中国経済新論:実事求是

三農問題を如何に解決するか
― カギとなる労働力移動 ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

中国は「世界の工場」として注目されているが、その一方で、3億人以上の農民を抱える「農業大国」であることを忘れてはならない。しかし、中国の農村部における一人当たりの所得が都市部の三分の一に留まり、社会福祉などの面において農民が受けている各種の差別待遇を合わせて考えると、中国の都市部・農村部の所得格差は世界最大となる。この状況を放置すると、社会不安の原因になりかねないことを重く見て、胡錦濤・温家宝政権は登場して以来、農業・農民・農村からなる「三農」問題の解決を、最重要課題と位置づけてきた。

三農問題の本質は、少ない土地にもかかわらず余剰労働力を抱え、しかも農業技術が立ち遅れていることから、労働生産性と一人当たり所得が非常に低くなっているということである。また、中国社会では建国以来、都市部対農村部という厳格な二元構造が存在し、そのため、今日になっても農民の社会における地位は低く、戸籍に縛られて移動の自由を厳しく制限されている。さらに、都市部の人々と比べ、農民達には、年金や医療保険といった社会保障もない上に、多くの名目で重い租税が徴収されている。また、農民が都市部に出稼ぎに行っても、税制や子供の教育など多くの面において差別されている。このように、農民は「非」国民待遇しか受けていない。この農民の窮状を生々しく描いた『中国農民調査』というルポが中国でベストセラーとなり、話題を呼んでいる(注)

三農問題の解決を目指すべく、今年になって18年ぶりに、中共中央が農業と農村問題を扱った「農民の増収を促進する若干の政策に関する中共中央、国務院の意見」を(一番重要な政令にあたる)「一号文件」として発表した。国務院はかつて1982年から1986年の間、5年連続で「三農問題」を中心とした5通の「一号文件」を公布した。改革開放政策に転じてのち、「人民公社」というシステムで壊れ果ててしまった中国の農村に活気をもたらした。しかし、1990年代以降、中国の農村は再び停滞期に戻ってしまった。特に、近年の豊作とWTO加盟に伴う輸入の増大により農産品価格が低下していることから、農民の所得はますます伸び悩んでいる。

今回の「一号文件」は、農業税率の引き下げ、タバコを除く農業特産品税の撤廃など農民の負担を減免する措置が含まれている。また、三農問題への政府財政支出を増やし、食糧の流通体制を改革し、食糧を生産する農民への直接補助を行うなどの施策も策定された。「一号文件」は少なくとも農民に200億元以上の直接的収入の増加とそれを上回る間接的利益をもたらすと推計される。新しい政府の「親民」姿勢、温家宝首相の「三農問題」に対する深い理解といった多くの意見がこの「一号文件」に存分に現れている、と中国のマスコミで大きく取り上げられている。

しかし、これだけでは、三農問題の根本的解決にはならない。農民の一人当たり所得を上昇させるには、二つの方法がある。一つは、分子である農業所得を増やすことであり、農民に対する租税減免と補助金支給を中心とする今回の措置はそれに当たる。もう一つの方法は分母の減少、すなわち農業収入に依存する人数を減らすことである。そのため、大半の農民を農業から製造業、サービス業など非農業分野に転出させることが求められている。

戸籍など多くの制限にもかかわらず、職とより高い収入を求めて、農村部から都市部へ大規模な労働力の移動はすでに起こっている。農業部の全国固定観察点弁公室が2004年3月にまとめた調査報告によると、出稼ぎ労働者数は9820万人に上る。出稼ぎ労働者を送り出している主な地域は、河南省(13.3%)、四川省(13.0%)、湖南省(7.9%)、江西省(5.9%)、重慶(5.1%)と中部と西部地域がその大半を占めている。一方、出稼ぎ労働者を受け入れている主な地域は、広東省(10.1%)、北京(4.2%)、江蘇省(4.0%)、上海(3.2%)と沿海地域に集中している。出稼ぎ労働者の就職先は建設(26.1%)、製造業(24.3%)、飲食業(9.3%)、小売(7.7%)、輸送業(7.0%)となっている。出稼ぎ労働者の平均年間収入は5279元(総額でGDPのおよそ5%に当たる5184億元)、そのうち、故郷への送金は一人当たり3768元、総額で3700億元にのぼる。これは、農民所得の重要な部分になっている。

このように、国内の労働力の移動は、農民の所得水準の向上だけでなく、地域間の所得格差の是正、ひいては中国政治社会の安定にも大きく寄与している。それを一層促進するために、戸籍制度を改革し、農民の都市部への移住を認めなければならない。

図 拡大する都市部と農村の所得格差
図 拡大する都市部と農村の所得格差
(注)都市は1人当たり可処分所得、農村は1人当たり純収入
(出所)中国統計年鑑

2004年8月25日掲載

脚注
  • ^ 中国の農業問題が再び議論の焦点になっている中で、『中国農民調査』というルポが人気を集めている。2004年1月に出版されてからすでに数十万部が売られたという。この本は、安徽(あんき)省出身の作家である陳桂棣、春桃夫妻が3年の歳月をかけて、中国の農業改革の発祥地である安徽省の50数県に足を運び、農民の真実の生活を見聞し、その実態を記録したものである。朱鎔基首相(当時)が視察に訪れた際、国有穀物倉庫が財政難で空っぽだったため、他の地域から食糧をかき集めて虚偽の報告を行ったことなど多数の実例が盛り込まれており、地元幹部の横暴と政府の対応の甘さを批判する内容となっている。また、村費の不正使用を上級行政に訴えた村人ら4人が副村長とその子供らに斬り殺された事件、過重な負担に抗議する村人のリーダーを村の役人が派出所に留置して殴り殺した事件、などの実例を中心に、不当な税や費用の負担という重荷のもとに置かれた、農民たちの苦しい生活実態を明らかにした。重荷になっている税と各種費用は政策設定による問題もあるが、悪代官のような郷・村の幹部の不正な裁量による問題が大きい。これらの実例は、人治国家である中国の実情を生々しく反映している。

2004年8月25日掲載