外交再点検

第2回 中国は、脅威かチャンスか

北野 充
コンサルティングフェロー

「改革開放が必要なのは、日本の方ではないか」

9月20日に大阪で開催された「日中経済討論会」。ユニクロを展開するファーストリテイリングの柳井正社長の指摘は痛烈だった。改革開放とは、中国が、共産主義思想のみでは経済の発展はないと1978年から大英断で取り組んだ政策のことだが、今日の中国経済の隆盛は、その断行の成功に起因する。日本は、長年の間、経済面で中国よりもはるかに前を歩いていると考えられてきたが、今や、彼我の距離感は分かりづらいものになってしまった。変革の必要性が叫ばれて久しい日本だが、目に見える成果が挙がらないうちに、国全体がズブズブと深みに沈みつつある。こうした日本の現状に厳しい激を飛ばしたのが、柳井社長の発言だった。

このシンポジウムには、中国からは、新進気鋭の民営企業家達が大勢参加し、日本からは、松下電器の松下正幸副会長、サントリーの佐治信忠社長など以前から中国と関わってきた経済人、研究家などが参加した。会議では、日本経済の現状に対する厳しい発言、日本の将来についての弱気な発言が目立った。日中双方の「相互補完」の関係について議論された際、会場からは、こんな質問が日本側から参加者に向けられた。

「中国は日本からの技術移転を必要としており、日本は中国の安い労働力を必要としているといわれていますが、中国が日本から吸収すべきものがなくなったら、どうなるのでしょうか。中国が日本を必要としているのは、今だけなのではないでしょうか」

あたかも、もつれた男女関係の中で、別れ話が切りだされるのではないかとびくびくしている側からの言葉のように聞こえた。この1つの発言を、日本の経済人の日中両国に対する見方を代表するものと考える必要はないが、会場の日本人の中には、日本経済に対する自信の喪失、中国の勢いに対する畏怖の念、巨大な活力を秘めた隣国の経済を恐れながらも、それとの提携なくしては自分達の将来が見えてこないとの思いが、混在しているようであった。

一方、中国側の参加者は自信にあふれていた。

飼料、金融、不動産と多角的な経営で中国最大級の民間企業グループ「四川新希望集団有限公司」を率いる劉永好氏。 通信、家電、情報、電子工業で中国国内有数の電子情報企業となった「TCL集団有限公司」の総裁の李東生氏。B to B専用サイトとしては世界最大のポータルサイト「Alibaba.com」を設立した馬雲(ジャック・馬)氏。

彼らは、ただならぬ自信と存在感を発散させていた。彼らが示していた自信は、おそらくは、自分の能力への自信であり、自らの企業の将来性についての自信であり、中国の国力が雄飛して行くことについての自信であったろう。彼らは、皆、メモの草稿など見ずに、自分の言葉で、自らのビジョンを語り、自らの信念を語った。

「恐れないことが大切だ」「日本にも投資したい」

彼らの圧倒的な存在感は、「今、自分が目にしているのは、かつての本田宗一郎、井深大のような存在かもしれない」と、思わせるところがあった。

ボストン・コンサルティング・グループの今村英明副社長は、中国で勃興しつつある企業群を「混沌」と呼んだうえで、その中で最良の部分は、世界的に通用する水準に達していると評した。これらの企業には、世界的な視野を持ち、経営手法の面で最先端のベスト・プラクティスを導入し、自己否定の精神で新たな事業チャンスに挑戦するスピリットを持った企業があるというのである。

このシンポジウムのテーマは、「中国は脅威か、チャンスか」というものであったが、その問いに対する中国側参加者の答えもまた、極めて明快であった。たとえば、Alibaba.comのジャック・馬氏。彼は、脅威を「リスク」と読み替えることによって、次のようにまとめて見せた。

「リスクをとることができればチャンスになる。チャンスを活かせなければリスクになる」

このような姿勢は、中国と深く関わることを経営戦略として選択してきた日本企業にも共有されるものであった。たとえば、松下電器産業。同社は、1987年に北京にブラウン管工場を設立し、以来、20年以上に渡って、中国で45社の現地法人を展開してきたが、このシンポジウムでの松下正幸副会長の言明も表現こそ異なれ、同趣旨のものであった。

「中国は、脅威にもチャンスにもどちらにもなり得る。この問題に取り組む人、組織の考え方次第でどちらにもなり得る」

企業経営の立場から、中国をどう捉えるかは、さまざまな観点がある。中国は、マーケットでもあり、生産拠点や提携相手にもなりえ、また、競争相手でもある。しかし、ビジネスの面でこの活力にあふれた経済とどうつきあうかを考えると、相互補完の考え方に基づいて提携することにより、自らの活力の源としていくことが最も有力なオプションとなってこよう。

これは、「共生」のイメージである。ビジネスにおいて日本と中国がお互いに相手との関わりを活かして活動していく。お互いにいろいろ話し合わなければならないが、うまくやれば、お互いが利益を得ることができる関係。そうしたイメージが浮かび上がってくる。 次に問われるべき問題は、こうした日本と中国とのビジネスにおける「共生」の関係が、日中関係全体に視野を広げた場合であっても、両者の関係の将来イメージとして有効であろうかとの点である。

ビジネスにおける日中間の関係は、日中関係の重要な一側面であるが、日中関係は、他にもさまざまな相貌を持っている。

「中国は脅威か」という問いかけも、ビジネスの世界を超えて、軍事・安全保障、政治、社会を含めた広い範囲でとらえた時、さまざまな問題が視野に入ってくる。

  • 軍事・安全保障:中国の軍事費は、国防予算として公表されているものだけでも、ずっと二桁台の伸びを示している。日本政府は、9月27日の自民党の外交関係合同部会に、中国に対する今後の経済協力の方針を提出したが、党の議員の側からは、中国の核保有の問題、中国の軍事費の増大の問題などが提起されて、この会合での了承は見送られた。党の会合での何度かの討議を経て、10月19日にようやく了承が与えられたが、日本国内には、中国の軍事大国化を懸念する声は根強い。
  • 政治:教科書問題と、小泉総理の靖国神社参拝は、両国関係を軋ませた。アメリカ同時テロ事件を受けての、自衛隊の支援活動のための新法の制定の動きに対しては、中国側から、「中国はこのような問題に敏感である」と、早速チェックが入った。10月8日の小泉総理の訪中を経て、両国関係はようやく正常な軌道に戻ってきたが、中国側には日本の国内動向への苛立ちがあり、日本の国内には、中国は「過去の問題」を日本の首根っこを抑えるためのカードとして使っているのではないかとの思いから、中国の姿勢に対する不快感がある。
  • 経済:ねぎ、生しいたけ、畳表の3三品目についてのセーフガード適用問題で見られたように、日本では水際で中国製品をせき止めなければ、産業の生存に関わるとの声が強い。これは、農産品のみに限ったものではなく、水産(ウナギ)、繊維(タオル等)などの分野でもセーフガードの発動を期待する声が上がっている。また、貿易・投資で中国と関わった企業においても、偽ブランド品の横行など多くの不満を持っているのが現状である。
  • その他:これまでに、中国の「脅威」としていわれてきたものの中には、中国の政治・経済の不安定化による大量の避難民の流出の可能性、酸性雨など環境悪化による近隣国への悪影響、食糧やエネルギーの大量輸入国に転じた場合の、世界経済への影響などがある。中国の国の規模としての大きさ、日本との地理的な近接関係から、こうした事態が起こる場合には、日本にも容易ならざる影響が生ずることになる。

それでは、こうしたさまざまな側面を念頭に置いた上で、日中関係全体に対して、どのような将来ビジョンを日本は持つべきなのだろうか。「中国はケシカラン」との姿勢で向かっていくべきなのだろうか。それとも、ビジネスの関係において想定されるような「共生」を考えていくべきなのだろうか。

今日の日中関係は、他に類例を見出しがたいほどの複雑で多面的な側面を持った関係となっている。

安全保障上の関係は、国の存立の根幹に関わるものであり、揺るがすことはできない。日本としてなすべきことをなし、言うべきことをいうのは当然であろう。それは政治、経済における国益がかかった問題でも同様である。しかし、そのことと、「中国はケシカラン」と、不満をぶつけ、敵視していくべきこととは別の問題であろう。中国にきつくあたるべきだとの論者は多く、その中には個別の懸案についての対応としては傾聴すべき意見もある。しかし、中国との関係全体については、「中国はケシカラン」と言った先に、どのような関係を構築していけばいいのかというビジョンが欠けている感がある。

アメリカの経験を考えてみよう。クリントン政権の対中政策は、大きく振れた。政権当初は、天安門事件で示されたような人権抑圧を問題として、中国は「バグダットから北京にいたる独裁者」と呼び「敵視」に近い政策をとった。ところが、政権後期には、経済的利益を重視して中国との「戦略的パートナーシップ」を標榜し、「抱擁」し合うような方針へと転換した。その結果、「敵視」の時代には、経済の結びつきについての目配りがなかったし、「抱擁」の時代には、安全保障についての適切な考慮が欠けていると批判された。二国間関係の一面だけに過度の重点を置いた政策というのは、結局長くは続かないのである。

日中関係は、前述したように複雑で多面的な関係である。しかし、大事なことは、二国間関係の基軸をどこに求めるかという大局観である。「やっかい」であろうと、なかろうと、中国は日本にとって、隣国である。引っ越すことはできない。しかも、日本にとって、安全保障においても、経済面でも、決定的に重要な国である。日中関係の基軸を考える時、安全保障の面で健全な関係を目指すことと、経済面で「プラス・サム」の関係を築いていくことがなによりも大切な要素になってくるのではないだろうか。

そう考えていくと、二国間関係の全体を視野に入れても、目指していくべきは、両国の「共生」ということになる。 「共生」とは、相手の在り様をそのまま是として、受け入れることではない。注文をつけるところは、注文をつける。直すべきところは、直してもらう。 ビジネスにおける「共生」も、相手の言うことをそのまま受け入れることでは成立しない。提携相手といっても契約の条件は厳しく折衝するし、ルールに合わない行動に対してはクレームをつけて行く。

同様のことを国家間の関係においても行っていくのは当然であろう。お互いにルールを尊重しなければならないし、言うべきことを言い合わなければならない。その上での「共生」を目指す必要がある。しかし、根本のところでは、お互いに、相手が自分にとって大事な存在として付き合っていく、そういう関係を構築していくべきではないのだろうか。

中国の「改革開放」の支援を中心とする時代から、中国との「共生」の時代へ。今後の日中関係を考えると、そういったイメージが浮かび上がってくる。

それでは、この極めて複雑で多面的な二国間関係において、どうやって、「共生」を実現して行けばよいのか。いくつかの原則が挙げられよう。

第一に、安全保障面で健全な関係を作っていくこと。このためには、日中間で、軍事・安全保障についての率直な対話を行うことが不可欠である。それとともに、日本が、自らの防衛力整備に真剣に取り組むこと。また、アメリカとの安全保障体制を常に効果的なものにする努力を払うことが基本的な前提となるだろう。

第二に、中国経済が国際的な経済ルールに則ったものとなるよう注視し、問題があれば指摘をし、解決を求めること。ビジネスでの競争は、熾烈であり、苛烈である。ルールを無視した行動があれば止めてもらわなければならない。知的財産権が無視されて、偽物、模造品が横行するのではたまらない。

第三に、経済面での「相互補完」によって、「プラスサム」の関係を目指していくことが日中間の基本的在り方であることを揺らぐことのない原則として定立すること。経済の交流がこれだけ盛んになれば、個別の懸案が発生しない方が不思議である。しかし、個別の経済面での懸案が起こっても、「相互補完」によって「プラスサム」の関係を目指すとの根本の原則がしっかりしていれば、二国間関係の方向を誤ることにはならないであろう。

第四に、経済協力など日本として協力し得ることは協力すること。「共生」の間柄とは、一方が必要とし、他方が提供できることがあれば、協力することを考えるものである。それによって、お互いの絆をより強固なものとすることができる。もちろん、日本が経済協力を行うことについては、環境保護や対日理解増進など日本として重視している問題意識に則るべきであるのは当然であろう。

第五に、未来志向の関係としていくこと。「過去」に関わる問題はなくならない。しかし、これを取り扱うにも、未来志向で行なっていくことはできるはずだ。

第六に、二国間関係のみならず、地域的、世界的課題での協力の厚みを増していくこと。チェンマイ・イニシアティブのような通貨面の協力はその好例であろう。

以上のような原則に基づいて、これからの日中関係をデザインしていくのはどうであろうか。

付記

このほど東洋経済新報社から刊行された「メイド・イン・チャイナ」(黒田篤郎著)は、成長著しい中国現地企業の現状を活写しつつ中国産業の台頭に対する日本の対応策についても検討した好著である。このテーマに関心のある方々に御一読をお勧めしたい。