中国経済新論:実事求是

中国の自信を示す「対日関係の新思考」

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

近年、日中両国の間では、経済交流の活発化とは対照的に、瀋陽の領事館事件や、靖国神社の参拝問題、教科書検定問題など、政治面における摩擦が絶えない。紙の上では日中関係正常化が実現して30年あまりの歳月が経ったが、本当の正常化はまだ達成されたとはいえないのが現状である。しかし、朝鮮半島の安定をはじめ、日中間協力がなければ解決できない問題が山積しており、感情面の対立をそのまま放置すれば、重大な結果を招きかねない。中国では、昨年秋の党大会において胡錦涛と温家宝を中心とする共産党の新しい指導部の誕生を契機に、この閉塞状態を打破すべく、積極的に対日関係の改善を訴える声が聞こえてきた。

その先頭を切ったのは中国共産党機関紙「人民日報」の著名な評論員(論説委員)・馬立誠氏が、昨年12月に発行された『戦略と管理』誌に掲載された「対日関係の新思考-中日民間の憂い」という論文であった(注)。その中で、馬氏は民族主義的色彩が強い自国の「反日」行動を痛烈に批判し、歴史認識問題でも、「謝罪」の問題は解決ずみとの考えを示した。馬氏の肩書きからも分かるように、「対日関係の新思考」は、単に著者の個人の見解であるというより、新しい指導部が日本に送る関係改善の呼びかけであると受け止めた方が自然であろう。

馬氏の論文に対しては予想通り一般の大衆から厳しい批判が寄せられているものの、政府の意向を汲んだ中国のマスコミからは、むしろ擁護の論調が多い。中でも、中国人民大学米国研究所の時殷弘主任が、同じ『戦略と管理』(2003年第二期)で発表した「中日接近と外交革命」は特に注目を浴びている。時氏は、中日間の相互嫌悪と敵対感情は日本の反中感情や排外主義をさらに高め悪循環をもたらす可能性があり、中国にとって危険であると警告している。その上、米国の覇権主義を牽制するためにも、日中接近が必要であると訴える。中国としては、歴史問題を棚上げするとともに、日本の軍備強化に理解を示し、日本の国連安全保障理事会常任理事国入りを積極支持するなどの具体策を提案している。これらの提言が中国政府の政策として採用されることになれば、まさに対日政策の画期的変化だと言えよう。

従来と比べそれだけ「寛大」になった対日新思考が登場する背景には、指導部の世代交代に加え、中国の国力とそれに伴う国民の自信の向上がある。実際、馬氏は日本の戦争責任を論じる際、中国が戦勝国としての器量を見せるべきだと主張している。時氏も中国が大国の風格と自信を持って「外交革命」を自ら進めるべきだと提言している。ここでいう自信は実力に伴うものでなければならない。そうでなければ、国民が、数年前にベストセラーとなった『ノーと言える中国』に象徴されるような不健全な民族主義に走ってしまうリスクが高くなる。

これまで、中国には日本を許す余裕がなかった。共産党と国民党の宣伝にもかかわらず、第二次世界大戦において中国が自力で日本に勝ったと思う国民はそう多くないだろう。その上、戦後の経済発展においても、中国の日本との格差はさらに広がってしまった。しかし、70年代末に中国が改革開放路線に転じてから、高度成長期に入り、90年代に入ってから日本経済の長期低迷も加わり、日中間の経済格差は縮小傾向に転じている。これが中国の国民の自信回復につながっているに違いない。

被害者にとって、加害者を許す条件として、相手の誠意のある対応はもとより、自分の心に余裕を持っていることも重要である。このことは近年、韓国の日本に対するスタンスの変化からも読み取れる。98に年金大中大統領が訪日した際、懸案となっていた両国間の歴史問題に終止符が打たれた。その後も、2002年のワールドカップの共同開催をはじめ、日韓関係は急速に改善してきた。日韓の和解が実現できたことは、単に金大中大統領が偶然にも親日派であるからだけでなく、国民の理解があったからである。その背景には、OECD加盟に象徴されるように、韓国は先進国への仲間入りを果たし、国民の生活水準が日本に近づいたことが大きい。

日韓関係と比べ、日中関係の改善は明らかに後れをとっている。日中間に横たわる歴史認識問題に関して、中国人はよく「日本はいつになったら謝罪してくれるのか」と苛立ち、逆に日本人は「いつまで謝れば、中国人が許してくれるのか」とこぼす。これは、両国間のパーセプション・ギャップが依然として非常に大きいことを端的に示しているが、好意的に解釈すると、時がすべてを解決してくれるという期待が込められていることになる。中国の躍進による日中間の経済格差の縮小が、和解の時期を早めることは間違いない。

2003年5月30日掲載

脚注
  • ^ 中文タイトルは「対日関係新思維-日中民間之憂」。和訳が「我が中国よ、反日行動を慎め」という題で2003年3月号の『文藝春秋』に、また、「民族主義的反論は有害無益だ」という題で2003年3月号の『中央公論』に掲載されている。
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2003年5月30日掲載