メガバンクの誤算

開催日 2002年12月11日
スピーカー 箭内 昇 (アローコンサルティング事務所代表)
モデレータ 鶴 光太郎 (RIETI上席研究員)

議事録

私にはずっと、企業と経済は人が動かしている、という思いがあります。そして、長銀の問題は日本の金融全体の問題であり、その縮図であるという確信を持つに到りました。かつて「元役員が見た長銀破綻」(文藝春秋社)という著書で私自身の経験に基づいて金融界に警鐘を鳴らしたつもりでした。そしてその後、金融とはすっぱり縁を切ったつもりだったのですが、銀行が依然として危機的状況にある中で、再び警告を発するつもりで「メガバンクの誤算」(中公新書)を出版するに到りました。「あの時代」がまだ続いていたのか、というのが今の実感です。

90年代の日本の銀行

私は銀行員時代に、いわゆるモフ(MOF)担をしていた経験があり、その頃に米国出張をしました。それが私にとって初めての米国との接点です。当時、米国の銀行で起こっていた革命を自分の目で見ることが出張の目的でした。米国の金融機関の利率のバリエーションなどを目の当たりにして、米国で確実に進行している変化に衝撃を受けました。帰国後、銀行内や日銀などでも出張で見聞きしたことを報告しましたが、その時の周囲の反応は「アメリカで大変なことが起こっているが日本には無縁なこと」という程度のものでした。

その後、ニューヨーク支店での勤務を経て、92年に帰国したときに企画室長になりましたが、その時に銀行の抱えている不良債権の山を知り愕然としました。愕然とはしたものの、なんら抜本的な対策をとることはできませんでした。行内の人事の問題があり、その中でやれることは限られていたのです。私は90年代の銀行を大きく3つの時代に分けられるのではないかと考えています。まず、92年から94年。これは不良債権の実体がよくわからないままに、日銀の報告書をとってきたり、という疑心暗鬼の時代。そして、95年。住専問題の時にEIEの膨大な不良債権が顕在化しました。このときに当局も銀行も不良債権の恐ろしさを知ったのだろうとは思いますが、それでも何もできなかった業務上過失の時代。さらに98年には長銀が破綻しました。破綻後は国家的背任の時代です。さらにそのなれの果てが今日の姿だろうと思います。(2002年)11月8日の金融庁発表は歴史的な事件として記憶されるでしょうが、日本の銀行が健全である、という虚構はそれでうち砕かれたと思います。不良債権の額が37%、引当てを要する債権が45%と、銀行が健全であるという根拠がもろくも崩れたのです。

危機に対する日米の違い

さかのぼって80年代には米国の銀行も大失敗をしていますが、その後、復活を遂げています。他方、日本はいまだ危機にあえいでいます。この日米の違いは何なのでしょうか。まずひとつには米国の銀行はプロジェクトからのキャッシュフローで資金回収しようとするリコースであったのに対して、日本の銀行は担保主義でノンリコースだったことが挙げられます。米国は融資そのものの仕組みとその債権を持つことは別という考え方でした。日本には、80年代に某大手銀行が先陣を切って審査の簡素化を実施したために、他行が追随してしまったという経緯があります。不動産も日本にとっては単なる担保でしたが、米国の銀行にとっては何らかの収益を生むものという考え方の違いもあったのです。

米国の金融当局の政策転換も日米格差に拍車をかけました。即ち、米国では規制が銀行を弱らせる、として規制から自由化へ大きく舵取りを変えたのです。供給サイドにたった考え方で、主役は顧客でありマーケットであると発想の転換を図ったのがポイントです。一方の日本では、当時の大蔵省が自分のグリップ力でステータスをあげようとして規制緩和は進みませんでした。そして、銀行の頭取もこの頃からMOF担出身者が増えていきました。

要するに米国には改革精神があったのに対して、日本は旧態依然としていたということです。日本にデリバティブが入ってきたのは80年代の後半で、当時の長銀はその分野で先進的であるといわれましたが、それでも経営のトップにいくほど胡散臭いものとして扱われていました。銀行と証券の組み合わせについても、日本では銀行が強く押さえつけていったことが結局、中途半端になっていました。他方、米国ではマネー革命の後、顧客は逃げていくものだということを知り、サービスに勝たなければ勝ち残れない、という気概が生まれたのです。米国は失敗を反省しました。カントリーリスクやポートフォリオ管理を意識した米国に対して「ひとつのバスケットに卵をいれるな」という当時の教訓があったにもかかわらず、日本はいまだに不動産担保に頼った貸し出し行動しかしていないというのが実態です。

日本の銀行の問題点

それではなぜ、問題を先送りしているのでしょうか。

ひとつには、日本独特の金融風土があげられます。過剰なメインバンク責任です。通常、不良債権があるとプロラタで責任をとりますが、日本の場合はそれが極端でした。住専問題の時に、プロラタでやるどころかメインバンクで全額償却しながら、他方で農協を助けるというようなことをしたのです。そこでようやく、銀行経営者はメインバンクになると大変な問題になることもある、ということに気がつきました。メインバンクによるたすきがけ構造によって、お互いに貸出しの引き上げはやめましょう、という“カルテル”ができあがっています。ところが、実際には銀行によって体力差があるので、弱い銀行の負担が高まることになるのです。

また、日本の場合は政府の介入の仕方が泥臭いという問題があります。たとえば、住専問題では農協はつぶさない、ダイエーはつぶさない、ゼネコンはつぶさないといった具合に、金融から乖離したところで話が進んでしまうのです。

銀行の方にも改革を拒む体質があります。日本の銀行の経営者はいわゆるエリートがなります。即ち、失敗したことがない、つまり、つぶれるわけがないというような楽観主義に走りがちです。また、ガバナンスもなく、あるのは大蔵省だけでした。となると、外から自分を見ることができなくなってしまいます。小さなミスには厳しいが大きなミスには寛大である、という体質がそれを表しています。銀行の無責任構造も問題です。大きなことを決めるのは合議制で、様々な人のハンコが並びます。仲良しクラブ、お互いに傷つけあうのはやめよう、という雰囲気が出てきてしまうのです。

銀行の体質の裏に、人事の問題も横たわっています。頭がいいことと、経営ができる、ということは全く別の問題なのに、自分自身も他人も、そのことがわかっていない。企画部、人事部、融資本部がエリートコースといわれますが、それは調整型エリートであって、でこぼこをならすことに手腕が発揮されます。その能力は、平時はいいのですが、有事にあっては立ち往生してしまうことになるのです。

組織防衛と辻褄合わせが上手なのも銀行の特徴です。ひとつ例を挙げましょう。国債市場が低迷しているのに銀行が収益をあげていますが、これは一種の粉飾です。つまり、銀行の勘定は投資勘定と商品勘定にわかれていて、商品勘定のうち、含み損があるもの(90)を証券会社に(100)売ります。同時に、投資勘定で証券会社から買い直す(100)のです。投資勘定の含みは表面化する必要がありません。先物の買いと売りをして、益の出るものだけ実行する、といった才覚はものすごく働きます。その手法は、銀行検査が入っても絶対に見抜かれることはありません。

感性の問題もあります。「銀行床の間時代」を経験した世代にはそれが忘れられないのです。頭と皮膚感覚が違ってしまっていて、良い時代を知っている今のトップはその皮膚感覚が忘れられないのです。仮に能力があっても人事という障害もあります。銀行の年功序列は厳しく、自分を登用してくれた先輩や有力OBには頭が上がりません。それを端的に表すのが各銀行の子会社の人事で、銀行の本体はリストラが進められていても、子会社はアンタッチャブルな世界になっているケースがほとんどです。

銀行再生の鍵は何か

銀行は、メーカーのように仕入れて加工して売る、という統合するビジネスがありません。貸し出しは貸し出しだけです。そして責任がないままに上にあがっていく構造で、日本は、頭取になって初めて経営者になる、と言うアメリカ人がいましたが、まったくその通りだと思います。

銀行にはびこっている官僚主義は、一般の企業や役所、政治の世界など、あらゆる組織に類似してみられる構図です。そして、これが日本全体の閉塞感につながっているのです。90年代に入行した人はただの一度も好景気を味わったことがなく、ただ悪くなっていく景気しか知りません。しかし、将来から逆算して今後30年を考えている若者と、せいぜい5年先しか見ていない団塊世代の間にはギャップがあり、若者には現状の延長では絶対にだめだ、という強い危機感があります。それを埋められないストレスは大きいのです。

逆能力格差についてみてみましょう。自分が入行した頃は、明らかに上司の方が自分よりも能力が上でした。ところが、銀行業務が高度化し、デリバティブ、国際業務、マーケット業務など若い世代の方が能力が発揮される分野が出てきました。経験がじゃまになる場合すらあります。ところが年功序列のために、能力差があるのに正当に待遇されていないことに不満をもっている若い世代がいます。旧世代は障害要因です。

銀行再生の鍵は何か。いろいろと数字をいじることも大切ですが、過去のしがらみや、くびきを切らない限り、組織防衛に走り、悪い方向に進んでしまうでしょう。リセットして過去と訣別しなければなりません。玉石一緒に退場してもらう、というくらい思い切ったことをしなければならないのかもしれません。また管理部門の人員カットにも手をつける必要があるでしょう。

外部から人材を登用できる人事にするような、抜本的改革が求められてもいます。今の日本の銀行の仕組みでは経営者としての経験を積むチャンスがありません。ミニ銀行、ミニ頭取の経験も必要です。再生には今後、10年はかかると思います。その10年後のために、積極的に若手を活用しなければなりません。突き詰めると、日米の違いはその危機感に出ていると思うのです。

思うに、米国は熱湯やけど、日本は低温やけどです。今、日本はまだ1200兆円の個人資産の存在に安心しているかもしれませんが、気がついたときにはとんでもないことになっていなければいいなと思います。

質疑応答

Q:

日本の銀行の利ざやは米国、韓国に比べても極端に低く、費用収益構造自体に問題をかかえていると思うのですが、その原因は供給過剰だからなのではないでしょうか。

A:

日本の中小企業向けレートは低くて、8%から10%が常識的なラインです。ところが、政治の介入や社会的な問題もあって、10%と口にしただけで大変なことになります。しかし本来は、資本市場から資金調達をする時のコストは10%であることを知らせるべきではないでしょうか。金融を正常化したときの金利水準を示して改善を図るべきで、現状を所与としているところにも問題があります。そしてそれは、銀行の問題であり、また金融当局の問題でもあります。

Q:

(1)80年代の失敗に米国は学べたのになぜ、日本は学べなかったのでしょうか。
(2)経営陣の刷新の必要性をとなえながら、革命が起こせないのだとすればどうすればいいのでしょうか。新しい銀行の出現があるのでしょうか。
(3)銀行のビジネスモデルは、かつては大企業向けの産業金融でしたが、それは成り立たなくなっています。ベンチャー融資などに、ある程度リスクと金利をとっていくように変えなければならないのではないでしょうか。あるいは別の業種が参入しないと中小企業金融がまわっていかないのではないでしょうか。

A:

(1)アメリカ人はビジネスに対する変わり身が非常に早い。ブラックマンデーで株が下がる→新しいビジネスチャンスがあるはず→LBOが発達する、という発想ができるのです。非常にどん欲であるといえます。対する日本の銀行は紳士であり、お金に対して淡泊だといえます。デリバティブなど新しいものが出てくると、上の人間がつぶしてしまう。自分が理解できないことについては本能的に拒否反応が起こるようです。
(2)リセットしない限り再生しないとなると、何らかの外からの圧力で退場してもらうしかないのではないでしょうか。竹中大臣は一時国有化を考えているようですが、私自身はそのようなことをせずに、自発的に退出して欲しいと思います。
(3)アメリカは消費大国、日本は貯蓄大国。幅広にやってみると、銀行と証券の間にいくつかのビジネスチャンスがあるのではないでしょうか。

Q:

今、メガバンクの頭取になられたとして、このデフレ下、黒字にするにはどのような方策があると思われますか。

A:

1つは金利の正常化。そしてリスクの管理、不良債権処理。悪貨は良貨を駆逐します。要管理先債権の低金利が銀行収益の足を、大きく引っ張っています。また、リストラのやり方が非常に中途半端だと思います。今の銀行がやっている仕事はコモディティ化されており、現状から切り下げていったらモラルダウンする一方です。

Q:

産業再生機構について、機能すると思われますか。また、機能させるにはどうすればいいとお考えでしょうか。

A:

率直に申し上げると、なかなか機能しないのではないかと思います。要するに、メインバンクの存在をどれだけ理解しているのか、ということにつきるのではないかと思います。メインバンクというのは外から見る以上に大きな存在であり、基本的にメインバンクの自己否定になることはやらないでしょう。
また、再生機構に債権を集めるのは不良債権を処理することにはつながるでしょうが、その一方で逆に、悪い企業を延命させてしまうという危険性もあるのではないでしょうか。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。