人口の地域間移動からみた中国経済発展

開催日 2003年4月8日
スピーカー 孟健軍 (RIETIファカルティフェロー/中国清華大学公共管理学院教授)
モデレータ 関志雄 (RIETI上席研究員)

議事録

モデレータ:
孟先生は中国北京のご出身ですが、日本の東京工業大学で開発経済学を学ばれました。その後、拓殖大学国際開発学部の専任講師となられ、2001年から中国清華大学国情研究中心教授、さらに一昨年からRIETIファカルティフェローも務めておられます。
孟先生は東京と北京の両方に拠点を置いて活動しておられます。中国ではこのような方を「渡り鳥」と呼んでいますが、外国の最新の情報を中国にもたらし、またその逆に中国の最新の事情を世界に広める役割を果たしておられます。
先生のご専門は地域と人口・労働力という観点から中国の経済発展をとらえる、というもので、昨年も中国の労働雇用問題についてお話しいただいています。

スピーカー:
中国はこの20数年来、年平均10%に近い経済成長をとげています。中国の経済発展を理解するためのキーワードが、最近大きく変化しました。昨年11月の共産党大会以来、全面的な「小康社会」という言葉が盛んに使われるようになったのです。この言葉はこれからの中国経済発展のシンボルでもあり、目標でもあるとして使われていますが、外の人間には少しわかりにくい言葉だと思います。

全面的な小康社会 中国経済発展の1つのキーワード

この「小康社会」という言葉には3つの側面があります。

1つはこれからの中国経済発展のシンボルであり目標であるということです。次には、これまで中国で20世紀を通して論争されてきた社会主義か資本主義かといったイデオロギー的な考え方を乗り越えたものであるということです。3つ目として、中国では歴代の思想家と政治家達が追求してきた「大同思想」という理想に対して、_小平以降の中国はより現実的な「小康社会」を求める姿が現われているということです。この言葉は日本語でいえば「いくらかゆとりのある社会」ということで、日本の方はまだ漢字から意味を理解しやすいのですが、英語など他の言語に翻訳しようとすると当てはまる言葉がありません。

「小康社会」という考え方がどこから生まれてきたかというと、紀元前1世紀、漢の武帝のときに儒教の経典「礼記」の中に1つの社会形態として登場しています。これからの中国はそういう、いくらかゆとりのある小康社会を現実の目標として目指すということです。

ところが、中国ではこの小康社会を達成するためには、いくつかのハードルを越えなければなりません。まずここに3つの重要な数字があります。まず7.1%ですが、これは世界の総耕地面積に占める中国の耕地面積の割合です。そして21.2%と26.3%ですが、これは2000年時点において世界全人口に対する中国の人口割合と世界に占める中国の労働人口比率です。つまり少ない耕地でそれだけの人口を養い、それだけの労働力に仕事を提供しなければいけないという、世界中に例のないような難問が現実的に直面している国、というところもあるわけです。ですから私は、この人口・労働力問題というのを常に頭に入れて研究を進めています。

人口の地域間移動

今日は中国の地域間人口移動を通して中国経済発展との関係をみるというお話をしてまいります。取り上げている数字は全部人口センサスからの資料です。

中国の人口センサスは1953年、64年、82年、90年、そして2000年、過去5回に行われています。人口移動を調査し始めたのは第3回の1982年の人口センサスですが、本格的に人口移動を把握しようと考えられたのは、87年頃に農村労働者が大量に都市に流れ、これを把握する必要があったからで、90年の第4回の人口センサスに初めて人口移動に関する調査項目が盛り込まれました。

人口センサスにはその時点から過去5年以内の移動と移住について、現住地と戸籍地が離れているということを定義としているが、これを移動人口と私はみなしています。一般的に中国では人口センサスは調査結果をまとめるのに少なくとも2年ないし3年かかります。私が93年に東京で初めて出した論文は90年のデータに基づいています。

数字でみますと1982年の総人口が10億800万人あまりですが、1人っ子政策が厳しく行われたこともあり、2000年の総人口は12億6500万人で、平均増加率は1.3%と、低い数字です。しかし移動人口でみますと、1982年当時はまだ戸籍制度が非常に厳しくて、移動は少なかったのですが、移動人口数が1134万人(1.1%)でしたが、この18年間の平均増加率は15.2%に達しています。2000年時点ではすでに1億4439万人が移動していて、総人口に占める移動人口の比率でみますと11.4%です。これは、2000年まで過去5年間に人口1000人当りで114人は自分の住んでいるところが替わったということになり、いかに移動が激しいかがわかると思います。また、1982年から2000年の人口移動は15.2%で、同期間の実質経済成長率は10%ですから、その1.5倍のスピードで人口移動が行われていることになるのです。

中国では厳しい戸籍制度はいまだに残っています。しかし、中国では戸籍制度が二重の意味を持って、一般的に人々を農業戸籍と非農業戸籍に分けているが、農村か都市に住むことによって意味が違います。農村で農家に生まれた人々はずっと農業戸籍であり、都市で生まれた子供は非農業戸籍になるわけです。また農業戸籍の場合は農村で土地がもらえますが、非農業戸籍の場合は食糧と賃金の保障を受けています。しかし、農村で働いている者は同じ家族でも都市のような非農業戸籍の人もいる、というかなりややこしい区別が存在しています。

それによって中国の人口移動には2つのパターンが存在します。1つは戸籍を伴う遷移人口移動、もう一つは戸籍を伴わない流動人口移動、つまり出稼ぎ労働者はほとんどこの流動人口移動であります。1987年頃に大量の農民が都市に流れたうち87%はこの流動人口です。つまり90%近い人が戸籍を伴わない移動をしているということで、戸籍制度というものが徐々に形骸化しているということです。

地域・省別の移動人口

中国の人口移動は沿海部(東部)、中部および西部(内陸部)という大きなエリアに分けてみることができます。2000年には沿海部は過去5年間ですでに8416万人が移動しています。中部と西部でもそれぞれ3649万人と2374万人に達しました。この移動とは流入地域からみた数字を表しています。1982年の数字をみますと、沿海と中部の移動人口はそれぞれ455万人でさほど変わらないのです。しかし、1990年と2000年になりますと、沿海部はどんどん移動が激しくなっています。沿海部では2000年にほぼ6割の人口流入が発生していますが、中部では割合が下がっています。西部では割合が1990年にいったん上がったが、また2000年に下がっています。

中国には31の省(一級行政地区)がありますが、そのうちのいくつか主要な省の移動者数をみますと、2000年に北京の場合は464万人、上海でも539万人、四川と浙江ではそれぞれ929万人と860万人ですが、一番凄まじいのは広東です。広東では1982年には6000万余人口のうち49万人が移動人口ですが、2000年は8600万人のうち2530万人の移動人口です。年平均成長率でみますと、これは24.5%であり、中国の平均15.2%よりはるかに速いスピードで人口が流入しています。この5つの省における1982年から2000年までの年平均増加率は、全国的に高い数字になっています。

流入地域の北京では、2000年に省内の人口移動と省間の人口移動が半々に近いですが、広東では、内部移動は40%、省外からに流入人口が約60%という比率です。しかし、流出地域の四川では、省内の人口移動が9割で835万人にのぼるのに対して、外からに省間流入人口がわずか1割程度で93万人です。浙江は、1990年の時点では純流出地域なのですが、2000年には、368万人が入ってくる地域になりました。わずか10年で流出地域から流入地域に変わったわけです。また、1990年でみますと、流入人口が100万人を超えた省は広東だけで、ほかの省はだいたい40万人、50万人です。ところが2000年では6つの省で200万人を超えましたし、100万人というのもたくさんあり、かなり人口移動が激しくなったことがうかがえます。

こういう地域の特徴をさらに流出地域と流入地域で分析してみますと、流入省は広東、北京、上海、浙江などいずれにしても沿海部ですが、それに対して主な流出省は西部の四川のほかに、安徽、湖南、江西、河南等で、これはほとんど膨大な農業人口を抱えている中部の省です。

次は都市と鎮(タウン)そして農村の3つのレベルで見てみます。省間の流入人口を流入率だけでみますと、流入先の平均値の半分以上はやはり都市ですが、広東と浙江でみますと鎮あるいは農村も低くはありません。人口移動は基本的には北京と上海のような大都市を目指すのですが、広東とか浙江のような経済発展地域は、都市だけではなく、農村と鎮も人口流入の目的地となっています。

人口移動と地域経済発展

流入地域の1人当りGDPは、だいたい中国平均の1.6倍から4倍ぐらいです。上海は4倍、北京は2.7倍で、ほかの広東、福建と浙江はだいたい1.6倍から1.9倍ぐらいです。この地域は1人当りGDPがかなり高い地域です。平均報酬も全国平均の1.4倍以上です。一方、流出地域は、これは農業地域ですが、1人当りGDPはだいたい中国の平均の70~80%で、平均報酬でも0.6から0.8倍しかありません。広東や浙江に人が流れているというのは、こういう地域経済発展との関係があるということがわかります。

ただし、1人当りのGDPと省間人口流入率、または省間人口流出率との関係などの分析からみますと、中国の人口移動には押し出すというプッシュ要因(0.18)より引き抜くというプルー要因(0.69)のほうがはるかに強いということがわかります。豊かな地域に行きたいということで、みんな北京、上海、広東などをめざすわけです。

それによって私が10年前に、1990年の人口移動データで解析した結果では、中国はそれからいわゆる3つの極に集中するという経済発展パターンになるのではないかと予想しました。実際にこの10年間の地域経済発展の結果をみますと、ますます広東エリアと、浙江とか江蘇を含む上海エリア、そして北京・天津エリア、そういう3つの大きなエコノミーゾーンが形成されています。

行政改革への試案

中国の行政区画はかなり複雑で、中央政府の下に31の省、自治区、直轄市、特別行政区があり、その下に350前後の地区(市)、さらにその下に2000以上の県(県レベルの市も含む)、最後に膨大な数の郷や鎮及び自然村等があります。

しかし各行政レベルの人口と地域経済発展をみますと、同じ省といっても、省内の地区と県の経済発展度合いによって20倍を超す経済格差があり、1つの省で人口が1億人に近く、省のトップを決めるような地方選挙も大変困難と思われるケースもあります。ご存知のように、最近、中国では経済発展に伴って、制度転換が徐々に進んでおり、政治改革の機運がだんだんと高くなってきています。しかし、地域の健全な経済発展をはかるとともに、適切に地域を把握し、合理的に、民主的な選挙が行えるために、政治および行政改革が不可欠であります。昨年11月から、私は中国の将来を見据えるには中国を中央政府と200ないし300の「経済行政地区」という2つの行政レベルに集約するほうがよいのではないかと提言しています。人口規模からみますと「経済行政地区」という規模は平均400万人から500万人ぐらいということになります。経済の近代化と伴い、政治の民主化が避けられないため、これは中国の地方選挙が可能になる規模と私は考えています。

最近は県以下の郷・鎮レベルでの行政改革が盛んに言われています。2000年に財政で養う人員は約4500万人おり、これは平均で28人が1人の官僚を養うことになっています。地方財政の約9割は農村地域を管轄している地方の官僚を養うために使われているのが実態です。まずこのレベルで選挙によって自治をさせ、その財政を生産にまわすと同時に農民負担を減らすという改革を始めています。

実際に私が分析した300前後の「経済行政地区」で経済の指標をみてみますと、1人当りGDPが2万人民元すなわち2500米ドル以上の「経済行政地区」は21の地区のみで、多くが東部にあり、中部と西部が1つずつです。これは油田地区です。1人当りGDPが1日1ドル以下という極貧地区は34の「経済行政地区」にあります。1日2ドル以下の地区を含めますと、貧困地区は111の地区にのぼります。人口は約2億ぐらいです。しかしこれと同時に、また80の地区がかなり中等に近いレベルに達して、そこそこの小康社会に入ったといえます。まだまだ経済格差は大きいので、一番はじめにお話したように、やはりこれからの20年間は、中国の経済発展はいろんな困難を克服して、理想的な大同思想のもとで現実目標として全面的な小康社会を目指すべきというのが現在の中国に対して重要なポイントだと私は思っています。

モデレータ:

今日はとくにディスカッションは予定していませんが、モデレータの立場でお話しさせていただきます。まず小康社会の概念は、確かに昨年の党大会以来、1つのキーワードにはなっていますが、実は80年代から2000年に達成したい目標として掲げられたものです。総合的に見れば2000年の時点で当初の目標はクリアしています。にもかかわらずどうして今また小康社会という概念が出てきたのかというと、全面小康という、この「全面」ということがポイントなのではないかと思います。つまり平均値を見ても意味がない。一番遅れているところをこの小康のレベルに持って上げなければならないということこそ、この1年ほどの議論ではないかと思います。東と西の格差もすでに大きいけれども、さらに広がりつつあるという段階ですし、農村部と都市部の格差も大きくなっています。

従来議論されているものに加えて、最近の議論はむしろ貧富の格差の問題になっているのではないかという点です。そしてこの点について政府が具体的にどういう形で取り組んでいるのかということについても触れていきたいと思います。

もう1つは社会主義と資本主義の論争は無意味だから、それよりも小康という概念で議論したほうが実りがあるのではないかということです。しかしこれには私は必ずしも賛成しません。小康という概念は恐らく中国が言っている社会主義の初級段階とも対応している概念で、小康の次は大同社会です。大同社会はどちらかというとマルクスの共産主義社会のユートピアに近いのです。社会主義の初級段階からスタートしていずれ共産主義のユートピアを目指すわけです。というのは建前で、少し冷静に考えれば、むしろ今は社会主義の初期段階よりも資本主義の初期段階に置き換えたほうがよく見えてくるだろうし、これからの中国が目指すところもはっきりすると思います。

次に目指すのが大同社会ではなく、資本主義の上級段階であるとすれば、あと何が欠けているのかということが見えてくる。1つは人治社会から法治社会へ進めたら一歩前進かなと思います。

2番目は独裁政権から民主主義へ。これは孟さんの話にもありましたように、いきなり大統領の選挙まではいかないけれども、少しずつ地方のレベルから始まっているような気がします。

3番目は、社会主義である以上は国有制、公有制の財産制度が中心でなければいけないのだけれども、いずれ私有財産を憲法で保証しなければならない段階が、そう遠くない将来、来るかと思います。

質疑応答

Q:

中国の問題というのは資本主義か社会主義か、あるいは共産主義かという視点ではあまり意味がないと思うのですが、いかがですか。

A:

確かにそういう感想を持っています。イデオロギーよりも社会資本整備という面があって、例えば中国でも高速道路が整備されたことで、かなりの変化が起こっています。

モデレータ:

経済学という形で捉えると先生がおっしゃる通りなのですが、それと併行して中国は計画経済から市場経済へ移行しているという特殊な状態にある。そのときにいかに国有財産を効率よく使うかということがもう1つの大きいポイントなんじゃないかと思います。

Q:

戸籍制度が形骸化しているとおっしゃいましたが、本当にそう言えるためには定着率を見なければいけないと思います。つまり都市にずっといるのならば戸籍制度が形骸化したといえるのでしょうが、数年たてばまた田舎に戻るのであれば、やはり戸籍が人口移動を阻む大きな壁になって今でも残っているということになるのでないでしょうか。また、本当に戸籍制度はなくなるのでしょうか。

A:

たとえば、20年間で8000人の村から740万人のマンモス都市になったという例があります。これはシンセンという町です。人がどんどん定住しないとできないということです。いくつかの条件をクリアすれば、農村の人が実際に都市で戸籍を取得して定住することは地域によってはかなりゆるやかに認められています。その条件は地域貢献や学歴といったものです。
これは戸籍制度の形骸化に多少に繋がる事実ですが、もちろん私は一応廃止したほうがいいと思っていますが、やはり伝統的な重要な制度ですから、それを一気に廃止するとなると、現実にはそれに代わるメカニズムあるいは方法がないので、億単位以上の人口が急速な移動を考えるにはまだ必要でしょう。ただし実際に流入する人々を現実的に認めることが重要だと考えています。

Q:

戸籍を持っていることのメリットは何ですか。また、孟さんのお考えで300ぐらいの経済行政地区に中国を分割するということでしたが、それは非常に中央集権を強めることになると思います。そうすると中央政府に大変大きな負担がかかるのではないですか。

A:

都市では非農業戸籍を持っている人のメリットとしては、最近は少しずつ変わっている面もありますが、基本的にはいろいろな社会保障などとワンセットになっているので、国の保障を受けやすいということです。農村では、特に土地が与えられます。ですから戸籍制度がすべて悪というわけではありません。実際にこの50年間、共産党あるいは農民の戸籍制度に対しての認識は、農業戸籍があれば土地を持つことができる、ということです。それは生産手段を持っているということで、そうなると土地を持つ農民の面倒は見なくてもよいという政策をずっととってきたという面もあります。だから土地に関してはメリットのほうが大きいといえるでしょう。
中国全体を新たな行政地区に分けるという考えは、私は合理主義的な考えから述べました。秦の始皇帝の時代は大使が着任するのに3カ月かかりましたが、昔と違い、今はコンピュータ時代ですから、大きな負担なく管理できる可能性はあると思います。もちろんその可能性の実証、あるいは必要性の研究が、私がこれからやろうとしている課題の1つです。

Q:

富の再配分のための個人の所得への課税については、どのようにお考えですか。また、人口移動の受け皿となる都市問題についてはどのようにお考えですか。

A:

個人税の問題ですが、最近にはかなり個人に対して課税が厳しくなっています。私もかなり税金を引かれています。国も今「個人納税は国のため」というキャンペーンをやっています。現在のところ、さまざまな面からの議論は始まったばかりですが、個人税にはかなり厳しいものがあります。また、私が経済行政地区を300と想定した最大の理由は、少なくとも中国には100万以上の中核都市を300以上形成できるというイメージがあるからです。やっぱりスケールメリットを持ちうるそういう都市は中国の発展には欠かせないものです。もちろんいろいろな都市問題も発生しますが、100万人から1000万人程度の都市が300は出来てくれば、あっという間に億単位、1.5億人から2億人は吸収可能で、現在の3極集中をかなり弱めることができると思います。今はまだ7割ぐらいは農村人口ですが、その人たちが大都市ではなく、もっと小さな鎮程度の町単位で農業から離れると、コストが高くなるのではないかというのが私の考え方です。100万以上の中核都市、その周辺に30万から50万の中都市を作り、さらに農村がその外側にあるというのが、私の経済行政地区の考え方です。今までは都市化問題、農業問題、農村問題を別々に議論してきましたが、私はそれらを1つにできると考えています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。