中国経済新論:実事求是

私有制という「彼岸」への橋渡しとなる株式制改革
― 公有制の終焉に向けて ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

「生産手段の公有制」は、「計画経済」とともに、従来の社会主義経済体制の根幹であった。このため、計画経済の時代の中国では、民営企業が一切認められておらず、国営企業(後に「国有企業」に改められた)と集団企業からなる「公有制企業」しか存在しなかった。しかし、70年代末に改革開放に転換してから、外資系企業や民営企業が成長しはじめ、また、90年代後半以降、株式制改革を通じて、民間資本による国有企業への資本参加や、国有企業の民営化も進んでいる。市場経済への移行を目指す中国にとって「公有制」の放棄は避けられないものであり、株式制改革は「私有制」という「彼岸」への橋渡しの役割を果たしている。

ここで言う「株式制」とは、資本主義諸国で一般的に採用されている「株式会社」に他ならない。中国では、1980年代から国有企業改革の一環として、一部の企業を対象に株式制を実験的に導入し始めた。1990年に上海で、1991年に深センで証券市場が設立され、株式制に転換した多くの国有企業が上場企業となり、その一部の株が民間資本に売り渡された。また、1993年の第14期三中全会において、現代的企業制度の確立が国有改革の目標になり、さらに1994年に会社法(公司法)が実施されるにつれて、国有企業の株式制企業(国有独資公司とその他の有限責任公司、株式有限公司)への転換が全面的に展開されるようになった。特に、1997年の第15回党大会では、「国有経済の戦略的再編」という方針が打ち出されたことを受けて、民間企業による国有企業への出資や国有企業の民営化も本格化した。その一方で、純粋に民間資本からなる株式制企業も急成長してきた。その結果、多様な企業形態からなる「混合経済」が形成されつつある(表)。

表 各種企業の数と資本金の出資者別構成
表 各種企業の数と資本金の出資者別構成
(出所)国家統計局「第一回全国経済センサス主要データ公報」より作成

従来のイデオロギーに従えば、株式制は資本主義の象徴であり、社会主義の根幹である生産手段の公有制から逸脱したものである。これに対して政府の公式見解では、株式制は現代企業の形態の一つにすぎず、資本主義国家でも、社会主義国家でも使うことができる(1997年の第15回党大会における江沢民報告)としている。その上、公有制の定義も「時代とともに進化してきた」(図)。まず、第15回党大会では、株式制企業の国有(または集団所有)の国(または集団)出資の部分に関しては、公有経済の一部として認められるようになった。さらに、第16期三中全会では、株式制が公有制の主要な実現形態とされ、国(または集団)が支配している企業なら、国による持ち分が過半数(絶対控股)でなくても、他の出資者より大きければ(相対控股)、その企業全体が公有制経済の一部と見なされるようになった。

図 拡大解釈された公有制 ―株式制企業の扱いを中心に―
図 拡大解釈された公有制
(出所)筆者作成

これを受けて、経済学者の間では、「公有制」とは何かを巡って、活発な議論が交わされている。その中で、著名な経済学者である北京大学光華管理学院の厲以寧教授による「新公有制論」が話題を呼んだ。厲氏は、中国において株式制を中心に行われている国有企業改革は民営化への一環ではなく、「新公有制」への改編・発展であると位置づけた上、純粋に民間資本で構成される株式制企業も、「新公有制」の形態の一つだと主張している。これに対して、公有制を堅持すべきだという立場に立つ一部の経済学者は、「新公有制」の議論が「公」と「私」を混同しており、「公有制」の意味を歪曲しているものだと批判している。

程度の差があるにせよ、同じ批判は、社会主義の本来の意味から乖離してきた政府の公式見解にも当てはまる。しかし、中国経済の中心が着々と公有から私有へとシフトし、「経済基礎」とイデオロギーという「上部構造」の矛盾が顕著になるにつれて、「生産手段の公有制」という建て前を維持することが困難になってきた。政府は、厲氏の提案に沿って公有制の範囲をいっそう広げることを迫られており、最終的には「公有制」を正式に放棄せざるを得ないだろう。1992年の第14回共産党大会において「計画経済」が正式に「市場経済」に取って代わられてから、「公有制の堅持」が生産力向上の最大の妨げになっているだけに、その放棄は、中国経済の更なる飛躍のきっかけになるに違いない。

2006年2月24日掲載

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