イベント概要
RIETIは、2005年7月22日終日、東京、霞が関東京會館において政策シンポジウム「難航するWTO新ラウンドの打開に向けて:多角的通商体制の基本課題と我が国の進路」を開催した。難航するWTO新ラウンドの打開を目指して、1)多角主義と地域主義との関係、2)WTO機構の強化、3)通商政策決定の国内プロセス、4)WTOとグローバル・ガバナンスという基本課題について、国際経済学、国際政治学、国際法学の専門家による学際的な検討がなされ、我が国の新ラウンドでの基本姿勢と貢献のあり方について議論が行われた。
セッション2:「紛争処理の目指すもの-WTO紛争処理手続の在り方―」
まず小寺彰RIETIファカルティフェロー・東京大学大学院総合文化研究科教授から「紛争処理の目指すもの-WTO紛争処理手続の在り方―」と題して、以下の発表が行われた。
- WTO体制はリベラリゼーション、マルチラテラリズム、リーガリズムという3つの概念によって特色づけられる。本報告ではそのリーガリズムのバックボーンたる紛争処理手続について、それが一体いかなるものか、今後いかなるものとしてあるべきか、そしてDDAにおいて何が目指されるべきかといった視点から検討する。紛争処理手続がWTO体制のバックボーンたる所以は、それが極めて頻繁に利用されているということ、すなわち紛争が生じればその紛争処理手続によって処理がなされていくことにある。しかしDDA交渉において同分野は当初アーリーハーベストの対象として位置づけられていたにもかかわらず、その交渉は完全な行き詰まりの状況にある。
- WTOの紛争処理手続でとりわけ重要であるのが小委員会および上級委員会手続であり、これら両手続において極めて法的な要素の強い判断、裁判類似の判断が提出される。現在のところその遵守率はおよそ80%以上と極めて高く、さらに遵守がなされなかった場合にその後の実施のための手続が具体的に規定されているという点においても国際的な紛争処理手続として非常に画期的といえる。
- WTOの紛争処理手続を裁判手続として一括する議論も存在するが、本報告では同手続の特質と課題を明らかにするにあたって以下の3つの考察軸を設定する。まず、第1の軸が合意か強制かという問題である。国内紛争処理手続においては最終的な措置として強制執行が存在するのに対して、国際紛争の場合最終的には合意によって紛争が解決されることが特徴である。ただしここでいう合意か強制かの問題は二者択一の問題ではなく、合意あるいは強制の要素をどの程度含ませるかという程度の問題である。次に、第2の軸として紛争を未来に向かって処理するのかそれとも過去に向かって処理するのかという問題が考えられる。昨今WTOの紛争処理手続は未来志向であるゆえ「違反のやり得」であるとの批判から、同手続においても損害賠償を認めるべきだとの議論が存在する一方、逆にお金さえ支払えば何をやってもよいのではないかという別途の議論が展開される。最後に、紛争の処理に際して対象となる争いが単純なものかあるいは複雑なものかという問題が存在する。争いといってもその性質は極めて単純なものから相当複雑なものまでさまざまであり、複雑な争いの処理の仕方と単純な争いの処理の仕方は異なる。この場合、争いが単純か複雑かという問題はその争点が同質のものによって構成されるか、それとも複数の質の異なる争点によって構成されるかという点によって区別が可能である。
- WTO紛争処理手続の画期性は、手続の開始に合意が不要となったこと、パネル報告採択の際のコンセンサスが不要となったこと、そして従来は問題とならなかったリタリエーションが組織化されたこと等の点においてその強制性が大幅に強化されたことにある。しかし、では現在の紛争処理に合意の要素がまったくないかというと決してそうではなく、協議をするという点、またどのような形で紛争処理の結果を守るのかという点においても合意の要素が存在する。結論的にいえば、WTO紛争処理手続は合意を基本にしながら強制の要素を増強したものと考えられるが、その実現の要因としてはアメリカによる一方的措置の阻止を意図した日本およびヨーロッパの思惑、また効率的な履行強制の実現を意図したアメリカの思惑が作用したと考えられる。
- WTO紛争処理手続についてもう1つ重要であるのがその手続が未来志向、すなわち将来に向けての遵守が問題となるという点である。この点についてWTOの世界では「違反のやり得」であるといった問題が指摘されるわけであるが、国内裁判手続においても大きな抗争の解決という観点ではいかに未来に対して紛争を解決していくかということの方が重要となるわけで、その点ある意味でWTOの紛争処理手続の方がポジティブな面を持っているとの評価も可能である。
- 次に抗争の性質という問題については、単純な抗争の場合は法的な処理が可能であるのに対して、抗争が複雑になればなるほど法的な解決は不可能となりせいぜい解決のための糸口が提供されるにとどまるという点が指摘できる。たとえばダンピングに関する争い等に関してはダンピング協定をいかに解釈するかという点のみが問題となるため法的な処理に馴染む問題であるのに対して、貿易と環境といった問題は貿易という価値とそれに基づく規範および環境保護という価値とそれに基づく規範をいかに調整するのかという複雑化した抗争となるためその法的な処理が極めて困難となる。
- WTO紛争処理手続の課題としてはまず第1に環境と貿易の問題が挙げられる。たとえば有名なツナ・ドルフィンケースにおいてはドルフィン保護のためにドルフィンを傷つけるツナの輸入を禁止したアメリカの措置がGATT違反であると判断され、環境保護団体から強い批判を受けたわけであるが、結局問題の本質は紛争処理手続の判断が実体的に正しいか間違っているかの問題ではなく、どこまで正しさを確保できるような手続になっているのかという点に集約される。WTO紛争処理手続に関するその他の課題としては、WTOにおいて判断が自動的に採択されるに至ってその不遵守の問題が生起したこと、特に農業問題等において交渉の結果とパネルの判断が乖離するケースが発生したこと、そして紛争処理手続の利用能力という点に関してアメリカやEU等の先進国と発展途上国との間に隔たりが生じてきていること等の問題が挙げられる。
- 以上のようなWTO紛争処理手続の問題状況に際して、裁判手続と同様の手続的な正当性をいかに確保するかという問題についてはアミカスキュリエの導入、パネルの常置、審理手続の公開等を要求する議論が提起されるが、これはひとえにWTO紛争処理手続を裁判に近づけるべきという主張と一括できる。さらに「違反のやり得」に対して損害賠償手続を設定すべきとする議論が主張されるが、これについてはお金さえ払えば守らなくてもよいのかという別途の問題が生じることも念頭におく必要がある。
- 紛争処理問題の本質にいかに対処すべきかという問題について、まず強制の要素の程度の問題に関しては各加盟国とも損害賠償手続の設定をめぐる議論をのぞいておおむね満足していると考えられる。環境と貿易等の「複雑な抗争」の問題については環境の価値等貿易外の価値の自立性を認めることで一定の対処が可能になっていると考えられるが、たとえば京都議定書上の手続措置と貿易措置との関係といった文脈において今後再度問題化する可能性は大きい。その他強制の要素の増大に伴う紛争処理手続の整合性の確保という技術的課題、また途上国により手続利用の容易化といった課題が存在するが、これらについて各国の交渉優先順位は低く、ラウンド内で対応してもよいし、しなくてもよい問題であると考えられる。
- リベリゼーション、マルチラテラリズム、そしてリーガリズムというWTO体制の特徴は今後も生き続けるものと考えられ、このことはWTOにおける紛争処理の定着を意味している。また、NAFTA仲裁手続等にみられるよう、紛争処理手続が国際経済関係のキーになるという現象がWTOをベンチマークとして現在他分野においても拡大している。最後に、現在のところ環境と貿易の問題に関するWTO紛争処理手続の懸命な対応によって問題の表面化が回避されているものの、WTO紛争解決手続をEU裁判所類似の制度に変えていくべきか否かという問題がおそらく政治的に最大の課題となると考えられる、京都議定書との関係等の文脈において当該問題が表面化し、手続的正しさをいかに確保するかという問題と現在のような時間的およびコスト的に効率的な紛争処理手続の維持という問題の間にトレード・オフの関係が生じるに至って、今後のWTO紛争処理手続をどのような形で構想していくのかについて新たなコンセンサスの探求が真剣に行われなければならないと考えられる。
以上の発表に対してまず川瀬剛志RIETIファカルティフェロー・大阪大学大学院法学研究科助教授から以下のコメントがなされた。
- ドーハ・ラウンドにおいて紛争解決手続交渉に携わった経験から、「正しさ」、「未来志向」等小寺教授が提示した変数について、現在加盟国がどのような方向に変えていこうと考えているかについてコメントする。
- 紛争処理手続をより司法化して裁判類似の制度にもっていくか否かについては欧米間で深刻な哲学的な対立がある。特にアメリカが現在の手続の自立性を行き過ぎであると感じており、小寺報告にある「正しさ」の確保を紛争中に加盟国がパネルないし上級委員会の判断をコントロールすることによって行う旨提案しているのに対して、欧州経済共同体(EEC)はパネルの常設化あるいは差戻し制の導入といったより中立的、専門的、かつ裁判類似の手続きを導入することによって手続の「正しさ」を確保しようと提案している。一方、手続の透明性の問題については深刻な南北対立が存在することを指摘できる。欧米諸国がいわゆる市民社会、シビルソサイエティの参加を前提としてアミカスブリーフの制度化や訴訟文書、手続きの一般公開を通じた透明性の確保に一定のコンセンサスを有しているのに対して、これら問題に対する途上国の不信は払拭されず、合意形成が極めて困難な状況にある。
- 小寺報告において勧告履行の難航が指摘されたが、これは同報告中にある「未来志向」型の執行制度の限界である。この点、メキシコが遡及的な制裁額の計算を提案し、途上国が集団制裁や金銭賠償の導入に熱心であるのに対して、近年制裁される側に回ることの多いアメリカからそうした「過去指向」型の紛争処理手続のあり方に同意が得られるとは考え難い。
- 最後に、現在の紛争処理手続に関する交渉においても紛争解決に対するキャパシティービルディングへの人的、資金的貢献が途上国より求められており、ジュネーブのWTO法制支援センターへの支援を含め、我が国の積極的な貢献が期待される。
次に米谷三以西村ときわ法律事務所弁護士・法政大学法科大学院教授から以下のコメントがなされた。
- 経済産業省およびWTO法律部における通商法実務の経験からコメントする。
- 小寺報告における現状の問題点の指摘、とりわけ現在いわゆる複雑抗争の増大が見られ、かかる問題にいかに立ち向かうかが今後の紛争処理手続の問題となるとの指摘に賛同する。ただし、その解決の方向性、すなわち実体的な正しさは追求できずそれゆえ「正しさ」の問題は手続的な正当性の向上により担保されるとの方向性については、果たして手続的な正当性の向上で問題解決が可能であるのかという原理的な理由、さらにこの方向で解決がなされた場合、日本はついていけるのかという実務的な理由から異論がある。
- 手続的な正当性の向上で問題解決が可能であるかという点については、司法化の前提として、価値判断の問題は基本的に合意によって解決済みで、残る法解釈の問題は技術的、専門的な問題なので司法に任せてよいとの考えが根底にある。しかし、WTO協定の解釈は貿易利益と国内の規制主権のバランスといった価値判断の問題と切り離し難く、パネルないし上級委員会の判断は価値判断とほとんど変わりがない。さらに、国内裁判所においても同様の問題を扱うことは当然あるが、EECあるいは国内裁判所とは異なりWTOという国際的に価値観の多様な加盟国の集合体において共通の価値観があるか否かという点も指摘できる。
- 最後に、EECやアメリカとの比較における紛争処理手続の使用頻度の少なさ、またそれを専門的に扱う法曹専門家の不足という状況から、手続的な正当性を追求していくという方向になったときに果たして日本がついていけるのかという点は疑問である。
さらに古沢泰治一橋大学大学院経済学研究科教授から以下のコメントがなされた。
- 小寺教授の報告を受けてWTOの紛争処理手続はいかにあるべきかという点についてコメントする。
- WTOの紛争処理手続がいかにあるべきかというのは、WTOの下で国際的な協力体制が強くなるように紛争処理手続を構想していくことであり、いかにして協力体制がたもたれるかというのは、まず協力体制から外れるようなことをした場合には制裁すること、そしてモラルに訴えるということである。
- 紛争処理の役割としては、罰則をするということとの関連で、実際に協定に違反するような行為が起こったかどうか裁判所的に判断すること、そしてモラルに訴えるということとの関連で、判例をとおして将来の行動規範を形成するということが考えられる。
- GATT第23条においては、(a)協定に対する違反があった場合、(b)協定違反かどうかを問わずに他国の政策によって不利益を受けた場合、(c)その他の場合、について当該紛争を紛争処理手続に訴えるべき旨規定されるが、それぞれ(a)については単純抗争、(b)、(c)については(b)、(c)の順に抗争が複雑化していると性格づけられる。
- 単純抗争については当該違反行為を是正させることに関してあまり心配の必要がなく、特に将来の違反行為を防止するという観点からできる限り自動的に制裁を課するべきと考えられる。制裁の方法としては、経済学的な効率性を追求するという意味、また発展途上国による紛争処理手続の利用を促進するという理由から金融報酬的な制裁が望ましいと考えられる。
- より複雑な抗争に関しては何が正しいのかわからないケースがほとんどであり単純に制裁が望ましいということにはならない。むしろかかるケースにおいては判例およびそれに関する議論の集積を通じて各加盟国のモラルに訴え、より強力な協力体制を実現することが可能であると考えられる。
以上のコメントに対して小寺彰RIETIファカルティフェロー・東京大学大学院総合文化研究科教授から以下の回答がなされた。
- 川瀬ファカルティフェローによるコメントは自分の報告を補足するもので、認識においてまったく一致している。
- 米谷弁護士によるコメントについては、解決の方向性という問題について規範のレベルで対応ができれば自分もそれが最も望ましいと考えている。問題は規範をつくるというレベルで対応できず、その決定が紛争処理の場に移る場合に何が必要であるのか、各国の政策問題について法解釈という形式的な形で判断を行うためには何が必要なのかという点である。
- 古沢教授のコメントは非常に明快であるが現実との間に多少のギャップがある。具体的には、紛争処理手続について問題となるのは最初から勝つか負けるかあるいは違反があるか否かがわからないような紛争であるという点、判例の集積によって必ずしもモラルが形成されるわけではないという点、そして複雑な組織体である国家が制裁によって遵守が単純に実現されるかといった点が指摘できる。
会場から「たとえばECのホルモン・ケースについてもECがその裁判モデルを主張するのかを考えてみた場合、WTOが扱う紛争の性質が問題を複雑化していると考えられる。海洋法分野におけるように紛争の性質に応じて当事国が紛争手続を選択できるというシステムをWTOに導入することは望ましいか、また可能か」との質問がなされ、川瀬ファカルティフェロー、小寺ファカルティフェローからそれぞれ以下の回答がなされた。
- (川瀬ファカルティフェロー)ホルモン・ケースのような場合にECがその裁判所的モデルから宗旨がえする可能性は十分にある。しかし、ECや日本によりアメリカに対するダンピングやセーフガード等の単純抗争に関する紛争が多数提起されている現状を前提として、ECは裁判手続型の、非常に自動的で執行力のある、制裁を強化するようなやり方に中期的にメリットを感じているものと考えられる。代替的な紛争処理手続の可能性については、途上国から現行紛争解決了解(DSU)に規定される仲裁や周旋の利用を活性化すべき旨主張がなされている。またDSUの第25条には、通常の手続とは異なり当事国の合意に基づいて自由に利用できる仲裁手続が存在し、これまでアメリカ・EC間の米国著作権法第110条事件で、金銭賠償額の算定のために1度利用されたことがあるが、私見としては、政治的に機微な案件について同様の手続の利用をより盛んにする方向での改正は、一考の価値があると考えられる。
- (小寺ファカルティフェロー)現在は協議の手続があるが、その協議の手続の中に誰かが関わる、つまり仲介の手続を協議に含めるということはあり得るし、昨今のヨーロッパにおける当該手続の普及状況に鑑みれば、ヨーロッパにより同手続の提案がなされる可能性は相当に高いものと考えられる。
I.M. デスラーメリーランド大学公共政策大学院教授と川瀬フェローとの間で以下の意見交換が行われた。
- (デスラー教授)アメリカのWTOの紛争処理手続への遵守はその記録からもまた世論等その他の指標からも比較的良好である。ただし現在アメリカが関与する案件にはある不均衡が存在し、それが将来的に問題を惹起する可能性が指摘できる。つまり、申立国であるか被申立国であるかにかかわらずアメリカが関与する案件においてはその80%について申立国が勝つ傾向が存在するが、ブッシュ政権下に入ってアメリカによる手続の開始が減少している。もしアメリカ人あるいは少なくともアメリカの貿易コミュニティがWTO紛争処理手続をアメリカに対して利用される手続であり、逆にアメリカは同手続を十分に利用していないとの印象を得れば、それは将来的な影響をもちうる。
- (川瀬ファカルティフェロー)一般論としてアメリカもWTOの判断をよく遵守し、WTOをサポートしていることには同意する。しかし、現在のアメリカの履行状況をみると、勧告履行のために議会が法改正をしなければいけない案件において不履行が多く、このことは議会がWTOの紛争解決のあり方に非常に不満を持っていることのあらわれではないかと考える。
- (デスラー教授)それら案件においてアメリカの不履行が多いことは確かである。この件に関して私はファースト・トラック手続の適用、つまり大統領がアメリカ法の変更の権限を持つべき旨提案する。またバード修正条項がいつ撤廃されるのかについては、ドーハ・ラウンドの実施法に挿入するという形が現実的に最も可能性が高いと考える。
会場から(1)「損害賠償さえ支払えば何でもありか」という議論の趣旨について、また(2)「私人」対「国家」という枠組みである投資紛争について「国家」対「国家」の枠組みたるWTOの紛争処理手続がベンチマークとなったとの議論の趣旨について質問がなされ、小寺ファカルティフェローから以下の回答がなされた。
- 「損該賠償さえ支払えば何でもありか」という議論は国内手続についてはない。しかし、国際社会においては民事、刑事の区別がなく、賠償が支払われた試しもほとんどなく、また支払うための仕組みも制度化されていないという点で「払っておけばいい」と思われて仕方がない部分がある。発言の趣旨は合意の要素が紛争の解決にとってやはり決定的で、機械的に強制の問題たる損害賠償を設定することで主権国家を前提とする国際社会で問題が解決できるのかということ。
- 投資紛争においても環境と投資の問題が重要となり、判断が案件ごとに分かれるためにWTOの上級委員会のようなものを作ってはどうかと同手続がモデルとして持ち出されるということ。また、環境と投資のような重大な問題について国家と投資家の間で問題を解決していいのか、より公的な意見を判断に反映すべきではないかという透明性をめぐる議論からWTOの紛争処理手続が引き合いに出されるということ。
会場から「ある規定がいかに解釈されるべきかに関する純粋な意見の相違に基づく案件がある一方、違反と裁定されるのを知っていながら紛争処理手続を利用する場合もある。WTOの紛争処理手続についてかかる濫用の傾向が強いか。そうであるとすればかかる傾向に対して何がなされなければならないか」との質問がなされ、荒木一郎横浜国立大学大学院国際社会科学研究科教授および米谷三以弁護士からそれぞれ以下の回答がなされた。
- (荒木教授)そのような紛争解決手続の利用を濫用と呼ぶか否かわからない。ジュネーブの外交官コミュニティの感覚としてそのような紛争処理手続の利用の仕方もそれほど異常なものとして認識されていないのではないか。
- (米谷弁護士)荒木教授の意見に基本的に同意。どの案件も明確にある動機だけで動いているということはないので明確にはいえない。