国家財政:米国に学ぶ教訓/米国税制改革の教訓

開催日 2002年6月6日
スピーカー Rudolph Penner (Senior fellow, Urban Institute)
スピーカー Eugene Steuerle (Senior fellow, Urban Institute)
開催言語 英語

議事録

国家財政:米国に学ぶ教訓

Rudolph Penner

米国の財政赤字がどのように拡大していったかということからお話したいと思います。1980年代前半、レーガン政権が実施した大幅な減税と防衛費の増大にともなって赤字が拡大しました。大恐慌以来といわれるリセッションに大幅減税が加わり、財政赤字は1983年、国内総生産(GDP)比6%というピークに達しました。景気変動の循環要因を取り除いた調整後の数字では、1986年の4.8%がピークとなります。これに対し日本の財政赤字は現在GDP比7%となっていますが、米国は今の日本ほど深刻な状況に陥ったことはないということです。

財政赤字に迅速に対応した米国

米国ではこの巨額の財政赤字に対し迅速な反応がありました。赤字解消に向けリーダーシップをとったのは議会ですが、これは相当長く大変な道のりで、数々の法的措置がとられました。最初の重要なステップは1982年に可決された課税の公平と財政責任法(TEFRA)で、この法律は実質上、1981年に可決された減税を部分的に取り消すものでした。1983年には社会保障年金に問題を生じ、給与税を上げる一方で給付金の伸びを抑制するという措置がとられました。さらに1984年には、法人税の引上げが実施されました。

この3つの措置によって赤字増大の速度を緩めることはできましたが、防衛費増大による歳出増の流れを変えるまでには至らず、議会は進展のなさに苛立ち始めます。そこで登場したのが1985年に可決されたグラム・ラドマン・ホリングス法(GRH法)です。これは赤字削減の目標を設定し、その目標が達成されない場合は自動的に歳出を削減するという相当過激な措置でした。これは結果的には大きな失敗だったことがわかるのですが、それについては後に述べることにします。

GRH法がうまく機能しないことが認識され、1990年、当時のブッシュ大統領と議会は長期的に歳出を削減することで合意し、これは、1990年包括財政調整法の成立によって実現しました。これは裁量的な歳出を抑制し、優遇税制の新設や適用を厳しく制限するもので、きわめて大きな効力を発揮しました。ただ、1990年に米国経済がリセッションに陥ったため、目に見える効果はすぐには現れませんでした。

そこで1993年発足したクリントン政権はさらなる措置が必要と考え、大掛かりな財政赤字削減策を講じます。先に実施された財政赤字削減策が党派を超えた支持を得たのに対し、この1993年包括財政調整法については党派間の違いが際立ち、共和党は全面的に反対にまわりました。その後1997年、今度は共和党のイニシャティブによる財政均衡化策が提示されますが、それまでの赤字削減策と異なり、増税ではなく減税を実施する一方、医療費分野の大幅な歳出抑制を実施しました。米国の財政赤字の推移を振り返ると、1983年に最悪の状態に陥った後やや改善しますが、1990年のリセッションでまた悪化、さらなる措置を促しました。そして1992年以降、それまでに実施されたさまざまな措置と経済成長によって本格的に赤字が削減され、財政は黒字に転じました。その後、米国はまた赤字に陥り、今年度の赤字額はGDP比2%程度になると思われます。赤字を克服したと思ったとたん、規律が失われたのです。先ほど包括財政調整法がいかに効果的であったかというお話をしましたが、ここに至って議会は突如、自分たちで作った法律を実質的に無視しはじめたのです。

1974年に導入された予算決定プロセスは、歳入・歳出目標を掲げて財政均衡をはかろうとする努力の第一歩でしたが、議会はこの姿勢さえも無視しはじめています。2000年の歳出は目標を600億ドル超過、2001年は900億ドルの超過となりました。ほとんど理性が失われたといっていいでしょう。これに加えて2001年は、相当規模の減税が実施されましたが、これは長期的にGDP1%を超える負担となります。さらに9月11日のテロを受けた国防費の増加があります。戦争そのものは100億ドル程度の驚くほど低コストで、GDP比で1~2%以下という史上最低コストの戦争といえます。このことは米国のGDP規模の大きさと効率的な戦争を可能にした戦争テクノロジーの精鋭さを証明するものです。結果的にはきわめて軽いリセッションに終わったわけですが、問題はこの間、防衛費以外の分野の予算についても規律が失われたということです。

米国も日本同様、高齢化と医療費の増加による財政圧迫に面しています。ただし、その影響が出てくるのは2010年以降ですから、米国における高齢化の波は日本よりちょっと遅れてやってくることになります。

日本は米国から何を学ぶか?

米国の財政赤字削減努力における成功と失敗に日本が学ぶべき点があるでしょうか?まず指摘しておきたいのは、米国と日本では憲法に定められる予算決定権限が大きく異なることです。日本は議会民主主義制ですが、米国の制度では、議会により大きな権力が与えられています。大統領は予算案を編成しますが、これは議会に対する提言にすぎず、議会はその提言を無視することができます。大統領は議会に対して拒否権を行使することができますが、それも議会の3分の2以上の議決で覆すことができます。日本の議会民主主義は、憲法の規定によれば予算は国会の承認を必要とします。しかし問題は、予算が国会を通らないと倒閣になりかねず、国会としてはこの強力な手段になかなか訴えようとはしません。その結果、国会は事実上、予算について大した裁量権を行使せず、予算委員会の提言をそのまま受け入れるという状況になっています。これは日本に限らず、議会民主主義制をとるすべての国についていえることですが、財務省が予算編成上大きな権限を持つようになります。

他にも日米間で違いがありますが、日本が米国に比べて不利な点がいくつかあります。日本の高齢化はより早いペースで進んでいますし、日本の財政赤字は、米国がこれまで経験したことのないほど深刻な状態です。金利上昇によって日本が財政危機に陥る危険はまやかしではありません。国債利払い費が急膨脹し税収では支えきれなくなるということが起こりかねません。こういう状況に陥った場合、ほとんどの国は国債ではなく現金を発行しはじめ、その結果待っているのはハイパーインフレです。

日本の銀行危機は米国が経験した信用貯蓄組合(S&L)危機に類似していますが、経済規模に比較した不良債権の規模は日本の方がはるかに大きくなっています。日本の地方政府と中央政府の関係も問題解決を困難なものにしています。日本の地方政府は財政面で中央政府に大きく依存しています。米国では財政緊縮時、州政府への補助金を削減することで連邦政府の歳出を大幅に抑制することができましたが、同じことを日本でするのはむずかしいと思います。

日本の有利点とは

しかし日本が有利な点があります。米国のように巨大な軍隊を支える必要がありません。日本の国民一人あたりの医療費は米国よりはるかに少なくなっています。これはちょっと議論のあるところかもしれませんが、日本の公的年金制度には5年毎に見直すというシステムがあります。あまり大したことはしていないという方もいらっしゃるかと思いますが、少なくとも日本はこの分野で何かをしているのです。米国は何もやっていません。日本は寛大な制度になっている分、削減する余地が大きいと思います。また、日本は、女性労働力という経済成長のための大きな潜在力を持っています。米国では移民も含めて、潜在的労働力はほぼ使いきっている状況です。日本は貯蓄率が高いので財政問題はそれほど深刻ではないという人もいますが、私は同意しません。実際、高い貯蓄率が具体的に何を意味するのかわかりません。日本の国債の買い手がいるということなのかもしれませんが、世界の資本市場は完備されていますから、日本の消費者は日本国債ではなく米国債を買うというかも知れません。いずれにしても、大して重要な要因だとは思いません。

さて以上のことから日本はどういう教訓を学べるでしょうか。財政調整法は財政運営に規律をもたらしました。裁量的支出に上限を設け、賦課方式を導入し、減税するためにはその分他で増税するなど必ず帳尻を合わせることが義務付けられました。これは1998年、米国の財政が初めて黒字化する時点まで、大変うまく機能しました。その後再び規律は乱れてしまうのですが、米国における財政赤字削減の過程を振り返ると、成功するために不可欠な要素がいくつかあることがわかります。まず、赤字はよくないという国民のコンセンサスが必要で、そのコンセンサスは財政支出で景気浮揚させようという動きを封じるほどに強いものでなくてはなりません。実際、米国で最も重要な財政赤字削減策は米国経済が弱体化しているとき、具体的には1982年と1990年に実施されました。米国では、赤字削減を達成するのに16年かかりましたが、明らかに、赤字削減は徐々に、政治的痛みを大きくしすぎない形で進める必要があります。ここで大きな問題は、日本が果たして同様のコンセンサスを形作ることができるかどうかです。私が見るところ、まだそういうコンセンサスは得られていないと思います。財政支出で景気刺激すべきという声もありますし、サプライサイド論、減税要求もあります。米国はこうしたものをすべて断念したのです。米国は専門知識をもつ多くの議会スタッフを擁している点で日本より恵まれていると思います。日本もRIETIやNIRA(総合研究開発機構)のような機関をもっと有効に使うべきです。メディアも重要です。米国の新聞は民主党寄り・共和党寄りというふうに明確に色分けされますが、財政赤字削減については両側の新聞が支持しました。

どういう教訓を取り入れるにしても、日米の憲法の違いに十分配慮しなければなりません。米国の取組みの中には、失敗もありました。先ほど、GRH法について大失敗だったとお話しました。赤字削減の数値目標を設定し、到達できない分は歳出カットするという硬直的なシステムでしたが、歴史から明らかなように財政赤字は景気動向次第で大きく変化します。目標を決めても、その標的自体が動き回るので打ち落とすことができませんでした。結局この自動的に歳出削減するという方法は政治的に許容できないものとなり、GRH法は顧みられなくなりました。元ブッシュ大統領が選挙演説で"Read my lips. No new taxes."と言って、増税の可能性を否定しましたが、これは大きな過ちでした。彼が1992年の大統領選で負けたのは、実際に税金が上がったことよりも約束を守らなかったことの方が大きな要因だと思います。残念ながら現ブッシュ大統領は父親の失敗から学ばなかったようで"Not over my dead body."といって増税はあり得ないと言明しました。おそらく彼もこの約束を反故にしなければならなくなるでしょう。

ここまで、1990年代後半の米国のめざましい経済成長について触れませんでしたが、これは米国の財政赤字を削減する上で十分ではないが必要な条件でした。米国は単にラッキーだったという方もいますが、この好景気をもたらした技術的な要因もあります。規制緩和を推し進め、移民政策によってやる気のある労働者を呼び寄せ、女性の労働参加を推進しました。金融政策も大変巧みでした。これについては、グリーンスパン連邦準備理事会(FRB)議長の功績に負うところが多いと思います。

米国税制改革の教訓

Eugene Steuerle

米国における税制改革は税率を下げることから始まりました。レーガン大統領は減税とインフレ収束を公約に掲げて大統領制に勝利しました。これに先立つカーター政権は、イランの人質事件もあって不人気な政権でしたが、経済面ではインフレが大問題でした。インフレは2つの側面で米国民の税制負担を増大させました。まず、インフレで資産価値が高騰した結果、固定資産税が増大しました。また、個人所得税では広範な税率階層の上昇シフトが起こりました。インフレによって給与が上昇し、その結果、一段上の税率階層に移行し、より高い税率が課せられることになります。実際、中間所得者層の上限に位置する納税者の場合、一段階上の税率階層に移行することによって限界税率、つまり最後の1ドルに課せられる税率がほぼ倍増したのです。納税者はこれを事実上の増税と受け止め、レーガン大統領の勝利の一因となりました。レーガン大統領自身も俳優時代に高い税金を払わされた経験から、高い税率を嫌っていました。

レーガン大統領の高税率嫌いを理論面で支持するかたちで登場したのがサプライサイダーと称する経済学者グループでした。彼らは限界税率に焦点をあて、最後の1ドルに課せられる税率によって消費行動が決まるという議論を展開しました。したがってこの税率を引き下げることによって消費行動が大きく変わり、経済に大きな利益をもたらすことができると主張したのです。その効果で減税分を取り戻せるとまでいう学者もいました。

このレーガン減税は、ケネディ大統領が1960年代に実施した減税に極めて似ています。1960年代に民主党政権がとった政策と同じようなことが共和党政権によってなされたわけですが、その理由はまるで異なるものでした。ケネディ大統領は1960年代初頭、税制改革を提言しました。単なる税率引下げではなく、課税ベースを広げてより中立的な税制を目指す、効率性・公平性にすぐれた税制を目指すものだったという意味をこめて改革という言葉を使いましたが、この改革における課税ベースの拡大はささやかなものでした。むしろ焦点はケインズ的減税におかれました。ケネディ大統領はハーバード大学の教授陣に傾倒していましたが、ジョン・K・ガルブレイス氏含め、彼らは皆ケインズ学派だったのです。ケネディ大統領はケインズ的な設備投資促進策として投資減税を提唱しました。投資減税については、1986年の税制改革でも実施されましたが、特定の投資を優遇したことによってかつてない税制の歪みを生み出すことになりました。これに続く税制改革は1978年、カーター政権のときに実施されました。当時、カーター大統領の人気は急速に低下していましたが、この年の終わりには税制改革は単なる減税に衣替えしてしまいました。誰かがそれまでの既得権益を失うことになる税制改革を進めるのがいかにむずかしいか、ということです。

税制改革を進める上で2つの大きな問題に直面します。まず、政府の規模が議題にあがると課税ベースを広げるという細かい議論を進めることができません。もう1つは累進性の問題です。累進性を強化すべきか緩和すべきかという議論に入ってしまうと、税制の公平性・中立性といった本来すべき改革課題の議論を進めることが困難になります。

1984年まで、レーガン政府は1981年減税を守り抜こうと努力します。当時、レーガン大統領は、共和党のロバート・ドール、ピート・ドメニチ、ハワード・ベーカー各上院議員が中心になって議会が進めていた財政削減努力の輪の外にいました。1984年1月、大統領が一般教書演説で税制改革に言及したときは、冗談と受け止められました。

私が財務省に戻ったとき、省内では税制改革の議論の真只中でしたが、改革の規模・方向性をめぐり議論は紛糾していました。が、2つの要因によってあるコンセンサスが生み出されたのです。貧困層と家族世帯への課税を軽減しようということです。1970年代の高インフレによってより多くの低所得層が所得税を払わなければならなくなりました。リベラル派の人々はこの状況に異を唱え、改革に賛成しました。一方、保守派は家族世帯への課税を問題にしました。子供のいる世帯の方が子供のいない世帯より、税負担の増加が大きいという調査結果が出ていたのです。こうした状況のもと、リベラル派と保守派は低所得者の税負担軽減と子供のいる世帯が不利にならないような制度をつくるということで結束しました。おそらくより重要な点は、タックスシェルター廃止に関するものです。当時、インフレ状況のもと節税目的のタックスシェルター市場が拡大していました。借りたお金で優遇税制が適用される資産へ投資し、マイナス所得で申告する人が増えました。タックスシェルターが経済的選択を歪めてしまっていたのです。

1984年の税制改革と以前の税制改革で何が違っていたのでしょうか。まず、1984年の改革は以前のものよりはるかに包括的なものでした。理論的な研究に終わらず具体的な政策提言を含むものでした。我々は議会にさまざまな課題にどう対処すべきかという具体的かつ詳細な措置を提示したのです。提言は歳入と配分において中立的なものでした。つまり、何か減税を実施するのであれば、何か別のもので増税しなければならないということを明確に示したわけです。累進性については対立が大きかったので踏み込まず、累進構造はそのままにしました。歳入中立の原則は改革を進める過程で大きな効果を発揮しました。中立性、効率性、水平的公平性という目標を優遇税制の問題と切り離して進められたのは幸運だったと思います。いってみれば裏口から入って、歳入中立・配分中立という目標を達成するためにどういう税率構造が必要かをまず、決めてしまったのです。大変根気のいる作業でしたが4つの税制改革提言をまとめました。

さて我々は何を達成したでしょうか。まず税率を引下げましたが、これによって金融政策がより効果的なものになりました。税制措置を通して産業政策を講じようとする動きを排除し、タックスシェルター市場を大部分取り除き、租税支出を削減しました。税率引下げと課税ベース拡大を実施することには2つの利点があります。税率を引き下げれば、たとえ課税ベースの拡大が思うようにいかず優遇税制がいくつか残ったとしても、残った優遇措置のうまみは税率が低くなった分、少なくなるわけです。歳入はほぼ維持しました。これまでにないほどの規模で優遇税制措置を排除し、低所得層の人々には働くことへのインセンティブを与えることができました。とはいえ失敗した点がなかったわけではありません。個人に対する多くの優遇措置は残りました。改革の過程で数々の妥協がなされた結果、制度が複雑化しました。法人税と個人税の統合など、実現しなかった改革項目もたくさんありました。目に見えない優遇措置もありました。

要約すれば、まず、危機的な状況でなくても税制改革は可能だということです。たしかにタックスシェルター市場の拡大という事態には直面していましたが、危機的な状況というほどのものではありませんでした。米国の税制改革の特徴は課税ベース拡大に焦点をあてたことです。減税や累進性の問題も同時に取り上げながら課税ベースを拡大するのは困難です。税制改革を推し進めるという保守・リベラルのコンセンサスも不可欠な要因でした。原則も大事です。まず原則を確立し、その原則に基づいた選択肢を用意する、その上で政治的な制約に対応するべきです。最後に改革論議に終わりはないということをいいたいと思います。ある改革が一段落したら、次の改革の議論を始めなければなりません。

Q&A

Q:

改革論議には終わりがないというお話でしたが、米議会では(減税による景気刺激・歳入増加効果を算出する手法として)ダイナミクススコアリングを取り入れようという議論が出てきています。ブッシュ大統領は、自らの減税策が不当に非難されていると感じているようですが、将来的な可能性としてこの手法についてどういう考えをお持ちでしょうか。

Steuerle:

米国ではこのダイナミクススコアリングについての議論がかれこれ20年ほど続いていますが。高い税率は(企業や消費者の)行動を歪め、逆に減税は働く意欲や貯蓄への意欲を高め、その結果、経済は拡大し歳入が増える、したがって減税のコストは下がるという考え方に基づくものです。この理論を支える十分な理由もあります。しかし、政府のアクションはいかなるものであろうと何らかの形で経済に関わっています。減税であろうと増税であろうと、また、歳出削減・歳出増、法的措置のインパクト、いずれも同じです。つまり、ダイナミクススコアリングを一貫性あるかたちで導入しようと思ったら、議会が決定するすべてのアクションについてやらなければなりません。これは現実問題として不可能です。個人的には、民主主義のプロセスとして議会がどういう税を課すか決定すべきだと思います。

Penner:

米国の予算編成のプロセスで注目すべきは、各予算項目について5年から10年という計画対象期間にわたって試算したコストを明示することが法律で義務付けられていることです。ただ、こうしたコストを試算するうえでマクロ経済的な前提条件を仮定しなければなりません。毎年、米議会予算局がマクロ経済指標の予測値リストを議会に提出しますが、その中には消費者物価指数、経済成長率を始めとするおびただしい数の指標が含まれています。アナリストはこうした指標をもとに政策コストを算出するわけですが、その混沌とした状況を想像してみてください。仮に20人のアナリストがいて同じコストを試算するとしましょう。それぞれが別々のマクロ経済指標の予測値を使うとしたらどうなるでしょう。たとえば期間をどこで区切るか、5年なのか10年なのかによって償却も税負担もまるで違ってくるのです。他にもいくらでも例は挙げられますが、要するに、現実問題としては不可能だと思います。

Q:

米国と日本では状況が異なります。日本の財政赤字は国民の貯蓄によって支えられているのに対し、米国の財政赤字は外国からの借入れによるものです。この違いによって政策対応は異なるものになるべきなのでしょうか。2つ目の質問は、日本の消費税引上げについてです。いずれ消費税は今の5%から10%か15%ぐらいに引上げられるべきと、ほとんどの日本国民は考えていると思います。問題はタイミングですが、いつどういう状況のもとに実施すべきでしょうか。

Penner:

1つ目の質問に関してですが、貯蓄がどこからくるかということはあまり重要な問題ではないと思います。財政赤字がある一定の限度を超えると危機的な状況に陥りますが、日本はその状況に近づいていると思います。ここで危機的な状況というのは、国の借金が膨れ上がって金利負担が急増し、もはやそれを補うのに十分なほど税金を引上げるのは政治的に不可能な状態のことですが、事態は急速に悪化します。そのたどり着く先はハイパーインフレの危機です。これは算数の問題でどれだけ貯蓄があるかということとは関係ありません。

Steuerle:

高齢化は予算上きわめて大きな問題ですが、より大きな経済の枠組みのなかで見ると労働人口の大幅な減少が持続不可能な問題です。高齢化や労働人口減少という問題に対応するより広範な政策の1つとして消費税引上げは必要な手立てだと思います。

Penner:

短期的な側面も大事です。現時点で日本が直面している最大のマクロ経済問題はデフレです。デフレ状況で貯蓄の最も有効な活用法は、資産に投資したりせず、ただ貯めておいて、そのお金の購買力が上がるのを待っていることです。そういう意味でデフレは極めて破壊的です。日本国内で消費税を引上げるかわりに所得税を引き下げ税収をニュートラルにするという提言がなされていますが、これは訴えるところのある提言だと思います。物価を少し押し上げてインフレを呼び起こす効果があると思います。

Q:

数カ月ごとに数%ずつ引上げるという条件つきで消費税を下げるべきとマーティン・フェルドスタイン氏がいっていますが、これは短期的に消費を刺激するのでなかなかいいアイデアではないかと思います。一度下げた消費税を再び引上げるのは不可能だという人もいますが、中には理解を示す政治家もいるので私は可能だと思います。

Q:

財政赤字削減を進めるうえでコンセンサスを形成することが重要だとのお話でしたが、それは政治指導者間のコンセンサスでしょうか、それとも一般国民のコンセンサスでしょうか。

Penner:

両方だと思います。米国の場合は、もっとも重要なコンセンサスは主要な政治家間のコンセンサスで、そういう有能な議会のメンバーがいたということです。彼らが一般国民の直感的な感覚に、予算には限りがあること、際限なく借金をしつづけることはできないことを訴えたのです。

Q:

日本でも、指導的な立場にある政治家の間では長期的な財政赤字の危険性についてのコンセンサスは形成されていると思いますが。

Penner:

そうであれば幸いです。個人的にはコンセンサスができているとは思えませんが。米国におけるコンセンサスを誇張するつもりはありません。実際、増税がいいのか歳出カットがいいのかなど、大変な論争がありました。どうにかしなければいけないというコンセンサスはありました。でも簡単な作業ではありませんでした。そういう意味で、有能な議員がいて幸運だったといっているのです。

Q:

米国予算には(一般会計にあたる)オンバジェットと(社会保証基金のような)オフバジェットがありますが、日本にはこうした区分けはありません。このような区分けがあることはいいのか悪いのか、米国でもいろいろな意見があるようですが、どのようにお考えですか。

Penner:

私は古い考え方かもしれませんが、1つの統合された予算の方が好ましいと思います。オフバジェットのある事業の収支が黒字で予算が余っていても他の用途に使えないというのはよしとしても、赤字の場合、なかなか表面化しないとなると、問題だと思います。ヨーロッパの社会保障制度にしても、予算全般に関する懸念が引き金となって改革が進みました。米国では残念ながら社会保障基金がいつ空っぽになるかということに焦点があてられています。そのタイミングはだいたい2030年頃ですが、実際の問題はもっと早くやってくるわけです。国民をミスリードするような社会保障基金のようなものは初めからないほうが良かったと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。