフォーマンスが悪いときには経常収支が悪化します。私は70~74年にIMFで働いていたのですが、そのときに扱った危機国は全部、マクロ・ファンダメンタルズが悪かった。まず財政赤字が大きくなり、それを中央銀行の通貨発行で賄うので、インフレになる。そういう国には外国の融資がこなくなり、外貨準備が減るので、IMFを頼ってきます。そこでIMFが出す融資条件は、まずインフレを抑えることと、為替レートを切り下げることです。そして輸出産業が伸びるような構造改革上の政策をすすめます。これは定番です。

ところがこうした経常収支危機とまったく違ったのが、アジアの資本収支危機でした。

資料4(アジア資本収支危機発生のメカニズム―通貨危機と銀行危機)はそれをまとめたものです。

左側はマクロ、右側はミクロの視点でまとめてあります。

まずマクロのほうで、「大量」の資本流入に特徴があります。「大量」とは経常収支赤字をはるかに超える資本が流入したということで、その結果、国際収支は黒字となり外貨準備の急増、マネーサプライの増大、内需の拡大となり、経常収支赤字の拡大につながる。これが資本収支危機の序幕となった。

そして右側をみていただくと、米ドル建て短期中心の資本流入が特徴です。それが短期で借りて長期で貸す(満期上のミスマッチ)、外貨で借りて自国通貨で貸す(通貨上のミスマッチ)というダブル・ミスマッチをおこし、地場金融機関のバランスシートが急激に悪化する下地が出来上がります。

このマクロとミクロの特徴が組み合わさったときに、通貨危機の第1世代モデルのように経常収支赤字から発生するのでもない、第2世代モデルのように財政から発生する危機でもない、第3のタイプの危機となります。これが資本収支危機ですが、この第3世代のモデルの定式化は、まだ誰にもできていない。

景気上昇過程で流入していたこの外国資本、日本の資本が6割ぐらいですが、なぜ突如として大量に流失していってしまったのかが問題です。私は景気循環仮説をとっています。アジアの景気上昇期に資金需要の4割が外国の短期資金で賄われていて、景気の後退とバブルの崩壊が生じると、銀行の貸出態度は当然、後ろ向きになり、外国銀行にそれがおこるとどうなるかというと、まずは資本の流入のテンポが抑えられます。すると経常収支の赤字がすでに膨らんでいるところへ資本収支の黒字が小さくなるわけですから、国際収支は赤字になります。だから外貨準備が減ると、投資家が通貨の空売りを始め、外貨が涸渇して、為替レートが下落し始める。すると通貨上のミスマッチ(カレンシー・ミスマッチ)が表面化し、債務が外貨建てなので急激に膨張する。

地場銀行が資産を処分しようと思っても、資産は銀行ローンなので簡単に売買ができません。借り手企業の情報が標準化されていないために銀行ローンの価格決定ができないので、投資が出来ません。無理に整理すれば銀行の損失が増えます。このように資産も負債もバランスシートが悪化して、そうなると、さらに外国銀行が融資を引き揚げるという悪化のスパイラル現象が生じます。先ほど見たように、1年で資本がGDP比11%も資本流入が減ったら、どこの国だって大変なことになると思います。

資本の大流出が生じると、銀行危機が生じ、そのため国内需要が落ち込みます。すると輸入が減少し、経常収支が回復する。すると国際収支の均衡回復、為替の安定化がおきます。それがわずか危機後1年半の間におこったわけです。こういう予測はだれもできませんでした。

内需の崩壊については、資料5(資本収支危機下の内需の崩壊、1988年)に挙げた通りです。 この東アジア資本収支危機の特異性ですが、資料6(東アジア資本収支危機の特異性)はIMFがまとめた表の1つです。IMFは経常収支危機に対する処方箋を、資本収支危機に陥っているアジアに適応してしまいました。資料6のIMF予測エラーでわかるように、資本収支危機はIMFの予測から大きくはずれたものでした。つまり第3世代のモデルの危機には対処できなかったのです。

新しい「中間的」金融市場構造の重要性

さて「奇蹟」を生んだ仕組みとして、家族経営、銀行、政府の組合せがあって、しかも金融市場は80年代おわりまでかなり規制されており、自由化されても制度そのものはあまり発達していない。ここでいう制度とは、一般的に金融市場を支えるうえで最小限必要な法制度を含む基本の制度です。

資料7(制度の質と1人当たりGDPの関係―1998年)資料8(金融市場を支える制度(institutions)―レベル、役割、時間軸)を見てください。

資料8にありますように、レベルIとして基本の制度ですが、法の整備など、ゲームのルールを正式に規定すること、それを前提にして、レベルII銀行部門を支える制度、レベルIII資本市場を支える制度があります。銀行部門を支える制度と資本市場を支える制度とはまったくといっていいほど、性質が違います。それは銀行融資の性格が証券とは違うというところにあります。

金融自由化をしたときに、先進国並みの制度インフラが発達していなかったから危機が生じたのだ、という話をよく聞きます。ベストプラクティスを導入していなかったから危機がおきたのだ、という考え方です。しかし実際には、個々の国にいきなりベストプラクティスを導入することは出来ません。1人当たり500ドルの経済を、3万ドルにキャッチアップするにはどうすればいいのか。グロースセオリー(成長論)がまずあり、成長のためには、資本の蓄積や教育が必要で、全要素生産性(TFP)を上げることなどが重要です。アジアでTFPを上げたのは何か。単純な資本の蓄積(accumulation)ではなくて、外国からの技術の同化(assimilation)作用があった、というのが、ネルソンやゴードンの説です。そのようにして、だんだん1人当り所得をキャッチアップしていくのです。それなのに、金融市場を支える制度インフラについては、いきなり先進国と同じようにベストプラクティスを実行せよ、というのは無理ではないでしょうか。

自由化をしたときになぜ危機がおこるのか。自由化をすると、リスク志向性の強いの行動が借り手にも貸し手にもおこる。そうした行動から生じる新しいリスクは、既存の制度ではそれをコントロールできないのです。エンロンの問題で明らかになったように、あれほど金融の監督、審査の制度が発達していると考えられていたアメリカでさえ、エネルギー取引きの自由化、新しい金融手段の登場の下で生じていた新しいリスク志向の行動を見逃してしまったわけです。自由化は必ず新しいリスク志向の行動を生みます。既存の制度と新しいリスク志向の行動との間にあるギャップ、それが危機をもたらすのではないかと思います。

それでは制度の発達段階とはどういうものか、ある程度数量化しないと議論ができません。

資料7では制度の質と1人当たりGDPの関係を示しましたが、相関度はあります。でもこの表から因果関係はわかりません。制度の質が成長率を高めるとしたら、技術の場合と同
じように、TFPの上昇率に貢献しているのではないでしょうか。 この仮説の1つを示したのが、資料9(制度の質と1人当たり所得の回帰分析)です。

これを見ると、制度の質の改善が原因になって1人当たり所得が決まってくるかも知れない、ということがいえます。

つまり、制度の質を高めないまま自由化をすすめると、そこから資本収支危機が発生するかもしれないということです。

中国経済に必要な包括的政策体系

では中国はどうなのか、といいますと、資料10(数量指数:制度の質、資本勘定の開放度、国内金融の自由化度)を見てください。

中国の中核的制度の質は10点満点で、たったの1.6です。危機経験国は4.6です。これは1998年の数値ですが、この段階で自由化をしたら、資本収支危機になることが予想されます。この制度の質を高めるために、中国は相当努力しないといけないと思います。特にWTOに加盟しましたから、金融サービスの自由化が進むとこれからどんどん外国の金融機関がはいってきて、人民元と外貨の間の交換が益々自由になり事実上の資本勘定の自由化が数年のうちに始まるでしょう。

危機というものは必ずきますが、その性質はそのときによって違います。

資本収支危機は私の造語ですが、世界的に定着してきました。ただ、ロシアやブラジルのようにマクロ・ファンダメンタルズのよくないところは当てはまりません。アジアのように、マクロ・ファンダメンタルズに問題のない国におこる危機をいうのです。問題がなかったからこそ、アジアの固定相場制をみんな信用したわけです。

中国の場合、新しい制度作りの課題は大きいです。

資料11(中国の金融改革の順序――新しいリスクと制度の構築)にまとめました。こういう順序でやっていけばうまくいくのでは、と思います。

不良債権の処理ですが、これがうまくいかないのは、国有企業の国による所有比率が51%というのが原因だと思います。むしろ100%なら共産党がしっかり国有企業を管理出来るのでいいのですが、51%では中途半端です。経営者が自由勝手な行動をとる余地を作っているからです。

次に、資料15(アジアの金融市場構造)資料16(フロートの恐怖―為替レート、外貨準備、金利の変動)を見てください。

先ほど少しふれましたが、金融市場と債券市場の構造はまったく違います。債券市場はインサイダー取引などが多く、それにだまされるのは個人の投資家です。個人はあまり情報をもっていないので、情報公開が必要になるわけです。嘘の情報を流したら、罰則が必要です。だれがその規制の責任をもつかというと、SEC(証券取引委員会)です。

銀行制度の場合、監督する大銀行の数も限られていますので、比較的途上国に向いています。

しかも銀行が債券を発行したり、民間債を買ったりする動きが見られます。

金融市場が弱いと為替レートに反映してくるわけで、最近「フロートの恐怖」ということがいわれています。南米などのマクロ・ファンダメンタルズのよくないところに起きていました。先進国なら為替市場に介入すればそれで済みます。しかし途上国はそれだけでは安定しないので、金利政策も使います。メキシコやインドを見ると、名目金利の変動率が大きい。金融市場が未発達で制度インフラが弱いときには、変動相場制が、為替レートのvolatilityを高め、金利政策まで導入しなければ安定しないということです。それによって国内の金融や資本市場も変動しすぎるようになります。

次に資料17(貯蓄・投資バランスの逆転―アジア危機の前と後)ですが、危機の前は経常収支は赤字、投資が貯蓄を上回っています。しかし危機の後(2000年)では、貯蓄・投資バランスが逆転しています。インドネシアでも投資率が危機前よりかなり低くなっています。潜在成長率は5%程度だと思います。これを貧困問題との関連で考えると、新規労働力を吸収できるほどの成長率ではない。貧困の問題が解決できるか、疑問です。

これらを頭において、再び中国についてですが、中国が危機をおこさなかったのは、大きな貿易黒字のせいもありますが、資本勘定が閉ざされていたためです。自由化にともない、資本が動くということを頭に置いておいたほうがいい。

アジア危機後の新パラダイムのなかで中国経済はどう動くか。

資料18(中国の主要な経済指標)に主な指標を挙げました。注意しないといけないのはマネーサプライ増加率で、最近猛烈な勢いで増えています。20%というのは多すぎると思います。インフレになる可能性があります。

一方、世界はアメリカの経常収支赤字を中心に暴走しつつあります。(資料19 世界の新しい経常収支のインバランス

アジアは、危機の後は上述の国内投資/GDP比率の低下から経常収支の黒字を出しています。中国を見るとかなり黒字が膨らんではいませんが、日本はあまり変わりません。私はちょうど20年ほど前にOECDで働いていましたが、アメリカの財政赤字の急増が一方で内需を拡大し、他方でドルを強くし、日本の対外黒字をつくる、という関係がはっきりしていました。そして85年のプラザ合意で、世界的な経常収支のインバランスの調整が始まりました。私は2005年にパンパシフィック・アコード(汎太平洋協定)があるのではないかと思います。今対立しているのはアメリカ対アジア全域です。そういうときに為替レートの調整をどうするか。相手国の内情を知らないで要求してくる米国から、押し付けられた政策ではなく、アジア危機後の新パラダイム、つまり中間的な金融市場構造とか、中間的為替レート制、東アジア通貨基金、「最後の貸し手」的な機能をつくることなどに結びつくようなアジアの通貨調整はどうあるべきか、これを今から考えていく必要があります。東アジア通貨基金をつくると加盟国の経済状態の調査、監視がおこなわれるので、適切な財政・金融政策がおこなわれるようになるのではないか、と思います。

質疑応答

Q:

中間的為替レート制とはどういうものでしょうか。

A:

中心レートの回りに為替レートの変動を許すバンドを設けます。バンドの幅は、私は5~20%くらいが適当と思っていますが、中国の場合は5~10%くらいがいいのでは、と思います。次に、中心の為替レート水準をどう決めるかというと、中国も最近はマルティプル・カレンシー・バスケットを考えていると思います。その中心のレートが中国の国際競争力を適正に反映しているかどうか。それが一番大事な問題です。あと、それを公表するかどうかという問題がありますが、私は公表しなくていいと思います。中心レートは国際インフレ差を反映して調整されます。

Q:

「奇蹟」における直接投資の役割について、中国でのことも含めて、コメントいただきたいのですが。

A:

韓国、台湾ではあまり直接投資(FDI)は歓迎されなかったのですが、ほかのアジア諸国では大変歓迎されました。まず外国技術の同化に役立ったと思います。次に、地場の企業に比べて、FDI企業のほうが、輸出構成が高度化しています。FDIが東アジアの全要素生産性を上げたのではと思いますが、まだ結論はでていません。
中国においては、全輸出の5割以上がFDI企業のものです。ASEANにいっていたFDIが、みんな中国に行ってしまった感はありますが、資料12(国際分業の3つのタイプと地域内の水平分業)を見てください。今まで貿易のパターンというと垂直分業と水平分業しかなかったのですが、垂直的産業内分業が重要になってきます。EUの中はかなり発展段階が似ていて、お互い同じものをつくってもうまくいっています。伝統的な産業内水平分業です。しかしそれは中国、アジアではうまくいっていない、といわれるので調べてみたら、垂直的産業内分業が増えていました。また、資料13(エレクトロニクス生産のグローバルネットワーク)でエレクトロニクスの例を挙げましたが、中国に発注されたものがグローバルネットワークで世界中をまわっているのがわかります。また、関税が下がってきているので、こういう状態なら、FTAより関税同盟を結んだほうがいいように思います。

Q:

金融市場を支える制度について、銀行と債券市場とのもっともよいバランスについて、どう考えればよろしいでしょうか。

A:

銀行中心にならざるを得ない、発展段階があるということです。しかし銀行だけでリスクマネジメントがうまくいくかというと、そうではない。そのリスクマネジメントは、金利が自由化されている市場を必要とします。金利が自由化されているというのは債券市場です。だから銀行も債券市場も両方必要です。ところが銀行と債券市場の制度インフラは全く違うので、それが難しいところですが、なんとかやっていくしかないというのが結論です。

Q:

人民元のマネーサプライが増えているということですが、ベースマネーは増えていないということで、不胎化がうまくいっているので中国は大丈夫だという話がありますが、どう思われますか。

A:

不胎化をするためには、中国の中央銀行が短期証券を発行しなければなりません。それでベースマネーを市中からを引き上げ、インフレを防ぐわけです。ところが短期証券を大量に発行すると、その金利が上がりますから、そうすると資本がはいってきやすくなるし、だから不胎化政策にも限度があると思います。一方アメリカは、赤字をファイナンスするのに必要な資本収支の黒字が得られなくなると、国際収支が赤字になって、為替が下がるわけです。2年後ぐらいには、日本の70年代初頭の円切り上げと85年のプラザ合意の頃と同じ状況が、中国に対していっぺんにやってくる可能性もあります。したがって中国の制度インフラの構築は、時間との競争だと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。