『三位一体改革』の成果と課題

開催日 2003年7月4日
スピーカー 土居 丈朗 (RIETIコンサルティングフェロー/財務省財務総合政策研究所主任研究官/慶應義塾大学経済学部客員助教授)
モデレータ 喜多見 富太郎 (RIETIコンサルティングフェロー/METI経済産業政策局産業組織課課長補佐)
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議事録

コメント

1997年に『地域経済レポート』を編集した経験があります。その時に三位一体改革のような議論をすると大騒ぎになったことを思い出しました。5つのコメントがあります。

1. 交付税の議論は大賛成です。本件を議論するときには大事なことが2点あります。第1に、トータルなシステムが十分に提示されていることです。現行の地方財政制度はある意味よくできていて、1つの部分を触れば、他の部分にも響きます。だからこそ、トータルなイメージが重要なのです。お話しを聞いていると、ナショナルミニマムが抜けていると思いましたが、最後には出てきたので評価できます。第2に、ミクロの正当性が重要です。特に、税金の部分を聞いていると、住民は逃げないので、住民との間のやり取りは正当化できるが、残りの部分については首を傾げてしまいます。たとえば、ホテル税については、応益ということを考えてみた時、安全な街を維持し、街路樹をきれいにしているのは東京都であり、だからこそ泊まりに来るのではないかと反発があるでしょう。それは広い意味での応益ではないでしょうか。それでは、変わる理論は何でしょうか? 経済的なインセンティブですべて説明できると思います。たとえば、応益を考えても住民が逃げるか逃げないか考えても、更に市長の立場を考えると選挙で当選できるかできないか考えても、分権的なチェックのシステムが、今の地方自治・財政制度ではできていません。インセンティブを内部化するような制度改革を考えなければなりません。インセンティブで説明すれば、すべてできると思います。

2. 税金の問題について、課税自主権は当然であります。課税したいのは自治体であり、与党の人たちであり、市長であり、町長であります。その人たちが20年後の経済や国の経済のことまで考えるかというと非常に危ないです。たとえば、イギリスのサッチャー首相の前の労働党政権の時、大ロンドン市はグチャグチャになりました。サッチャー氏はそれを改善するために日本では人頭税などを導入して、けしからん奴となっています。しかし、企業に対する課税自主権を取り上げたというのが一番大きなポイントです。金持ちばかりに課税したりすると金持ちは逃げます。だから、累進率も決めてしまうのです。住民と約束した累進率でどのくらいのレベルで取るのを課税自主権として与えることが大事です。制度的に課税自主権を認めるにしても、取っていい税金といけない税金を区別して、少し制度的にたがをはめないといけません。銀行はけしからんから税金を取ってしまえという発想は違うと思います。

3. 地方税の問題を議論する時、応益ということが大事です。しかし、応益を語る時、定性的に議論されがちです。地方法人税はいらないと指摘されましたたが、そうではなく、地方法人税をもしやるのであれば、それは応益でやるべきなのです。ただし、企業がどれくらいの応益をもらっているのか、もらっている応益で課税することを原則化すべきであると考えます。

4. 交付税についてはまったく賛成です。しかし、一番大事なのは日本の制度は独立採算ではないということです。外国の諸制度の変遷を辿ってみると、日本と外国が根本的に違うのは、外国では独立採算の上でいろいろなことを考えて改革しようとしている点です。日本は独立採算ではないところで改革しようとするから、わがままな輩がいっぱい出てくるのです。一番大事なことは交付税も地方債も独立採算が原則であり、これがモラルハザードを防ぎます。そして、これこそがインセンティブを内部化する制度です。

5. 財政調整についてですが、ナショナルミニマムを直接配ればいいと思います。イギリスなどがそうですが、これらをもっと声高に主張しないと、田舎は見捨てることになってしまいます。四位一体というのもいいですが、ナショナルミニマムを主張しなければいけません。ではどうやるのでしょうか? 地方制度審議会などで毎年ナショナルミニマムの水準を決めればいいと考えます。国の予算のターゲットになります。そうすれば、総務省も十分な仕事が発生し、失業することの恐怖心から逃れることができます。それに類似するものは税調や関税審議会があります。そのお膳立ては関税局や主税局がきちんとやるので、ナショナルミニマムの水準を定めることは決して無理なことではありません。これらを国のルーティン化としてやれば問題ないはずです。収支差補助などもやめて、出発すれば、全体のシステムの設計もできます。また、それがインセンティブになり、モラルで縛られた地方制度ができるのです。

質疑応答

Q:

差額補填方式を廃止するにはどのような道筋で廃止できるのでしょうか? 留保率を徐々に引き上げていくことが考えられますが、いかがでしょうか?

A:

最初は差額補填方式の支出と収入の話の中のどちらか1つにするということです。私が思い描いているのは、ナショナルミニマムを保証する制度として全額国が負担するのです。基準財政需要額のナショナルミニマムと思しき部分は最後には残ります。基準財政需要額の余分なところを削り、同時に留保財源率を上げて(基準財政収入額がなくなっていくことを意味する)、国に財政力があれば、基準財政収入額をなくしてしまってもいいのです。たとえば、市町村の教員の給料を全部国が負担し、国税で財源を負担できれば、差額補填方式の話は一気に片付いてしまうでしょう。税源移譲で国税が減らされようとしていく中でナショナルミニマム保障できるほどの財源を国が持とうとすると、国税の税率を上げていかなければなりません。すると、税源移譲がある程度のところで止まり、国税が減らされないように食い止めつつ、基準財政需要額を精査して余分なところをどんどんカットしていきます。基準財政需要額は減るのでそれに比した形で、もしくは上回るスピードで基準財政収入額を圧縮します。残る基準財政収入額は計算上なくなり、基準財政需要額としてナショナルミニマムを補填するものがあり、その額と同額の支出金を国が出すことになります。そうすれば、ナショナルミニマムを保証する制度に持って行くことができるのです。

Q:

自治体間の財政力格差の水平的調整についてお伺いします。特段の水平的調整スキームを考えているわけではなく、ナショナルミニマムについての使途を特定した上で国庫支出金として整理するという理解でいいでしょうか?

A:

その通りです。

Q:

都道府県合併促進という話がありましたが、道州制への移行の道筋についてお聞きしたいです。

A:

今ある国の省庁の各地方の出先支分部局を核にして、都道府県からある程度の権限を寄せて、新たに自治体を作るのが1つの可能性です。歳出権限を移譲することになっていますから、今の地方整備局などが「道州政府」として広域的な公共事業をやります。財源は自分で調達できるよう徴税権を付与します。その意味では、財務局もつけてしまうのです。トップダウンでうまくいけばトップダウンですればいいし、ボトムアップでうまくいくなら、ボトムアップでいけばいいのです。ボトムアップのシナリオは一部事務組合を作ることです。まず、都道府県単位である1つの行政サービスについて共同経営をします。企業の合併を想定するとすぐに分かりますが、市町村合併でもそうです。いきなり対等合併、完全統合ということにはならないのです。最初は業務提携、地ならしや場慣れからはじめます。ではなぜ自治体はそうしないのでしょうか? 自治体も禁止されているわけではないのですが、合併特例法ができ、ついそちらの方にメリットがあるとしていきなり完全統合と考えてしまうのです。一部事務組合を作り、相互に費用を負担する自治体は特別地方公共団体として存在し得て、今の法律を改正しなくてもできます。まさに企業が合併する前の業務提携のようなものです。複数の自治体同士で一部事務組合を作り、だんだん範囲を広げていけば、やがて合併しましょうということになります。その時の唯一の問題は選挙権、議決権との絡みです。一部事務組合は直接住民が投票し行政サービスを争点にするわけではないので、間接統治責任になります。それを回避するためには移行期間を短くします。都道府県同士で事務組合をはじめ、部分提携から完全統合へ移行すればいいと考えます。

Q:

先程の最後の点に関して、道州制につながる都道府県合併の話と市町村のレベルの話が混同しているように見受けられるのですがいかがでしょうか?

A:

一部事務組合は市町村レベルで、道州制につながる話は都道府県です。市町村合併は根本問題であり、都道府県レベルの道州制の問題は政策問題です。前者は比較的簡単な話で、インセンティブで独立採算と住民に対する選択的支出に対する支出の費用は住民にしか取ってはいけないとすれば、あっという間に合併することが可能です。小さな自治体で議員ばかりを養っている余裕は住民にはなくなります。ただし、それは住民が選択すればよいのです。たとえば、フランスにも人口2000人程度の小さな自治体はあるが、役所は毎日開いていません。学校の先生などが水曜日の午後に市役所を開けるのです。それでも、隣の街に飲み込まれるよりは、小さくまとまっていた方が心強いと考えています。日本は隣の街に飲み込まれるのは嫌だが、カネだけはいっぱいくれという、これは独立採算になっていないことの問題点です。総務省は上から少しインセンティブをあげて、頭のいい人達は理解し合併しはじめましたが、責任の部分まで追求してきちんとやっているわけではありません。道州制になると、小さな県といえどもたくさんの部分は揃っているので、インセンティブでやっていくのは無理でしょう。しかし、道州制の今のレベルにあわせたらどうかと、国からの働きかけや自治体の自発的気持ちもあるかもしれないので、政策的議論をして決めていくべきです。

コメント:

私は地方に在勤した経験があります。地方分権ということはコンセンサスのようになっていますが、日本国民に本当にコンセンサスがあるのかというと、あまりないと思います。地方分権とは差が出ることを認めることで、ある地域とある地域とが税金が違う、サービスが違う、公共料金が違うということを是認するということなのではないでしょうか? あるテレビ番組で違いは許せないという特集がありました。筑波のある地区の水道料金は簡易水道で2000円と、とても安い一方、市の運営する公共水道料金は9800円です。この違いはおかしいじゃないかと報道していました。地方分権とはある地域とある地域が税率だけではなく、公害の規制値が違うなど、そのようなことを受け入れるコンセンサスがあるのでしょうか。マスコミの報道を見たりしますと、極めて悲観的です。また、警察がナショナルミニマムだというのは最近の話です。戦後、国家警察はダメだとなり、警察は自治体が担当すべきとなりました。わがままな人にとっては水道も教育もすべてがナショナルミニマムなのです。ナショナルミニマムをどれだけ広げて、限定して考えるのか、地方分権という基本的なことを受け入れられるか、日本人全体の中で、課税権を議論する前に、地方分権の中身が分かっていないと考えます。

コメント:

地方債の議論を興味深く聞きました。私は格付けに従事していますが、総務省からは認知されておらず、むしろ余計なことをするなと言われています。2通りの起債をやり、発行金利がなくなってきています。しかし、27発行団体も金利は同じでしたが、セカンダリーマーケットでは違います。違いがあるから、投資家から説明を求められ、民間格付け会社としてやっていますが、旧自治省からすると、暗黙の保障があるのだから、違いがあるとすれば流動性の問題だといわれています。したがって流動性を解決するために2通りにしてやっています。根本的発想として、地域的なピアプレッシャーが働くようなグループで発行しようという発想ではなく、先生のお考えになっているものと今の総務省がやっていることは違うのです。総務省は共同発行団体である27都道府県団体を保障します。しかしその中に念書があって、それぞれの歳出や割当額については責任を持ち、他の都道府県に責任を求めないという念書があります。通常は保障が上部で念書が下部ですが、議会対策で念書が上になっています。財政需要のコントロールを議会でする発想になっていないのです。個別に財政力状況に応じて格付けを使い発行条件の違いを認めて市場でやればいいと考えます。小さな団体になれば共同発行でいいですが、その際は念書がなく、保障するなら保障することを住民に訴え、確認を求めて発行すべきです。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。