外交再点検

第5回 外務省問題に思う

北野 充
コンサルティングフェロー

「危機は深刻だ。しかし、これは、新しいビジネスモデルを作るチャンスではないか」

2001年の1月末以降、外務省を巡ってさまざまな問題が噴出する中、私はそう思ってきた。

2月5日、川口順子外務大臣は、外務省員への着任挨拶の際、厳しい言葉を口にした。

「改革と外交課題への取り組み。2つの大きな課題があるが、プライオリティーをつけると、まず初めに改革、次に改革です」

「国民の外務省に対する信頼感の低下は、皆さんが感じていらっしゃる以上、数倍あると思ってスタートをすべきであると思います」

外務省への批判は、その当時に比べて更に何倍も大きなものになっている。連日のように、鈴木宗男議員を巡って、「関与」や「介入」の事例が指摘された。世論は、これにはっきりと拒否反応を示したが、このような関与・介入を許した外務省への批判は強まるばかりである。

外務省は、昨年の1年を通じて、不祥事の連続であった。再発防止や改革の施策が検討・公表されると、今度は、別の不祥事が起こるといった状況であったが、それは、政策の問題ではなかった。公金の管理の問題。公私のけじめの問題。そして、体質の問題。

一方、今回問題となったのは、そのような次元の問題ではない。北方四島返還についてロシアと交渉する際の基本的な方針から、コンゴ人民共和国の在京臨時代理大使を認知するかとの問題に至るまで、さまざまな場面での関与・介入が問題となった。これは、外務省の本分である外交の仕事における政策判断の問題そのものである。そして、その政策判断の中身、それに至るプロセスにおいて国民の不信と批判を招いてしまったのである。

どのようにすれば、決定的に失われてしまった国民からの信頼を取り戻せるか、まだ道筋すら見えていない。しかし、その反面、私には、今回の危機をシステムを作り直す機会にすることはできないかとの思いがある。

今回の外務省問題の根幹にある、「政と官」の関係を巡る問題は、単に「鈴木宗男疑惑」だけの問題ではない。立花隆氏が指摘するように、「〇〇議員の意向が突出した形で重視され、〇〇議員の意向を推し量り、それを無視し得ないものと受け止め、実現する方向に動かざるを得ない雰囲気が省内に存在していた」という事態は、固有名詞を変えれば、他の省庁についても、共通する問題であるかもしれない。BSE(牛海綿状脳症:狂牛病)問題への行政の対応を検討する調査委員会は、農水省が生産者優先の政策をとってきたことがこの問題での重大な失政につながった、農水関係議員からの影響が政策決定過程の不透明性を助長したと指摘するが、これも同根の問題である。戦後の政治・行政システムの抱える問題がここで現出している。問題の根が深いことは、外務省の責任をいささかも軽減するものではないが、行政機関の政策立案に与党がどう関わるべきかという深部に遡らなければ問題の本質は見えてこないし、とるべき対応策も出てこない。議院内閣制の下での行政のあり方として、国民から遊離した行政とならないよう、また、国会において支持を得るような行政となるよう、与党の意見を行政にどのように反映させるかは、単純には解答がでない問題である。

第一に、政と官との責任と権限の分担が明確にされる必要がある。国政の機構において、行政について責任を負うのは行政機関であり、行政機関は、国民(タックスペイヤー)に対してもっとも質の高い行政サービスを提供するように努める責務を持っている。たとえ、政策決定に与党など他の主体が関わるとしても、行政について最終的な責任を持つのは、行政機関である。薬害エイズ問題で問われているように、行政上の不作為についても、行政官が責任を追及されることさえある。議院内閣制であるから、内閣が国会に提出し、承認を求める法律案について、与党の事前の了承を求めることには、理由がないわけではない。小泉総理は、それについても見直そうとしているが、ましてや国会承認案件以外の、幅広い案件について、与党の部会が実質的な決定権限を持っている状況は、国政の機構における、責任と権限の所在から見て、説明がつかない状態になっている。

第二に、政と官との関係は、密室での闇取引であってはならない。政と官とが国民の目の見えないところでやりとりをし、その結果として、政と官の個別利益は守られるが、国民全体の利益に沿わない方向に進むといったことにならない仕組みが求められる。川口外務大臣が2月12日に発表した「開かれた外務省のための10の改革」の1つの項目として、「国会議員より職員に意見が伝えられる場合、それを書面とし、情報公開の対象とする」という方針が盛り込まれたが、「政と官のやりとり」を一定の範囲で公開することは、この面で、プラスに働く。与党の部会を公開とし透明性を与えることも、同様の効果があろう。政治家から行政機関への働きかけを公開しようとの動きに対し、与党側からは「政治家が行政機関に意見をいえなくなるのはおかしい」との批判が出されたが、公開に耐えられない意見とはどのようなものかを吟味すべきであろう。個別の陳情であろうと、与党の部会の討議であろうと、族議員と所管官庁との結びつきによる「仕切られた多元主義」が成立するのは、一般の世界からは覗くことのできない「コンパートメント」があるからである。その意味で、情報公開は、「コンパートメント」の壁を崩し、「仕切られた多元主義」に風穴を明ける可能性を秘めている。

第三に、政と官との関係は、基本的方向としては、情報公開を通じて狭い個別利害にとらわれたものとならないようにすべきであるが、そのやりとりを全て公開すべきかは別問題である。米国において、秘匿が確保される前提で行政府が議会指導者と協議する仕組みがあるように、行政府の与党との接触においても、秘匿すべき情報は当然ある。外務省の扱う情報の中でも、交渉中の事項、相手との信頼関係上公開できない事項、安全保障に関わる事項などは、公開できない。従って、政と官との関係においても、公開と非公開との適切なバランスが必要である。

しかし、このような考慮が上記の「コンパートメント」を維持することの口実に使われることのないようにしなければならない。また、政策といっても、太い幹に相当する中長期的方針は、公開の場できちんと議論を行うことは可能であろうし、適当であろう。

第四に、「政と官」は、単純に関係を絶てばよい、接触を限定すればよいというわけではない。近時、「政と官の関係」の在り方としては、行政府の議会関係者との接触を大臣、政務次官のみに限っているイギリスをモデルとしつつ、政治サイドの行政サイドへの接触を限定しようとの考え方を提言する向きも多い。しかし、このような関係の限定が解決策になるのであろうか。行政機関の政策立案といっても、景気対策、租税政策、社会保障政策などのように高度に政治的な問題も多くある。また、外交政策についても安全保障に関わるものや、主要国との関係における重要事項についての判断は政治的でもある。このような問題において、与党の方針と離れた形で行政の作業が進むわけではない。政と官との間で意思の交流がなされることは民主主義の下での政治と行政が機能するためにはなくてはならないことである。大事なことは、それが「個別議員」、「個別組織」、「個別業界」等の利益に基づくものではなく、国民全体の利益に沿ったものとなるようにすることである。「官の独走」もまた、チェックされなくてはならない。

第五に、政と官との関係は、単純に仕組みだけ作ればよいというものではない。バッジをつけている者(議員)は、国民の代表として、バッジをつけていない者(行政官)とは異なった強い立場にある。また、行政機関は、組織として、法案の与党内手続き、国会審議などで、国会議員に「お願いごと」をすることがある。こうした双方の力関係の中で、「政と官との適切な関係」を築くためには、良いシステムを構築するだけではなく、これをきちんと機能させていくことが必要である。このためには、「政」から「官」に派遣される、大臣、副大臣及び政務官の役割が決定的に重要である。これらの政治によって任命された者が政策をつくるプロセスにフルに参加するとともに議案の国会審議、予算要求、与党の部会の議事運営や個々の議員からの働きかけに伴って生ずるさまざまな懸案に前面に立って対処する姿勢がなければ、政と官との適切な関係は生まれないであろうし、どれだけ「あるべき姿」を議論しても、「画に描いた餅」になってしまうだろう。

今回、外務省を巡る問題としては、「政と官との関係」以外に、「行政機関とNGOとの関係」についても問題となった。この2つの問題は、相互に無関係なバラバラな問題ととらえるよりは、行政機関が政策を立案していくプロセスにおいて、どのように行政機関以外のさまざまな関係者の意見・利害を調整していくのかという問題の一部ととらえるべきではないだろうか。

我が国の行政機関において種々の利害関係者の意見を集約する仕組みとしては、実体上、「審議会行政」や「族議員・業界団体・所管省庁の結びつきによる行政」の仕組みが存在している。これらを単純にモデル化して述べると次の通りである。

「審議会行政」においては、行政機関が選定した有識者と業界団体の代表者が主要なメンバーである審議会において、政策の方向が討議される。形の上では幅広い意見の集約を図っていることになるが、メンバーの選定と報告書のとりまとめを行政機関が行うだけに、オープンな「政策のマーケット」での討議によるものとはなかなか言い難い。

「族議員・業界団体・所管省庁の結びつきによる行政」は、これらの三者が実体的に一体化して、政策の方向性を決めるというモデルである。ここでは、「政策のマーケット」において、政策の適否がチェックされるという仕組みが存在しない。

現在、外務省に求められているのは、このいずれとも違った、透明性があるモデルであり、国会議員やNGOを含め、広い意味でのステークホルダーの意見を踏まえながら、公益に資するよう国の政策に集約していくための仕組みである。

次のような仕組みによって、これを行っていくことはできないだろうか。

  • 研究機関、学界、言論界などの有識者、国会議員、NGOなどが、行政機関とともに、参加するオープンな「政策のマーケット」を想定する。
  • 行政機関は、中長期的に取り組むべき政策を検討・立案し、この「政策のマーケット」に提示し、そこに参加する主体と対話・競争をする。
  • 関心を持っている国会議員も、このような「政策のマーケット」を通じて政策立案に参加する。
  • そこでの対話・競争によって、行政機関の検討・立案した政策の適否がチェックされるとともに、行政機関に不足している部分を補ってもらう。
  • 第三者が参加する政策評価によって、このような政策が顧客である国民(タックスペイヤー)の「顧客満足」を極大化するものとなっているかチェックする。
  • 行政機関は「政策のマーケット」への参加や第三者が参加する政策評価などを通じて、できる限りの情報公開を行う。

これは、言ってみれば「イン・ハウス」の技術開発ではなく、「オープン・アーキテクチャー」に近づけるイメージであるが、このオープンな「政策のマーケット」の「場」をどのように設定するかの問題がある。「場」を行政機関に設定してしまえば、結局は、「審議会モデル」と同じになってしまう。一方、「場」を与党に設定してしまえば、与党の部会と同じになってしまう。役所でもなく、与党でもなく、中間的な場所に設けられないであろうか。それによって、個別議員や個別業界の利益によるのではない、国民全体の利益に沿った政策立案を目指せないであろうか。

外交政策について「外部との対話と競争」を行うことについては、「それで外交になるのだろうか」という見方もある。日々生起する外交上の懸案処理のひとつひとつをこのようなプロセスに乗せようといっているわけではない。しかし、外交政策においても、中長期的な方向性について、「政策のマーケット」で議論することは、結果として、作り出される政策を強いものにしていくことになる。

日本の社会全体として、行政機関以外の、広い意味での市民社会からの政策提言が盛んに行われているわけではなく、「政策のマーケット」はさほど活発ではないとの現状にある。しかし、上記のようなやり方で、行政機関の方から市民社会の側に積極的に議論を仕掛けていくことは、行政の在り方を適切なものにする効果のみならず、市民社会の側の政策提言能力を高めていく効果がある。これは、ひいては、日本の社会全体として、成熟した政策議論ができる土壌を培うことにつながっていく。

川口大臣は、着任後の省員への訓辞の中で、外務省改革について各人が思うことを一枚紙にまとめて提出するように要望した。

「霞ヶ関改革の一歩先を行く気概で、中央省庁の仕事のやり方の新たなビジネス・モデルが作れないだろうか」それが私の思いであった。

3月6日、川口大臣が立ち上げた、外務省改革の具体策を検討する第三者機関「外務省を変える会」(座長:宮内義彦オリックス会長)の第一回会合が開かれた。それを伝える翌日の新聞には、川口大臣がこの席上、次のように挨拶をしたと報じられた。

「他の官庁、組織のモデルになるようないい改革をしたい」

危機である。しかし、同時にチャンスでもある。と、私は思っている。