中国経済新論:実事求是

変貌する世界の工場
― 工業の中心は軽工業から重工業へ ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

中国は、改革開放以来、直接投資の増大をテコに工業化を進め、大きな成果を上げている。WTO加盟が実現された2001年頃から、中国は世界の工場と呼ばれるようになり、工業の中心も従来の繊維をはじめとする軽工業から重工業に移ってきている。特に、鉄鋼と自動車の生産はすでに世界一の規模となっている。

重工業化への二度目の挑戦

1949年以降の中国における工業の発展は計画経済時代の重工業化、改革開放初期の脱重工業化を経て、1990年代末から再重工業化の段階に入っている(図1)。

図1 中国における重工業比率の推移
図1 中国における重工業比率の推移
(注)重工業比率=重工業生産/工業生産。規模以上企業は年間売り上げが500万元を超える企業を指す。
(出所)中国国家統計局より作成

1950年代にはまだ農業国であった中国は、短期間に先進工業国に追いつくために重工業優先の発展戦略をとっていた (林毅夫、蔡昉、李周、『中国的奇跡:発展戦略与経済改革』上海三聯書店・上海人民出版社、1994年。邦訳『中国の経済発展』渡辺利夫監訳、杜進訳、日本評論社、1997年)。発展段階が低く、資本と貯蓄が乏しいという厳しい状況からスタートしたために、比較劣位にあった資本集約型の重工業の育成には、政府の強い介入のもとで資源をできるだけ低価格で重工業部門に集中せざるを得なかったのである。具体的には金利、賃金、エネルギー・原材料・消費財の価格を人為的に低く抑え、市場に代わって政府が計画に基づいて資源を配分する一方で、国有企業(当時は「国営企業」と呼ばれていた)が生産の担い手となった。しかし、こうした計画経済において企業経営の自主性は認められず、利潤獲得のインセンティブと労働者の勤労意欲が失われた。一方では軽工業やサービス業が犠牲となり、産業全体の生産性が低下し、歪んだ産業構造ができてしまった。その結果、中国は先進国に追いつくという目標を達成するどころか、低成長と国民生活の低迷を長引かせることとなり、70年代後半にはついに新しい発展戦略への転換を迫られるようになった。

計画経済の失敗という教訓を踏まえて、1978年以降の経済改革において、政府は企業にインセンティブを与えるようなミクロ面の改革から着手した。国有企業では、自主権が拡大され利益の内部留保が認められるようになり、その枠も段階的に拡大してきた。一方、農業部門においても人民公社が解体に向かった。これにより、経営者や労働者、農民の生産意欲が高まり、生産性が急上昇した。計画分を超えた投入(原材料、労働力、資金)の調達や産出の販売経路を価格メカニズムの働く市場に求めざるをえなくなり、企業自主権の拡大は必然的に市場経済の発展につながった。一方、外資企業や郷鎮企業など非国有企業も奨励され、市場経済の担い手として登場してきた。市場経済の拡大と深化により、重工業に偏った産業構造が是正され、比較優位に沿った形で、軽工業が産業発展と輸出を牽引する担い手として力を発揮するようになった。

近年、重工業が急速に成長し、再び経済成長のエンジンになってきている。重工業の工業生産に占めるシェア(規模以上企業)は、1998年の57.1%から2008年には71.1%に上昇している(図1)。

すでに工業化を遂げた欧米や日本などの先進国が経験してきたように、重工業化は、所得の上昇に伴う消費構造の高度化や、都市化とインフラ投資の拡大、世界の工場化に伴う機械と設備への需要拡大による必然的結果である。経済発展を目指す中国にとっても、重工業化は避けて通れない道であり、この段階はすでに到来している。中国には、1950年代に政府による計画と国有企業の主導で重工業を進め、失敗した苦い経験があるが、今回は市場メカニズムと民営企業や外資企業といった非国有企業が大きな役割を果たしている。このように、30年間にわたった高成長を経て、中国にとって重工業は比較劣位産業から比較優位産業に変わったのである。

主役となる鉄鋼と自動車

中国における重工業の発展を牽引しているのは鉄鋼と自動車である。

1978年に中国の粗鋼生産量はわずか3178万トンだったものが、1993年には8956万トンとなり、中国はアメリカを抜いて、世界第2位の粗鋼生産国となった。さらに、わずか3年後の1996年になると、中国の粗鋼生産量は1億トンの大台を突破し、それまで1位だった日本を抜いて、世界最大の規模となった。2001年のWTO加盟を経て、中国の鉄鋼業の発展はさらに加速し、2008年の粗鋼生産量は5億トンを超え、世界全体の四割近くを占めるようになった(図2)。

図2 日米中の粗鋼生産量の推移
図2 日米中の粗鋼生産量の推移
(出所)中国国家統計局『中国統計摘要2009』、『新中国五十年統計資料匯編』、日本鉄鋼連盟、World Steel Associationより作成

鉄鋼産業に加え、所得の上昇に伴う需要の拡大と海外メーカーの進出を背景に、中国の自動車産業も爆発的発展を遂げてきた。改革開放に転換する前の1978年には、中国における自動車生産台数はわずか15万台しかなかったが、その後、経済の高成長とともに、自動車産業も急速に発展してきた。1992年に初めて生産台数が100万台の大台に乗り、2001年のWTO加盟を経て、中国の自動車産業は黄金期を迎えた。中国の自動車生産台数は、2001年の世界第8位に当たる233万台から、2002年にはカナダと韓国、スペインを抜き世界第5位に、2003年にはフランスを抜き世界第4位に、2006年にはドイツを抜いて、世界第3位となった。さらには2008年の生産台数は935万台に達し、米国を抜いて日本に次ぐ世界第2位に躍進した。2008年以来の世界的金融危機を受けて、日米をはじめ、世界の自動車販売が低迷している中で、中国の自動車市場の好調さが目立っている。2009年に入ってから、中国の自動車生産台数と販売台数はともに日米を抜いて世界一の規模となった。

このように中国における産業の中心は軽工業から重工業に移っているが、その過程において、一部の産業では生産と雇用の縮小が避けられない。現に、2008年以降、「元高」や世界的金融危機などの影響を受けて、労働集約型産業は深刻な不況に陥っており、産業空洞化を懸念する声が内外から上がっている。しかし、鉄鋼と自動車をはじめとする重工業の急成長を合わせて考えれば、これは「産業の空洞化」ではなく、「産業の高度化」に伴う陣痛としてとらえるべきである。

2009年7月31日掲載

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