中国経済新論:実事求是

中国の躍進と日本の衰退の原因は本当に元安にあるのか

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

近年、中国の躍進と日本の衰退の原因を「元安」に求める論調がマスコミにおいて盛んに登場している。例えば、7月11日の日本経済新聞「経済教室」に掲載された大阪大学の小野善康教授の論文も当たり前の如くこのような主張を繰り返している。素人ならともかく、まさか著名な経済学者がこのような短絡的な議論を展開しているとはまだ信じられない。

小野論文では、「中国企業の価格競争力は、企業努力よりも人民元の相場の変化による面が大きい」と主張している。確かに、改革開放以来の25年間にわたって、人民元の対ドルレートは、名目ベースで見ても、内外のインフレ格差を反映した実質ベースで見ても、大幅に下がってきた。しかし、為替レートを大幅に切り下げた発展途上国は中国のほかにもいくらでもある。その中で、なぜ、中国経済だけが躍進したのであろうか。為替の切り下げだけで経済が躍進できるのであれば、現在、世界中に存在している百数十カ国の途上国が、簡単に先進国になり、南北問題は一気に解消するであろう。このユートピアには、世界銀行も、ODAも存在する意味が全くない。しかし、世の中にはこのようなフリー・ランチがありえないことは経済学者が一番よく知っているはずである。

経済学の教科書にも書かれているように、短期の景気変動は需要要因、中長期の経済成長・発展は供給要因によって決められる。為替変動も、金融政策や財政政策などのマクロ政策と同様、主に需要を通じて景気を左右するが、四半世紀にわたって中国経済が平均9%という高成長を遂げた根本的原因は、供給側の要因に求められるべきである。成長会計に沿っていえば、労働と資本といった生産要素投入量の拡大と生産性の上昇がこれまでの中国の成長をもたらしたのである。さらに、それらを支えているのは、「自力更生」から対外開放へ、また計画経済から市場経済への移行という「制度改革」によるものであると理解しなければならない。

小野氏は、中国の躍進の原因を元安に求めるだけでなく、日本経済の不振の原因も中国との「不公平な」競争にあると主張している。論文では、「日米の中国脅威論は、単に元の人為的な引き下げによって起こった、政策的なものである」言い切っている。しかし、為替レートの切り下げは、短期的には外需の拡大を通じて、景気を支える効果があっても、時間とともに国内の物価も上昇するので、中長期的には実質為替レートは均衡水準に戻るはずである。このように、中長期的な実質為替レートは政府が人為的に決められる政策変数ではなく、あくまでも経済のファンダメンタルズを反映した内生変数である。中国の場合、人民元の中長期にわたる下落傾向は、自国の急速な輸出拡大によって、(「窮乏化成長」とまでいかないが)、交易条件(輸出財の輸入財に対する相対価格)が低下したことを反映している。

また、人民元安が、日本経済にマイナスの影響を与えるという認識は、日中両国が類似した産業構造を持ち、国際市場において強い競合関係にあるという暗黙の前提に基づいている。しかし、実際には、両国の比較優位に沿って、中国が労働集約財(または工程)に、また日本が技術集約財にそれぞれ特化するという分業体制ができており、競合関係というより、補完関係にあることは明らかである。この場合、石油価格の低下と同じように、中国からの輸入が安くなることは、日本の交易条件の改善を通じて、日本経済全体の厚生を高めるはずである。このように、「日本が不況から抜け出せないのはコスト高のせいであり、このままでは中国に負けて輸出が減り、景気がさらに後退して、日本はますます没落する」という考え方は被害妄想に他ならない。

小野論文は、短期景気変動の分析にしか適さないケインジアン・モデルを無理に中長期の経済成長と発展の問題に当てはめようとしたために、誤った結論を導いたのである。小野氏に限らず、多くの経済学者は、実証分析を行うどころか、現実世界の観察を怠り、理論モデルからの演繹だけを頼りに、フィクションを作ることこそ「学問」であると思い込んでいる。「経済学を知らないエコノミスト」(野口旭著、『経済学を知らないエコノミストたち』、日本評論社、2002年)が批判されているが、ひょっとしたら「経済を知らない経済学者」の罪の方がもっと重いかもしれない。経済学者も原点にもどり、象牙の塔の中でしか通用しない空理空論に安住せずに、「実事求是」の精神に立脚した真の「経世済民」の学問に励んでほしいところである。

2003年7月18日掲載

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