通信・放送業界における"水平分離"問題について

開催日 2002年5月29日
スピーカー 林 紘一郎 (慶應義塾大学教授/GLOCOM特別研究員)
モデレータ 池田 信夫 (RIETI上席研究員)

議事録

本日は、BBLということで、私がここ最近関心を持っている通信と放送の融合、水平分離の問題について、やや啓蒙的に、ラディカルな議論になるかも知れませんが、お話をしていきたいと思っています。

雨後の筍のごとく乱立する審議会・研究会の答申・報告書

私は、今度出る「法とコンピュータ」という雑誌に論文を執筆いたしました。それを書くにあたっての問題意識ですが、昨年の秋から暮れにかけて、総務省や官邸、経済産業省などから、通信・放送の分野で、さまざまな報告書とか、答申が出てきました。一度にこんなに出てきたのは珍しく、そのことだけでもかなり興味深いことです。そういうわけでその答申・報告書群についてがまず第一点です。
その次に、注目すべき点として、NHKの放送政策研究会からも報告書が出ているほか、文化審議会(文化庁の審議会)の著作権分科会からも、通信と放送の融合に関しての報告書が出ています。実は、著作権というのも、後ほどお話しするように本件に関しては見過ごせないテーマなので、これも重要です。

それで、その審議会の答申や報告書群に共通に見られるテーマとして、以下の5点が挙げられるでしょう。
1)経営体論議から、IT産業全体を見据えた産業論になってきたこと。
2)規制のあり方として、縦割りから、水平分離の視点の導入。
3)電波資源の有効利用に触れている。
4)事後規制を重視した、「一般的競争法」の導入への期待(独禁法が土台で、その上に個別要件を構築する形)。
5)規制機関としての独立行政委員会の検討。

このように、全般的にかなり水平分離ということが強調されるなど、時代がその方向に変化してきたことがわかります。ただし、どのレポートにも「インターネットは規制するな」という文言がない。このことは少し問題ではないかと思っております。インターネットについて明確な扱いを避けているように見えるのです。

メディア産業の分類とPCBモデル

さて、現在の通信と放送ーメディア産業に関しての法的規制の枠組みについてですが、メディア産業は、Cd(コンディット)とCt(コンテンツ)という規制対象と、規制があるかないかを掛け合わせることで分類可能です。これをPCBモデルと呼びます。

まず、Cd規制があり、Ct規制もあるというもの。これは、B型(ブロードキャスティング型)といいます。つまり、送信設備・伝送路に規制がかかり、一方で、放送法による内容規制もあるというものです。これは、古い形の通信・放送の規制と表現できます。

一方、Cd規制があっても、Ct規制が無いというタイプもあります。これがC型(コモン・キャリア型)であって、いわゆる通信業界がこれに当たります。つまり、Ct規制は通信の秘密を守るということで、原則としてないわけです。さらに、Cd規制もCt規制も無い、P型(プレス・パブリケーション型)があります。これは出版業界・新聞業界が相当します。

ちなみに、Cd規制が無く、Ct規制があるもの。これはPCBモデルにはない形ですが、これはI型(インターネット型)とも表現できる、新しいメディア産業の形といえ、非常に重要です。インターネットと規制の関係をどう位置づけていくのか。ここに変に規制をかけようとしていまいか、というのが私が危惧するところです。先ほどインターネットの部分が審議会等の答申ではあまり明確に触れられていない、と述べましたが、見方を変えれば、それは既存法体系の中では整理ができない状況を意味してはいないでしょうか。ですから、何らかの形での通信と放送の融合というものを、法制面からも検討することが必要になってきており、私なりの解答が、通信と放送の融合法(包括メディア産業法)ということなのです。

融合法を巡る4つのタイプ

今回、「法とコンピュータ」の論文の中で提唱している融合法ですが、世界的に見て、この種の法案には、A~D案の4つのタイプがあると考えています。

A案は、インターネットがすべての通信・放送を飲み込んでしまうという視座に立ち、それを前提とした法体系をデザインしていくものです。米国のFCCが採っている、Unregulation政策というのは、この代表例に相当します。

B案は、ゴアが情報スーパーハイウェイ構想の後に実際にやろうとした案で、マルチメディア法を別途作成し、既存法と並列させてしまうものです。実際にこの手法は用いられることはなかったのですが、既存の法体系を活かすという点で、実現性の高い案となっています。

またC案は、既存法体系の中から、インターネットに関係する部分を抜き出して、マルチメディア共通法として整備するというものです。これは、マルチメディア法が既存法体系に屋上屋を架しているようなものなので、水平分離ではないが、既存の法体系を総則的にコントロールすることを目的にしています。

そして、D案が、ここで提案する水平分離型融合法です。まず、情報の伝送路を確保する、Right of Way法をまず有線、無線に限らず作ってしまい、その上でCtとCdを水平的に規制する法律を作るというものです。

著作権体系の中の(電子)公衆送信の問題について

さて、水平分離の話に入っていく前に、最初のところでこれは重要です、と紹介した、著作権の問題について触れておきたいと思います。文化庁は、インターネットにおけるインタラクティブな情報発信を「公衆送信」として概念化したわけですが、この公衆送信の概念を検討すると、面白いことが解ってきます。一見、この公衆送信というのは、従来の放送の概念を拡張しているように見えるが、実はこれはインターネットのコンテンツ規制に繋がるのではないか? ということです。つまり、著作権の概念を適用することで、公衆送信の可能な範囲を実質的にコントロールできるのではないかということです。

通信事業者から見ると、どうもインターネットを著作権的に放送と認めてもらった方が、著作隣接権の付与等の特典があるために、良いと考えているようですが、それは果たして良い傾向なのでしょうか。私は、インターネット上での著作権処理はすべて契約関係によって処理する方が良いように思っています。数年前に私が提唱した(d)マークなどは、契約関係をベースに著作権を処理することが念頭に置かれています。つまり、ここでご理解していただきたいのは、著作権の問題が、実はインターネットと法律を巡る問題の根底に流れているということなのです。

電子公衆送信法(案)の解説

ここから、いよいよ、現在執筆中の「電子公衆送信法案」と呼びますが、これを簡単にご説明していきたいと思います。もともと、最初は「通信と放送の融合法」を作ろうと思っていたのですが、法案のあり方をしっかりと確定しないといけないと思ったのです。なぜなら、この法律は先ほどの分類で概観したとおり、ほぼ世界で初めて、インターネットに正面から取り組んだ法律案であるからです。

法律案をよく読むと、既に施行されている不正アクセス禁止法からの条文を持ってきた部分が多くなっています。これは、電子公衆送信を規定するにあたっては、不正アクセス禁止法に書いてあるような、インターネットの適切な使用が大前提だからです。インターネット上で行ってはならない使用形態・行動などは、あらかた不正アクセス禁止法に記載がありますので、そのまま持ってきたということです。

・第一章
第一章では、電子公衆送信の定義を以下のように定義しています「公衆によって受信されることを目的として、有線、無線その他の電磁的方法により、符号、音声、もしくは影像を送り、伝え、またはアクセスを許容することをいう」ということです。

・第二章
第二章での、最大の注目ポイントは第5条で、受信の自由を定めています。これこそがインターネットを定義しているところで、以下の条文から構成されます。
1.何人も意に反して、電子公衆送信(ただし、重要通信を除く)を受信することを強要されない。
2.電子公衆送信業者は、受信者の受信の自由を確保するため、必要な措置を講じなければならない。

・第三章
第三章は、業者・事業者の義務を定めたところで、ここも大きな論点になるでしょう。第9条では、事業者に対して重要通信の確保を定めています。当然ながら、この重要通信の定義等が議論になるでしょう。第10条は、いわゆるユニバーサル・サービス規定ですが、通信のユニバーサル・サービス規定のほかに、放送の側も取り込んだものになっています。第11条は個人情報保護法の規定に似たようなもので、第12条はオープン・アクセスの保障義務を定め、第13条は相互接続を定めています。
第13条は、現行電気通信事業法第38条に準拠しているのですが、条文には「現に市場において広く利用されている技術基準に基づき」が追加されており、判断基準を市場にゆだねています。この点が新しいポイントです。
第17条では著作権侵害からの事業者の免責を定めています。米国のデジタルミレニアム著作権法(DMCA)に準拠しているのですが、規定は我が国で施行間近であるプロバイダ責任法よりも、もっと詳細になっています。

また、第23条に、この法律ができることで廃止する法律が書いてあります。有線電気通信法、電気通信事業法、NTT法、不正アクセス禁止法です。これらは、重複部分があることや、歴史的使命を終え、この法律によって代替されるということで、廃止すると規定しています。

だいたい以上が、今回提案している法案の骨子です。ここからはディスカッションをしながら議論を深めていきたいと思うのですが、どうでしょうか。

ディスカッション

Q:

(NTT-E・坂本氏)ABCDの融合法案について、D案の水平分離を推しているが、(放送・情報通信産業の)産業構造それ自体もそう変わるべきと考えているのか。

A:

(林)イエスでもありノーでもある。
いつも、テレビの人たちにいっているのが、まさか電波会社と制作会社と○×会社にというように機能別に分社化するなんて考えたことないでしょう、ということ。無理に産業構造を水平分離に分けてしまう必要はないと考えている。
PCを見ると、ウィンテルのように、(水平分離であっても)適材適所で分業がなされている。どれくらいの規模の会社か、どの国でオペレーションするか、ということによって、適当なやり方は違ってくるはず。ただし、いくらなんでもコンテンツをガリガリ作る人と、コンディットの規制や営業をしている人では、仕事をしている格好も違うし、規模の最適性も違うはずだから、そこは経営判断でしょう。

Q:

(続けて坂本氏)基本的に経営判断でやっていくのは解ると思うのですが、既存のテレビ局の人々がかみつくのは、(林提案は)産業構造自体をこのように変えるべきだという主張なのだ、という誤解をしてるのではないか?

A:

(林)法律で産業構造を事前に強制するというようなことが果たしてできるのでしょうか。IT戦略本部でアレコレ規定したとしても、それこそ憲法の営業の自由を侵すものでしょう。

Q:

(池田)一般的な見方は、経済産業省が水平分離を錦の御旗に総務省に殴り込んでいるというもので、これが世の中的なストーリーとして出回っている(それで、池田はその先兵だと。まったくもって心外ですけど)。でも、本当の所は別に、そう片意地を張っているわけではないでしょう。

A:

(梅村)別に利権があるわけじゃないし、経済産業省的にはそれを求めているわけでもない。

A:

(林)レッシグとかは面白い見方をしていて、あるパワーがメディア産業の中に生じたときに、どのような状況がユーザにとって起こりえるのか、という観点から、コンテンツとコンディットが結託して、情報の流通が阻害されたり、アクセスができなくなったりすることが恐ろしいのではないか? と考えている。
日本のメディア産業の人々は、普通の企業にとっては極めて一般的である、競争原理に対して怯えている所があるように見える。そのレベルに止まっているようでは、ダメだ。レッシグの議論のようなレベルにまで早くあがってきてほしい。

Q:

(池田)新聞協会とかが、水平分離の議論にかみついてきたのは、(この議論を援用されて)企業分割をされるのではないか、という恐れのようだ。

A:

(林)すでに、この法律案は英訳されて、出回っている。もしかしたら海外から外圧として要求がかかってくるかもしれない。一刻も早く、縦割り、横割りという議論から脱却してほしい。

Q:

(池田)民放連が主張するのは、災害時の警戒態勢(「七波火起し」)など、自前のインフラがないと緊急時の泊まり体制、報道体制に危険が生じる、という話である。

A:

光ファイバなどのNTTのネットワークを放送のために借りたりしている。それが不安定さの源泉なら、上記のような話は現に存在している懸念なのに、法律が変わってアレコレ言われる話ではない。それこそ、自分たちで光ファイバを買ってきて、やればいい話ではないか。それなのに光ファイバを借りているのは、経済的にお得だからだろう。

契約ベースでやってしまってもいいではないか(実質的に放送技術の人々と制作、報道の人々は全く別の生態で動いており、社内カンパニーに近いものがある)。これは、放送業界が誤解しているような所があり、制作担当者側からも、じっくり話していくべきでないか。

Q:

(根津)国際的な議論としてはどうなっているか。

A:

イギリスが日本の状況に一番近いと思う。イギリスは送信設備を民営化したり、水平分離が進みつつある。ただし、規制機関がいろいろあるので、それを統一化する法案が審議中。規制はこんがらがっているが、ビジネスは割とわかりやすい方向にある。
ドイツは戦争の反省にたった言論のあり方ということから始まっており、通信の責任は連邦、コンテンツの責任は州、というような言論の多様性を確保するための複雑な試みがなされている(放送局は州ごとに存在している)。
フランスでは、ローカル・コンテントの文化的側面に焦点が当たっており、国家政策としてのコンテンツ保護が前面に出ている。

コメント:

(池田)放送業者の立場に立ってみると、彼らの(誰も言わない)本音は、ある意味被害者意識のようなもので、彼らが自身を零細業界だと思いこんでいて、ソニーや外資、NTTが乗り込んできたら、あっと言う間に飲み込まれてしまう・・・という強い危惧があるようだ。ここは、ある程度勘案してあげる必要はあるのではないか。(レッシグが危惧しているような話も含めて)レッシグなんかは、最低限のアクセスができる部分のコモンズを作り(compulsory licensing)、そこへのアクセスは認めよう、という議論。この方法論だと、著作権でも議論できるし、インフラでも議論できる。これは、つまり非対称規制のような、上の方で細かく細かく規制をかけるよりは、ベーシックなコモンズの所を規制(保証)することを意味する。

Q:

(田中:東大)送信可能化権について
著作者の立場に立ってみると、中身を見られても、多少の権利保護がつくやり方と、中身は見られたくない、そのかわり権利は契約ベースでやります、という2タイプのどちらかを選べるようなやり方が良いのではないか。

A:

メッセージ共通法のメインは著作権法になるだろう。ただし、現行著作権法はあまりに複雑すぎるので、基本的には契約ベースで、条項自体は減らす方向にした方が良さそうだ。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。