[よのなか]科の実践から見えてきた教育の未来

開催日 2003年3月27日
スピーカー 藤原 和博 (元リクルート社フェロー/杉並区教育改革担当参与)

議事録

司会:
藤原さんは、リクルートに入社され、ロンドンに留学、リクルートに戻られて、できる社員は年俸制で、会社と契約を結んで働く「フェロー」という制度を創出し、自らその第1号となられました。教育関係にも造詣が深く、著書も多数あり、杉並区から、ぜひにと請われて教育改革に取り組み、本年4月からは中学校校長として赴任されることになっています。

スピーカー:
藤原です。現在、教育改革論議が花盛りですが、本日はその真っ只中で私が始めた「よのなか」科という授業についてお話しします。「よのなか」科は、学校で行われている社会科の授業が、今、私たちが生きている現実の世の中の様子をしっかりと伝えきれていない、学校現場と社会との間には乖離があるということから、始めたものです。本日は、皆さんにその授業の一端を体感していただきます。

この模擬授業は、2年ほど前、参議院の文教委員会に招かれ、行いました。国会で模擬授業が行われたのは前代未聞のことで、また1年ほど前には、「報道2001」というテレビ番組で、平沼赳夫経済産業大臣、京セラ会長の稲盛和夫氏、評論家の竹村健一氏らを対象に行ってもいます。

なぜ「よのなか」科なのか

私がなぜ、この「よのなか」科を始めたのかをわかっていただくために、中学校の社会科の教科書を用意いたしました。中学生のお子さんをお持ちの方でも、教科書に目を通されたことはほとんどないと思います。小学校入学の際には、初めてもらってくる教科書、ということで、パラパラとでも開いて読んだりしますが、中学校となると関心は薄れてしまうのが普通です。このノンチェック状態が教科書会社の怠慢を誘っていたと、私は考えています。

これは中学3年生で学ぶ「公民」という授業の教科書です。社会、経済、政治という世の中の有り様を初めて体系的に学ぶ、つまり世の中に参画していくために動機付けの導入となる大変重要な科目です。この教科書の一部を読み上げてみます。経済の分野の最初、「貨幣と流通」という項目に書かれているものです。

「貨幣の役割:経済活動の中で貨幣は次のような働きをしている。その1つは、財やサービスの価値を、価格の大きさとして表現する価値の尺度としての働きである。2つめは、商品代金の支払いや給料の支払いなどに利用できる支払い手段あるいは交換の手段としての働きである。3つめは、貯蓄など価値の保存をする働きである」

さて、これだけを聞いて、即座に貨幣の役割について答えられる人がいるでしょうか。これまで、私が質問して答えられた人はいませんでした。まさに知識の断片を記憶させるための内容です。もちろん、社会科は覚えることが大変に多い科目ですが、それだけで終わってしまっては、これらの知識の断片が結びついて全体像となり、社会観、経済観、政治観、世界観へとつながっていくのは難しいだろうと思われます。

私は、このような教科書を読んで、これでは私の息子が、自分が世の中に関わりたい、あるいは関わっていけるという主体的なイメージが持てないのではないか、と思ったのです。

小学生から中学生の低学年までは、知識の詰め込みでもかまわないでしょう。でも大人への入り口となる、中学2・3年生では、もっと立体的に、魅力的に、ダイナミックに、経済、政治、そして現代社会の有り様を週に1回でも体感してもらうことが必要ではないか。それができれば、子どもたちの健全な世の中への動機付けが生まれ、もっと勉強したい、もっと知りたいとも考えるし、通常の教科授業にも役立つのではないか、ということから「よのなか」科は生まれたわけです。

「よのなか」科の授業の実際

「よのなか」科は、中学2ないし3年生の選択授業として、週に1回、1年間でほぼ25~30回のプログラムが可能です。それぞれのテーマについて、専門的な知識を持つゲストに来てもらい、生徒はディベートなどを通して、テーマについて考えていきます。
以下、模擬授業の実際の模様

○ ハンバーガー店をどこに出すか?
東京郊外のある地点の地図をもとに、ハンバーガー店の店長となって、どこに出店すればもっとも売り上げをあげられるかを考える。
1. まず各自が考え、出店場所を決定する。
2. 数人ずつのグループに分かれ、選んだ場所とその理由をディスカッションし、グループ毎に決定する。
3. グループ毎の決定場所とその理由を発表し、教師やゲストとともにその結果を分析する。

それぞれのテーマについて、正しい答えがあるわけではなく、いかに説得力のある意見を出せるかが問われるものです。実際の社会のダイナミックな動きを体感できる一種のロールプレイングゲーム、シミュレーションであり、プレゼンテーション能力を養うものです。

参考:平成13年度足立区立第11中学校で行われたカリキュラムの実際
第1回 班決め、ガイダンス
第2回 ハンバーガー店をどこに出すか?
第3回 ゴムと地球とあなたの関係 ゲスト:風船イベント会社社長
第4~7回 家の窓から日本が見える ゲスト:建築家、住宅メーカー社員
第8回 1学期を振り返って
第9~10回 政治とお金のビミョーな関係 ゲスト:参議院議員
第11回 「差異」と「差別」を考える ゲスト:女装家
第12回 「どこまでイジくる?」―ヒトのカラダ―
第13~17回 中学生はもう大人? まだ子ども?―大人と子どもの境目を考える― ゲスト:弁護士
第18~19回 自分のコピーがつくれたら…!? ―クローン技術と人間の倫理― ゲスト:遺伝子研究者
第20~21回 「よのなか」と「人のいのち」 ゲスト:社会学者
第22回 「神様お願い!」―宗教を考える―

情報編集能力を身につける授業

この「よのなか」科の授業は、毎回実際に社会で起こっている、あるいは行われていることをテーマとし、教師を進行役に、父兄や卒業生、地域社会メンバーの中で、それに関わる仕事をしている人々が授業を行うことができるものです。

これまでの授業は情報処理能力をつけるものです。これは正解のある知識や技術を効率的に習得できるもので、これはこれで重要です。しかし、これから必要とされるのは、得た知識や技術をある状況の中で組み合わせて発揮していく情報編集能力です。正解がない、あるいは何が正解かわかりにくい問題で、自分の頭で考えて結論を出し、それを他者にぶつけてみる、相手がそれよりいい意見を出せば、それを吸収し、さらに自分の考えをより良いものに向上させていく、その過程を学ぶのが「よのなか」科といえるわけです。正解ではなく「納得解」をどうやって得ていくかなのです。

学校の教師は正解を得る方法を教えるのは得意です。しかし、失敗し試行錯誤をしながら「納得解」を得ることについては苦手です。むしろ、そのような経験はビジネスマンこそが得意なことです。ですから、学校の教師と社会人がタッグを組んで子どもたちを教えていくことが重要なのです。

たとえていうと、ジグソーパズルというゲームがあります。あるピースを定められた場所に置いていかないと、絵柄は完成しません。いかに早く、正確にこれを完成させるかが、これまでの教育でした。これについては20世紀の教育は大成功しました。しかし、ジグソーパズルの絵柄はあらかじめ決められています。正解があるわけです。つまりこれまでは世界観はすでに決められており、官僚が作ったモデルや先進国を手本にしていれば社会は発展できたのです。21世紀の教育は、このジグソーパズルの能力にプラスして、自分で世界観を作る能力を養わなければいけません。

どのような価値観を持ち、どのように世界を作っていくかが問われるわけです。実は欧米ではむしろ、最初にこの情報編集能力を養う教育がなされたのですが、日本の経済的発展を見て、日本の教育を研究して情報処理能力を重視する方向をかなり取り入れました。そのため、むしろバランスの取れた教育がなされていますが、日本では、まだ情報処理に傾きすぎています。せめて2割程度は、情報編集能力にシフトされた教育が必要だと思います。

質疑応答

Q:

小学生の子どもを持つ母親です。現在、東京でこのような教育が行われていることをうらやましく思いました。子どもの通う学校では、親が教育に関わろうとしても閉鎖的で、授業を見学させてほしい、と要請しても聞き入れてもらえません。また、現実的に親はその学校から逃れることは難しいと思えますが、どうすればいいと思われますか。

A:

学校の選択制は、東京の品川区で始まり、今、急速に拡大しています。数年で全国的に広まると思います。また学校を社会に開かれたものにすることについては、東京都でも明文化されています。新指導学習指導要領では、その前文で「学校は」となっていた書き出しが「各学校は」となりました。これは、それまで学校全部が同じであるべきとしていたのが、学校がそれぞれ自由にやっていい、ということを表したものです。つまり校長の裁量で、それぞれの学校が変わっていくと思います。
流れは確実に学校の開放という方向性に向かっています。もし、学校のために住民移動が起こるようなことになれば、その自治体の首長にとっては死活問題です。ですから、思い切って、良い学校を目指して引っ越してしまう、というのも教育を変えていくには有効な方法といえます。

Q:

労働組合との関係などもあって、校長や教師に学校の開放などを求めるのは難しいのかなという気がやはりしますが、いかがでしょうか。

A:

校長や教頭にまだ考えの古い人が多いのは確かですが、変化はもう始まっています。あと5年でかなり変わると思います。教師にもそのような考え方の人は少なくありません。ただ、「教室王国」と言われるように、自分が思うようにやってきた教室に自由に父兄などが出入りすることには、教師側に抵抗はあると思います。しかし、それもやり方しだいです。たとえば、コンピュータルームは、出島になりやすい場所です。パソコンは教師にとって苦手なところです。そこにまず、パソコンに詳しい父親がボランティアで行くと非常に喜ばれます。そのようにやっていくと突破口を開きやすいものです。

Q:

父兄が教育に参加すること、つまり教育への住民参画が必要ということはわかりますが、無責任な都合のいい要求ばかりをする参加が多くなるのではないでしょうか。

A:

この質問は日本のお父さん、お母さんは果たして住民なのか市民なのか、という本質的な問題だと思います。ほとんどの人は住民でしょう。問題があっても文句を言うだけ、それも学校と交渉するとか教師と議論をするというのではなく、学校を通り越して教育委員会などに言いつけてしまう。これでは、教師も無力感を感じてしまうわけです。
それでは、日本に市民は育つか。つまり、自分のコミュニティに根ざした学校、介護、住宅のサービスについて、参画もするが、責任も持つという人々が生まれてくるのか、ということですが、これが育たなければ日本に未来はないと断言してもいいでしょう。学校選択制にしても、少し合格率がいいとかいじめっ子がいそうだというだけで移動が起こったりするのは情けないことですし、PTA役員の選出時期になると押し付け合いになるのは残念なことです。

Q:

青年海外協力隊やNPO、NGOなどの海外での経験をもつ人々をもっと学校教育に活かせないかと思うのですが、どうでしょうか。

A:

教師は、一般にダイレクトに他人と接触や交渉を持った経験が少ないものです。特に一度失敗したら、それを回復できずにそれで終わりという時代もあったため、外部の人を消去法、つまり何かあやしいところはないか、という目だけで見てしまいがちです。私は、まず父兄の中に、そのような外部の人とのコーディネート役を務める人が出てくるのがいいと思います。そうやって、少しずつ開いていくのがいいのではないでしょうか。

Q:

社会が均等な人間で構成されていないように、この「よのなか」科の授業も、異なる年齢の生徒で構成したり、ハンディキャップを持った生徒を含めるということが有効な気がしますが。どう思われますか?

A:

「よのなか」科の授業の目的は、子どもの終わりであり、大人の始まりでもある年齢の子どもたちに、大人でも答えを出すのが困難な課題について考えさせて、考える能力をつけさせることにあります。その意味では、年齢構成はむしろ均一なほうが効果があります。実際にやってみると、中学2年生ではすこし難しすぎて、3年生がちょうどいいようです。ただ、中学生といっても私立の場合は、ある意味レベルが均一なので、授業はやりやすくスムーズですが、公立のほうがいろいろな環境の子どもがいるので、多様な反応があるという面があります。

Q:

政治問題の取り扱いはどうなのでしょう? 現在のイラク問題などは絶好の課題だと思うのですが、学校ではあまり取り組まれていないようです。欧米ではディベートなどの形で行われていると思うのですが。

A:

これこそ父親が果たすべき役割だと思います。実際に自分がフセイン大統領のつもりになるなどのロールプレイングが有効です。教師はこのようなことは苦手です。まさに、父親が学校に入っていって、やるべきだと思います。
世界の学校で教えられていながら、日本の学校ではタブーになっていることがあります。それは宗教であり、マネーであり、自殺、生と死の問題、それから家にかかわることです。こういった問題は父親が教えていくべきことです。そうしたタブーを恐れず、子どもが世界観を持ちうるような教育をしていかなければいけないと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。