中国経済新論:実事求是

インフレ沈静化の兆しが見えはじめた中国
― 後退する利上げ懸念 ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

2010年8月の消費者物価指数(CPI)は前年比3.5%上昇し、2008年10月以来の高水準となった。しかし、景気が減速し、マネーサプライの伸びが鈍化する中で、インフレ圧力は低下しており、利上げの可能性も薄れつつある。

転換点を迎えるインフレ率

これまで中国では、インフレ率が経済成長率より3四半期ほど遅れて動くという傾向が見られている。具体的に、1998年第1四半期から2010年第2四半期までの期間を対象に回帰分析すると、今期の成長率が1%上昇(低下)すれば、3四半期後のインフレ率は1%上昇(低下)するという結果が得られた。今年の第1四半期(成長率は前年比11.9%)が今回の景気循環のピークと見られることから、従来のパターンから判断して、インフレ率は今年の第4四半期にピークを打ち、その後に低下傾向に転じることになる(図1)。

図1 GDP成長率に遅行するインフレ率
図1 GDP成長率に遅行するインフレ率
(注)CPIの予測値は回帰分析に基づく次の推計結果による
 推計期間 1998年第1四半期(Q1)~2010年第2四半期(Q2)
(出所)中国国家統計局データに基づき作成・推計

しかし、次の理由から、インフレ率は第4四半期を待たずに、第3四半期にも転換点を迎える可能性が大きくなってきた。

まず、金融引き締めの効果が現れはじめている。リーマン・ショックの後に大幅に緩められた銀行融資に対する総量規制が2009年の春以降再び厳しくなったのに続いて、2010年に入ってから銀行を対象とする預金準備率が3回にわたり計1.5ポイント引き上げられた。これを受けて、マネーサプライ(M2)の伸びは2009年11月の29.7%をピークに2010年8月には19.2%まで鈍化してきており、インフレ圧力も低下しつつある(図2)。

図2 マネーサプライの伸び鈍化で低下するインフレ圧力
図2 マネーサプライの伸び鈍化で低下するインフレ圧力
(出所)中国国家統計局より作成

また、CPIの先行指標となる生産者物価指数(PPI)は、すでに2010年5月にピークを打ち、低下傾向に転じている。中でも、サプライチェ-ンの川上に当たる鉱産物は2月に、原材料は5月に、加工業は6月に相次いでピークアウトした。このような動きは、やがて川下に当たる消費財にも波及するだろう(図3)。

図3 インフレ圧力の低下を示唆するPPI
図3 インフレ圧力の低下を示唆するPPI
(注)生産者物価指数は川上の生産財と川下の消費財を対象とするが、前者は鉱産物、原材料、加工業の三つのセクターによって構成される。
(出所)中国国家統計局より作成

2010年1-8月の平均インフレ率は2.8%であり、9-12月のインフレ率は3.5%という8月の実績を下回ると予想され、政府が目指している3%以内という年間の目標が達成されそうである。

利上げは避けられるか

リーマン・ショックの後、一連の利下げが行われ、名目金利が2008年12月以来低水準に据え置かれているため、インフレの上昇は実質金利の低下をもたらしている。一年物の貸出金利からCPIの前年比上昇率を引いた実質貸出金利は、2009年7月のピーク時の7.11%から2010年8月には1.81%(5.31%-3.5%)に急落している。実質貸出金利の低下は、不動産価格の上昇要因となっており、不動産バブルを抑えるためには、利上げは必要であるという認識が広がっている。また、一年物の定期預金金利(2.25%)を基準に計算すれば、実質預金金利は2010年2月以降マイナスに転じており、8月現在、マイナス1.25%となった(図4)。このことは、金利分を合わせても、預金の実質購買力が年率1.25%も減っており、預金者がその分だけ大きな損失を被っていることを意味する。これを背景に、預金者からは利上げを求める声が上がっている。

図4 インフレの高騰でマイナスに転じた実質金利
図4 インフレの高騰でマイナスに転じた実質金利
(注)網掛けの部分は実質預金金利がマイナスに転じた時期を示す。預金金利は一年物定期。預金金利(実質)= 預金金利(名目)- CPI(前年比)
(出所)中国国家統計局、中国人民銀行より作成

しかし、その一方で、利上げに反対する意見も多い。

まず、上述のように景気の減速を受けてインフレ上昇も最終局面を迎えており、利上げが実施されなくても、まもなくインフレ率が低下する形で、実質金利が上昇に転じると予想される。逆に利上げを強行すると、景気が失速するリスクが高まるだろう。

第二に、進行中のインフレは、天候要因に左右されやすい食料品価格の上昇によるところが大きく、利上げで抑えられるものではない(図5)。実際、3.5%という2010年8月のCPIの前年比上昇率のうち、2.5%は食料品価格の上昇によるものである。

図5 インフレに大きく寄与する食料品価格の上昇
図5 インフレに大きく寄与する食料品価格の上昇
(出所)中国国家統計局より作成<

第三に、利上げを通じて不動産価格を抑える必要性が薄れている。これまで上昇し続けた不動産価格も2010年4月に打ち出された住宅ローン制限を中心とする対策を受けて、調整局面に入りつつある。70大中都市の住宅価格は、前年比では4月の12.8%をピークに8月には9.3%に低下しており、前月比では5月以降、上昇がほぼ止まっている。

第四に、中国が直面している外部環境も利上げの自由度を制約している。世界経済における二番底の懸念が完全に払拭されておらず、先進国においてこれまで取られてきた超金融緩和政策の見直し(いわゆる「出口戦略」の実施)が遅れている。こうした中で、中国が一歩先に利上げを実施すると、内外金利差の拡大は海外からの資金流入を誘発する恐れがある。これにより、利上げに伴う引き締め効果が相殺されかねない。

最後に、景気への悪影響を抑えながら、預金者の不満を和らげるために、貸出金利は従来の水準に据え置きながら、預金金利だけを引き上げるという「非対称的利上げ」案が浮上しているが、これが実施された場合、預貸金利鞘が縮小するため、収益が圧迫されることになる銀行が反対している。

このような内外経済情勢を踏まえて総合的に判断すると、当面、利上げが実施される可能性は小さいと見られる。9月のインフレ率(10月中旬に発表予定)が8月より低くなることが確認されれば、利上げ懸念はいっそう後退するだろう。

2010年9月29日掲載

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