政策シンポジウム他

難航するWTO新ラウンドの打開に向けて-多角的通商体制の基本課題と我が国の進路-

イベント概要

  • 日時:2005年7月22日(金) 9:30-18:25
  • 会場:霞が関東京會舘 ロイヤルルーム (東京都千代田区霞が関3-2-5霞が関ビル34階)
  • 開催言語:日本語⇔英語(同時通訳あり)
  • RIETIは、2005年7月22日終日、東京、霞が関東京會館において政策シンポジウム「難航するWTO新ラウンドの打開に向けて:多角的通商体制の基本課題と我が国の進路」を開催した。難航するWTO新ラウンドの打開を目指して、1)多角主義と地域主義との関係、2)WTO機構の強化、3)通商政策決定の国内プロセス、4)WTOとグローバル・ガバナンスという基本課題について、国際経済学、国際政治学、国際法学の専門家による学際的な検討がなされ、我が国の新ラウンドでの基本姿勢と貢献のあり方について議論が行われた。

    セッション4:「WTOとGlobal Governance―阻害と対立を超えて―」

    まず山本吉宣青山学院大学国際政治経済学部教授から「WTOとGlobal Governance―阻害と対立を超えて-」と題して以下の発表がなされた。

    1. グローバル・ガバナンスという概念とWTOとの関係について報告する。その際問題意識として以下の諸事項を設定する。まず第1に、知的所有権や投資等、ウルグアイ・ラウンド以降顕在化してきたいわゆる「貿易関連の...」と「貿易と...」の問題について。第2に、NGOやアカウンタビリティといった概念とWTOとの関連について。第3に、WTOはGATTあるいはその他の国際機関と比較し法律化が顕著であると考えられるが、ルールの体系としてのWTOにはその他さまざまな装置との関連で限界があるのではないかという問題意識。そして最後に、以上の3点に鑑みるにグローバル・ガバナンスと呼ばれる概念でWTOを分析することが必要になると考えられるが、ドーハ・ラウンドの難航の原因としてグローバル・ガバナンスという観点がいかなる意味を有するのかという問題意識。以下の議論の手順としては、まず国際レジームという概念でWTOあるいはGATTを把握し、次にかかる国際レジームの「グローバル・ガバナンス化」について議論し、最後にそのような「グローバル・ガバナンス化」の限界あるいは功罪について考察する。
    2. 国際レジームとは特定の問題領域の中で共通の目的を解決するために形成される。GATT/WTOに即していえば、自由貿易がその原理となり、かかる原理に含まれる経済効率や完全雇用が規範とされる。さらに共通目的実現の手段として、最恵国待遇や内国民待遇等の行動のルール、アクターは誰か等を決めるより高次の問題にかかわるコンスティテューティブ・ルール、また紛争処理手続等ルールの違反に対するルールや、コンセンサスや一括受諾といった集団決定に関するルールが設定される。これらの点で、GATT/WTOは非常に典型的な国際レジームであったと考えられる。
    3. 近年、以上のような国際レジームに変更が生じてきた。かかる変更はグローバル・ガバナンスという概念を用いて議論することができる。グローバル・ガバナンスとは、グローバルな問題を解決するために、多様な分野で、多様なアクターが、多様な方法で協力していく枠組みである。グローバル・ガバナンスは、考えの方向、あるいは、イデオロギーとしては、グローバリゼーションと反グローバリゼーションの中間にあると考えられる。すなわちグローバリゼーションによるさまざまな問題の発生は認める一方、それらを構造的な解決不能なものではなく国家や人間の協力によって解決できるものと認識し、その解決のための装置や協力について考察していくという立場として位置づけられる。GATT/WTOについては、その問題領域が貿易の自由化から開発あるいは環境といった問題に拡大し、複数の規範や原理の並立、また場合によっては対立が顕在化してきた。また、アクターの多様化、特に途上国の増大によって加盟国間の格差が増大し、開発やアカウンタビリティといった問題が生じる一方、これら問題の解決に関連しNGOをはじめとする新たなアクターの参入が進行してきた。さらに、問題領域の拡大にともない従来の法律化による解決とは若干異なるキャパシティー・ビルディング等の新たな装置が導入されてきた。
    4. グローバル・ガバナンス化の原因はグローバリゼーション、すなわちモノ、カネ、ヒトや情報の国境を越えた移動、そして規範、人権等の国際的な共有化にあると考えられる。一方その帰結、功罪としては、自由貿易とその他の問題とのアウターリミットの設定、すなわちそれら諸問題間の調整の問題が提起されていると考えられる。かつてラギーはGATTにおける自由貿易と国内の社会福祉との調整の必要性を埋め込まれた自由主義という概念を用いて説明したが、現在のグローバル・ガバナンス化は埋め込まれた自由主義の第2段階、すなわち自由貿易と国内の安定のみならず、国際的な環境の問題等をいかに自由貿易と両立させ、分業して政策の割り当てを図っていくかという問題に直面していると考えられる。一方、加盟国の増大や途上国によるコアリションの形成によって交渉自体が非常に複雑化していることも指摘できる。
    5. 現在のドーハ・ラウンドの遅滞はいかなる理由によるものかという問題については、まず開発をWTOの中心的な課題として取り上げたことが本当に正しい選択であったか否かに疑念を感じる。閣僚宣言をみても当初は開発が正面から取り上げられたが、その後はサービスや農業等通常の問題が中心となっている。交渉は現在いわば中だるみの状況にあるといえるが、農業問題にせよ、非農業問題にせよ、あるいはサービスの問題にせよ、非常に伝統的な各国間の利害対立が生じており、逆に環境や南北の公正といった規範の問題は後景に退いているように見受けられる。その意味でドーハ・ラウンドの遅滞はグローバル・ガバナンス化によるものというより、現段階では伝統的な国家間の利害対立の要因が大きいと考えられる。
    6. ドーハ・ラウンドの遅滞あるいはWTOをグローバル・ガバナンス化という観点からみると、地域協定やFTAに典型的であるように、アクターの多様化、問題領域の多様化、そして解決手段の多様化を伴うグローバル・ガバナンス化のさまざまな問題を回避する動き、すなわちカウンター・グローバル・ガバナンス化が生じてきていることが指摘できる。すなわち1つには、2国間や3カ国間等利益の妥協が容易な場で自由化を行いアクターが多様化することを防止している。さらに、問題領域の拡大についてはかかる拡大を防止するために2国間で調整している。また、貿易ルール以外のさまざまな装置を2国間あるいは3カ国間で取り入れている。自由貿易には常に自由化していなければいけないとする「自転車理論」が存在するが、GATT/WTOが遅滞する中自転車を漕いでいるのが現在のところ2国間協定であると考えられる。WTOと中国の関係という問題に関しては、ドーハ・ラウンドの対象領域と中国の(あるいは中国に対する)関心対象との間にギャップがあり、そのことがドーハ・ラウンドが失速し、政治的な関心を欠いている1つの要因となっているのではないかと考えられる。ではかかる状況下においていかなる場合にWTOが復権するのかという点については、差別的な協定として政治的な紛争の契機を潜在的に内在している地域協定が何らかの形で行き詰まる場合が考えられる。また、今後のGATT/WTOについては小さな交渉パッケージを通して自由化に向かって実際に何かを動かしていくような仕組みが必要であると考えられる。
    7. 結論としては、GATT/WTOについて問題の多様化、アクターの多様化、手段の多様化というグローバル・ガバナンス化の現象が生じている一方、地域協定のようなカウンター・グローバル・ガバナンス化の現象も見受けられる。しかし、国際社会全体をみると、徐々にではあるが、グローバル・ガバナンス化が進行していくものと考えられる。

    以上の発表に対してまず赤根谷達雄筑波大学大学院人文社会科学研究科教授から以下のコメントがなされた。

    1. 国連の関連諸機関におけるグローバル・ガバナンス論が、社会民主主義イデオロギーを基本として政治、経済、社会、環境を含む総体的な視座から国際経済秩序の見直しを提唱しているのに対して、山本教授の報告におけるグローバル・ガバナンスの概念は非常にアカデミックかつテクニカルで、政治イデオロギー的には無色透明との印象を受けた。
    2. 国際レジームとしてのWTOが自由主義原理を基本とするものであるのに対して、グローバル・ガバナンス・アプローチは一般的に国連重視で、社会的厚生や人権、所得分配、環境等を重視しているように見受けられる。グローバル・ガバナンスの観点からWTO体制を変えていくということになると、価値や規範のレベルでの対立が予想されるが、この点をどう考えるか。
    3. WTO体制やドーハ・ラウンドに積極的に関与しているNGOや市民団体は総じていうと反グローバリゼーションの立場に立っているものが多いように見受けられるが、そのような認識をどのように考えるか。
    4. WTO交渉に参加するアクターを増やすとラウンドの進展が困難になる一方、それを排除すると民主的アカウンタビリティが損なわれ、各国議会による交渉結果の批准も困難となることが予想される。グローバル・ガバナンスの要請を入れつつドーハ・ラウンドの促進も図るためには、今後いかなる形でNGOや市民団体の関与を認めるのが適当であると考えるか。

    次に阿部顕三大阪大学大学院経済学研究科教授から以下のコメントがなされた。

    1. ドーハ・ラウンドの妥結を困難としているのはGATT/WTOのグローバル・ガバナンス化というよりもむしろ伝統等的な保護主義や南北間の利害対立であるとする指摘、および短期、中期で小さな多角的交渉を行い、長期でより広い分野の問題を取扱うべきとする指摘がとりわけ興味深いが、このような理解で正しいか。
    2. グローバル・ガバナンス化による障害よりも伝統的な保護主義の方がより大きな問題であるという議論の具体的な根拠は何か。
    3. グローバル・ガバナンス化と交渉の困難性の増大の関係について、たとえば交渉の範囲の拡大や手段の多様化によって交渉が容易になるという側面もあるのではないか。
    4. 経済学における「政策割り当て」の理論からすれば環境や労働基準等の問題の解決のために貿易措置を適用することは好ましくなく、WTOは無差別原則や内国民待遇に沿った原則を堅持し、環境や労働基準といった問題についてあまり踏み込まない方がよいと考えられる。
    5. 短期、中期で取扱うべき問題と長期で取扱うべき問題を区別し、環境や労働基準等短期で取扱うことが不可能な問題を長期で取扱うべきとの指摘であったが、困難な問題を後回しにすることによって問題の解決が可能となるのか。

    さらに木村福成慶應義塾大学経済学部教授から以下のコメントがなされた。

    1. グローバル・ガバナンス化の中で問題となるのは、問題の多様化、アクターの多様化、手段の多様化という3方向の展開によってガバナンスの原理や規範に混乱や揺らぎが生じること、そしてかかる問題をより高次の原理や規範によって包摂していくことが要請されるが、GATT/WTOはまだその段階には達しておらず、当面のドーハ・ラウンドにおいてはまず目の前の問題を着実に解決していくことが重要であるとの主張であったと理解したが、このような理解で正しいか。
    2. たとえば開発と貿易の問題について既存の経済学の延長線上で解決可能な問題はたくさんあると考えられるが、原理や規範の見直し、拡充が求められるとの指摘における原理や規範とはどのレベルを指しているのか。一方、アクター間で原理や規範が共有できないということが本当に起きているとすれば、より高次の原理や規範の必要性が問題となるが、一体いかなるものがそれら原理や規範となりうるのか。
    3. 開発問題へのアプローチに関してその他の国際レジーム、あるいはグローバル・ガバナンスとの連携の可能性が言及されたが、そのような連携の可能性があると考えてよいのか、あるいは連携の橋渡しとなるような論理やパラダイムが存在するのか。
    4. GATT/WTOは未完成のグローバル・ガバナンスでそれゆえすべてを包摂するようなグローバル・ガバナンスが目指されるべきであるのか、あるいはグローバル・ガバナンスの実現など所詮不可能で、それゆえ複数のフォーラムの存在を前提としてより対象を限定した規範を作っていくべきであるのか。

    以上のコメントに対して山本吉宣青山学院大学国際政治経済学部教授から以下の回答がなされた。

    1. 木村教授の指摘によるグローバル・ガバナンス化に伴う原理や規範の揺らぎにいかに対処すべきかという問題、あるいはすべてを包摂するようなグローバル・ガバナンス体を考えるのか、いくつかのフォーラムの間の調整において規範や原理の割り振りを考えるのかという問題については、明らかに後者の立場をとっている。したがって赤根谷教授が指摘したとおり非常にラディカルな国連中心的なグローバル・ガバナンス論とは立場を異にするということ。
    2. 困難な問題を後回しにすることで問題が解決されるのかという阿部教授のコメントについて、本報告における意図は国際社会が非常に変化してきていることを前提として、既存のフォーラムを全体的に再編成する必要があるということ、そしてそのような再編成を前提にすれば短期間にすべての問題を取扱うことは不可能で長期的な視野が必要であるということ。
    3. グローバル・ガバナンス化について最も重要であると考えるのが、規範の対立といった問題をいかに整理していくのかという問題。反グローバリズム的な規範とGATT/WTOの自由貿易という規範の対立を考えるとメタ規範の実現は不可能で、自由貿易であれば自由貿易という原理をいかにして説得して、維持し、広げていくかという問題。
    4. グローバル・ガバナンス概念の用法に関する赤根谷教授のコメントについて、本報告で同概念を用いたのはWTOの現状のある側面をとらえるときに分析的に用いることができる概念であると考えたから。国際社会を社会民主主義見地からとらえそのあり方の変革を唱える議論については、その実現性に疑問がある。方針としては分析的に取込めるものは取込み、不可能な議論について不可能であると論じるべきだということ。

    会場から(1)「埋め込まれた自由主義の概念について、GATTからWTOへの移行にともない自由貿易体制が埋め込みを脱してしまった、それがWTOに対する批判を将来しているのだとする議論があるが、このような議論についていかに評価するか」との質問、および(2)「報告において言及された埋め込まれた自由主義の第2局面とは具体的にいかなるもので、いかなる契機によって生起するのか」との質問がなされ、山本教授から以下の回答がなされた。

    1. WTOに至って埋め込みを脱してしまったとの議論に同調する部分もあるが、本報告における意図は1つの仮説として冷戦終結によって対立する陣営が消滅し世界全体がある意味で1つの社会のような状況になるに至って、国際社会全体を安定化させるような装置が必要になってくるのではないかということ、そして国家間の自由化と国際社会の安定という2つの装置が同時に両立することが埋め込まれた自由主義の第2段階といえるのではないかということ。

    会場から「富の分配を国際的にどうするかという問題について、今いかなることが議論され、また現実的にそれをいかに考えたらよいか」との質問がなされ、山本教授から以下の回答がなされた。

    1. 近年GATT/WTOにおいていわゆる分配的正義という哲学の分野からの議論がなされている。しかし、貿易のみから分配的正義を議論するのは困難で、貿易を超えたシステムが必要ではないかと考える。また赤根谷教授のコメントにあった民主的アカウンタビリティという概念は政治的な分配的正義の問題であると考えられる。ただし同概念についてはただ参加するというだけではなく、アカウンタビリティの内容まで含めて議論されていく必要があると考える。

    会場から「およそ経済活動に関するものはすべて取り込もうというのがWTOの大きな流れであるように思われるが、環境問題は貿易政策ではなく国内政策で対応すべきとする阿部議論はWTOの考え方からすると狭すぎるのではないか」との質問がなされ、阿部教授から以下の回答がなされた。

    1. WTOで環境や労働基準の問題をまったく取り扱うべきでないとの議論ではなく、政策の割り当ての問題としてどういう政策がとられるべきかという少し狭い意味での議論。たとえば貿易取引そのものが環境を悪化させるということであれば、経済学の観点からしても何らかの貿易措置が正当化される可能性があり、そのような例外的なケースについては環境改善のための貿易措置も認められるべき。