Ⅰ
ODAが果たすべき役割の中でも、貿易・投資という実体経済を刺激することは、開発を進めるために決定的に重要である。グローバリゼーションが進展し、世界規模、地域規模の競争が激化する中で、外国直接投資(FDI)をどれだけ呼び込めるかは、国の発展をどれだけダイナミックに進めることができるかを決める重要な要素となっている。こうした中、日本の経済にとって関わり合いの深い地域において、ODAを活用しつつどのように投資環境整備を進めることができるかは、ODAに与えられた大事な課題である。 2003年の1年間をかけて作業が行われた、ベトナムの投資環境整備のための「日越共同イニシアティブ」が目指したものは、まさにそれであった。
Ⅱ 首脳レベルのコミットメント
2003年12月。ハノイ市内のホテルに、ベトナムの投資環境整備のための「日越共同イニシアティブ」の日本・ベトナム両国の代表が集まっていた。日本側は、宮原賢次日本経団連副会長、服部則夫駐ベトナム大使。ベトナム側は、フック計画投資大臣、カップ次期駐日大使。この4人は、このイニシアティブを進めるための「合同委員会」の共同議長であった。そこには、両国の政府、関係機関の代表者も参集していた。
日本・ベトナム双方からの挨拶に続いて、4人の共同議長が壇上に進み、ベトナムの投資環境の改善のためにとられるべき行動計画を盛り込んだ「報告書」へ署名を行った。ベトナム側は、この行動計画を着実に実施に移していくことへの決意とともに、それにより、日本からの投資が増えていくことへの期待を語った。
この報告書は、それから1週間後、日ASEAN特別首脳会議のためにファン・バン・カイ首相が訪日して小泉首相と会談した際、両首脳に報告かたがた提出された。
こうして、日本とベトナムの関係者がベトナムの更なる発展のための競争力の強化を目指して1年間にわたって議論して練り上げてきた投資環境の整備のための改善・改革の諸措置が首脳レベルのコミットメントとして確認されたのである。
Ⅲ 困難への挑戦
2002年12月。ちょうど一年前の対ベトナム支援国会合において、この「日越共同イニシアティブ」の発端となる演説が服部則夫駐ベトナム大使によって行われた。服部大使は、ベトナムが危機意識を持って、投資環境を飛躍的に改善させて行く必要性を説いた。
「確かに、ベトナムは、周辺国に比して高い経済成長を遂げている。しかし、人口規模がほぼ同じ広東省の状況と比較してみれば、ベトナムが現状に満足していてはいけないことは明らかであろう。国際競争が激化する中、ベトナムは、更なる成長軌道に乗れるか、それから脱落するかの踊り場に来ている。鍵を握るのは、投資環境を改善し、外国投資を誘致して、競争力を強化することである。」
服部大使は、そう述べつつ、ベトナムの投資環境整備に向けた具体的方策を策定するために、日本・ベトナムの両国での共同作業を行っていくことを提唱した。
2003年4月。支援国会合から4カ月後、ベトナムのファン・バン・カイ首相が来日した際、小泉総理大臣との会談において、この構想は「日越共同イニシアティブ」として立ち上げられた。
こうしてベトナムの投資環境を飛躍的に改善することを目指した作業がスタートしたが、これは、かなりの困難が予想される作業であった。
ベトナムの投資環境には、さまざまの課題がある。厳格すぎる投資関連規制。税関、税務などの行政実務の透明性、信頼性などの問題。知的財産権の保護の立ち遅れ。汚職の問題。法規範の不整合。基本的な経済インフラが未整備で、ユーティリティーコストが高いとの問題。
これらの問題は、経済発展の未成熟や対外経済への統合が不十分なことに起因するものもあれば、計画経済の残滓によるものもある。要は、投資環境の問題とは、その国の経済の総合力の問題であり、一朝一夕にして改善を図ることは容易なことではないのである。また、86年のドイモイ政策の導入以来、改革が図られてきたが、対応が難しいために依然として解決していない「ハードコア」の問題が残されているという側面もあった。
これを外部から変えていこうとすることは、至難のわざとも言えた。これまでも、日本とベトナムの間では投資環境の整備についてさまざまなチャネルで話し合ってもきていた。しかし、これはどうしても、両論併記に終わりがちであった。また、日本はベトナムに対し政策支援型の援助も行ってきた。しかし、これも提言として参考にされるに留まる限界があった。また、この作業は、結局は「外圧」をかけることになる。「よけいな口出しをするな」と反発をされてしまえば、何も進まないことになりかねなかった。
そうした困難は予測されたが、それでも、われわれはこのベトナムの構造改革を目指す作業で何とかして実際の成果を挙げたいと考えていた。われわれには、ベトナムの経済が国際ルールに沿った形で成熟し、発展していくことが、ベトナムにとっての利益となるのみならず、日本経済にとっても大きなプラスであるとの判断があった。ベトナムは、日本経済にとって、生産拠点、市場、エネルギー供給源としての意味を持っているが、政治的・社会的安定性、労働力の質の高さ、中国一極集中の回避の必要性などから、投資先としてのベトナムへの注目度は上がりつつあった。このような中、日本経済にとってのパートナーとしての意味を含め、ベトナムの発展を後押ししたいと考えていたのである。
ベトナムの投資環境を巡る構造改革をどうやって外から後押しするか。大事なのはそのためのゲーム・プランであった。
「両国の共同の作業とする」
「ハイレベルの関与により実施のコミットメントを得る」
「ODAを梃子に使う」
この3つが、このイニシアティブの発案者である服部大使のゲーム・プランであった。本来、このような作業はベトナム政府が取り組むべきものであるが、それをわれわれ日本がお手伝いしようとするものである。一方、当事者たるベトナムがやる気にならないと何の意味もないことから、「共同」でやるということが大切であった。そして、討議した結果を単なる「提言」で終わらせずに、ベトナム政府としての合意を得る「行動計画」とし、かつ、これにハイレベルのコミットメントを得ることによって、実施段階での空文化が起こらないようにしようとした。それとともに、「行動計画」の実施に当たって、日本側が支援できることは、さまざまなODAのツールを使って支援していくことにより、行動計画のコミットメントと実施を後押ししようとした。日本は、ベトナムのために大きな規模のODAを供与しているが、それを投資環境の整備に生かしていこうとの発想であった。
このような問題意識からすれば、日本側の体制が官民がしっかりとスクラムを組むべきことは必然と言ってよかった。この「イニシアティブ」は、服部駐ベトナム大使の提唱、日越両首脳の合意によってスタートしたものであったが、経済界も、宮原賢次日本経団連副会長が合同委員会の共同議長として合同委員会にフル参加したほか、具体的作業には、東京にあっては日本経団連が、ベトナムにおいては、ハノイとホーチミンの商工会が当事者として参加した。このような経済界の参加を得て、この「イニシアティブ」の日本側の体制としては、政府、政府関係機関(JICA、JBIC、JETRO)、経済界の三者がスクラムを組んで対応する体制が構築された。
Ⅳ 熾烈な折衝
2003年7月、コンサルタントが現地入りして、調査の作業を開始した。コンサルタントは、日系企業、ベトナム政府関係機関、ドナーなどからヒアリングを実施、現状分析と改善・改革の措置のとりまとめの作業を精力的に行った。こうした作業の中から、9月に行動計画の第一案が作成された。これには48項目の改善・改革の措置がリストアップされた。これに対し、ベトナム側からはさまざまな反応が示された。
「1つ1つの内容は精査する必要があるが、全体として、今後の作業の重要な土台となるもの」
そうした評価もあったが、改革の必要性に疑問を投げかけたり、改善の困難さを指摘する意見も少なくなかった。今後の調整において、かなりの紆余曲折を覚悟する必要がありそうだった。
この第一案を下に、合同委員会やワークショップでの討議、担当省庁との直接の協議などを行い、議論を深めていった。そして、11月には、これらの議論を踏まえ、報告書の第二案が作成された。11月下旬には、ベトナム側の対案が示され、いよいよ最後の調整の段階となった。
11月26日と27日の両日、日本とベトナムの関係者の間で、行動計画の文言の具体的に討議するドラフティング・セッションを行った。それは、合計20時間以上を費やすマラソン協議になった。
「知的所有権の保護の拡充は、投資家にとって深刻な問題だ。是非、投資家からの照会に応える体制を整えるべきではないか。」
「現状でも、科学技術庁知的財産局が対応することになっており、問題はないはずだ。」
「実体上、知的財産権の保護が不十分だから問題提起をしているのだ。投資家の立場に立って、問題解決につながるチャネルを考えるべきではないか」
こうしたやりとりが各項目毎に行われた。この2日間の協議によって、44項目のうち、31項目までまとまった。
事務レベルで協議が整わなかった11の項目は、服部駐ベトナム大使とフック投資計画大臣とのトップ会談に持ち込まれた。11月28日の協議は、2時間半に及ぶ異例の会談となった。これに引き続く12月1日の2人の会談で、ようやく全ての項目について決着した。こうして、「外国投資促進戦略の構築」、「投資関連規制の見直し」、「実施機関の能力向上」、「ビジネスに関連する制度の整備」、「経済インフラ整備」、「既存の投資家の直面する問題への対応」の各分野に及び44項目の措置がまとまった。このうち、二輪車、四輪車の問題の2項目については、両論併記とし、フォローアップの期間中に更に議論を深めることとなった。
Ⅴ 行動計画の意義
この共同作業の結果としてとりまとめられた行動計画と、その策定までのプロセスをどのように評価したらよいのだろうか。
第1に、ベトナム側の対応は、かなりの程度、真摯なものであったと言えよう。国内のさまざまな利害関係が関わっているだけに、容易ならざる問題も多かったが、ベトナム側には、投資環境の整備の重要性を認識し、この「イニシアティブ」をその改善のための機会として利用するのだという姿勢があった。それだけに、「内政干渉」と反撥を招きかねない、また国内的にも微妙な問題点についての日本側からの強い議論によく最後まで真剣に対応したと評価できよう。これは、1992年の対ベトナムODA再開から今日に至るまでの、日本の対ベトナム支援が培った日本への信頼感が底流にあったからこそのことであると言えよう。
第2に、日本側にとっては、このプロセスは、投資環境の整備という官民双方にとっての課題に対し、官民の共同作業を行う機会となった。
「正直言って、投資環境整備の問題に、政府がこれだけ本腰を入れて一緒にやってくれるとは思っていなかった」
現地の商工会関係者から、こうしたコメントを頂いたことは、われわれにとってうれしいことであった。
第3に、ハイレベルの関与により、実施のコミットメントを得るというねらいは、一定の成果を挙げたものの、同時に限界をも見せた。この「イニシアティブ」が、かなりの実質的な改善・改革の内容を含むとともに、ベトナム政府が実施をコミットする行動計画として結実したことの1つの要因として、ハイレベルの関与という「舞台装置」が有効であったことは確かであったと思われる。一方、縦割りの弊害や個別利害への傾斜のため事務レベルでは決断できない問題、就中、二輪車、四輪車というベトナムにとって、高度に政治的な意味合いを持つ問題について最後まで思い切った政治的判断を引き出すことはできなかった。これは、この国にとっての真の利益が何であるかについての政治レベルでのコンセンサスが未発達なことに原因があると思われ、このようなコンセンサスが今後できていくか否かがベトナムの発展の鍵となろう。
第4に、ODAの活用を梃子にするというねらいは、成果を挙げたが、課題も残した。ベトナム側が、日本側からの要望との形で提起された政策提言に真剣に対応してきた背景には、上記で述べたような日本側への信頼感とともに、日本側からのODA支援への期待があったことは想像に難くない。それだけに、技術協力による能力構築の支援などの措置を着実に進めていく必要がある。また、日本側において、この「イニシアティブ」の作業と並行して進められた、新たな対ベトナム国別援助計画の策定作業の中で、今後の援助規模を考える際に、制度・政策環境を1つの重要な考慮項目とするとともに、制度・政策環境を考える際には投資環境の整備の状況を注視するとの考え方が確立してきた。
「この日越共同イニシアティブにどの程度真剣に対応するかが、日本の対ベトナム援助の規模を左右する」
われわれは、そうしたメッセージを出しつつベトナム側と折衝を行った。これにより、投資環境整備とODAをつなぐもう1つのリンクができたことになるが、何分、これは新たな試みであり、規模への反映の仕組みをしっかりと構築していくことはこれからの課題である。
Ⅵ 真価を問われるフォローアップ
2004年1月。報告書は完成した。しかし、これからのプロセスは、これまで以上に重要なものになってくると言ってよい。
やるべきことは、いくつもある。第1に、ベトナム側が、行動計画でコミットした措置をきちんと実施するかをフォローする必要がある。第2に、日本側としても、ODAなどの支援措置を実際に展開していく必要がある。第3に、こうしたベトナム側の投資環境整備のための真剣な取り組みについて、日本の経済界に広く知って頂くことにより、実際の対ベトナム投資の増大につながる流れを作っていきたい。われわれは、このため、関係機関の協力を得て、日本の各地でワークショップのキャラバンのようなものを組織していくことができればと考えている。
また、国際的な制度・政策改善促進の努力とのタイアップの作業もある。世銀では、ベトナムが貧困削減戦略に沿った制度・政策改善を進めるプロセスを「貧困削減支援クレジット(PRSC)」で支援している。これは、ベトナム側との間で政策アクションプログラムを定め、その履行に対して支援を行うという形で進められる。日本は、2004年に予定される世銀のPRSCの次期(第三期)の融資に協調融資を行う考えであるが、日越共同イニシアティブの行動計画の項目の適当なものをその政策アクションプログラムに組み込む方向で世銀や関係ドナーと調整に入っている。この作業は、行動計画でコミットされた措置の確実な実施を確保するとともに、日越共同イニシアティブを日本だけのものではなく、国際的な取り組みとしていく上でも重要である。
われわれの中には、これからの数年がベトナムの今後の発展の道を決める重要な年になるだろうという予感がある。われわれは、日越共同イニシアティブの作業が、このような大事な時期にあって、ベトナムの経済を厳しい競争に耐え抜く、力強いものとしていくための足がかりになることを願ってやまない。