中島厚志の経済ルックフォワード

消費税率引き上げは賃金の着実な底上げの好機

中島 厚志
理事長

盛り上がらない駆け込み需要

消費税率引き上げまで3カ月を切ったものの、今までの税率引き上げ時にあったような駆け込み需要はほとんど見られない。いまのところ耐久消費財消費は落ち着いた状況が続いており、拍子抜けの感じすらある(図表1)。

図表1:日本:小売業販売額増減率の推移
図表1:日本:小売業販売額増減率の推移
(注)前年同月比、季調済
(出所)経産省「商業動態統計」

背景には、米中貿易摩擦などを受けた景気の先行き不透明があって消費自体が停滞している側面もある。しかし、政府の消費税率引き上げ対策が大きく奏功しているように見える点も見逃せない。その対策では、軽減税率導入、幼児教育無償化をはじめとしてポイント還元、プレミアム商品券などが予定されており、自動車税減税や住宅ローン減税の拡充などもある。

これらの措置の中でとりわけ注目されるのは、軽減税率導入やポイント還元などの措置である。というのは、いずれも消費税率引き上げを前にした駆け込み需要が高まるのを抑えるからである。軽減税率導入は飲食料品の買いだめを不要とするし、ポイント還元や住宅ローン減税の拡充、自動車税減税などは当面あるいは恒久的に消費税率引き上げ分を軽減ないしは打ち消すことになる。

いままでの消費税率引き上げでは、巨額の駆け込み需要と反動減が生じて景気に大きな影響をもたらしてきた。ところが、今回駆け込み需要もその反動減も目立たなくなるとすれば、その分経済の安定成長持続につながることになり、朗報といえる。

朗報はまだある。それは、今次の消費税率引き上げによる物価押し上げも、いままでと比べれば限定的と見込まれることである。軽減税率導入に加えて、消費税率引き上げ分も財源として実施される幼児教育無償化により、該当分の消費税の追加支払いや支払いそのものが不要となる。さらに、タイミングが合致した携帯電話料金の大幅引き下げが実現されることとなれば、消費税率引き上げがもたらす消費者物価上昇は全体ではほとんど相殺されてしまうとも計算される。

不十分な賃金上昇

もっとも、今回の消費税率引き上げ前後の景気変動や物価上昇が抑えられたとしても、安心はできない。それは、仮に消費者物価が全体としてはあまり上がらないとしても、消費税がかかる財・サービスでは税率引き上げ分だけ購入額が上昇することに違いはないからである。そもそも、多くの消費税率引き上げ対策が一時的なものであり、恒久的に国民の実質購買力が増税によって下がるのを補うものではないこともある。従って、消費税率引き上げによる実質購買力の低下を最終的に補うには、実質所得減とならないような賃上げが実現することが欠かせない。

もちろん、企業には、消費税率引き上げ対応で従業員の給与を上げなければならない義務はない。まして、消費増税で景気が悪化して企業収益が下押しされるとなれば、なおさら賃上げなど難しい。

実際、いままでの賃上げ状況をみても、必ずしも消費税率引き上げによってもたらされた消費者物価上昇をカバーしていない(図表2)。しかも、賃上げが消費者物価上昇に割り負ける度合いは、消費税の導入時よりも5%への引き上げ時、5%への引き上げ時よりも8%への引き上げ時と、引き上げとなる度に大きくかつ長期になっている。

図表2:日本:名目賃金と消費者物価の増減率
図表2:日本:名目賃金と消費者物価の増減率
(注)増減率は前年同月比。名目賃金は(月間現金給与額-特別給与)、物価は消費者物価(総合指数)。差(=実質賃金)は名目賃金-消費者物価。
(出所)厚労省、総務省

消費税率が3%から5%に引き上げられた97年以降の賃上げが乏しかった背景には、90年代の金融危機もある。かつての労使交渉では、物価上昇を織り込んだ賃上げという考え方が根底にあった。しかし、90年代後半の金融危機以降は、賃上げよりも雇用維持に重点が置かれ、賃上げ率は物価上昇率に比べて見劣りしている。現に、毎年の春季労使交渉の結果をみても、物価上昇を織り込んだ賃上げが相対的に実現されなくなってきている(図表3)。

図表3:日本:春季賃上げ率と消費者物価上昇率
図表3:日本:春季賃上げ率と消費者物価上昇率
(注)春季賃上げ率は民間主要企業春季賃上げ率。消費者物価上昇率は総合指数
(出所)厚生労働省、総務省

消費税率引き上げは賃上げの好機

日米の賃金増減率を見てみると、いずれも消費者物価の動向と大きな相関が認められる。特に、米国では賃金増の原資ともなる値上げを毎年行う企業も多く、それが物価上昇にはつながっても、物価上昇を補う賃金増をもたらして個人消費が活発化するという好循環実現の一因ともなっている。

日本でも、物価と賃金の増減は相関している。しかし、その度合いは米国と比べれば弱い上に、企業の収益増も米国企業ほどには賃金増に反映されていない。日本では値上げが通りにくいことも、値上げを活用して利益率を維持しつつ賃金増につなげることを難しくさせているといえる。

ただし、賃上げが消費者物価上昇率に追いついていない現状や米国の状況などに鑑みると、日本の労使ともに、賃上げに際してもっと消費者物価を意識する姿勢を採る必要があろう。しかも、日本企業では、内部留保が大きく積み上がって466.8兆円と過去最高を更新しており、十分な貯蓄余剰がある。しかるに、1990年と比べれば、企業の経常利益は2.4倍に増え、人手不足が深刻化しているにもかかわらず、1人当たり名目賃金は横ばいが続いている(図表4)。

図表4:日本:企業経常利益と名目賃金
図表4:日本:企業経常利益と名目賃金
(注)1990Q1=100、季節調整値
(出所)財務省、総務省

第4次産業革命を迎えて、AIの利活用が今後の企業競争力を左右する状況にあって、企業が一段の関連投資とともに人的投資を図ることが待ったなしの状態にある。また、人手不足の深刻化も踏まえると、90年代前半までのような賃金の着実な底上げを目指して物価上昇分をカバーする賃上げを実現する意義は大きい。

2019年10月の消費税率引き上げは、日本経済にとってかく乱要因となる懸念はある。しかし、財政上の必要性は置くとしても、それが契機となって物価上昇分をまかなえる賃上げにつながれば、雨降って地固まることになる。それは、逆説的に見えようとも、「賃上げ→消費増→企業収益増→賃上げ」という経済の好循環が実現することでもある。ぜひ消費税率引き上げが賃金の着実な底上げにつながることを強く期待したい。

2019年7月26日掲載

この著者の記事