航空機開発支援とWTO補助金規律―MRJ初号機ロールアウトによせて―

川瀬 剛志
ファカルティフェロー

去る10月18日、三菱重工小牧南工場において、国産初の小型ジェット機、三菱リージョナルジェット(MRJ)飛行試験用初号機のロールアウト(完成披露)が挙行された。白色・細身の美しい機体は、歌舞伎の「くま取り」を模した彩色とせり上がった主翼が目を引く。また、機能面でも燃費効率や空力性能は大幅に向上し、居住性や静音性にも優れている。初飛行は来春を目指す(注1)。

しかし、2017年上期の納期が迫る中、機体試験や安全検査などの技術的ハードル、確実に採算ラインに載せるための契約数の積み増し、ライバルを見越したコスト削減など、課題は多い(注2)。更に本稿に論じるように、MRJの商業的成功は後に異なる困難をもたらす。

航空機産業における政府支援の役割

MRJは国主導でスタートした。発端は2003年度の経済産業省による「環境適応型高性能小型航空機」開発計画であり、後に(独)新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)のプロジェクト募集における三菱重工の選定を経て、2008年の三菱航空機の発足、MRJ事業化に至る。開発費用も総額の3分の1に相当する500億円程度を国が支援しているとされる(注3)。また、「アジアNo.1航空宇宙産業クラスター形成特区」の指定を受けた愛知県や地元市町村も、用地整備や設備投資補助など多様な支援策を用意した(注4)。

海外で成功を収めた航空機産業も官主導、更に言えば国有企業(SOE)として設立され、民営化を経て発展してきた。たとえば大型機ではエアバス、そしてMRJと競合するエンブラエルがこれに当たる。新興では中国商用飛機(COMAC)も中国政府・上海市の資本が過半数を占める。昨今の新興経済(特に中国)の勃興に伴い、国家資本主義(state capitalism)に関心が集まるが、SOEが享受する豊富な国家資金や税制・規制上の優遇が生み出す競争条件の不公平に強い懸念が示されている。米国がTPP交渉や昨今のFTAにおいて厳格なSOE規律を求める所以である。

しかし一方で、SOEには独自の社会経済的意義がある。たとえば、スピルオーバーが見込まれるが、巨額投資やリスクにより民間投資が期待できない分野における資本市場の失敗の是正はその1つであり、航空機産業のSOEや国家資本導入はこれに該当する。すなわち、研究開発・生産設備の初期投資が巨額であり、これらはサンクコストとなる。また、生産数と単位生産コストが反比例する学習曲線が作用し、航空会社が保守管理や操縦技術習得の効率性から航空機に共通性(commonality)を求めるため多様な機種を多数製造する必要がある(規模・範囲の経済性)。さらに、投資サイクルが長く(大型機なら初期投資の回収に十数年)、この間経済危機やテロなどの外生的リスクにも晒される。他方、技術のスピルオーバーは国内の関連分野(ex. 素材産業)のみならず、グローバルバリューチェーンを通じて海外にも及ぶことが期待できる。

WTO協定と航空機産業支援

このように航空機産業への国家資本導入・公的支援は妥当性を有する一方、WTO協定、特に「補助金及び相殺措置(SCM)協定」は、こうした介入を厳格に規制する。我が国主張のとおりMRJに限らず補助金の交付は一般に合法だが、同5条は補助金による他の加盟国への「悪影響」を規制する。特に同条(c)にある「著しい害」(同6条に定義)は、補助金の競争力による他国製品の排除、そして、他国製品の価格引き下げや販売減少などの効果が認められる場合などがこれに該当する。

加えて、数百億円単位の航空機取引においては航空機ファイナンスが重要であり、各国とも貿易金融の整備・提供が国際シェアの拡大に不可欠になる。しかし、現行のSCM協定3条は輸出補助金を禁止している。特に同協定附属書1 「輸出補助金の例示表」の(j)、(k)によれば、十分なコストやリスクプレミアムをカバーしない貿易保険や輸出信用の供与を禁じている。ただし輸出信用はOECD公的輸出信用アレンジメント(注5)に適合すれば問題ない。

航空機産業は、ボンバルディア、エンブラエルが先行する小型機も、エアバス、ボーイングが鎬を削る大型機も共に国際寡占市場であり、典型的な戦略的貿易モデルが該当する市場構造である。補助金はゼロサム的に相手方のシェアを奪うため、補助金の対抗的な交付だけでなく、下記のように相手方の交付抑止のためにWTO紛争を相互に提起してきた。

表:WTOにおける航空機産業支援関連の紛争案件
被申立国/申立国事件名(事件番号)判決(日付)事件・判断の概要
ブラジル/カナダ民間航空機(DS46)パネル(99.4.14)
上訴(99.8.2)
履行確認①(00.5.9)
履行確認①上訴(00.7.21)
対抗措置仲裁(00.8.28)
履行確認②(01.7.26)
エンブラエル機の輸出に供与される利子補給制度が輸出補助金に該当し、SCM協定3条に違反する。
カナダ/ブラジル民間航空機(DS70)パネル(99.4.14)
上訴(99.8.2)
履行確認(00.5.9)
履行確認上訴(00.7.21)
ボンバルディア機の輸出に供与されるカナダ輸出開発公社の信用保証やTPCプログラムによる資金供与が輸出補助金に該当し、SCM協定3条に違反する。
カナダ/ブラジル民間航空機(DS222)パネル(02.1.28)
対抗措置仲裁(03.2.17)
DS70の継続案件。
EU/米国大型民間航空機(DS316)パネル(10.6.30)
上訴(11.5.18)
履行確認(係争中)
エアバス社に対する独仏西英政府による開発・生産開始支援、用地・施設提供、企業再編支援等が補助金に該当し、SCM協定5条・6条に規定する悪影響を米国に与えた。
米国/EU大型民間航空機(DS353)パネル(11.3.31)
上訴(12.3.12)
履行確認(係争中)
ボーイング社に対するワシントン、カンザス、イリノイほか州政府・自治体の税制優遇、NASA・国防省の研究開発支援等が補助金に該当し、SCM協定5条・6条に規定する悪影響をEUに与えた。

この状況では、MRJの参入を先発のブラジル、カナダが座視することは期待できない。事実、ブラジルは2011年2月の貿易政策検討機関や2013年10月の補助金・相殺措置委員会などの機会に、WTOにおいて日本に本件の情報開示や協議を要請している(注6)。三菱航空機の川井昭陽社長は、今後拡大する小型機の「世界市場の半分以上を取るぐらいの気持ち」と意気軒昂だ(注7)。川井氏は今後20年につき小型機全体で5000機の海外需要を見積もるが、単純計算で年250機の納機となる。このような小さなオーダーの取引のため、たとえばエアバス事件やボーイング事件では、個別市場の年わずか数十機のシェア変動が問題となった。仮に大きなシェアをMRJが奪取するなら、ブラジル・カナダはSCM協定上の「悪影響」の立証は容易と見るだろう。さらに現状でも既に数度開発スケジュールが延期されるなど開発は難航しており、公的支援なしにMRJがこの時期と性能で完成できたとは想定しがたい。だとすれば、ブラジル・カナダは財政支援と技術面・価格面でのMRJの競争力、ひいては競合他社の損害の間の因果関係を主張するであろう。

他方、貿易金融については国際協力銀行(JBIC)や日本貿易保険(NEXI)が既に受注を支援しているが、首相官邸はこれらが「国際ルールに則った」支援であることを明記している(注8)。この点については、紛争化は具体的な支援プログラムの内容いかんになろう。

国際ルール遵守の輸出支援の一方、国家による航空機開発支援の再定義を提起せよ

しかし他方で、航空機産業支援に対するSCM協定による規制には疑問の余地がある。前述のように、航空機産業におけるSOE・国家資本は正の外部性をもたらす。また、複占市場では補助金はむしろ航空機価格を低下させ、競争的水準に近づける。しかし、上記のように、SCM協定がこれらを無視し、もっぱらシェアや販売数量などの変動にのみ着目するのであれば、複占の航空機市場では補助金は容易に「悪影響」に帰結する。更に、研究開発支援補助金に関する例外規定(SCM協定8.2条(a))も失効している(同31条)。これでは現行協定は航空機産業への補助金交付を事実上禁止するに等しい。公的支援を欠く航空機産業への新規参入は極めて困難であることに鑑みれば、SCM協定は後発企業の新規参入を抑制する一方、WTO発足前にSOEとして参入した先行企業の支配的地位を保証し、航空機市場に競争制限をもたらす。

加えて、航空機生産のグローバルバリューチェーンに参加する部品産業を各国が支援しており、我が国もボーイング機の主翼・胴体生産を担う富士重工・川崎重工を支援する。よって、本社母国の補助金のみを規制することも無意味である。

MRJ、COMAC、更にスホイ(露)の参入による航空機開発競争の激化に伴い、今後およそ5年から10年のうちに、新たな通商紛争の勃発は不可避であろう。我が国としては、官邸が掲げるとおり国際ルールに沿った輸出支援の一方で、上記の問題点を踏まえて、航空機分野での研究開発・生産開始支援については、SCM協定改正やOECDでの追加的ルール策定などを視野に国家の役割の再定義を試みるべきである。加えて、我が国も競合他社への国家支援に対して積極的にWTO紛争を提起し、戦略的に対応すべきである。

2014年10月28日
脚注
  1. ^【メイド・イン・ニッポンの傑作】燃費の低減と居住性を両立させた三菱航空機『MRJ』の設計力」@DIME 2014年10月22日、「<MRJ>国産初の小型ジェット旅客機 美しさの秘密」毎日新聞 2014年10月18日。
  2. ^ 毎日新聞 2014年10月19日朝刊2面、Fuji Sankei Business i 2014年10月18日1面。
  3. ^ 日本経済新聞2014年8月29日朝刊13面。
  4. ^ 半導体産業新聞 2014年7月9日2面、朝日新聞2013年2月6日朝刊27面、中日新聞2013年1月24日朝刊1面。支援策については「特区の支援メニュー」(アジアNo.1航空宇宙産業クラスター形成特区)参照。
  5. ^ 付属書IIIに民間航空機セクター輸出信用了解が付されている。最新改訂版および和訳(ただし2009年7月版)は「OECD公的輸出信用アレンジメント」(国際協力銀行)を参照。
  6. ^ 日本経済新聞2013年10月22日夕刊3面、日本経済新聞2011年2月18日夕刊3面。
  7. ^MRJついに公開!『世界市場の半分を取る』三菱航空機トップが語る世界戦略」東洋経済オンライン2014年10月19日。
  8. ^空の日特集」(首相官邸)。
文献
  • 川瀬剛志 (2015 近刊)「WTO補助金規律における国家資本主義の位置 ―エアバス事件の示唆―」江藤淳一編『国際法学の諸相―到達点と課題(村瀬信也先生古希記念論集)』(仮)信山社.
  • 米谷三以(2013)「航空機産業に対するWTO補助金協定の適用」『空法』54号:27-53.
  • Ha-Joon Chang (2007) State-Owned Enterprise Reform. National Development Strategies Policy Note. UNDESA.
  • Juan He (2014) The WTO and Infant Industry Promotion in Developing Countries: Perspectives on the Chinese Large Civil Aircraft. Routledge.
  • Douglas A. Irwin & Nina Pavcnik (2004) "Airbus versus Boeing Revisited: International Competition in the Aircraft Market." Journal of International Economics Vol.64(2): 223-245.
  • Simon Lester (2011) "The Problem of Subsidies as a Means of Protectionism: Lesson from the WTO EC ― Aircraft Case." Melbourne Journal of International Law Vol.12(2): 345-372.

2014年10月28日掲載