外交再点検

特別編 ベトナム・カントリー・レポート第2回:日本の「声」をPRSPへ:ベトナムでの成果

北野 充
コンサルティングフェロー

石井 菜穂子
財務省開発機関課長

鈴木 博
国際協力銀行ハノイ首席駐在員

一昨年(2002年)12月の対ベトナム支援国会合において、日本の「ベトナム・チーム」は、開発援助外交における大きな成果を得た。ベトナムの貧困削減戦略(PRSP)に成長促進措置である大規模インフラの役割がきちんと位置づけられていないのでこれを改めるべきであるとの主張を行い、これが会合の結論となったのである。

会合での合意から1年。この作業は、結実の時を迎えた。多くの試練の中、日本の「声」を発信するプロジェクトをどのようにして実現までこぎつけたのか。

Ⅱ 課題の噴出

2003年1月。われわれは、成功の対価に直面していた。

貧困削減は、90年代後半から、国際開発コミュニティーにおける中心テーマとなっていた。各国で、これを進めるための戦略ペーパーとしてPRSPが策定されたが、それらは、いずれも社会セクターにおける基礎サービスへの投入の拡充に重点をおいたものとなった。日本の開発援助哲学では、アジアでの経験に基づき、大規模インフラを整備し、持続可能な成長を促進することによって貧困削減を達成するというチャネルを重視してきたのだが、PRSPの中では概してこのようなチャネルは無視されてきた。アジアで初めてのPRSPとしてベトナムで2002年5月に成立した「包括的貧困削減成長戦略」(CPRGS)では、成長の要素に目を向けようとの意図はあったが、前述のようなチャネルが扱われていないことにおいては、同様だった。このような中、大規模インフラの役割に着目しつつベトナムのCPRGSを拡大しようとする提案は、日本が重視するアジア型開発モデルの考え方に基づき、PRSPのあり方に一石を投じようとする、日本の「声」の発信の企てであった。だから、日本の提案が支援国会合の結論として採択されたことは、われわれにとって大きな成功と言ってよかった。われわれは、支援国会合の成功裏の閉幕を高揚した気持ちで迎えたのだった。

一方、この成功は、同時に重い課題をわれわれに突きつけることにもなった。日本は、このイニシアティブの発案者として、「CPRGSの拡大」のプロセスを適切に進めて行く責任を負うことにもなったからである。日本の提案が支援国会合の結論となったとはいえ、インフラや成長には関心を持たず、これを社会セクターへの支援による貧困削減の努力に水を差すものと見るドナーが多かった。そうした中で、このプロセスを適切に進めていこうとすれば、理論においても、調査データでの裏付けにおいても、また、プロセスにおいても、文句がつかないものでなければならなかった。「日本がCPRGSの拡大を言い出したから、CPRGSがおかしくなった」といった批判を招かないように進めていかなければならなかった。

しかし、CPRGSの拡大をどのように進めるのかの議論をベトナム政府や世銀の関係者と始めて見ると、さまざまな容易ならざる課題が浮かび上がってきた。ベトナムと世銀との考えには大きな相違があり、ベトナム側は意欲はあるが実施体制は弱体であり、参照できる調査研究は乏しかった。

われわれの頭の中には、「未知の領域」「前例のない世界」と言った言葉が浮かんでいた。しかし、後に引く考えはなかった。前進、突破あるのみだった。

Ⅲ ベトナム、世銀の間を調整

多くの課題が山積する中、まず、やるべきことの第一は、ベトナム側と世銀側との間で基本方針について調整をすることであった。ベトナム側は、大規模インフラをCPRGSの中に組み込むことに意欲的となっており、これを6月の中間支援国会合までの半年間の内に成し遂げたい、具体的な作業としては、適切な選定基準を策定した上で、「公共投資計画」の個別プロジェクトの中から、経済成長と貧困削減に貢献するプロジェクトを選び出し、CPRGSの中に組み込んでいきたい、との意向だった。

これに対し、世銀側は、どのような大規模インフラ事業であれば貧困削減に貢献するかについて実証的な調査を行い、その結果をCPRGSの次の改定である3年後ないし5年後に反映すればよいとの考えだった。

こうした基本方針を巡って両者の間でなかなか意見がまとまらなかったので、日本側が間に入って調整をした。

「内容の質とプロセスの質の両方が重要だ。拙速で進めるべきではない」

ベトナム側には、それを説いた。

「ベトナム側が真剣に取り組んでいるのだから、オーナーシップを尊重しその意向をくんだプロセスを考えるべきではないか」 世銀には、そう指摘した。

この結果、日本側の提案に沿う形で、12月の支援国会合までを目指して、即ち、約1年間の作業として、大規模インフラのCPRGSへの組み入れを行っていくこと、関係者からのコメント聴取を重視することなどで合意することができた。

やるべきことのもう1つは、調査研究を実施することであった。大規模インフラが経済成長と貧困削減に貢献することは、多くの日本の関係者にとっては当然のことであった。しかし、その日本の考えは、国際的な開発コミュニティーでは必ずしも共有されていなかった。そうした中で、CPRGSの拡大の作業を進めようとすれば、強固な理論的枠組みを持った調査研究が必要であった。ベトナム側も日本側からの知的支援に期待していた。ところが、参照できる既存の調査研究がないかと当たって見たが、利用可能なものは見当たらなかった。

大規模インフラが経済成長と貧困削減に貢献することは、日本の開発援助哲学の根幹であるといってよかった。国際社会に向かってそれを自己主張しようとするとき、これを実証的に支える調査研究で利用可能なものが見あたらないのは残念なことだった。しかし、利用可能な既存の研究がないのであれば、個別の状況でそれを必要としている者の側で新たに生み出すまでだった。われわれは、この作業を、政策研究院大学院大学(GRIPS)の大野泉教授に依頼した。同教授は、多忙なスケジュールと研究計画がある中、これを快諾してくれた。

Ⅳ 作業の本格的始動

2003年3月。目指すべき方向性と体制が固まり、作業が本格的に開始された。ベトナム側においては、CPRGS拡大のため、計画投資省を中心とするタスク・フォースが設置された。4月、大野泉教授をヘッドとしたGRIPSチームが、調査研究の作業のために、ベトナムに来訪し、ベトナム側や主要ドナーとの打ち合わせを開始した。

ベトナム側の作業、GRIPSチームの調査研究を軸として、ハノイにおいて主要ドナー間の意見交換が進められた。日本の「ベトナム・チーム」とイギリスのDFIDとの間では、ベトナムにおいて広範な分野での協力・協調の体制が組まれつつあったが、大野泉教授が検討対象とするケース・スタディの一事例をDFID側が提供するとの形で日英の協力が具体化することとなった。また、国際協力銀行が行った北部ベトナムの円借款案件(ハイフォン港、国道5号線)のインパクト調査(国際開発センターが担当)が、大規模インフラの経済成長と貧困削減への貢献についての具体的で説得力のあるデータを提供してくれた。この調査は、大野泉教授の調査研究においても、ケース・スタディの1つとして活用されることになる。

国際的な動向も、変わりつつあった。世銀の理事会では、開発におけるインフラの役割にもう1度目を向けるべきとの議論が盛んになされるようになった。2003年4月のIMF・世銀合同の開発委員会におけるコミュニケにも成長促進措置としてのインフラの役割に着目するとの趣旨が盛り込まれた。9月には、JBIC、世銀、ADBは、インフラについての共同研究を開始することを発表した。いわば、国際的な開発コミュニティーにおいて、インフラ再評価、インフラへの再回帰の状況が生じつつあった。ベトナムにおける「CPRGSの拡大」の動きは、この国際的な動向の一環をなすものであり、また、その先導役を果たそうとしていた。

2003年9月。ハノイで、「成長と貧困のためのインフラ開発」についてのワークショップが開催された。このセミナーには、各ドナーの大規模インフラについて調査研究が提示されるとともに、ベトナムの計画投資省からCPRGSに加えられるべき大規模インフラについての新しい章の素案が紹介され、意見交換が行われた。

このワークショップで、大野泉教授は、"pro-poor growth"(「貧困削減に資する成長」)を実現するには複数のチャネルがあり、特に大規模インフラは、投資促進や地域経済の活性化がもたらす雇用・所得創出などの「市場を通ずるチャネル」および財政収入の再配分などの「政策を通ずるチャネル」を通じて、経済成長をも介しつつ貧困削減に貢献するとともに、地方の基礎インフラの整備などの「直接のチャネル」を通じた貧困削減策を補完するものであることを豊富なケース・スタディの分析に基づいて説明した。この考え方は、種々の調査研究を包括的に位置づける適用性の高い理論的な枠組みとなった。

このワークショップには、日本以外に、世銀、ADB、イギリス(DFID)、豪州(AusAID)がそれぞれ発表者ないしコメンテーターの役割を引き受け、幅広いドナーの参加によって行われ、CPRGSの拡大が皆の共通の課題となってきているとの手応えが感じられた。一方、ベトナム側が説明した、新しい章の草案は、個別案件の今後の整備方針を盛り込んでいたり、大規模インフラの整備の際にあわせて考えるべき政策課題についての分析が十分でないなどの面で改善の余地があるものであった。これが、12月に向けての課題だった。

Ⅴ 結実の時

2003年12月。対ベトナム支援国会合が開催された。ベトナムの投資計画省から、CPRGSの実施状況についての説明とともに、大規模インフラについての新しい章の概要の紹介がなされた。そして、ベトナム側の要望により、大野泉教授が調査研究の骨子を発表した。「大規模インフラの経済成長と貧困削減への貢献のチャネル」と「大規模インフラ整備の際にあわせ考えるべき政策課題」の2点に的を絞って、研究成果の説明がなされた。

ベトナム側が支援国会合で特定の研究者からの発表を求めるというのは、極めて異例なことであったが、その理由は、この支援国会合に配布された大規模インフラについての新しい章を見れば明らかだった。この新しい章は、「チャネル」の面でも「政策課題」の面でも、GRIPSの研究成果をふんだんに活用したものだった。それだけ、ベトナム側は、この調査研究を評価していたのである。 これに引き続き、討議に入った。

「インフラの役割ばかりを強調すべきではない。他にも大事なことはいろいろある」

いくつかのドナーから、こうした発言も聞かれたが、世銀やイギリスは、「CPRGSの内容を包括的なものとする上で、インフラをCPRGSに組み入れることは重要だ」との立場を明確に述べた。

日本側からは、大規模インフラを組み込むことによりCPRGSがより包括的でバランスのとれたものとなることを評価するとともに、今回の作業で得られた大規模インフラの経済成長と貧困削減への貢献についての知見が今後開発を考える際の共同の財産になることを期待する旨を述べた。日本側からは、更に、9月のワークショップや大野泉教授の指摘をも踏まえつつ、大規模インフラ整備の際にあわせ考えるべき政策課題として、「大規模インフラの効果発現を促進する措置」、「大規模インフラの潜在的にネガティブな影響を緩和する措置」、「資源配分を適切なものとするための措置」の3つに取り組む必要性について述べるとともに、これらの問題に自ら積極的に関わっていく方針を明らかにした。即ち、CPRGSの実施を支援するための世銀の政策ローンである「貧困削減支援クレジット」の次期(第三期)融資に協調融資を行う考えであり、その際、CPRGSと資源配分メカニズムとの統合の問題に取り組んでいく考えであることを表明した。

結局、いくつかのドナーから、投資の効率性の改善、維持管理の重要性、汚職への懸念などに言及しつつ、大規模インフラの整備が制度強化とセットであることにつき釘をさす発言がなされたが、「大規模インフラの役割をCPRGSの中に位置づける」との方針の是非についての議論が蒸し返されることはなかった。こうして、2003年の支援国会合は、2002年の支援国会合で方針を定めた「CPRGSの拡大」が結実する会合となったのである。

Ⅵ 新たな課題、再び

2004年1月。CPRGSの拡大のプロセスは一段落した。そして、再び、新たな課題がわれわれの目の前にあった。

インフラ整備を有効なものとするために考えるべき政策課題の中には、個別案件の実施の中で対応することが望まれるものもあるし、個別案件の問題を超えて、制度・政策の改革として取り組むべきものもある。特に、資源配分を適切なものにするための措置は、大規模インフラだけの問題ではなく、開発に関わる活動全般に関わる制度・政策上の課題として避けて通ることのできないものである。公共投資計画の適正化、プロジェクト選定基準の検討、投資予算と経費予算の調整の強化、中期支出枠組みの構築などやるべきことは多い。

いかなる開発計画においても、それが現実に意味を持つのは、予算などの資源配分を通じてである。CPRGSが有効であるためには、資源配分メカニズムと結びつくことが必要であるが、大きな資源を用いる大規模インフラを組み込むことによって、この結びつきの重要性は更に高まった。日本としては、ベトナムの開発が有効に行われるよう、また、援助プロジェクトが有効に維持管理、活用されることを期待する立場から、こうした問題に取り組んでいこうとしている。

1つの作業が終わったが、新たな課題が目の前に見えてきている。それは、われわれにとってデジャビュ(既視感)を思わせる感覚である。ちょうど1年前の支援国会議がわれわれの目指した結論を採択して閉幕したときも同じ感覚を味わった。しかし、われわれにとって、今やなじみのあるものになりつつあるこの感覚は、決して不快なものではない。1段階ステップ・アップしたからこそ、これまでに見えていなかった課題が見えてきたのだ。そう、思える。

ベトナムにおける「CPRGSの拡大」の作業は、日本の「声」の発信の企てであったが、思えば、「外への発信」は、自分たちを更にステップ・アップしていくことをも求めるものなのだろう。そうだとすれば、われわれは、まさしく進むべき道を進んでいるということができるのではないかと思う。

『国際開発ジャーナル』3月号より転載