中国経済新論:実事求是

複合不況に陥った香港
― 不振の原因はSARSだけではない ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

香港はSARS(新型肺炎)の影響で、観光を始め、経済が大きい打撃を受けている。しかし、実は、SARSの発生と蔓延を待たずとも香港経済は1997年の返還を転機に曲がり角に差し掛かってきている。返還後の5年間、香港の経済成長率は年平均2.5%に留まり、返還前の5年間の5.0%を大幅に下がっており、失業率は逆に97年の2.2%から、現在7.5%に上昇している。97-98年のアジア通貨危機や、SARSといった一連の外部ショックに加え、貿易における仲介機能の優位性の低下も香港経済に追い討ちをかけている。

香港は1997年7月1日に中国に返還されたが、不運にも次の日にタイバーツの切り下げをきっかけにアジア金融危機が勃発した。これを受けて、景気が急速に悪化し、物価も下がり続けた。不動産と株価の低迷に象徴されるように、デフレは財とサービスの価格に留まらず、資産にも及んだ。特に住宅価格の急落はローンを抱える多くの家計に債務超過をもたらし、消費に水を差した。デフレを解消すべく、政府は財政支出を拡大してきた結果、財政赤字が巨大化してしまった。景気は世界的ITブームの波に乗って、2000年に急回復したが、それも長く続かず、バブルの崩壊とともに成長が再び失速した。さらに、今年に入ってから、SARSの蔓延を受けて、不況が一段と深まっている。

一方、アジア通貨危機を経て、多くのアジア通貨が大幅に切り下げられたが、香港は1米ドル=7.8香港ドルという固定レートを堅持してきた。その結果、香港ドル、ひいては香港の物価、賃金、不動産の賃料などが割高になり、香港の国際ビジネス・センターとしての競争力が低下した。為替レートの切り下げが政策手段として排除された以上、競争力の改善、ひいては景気の回復は、賃金と物価の一層の低下、すなわちデフレの進行を待たなければならなかった。

こうした循環要因に加え、これまで香港の成長のエンジンであった中国経済との一体化という構造要因の影響も、変調を見せ始めている。香港は1960年代から中国貿易の中継拠点として大きな役割を果たしてきた。中国の改革開放の初期段階において、香港は改革開放が先行した広東省に隣接し、健全な法制など優れたインフラという優位を生かして、中国への玄関として、中国の経済発展の恩恵を受けてきた。しかし、WTO加盟に象徴されるように、中国が全面開放の段階に入ったため、香港がそれまで独占的に握っていたメリットが薄れてきている。中国における港湾や空港といったインフラの整備が進んでいることも加わり、外国企業にとっては、あえて高い入場料を払ってまで香港を経由しなくても、直接中国と商売できるようになったのである。また、法制面でも従来であれば中国の法律は、とかく透明性に欠け、実行という面では危ぶまれる部分があったが、それが西側の法制度と比較しても何ら遜色のないものになれば、多国籍企業がわざわざ香港に子会社を設立してから中国へ進出する必要はなくなるであろう。

このように、香港と中国の間の補完性が弱まる代わりに競合性が強まっている。その結果、中国経済が順調に発展すれば、香港も安泰であるという構図が崩れている。香港は活力を取り戻すために、上海や広州などの中国大陸都市よりも優れている人材とインフラを提供することを通じて、より付加価値の高いサービスを提供しなければならない。中でも、金融や物流、観光が有望な分野になるだろう。さらに、デフレの解消とコストの面における国際競争力の向上を目指すべく、香港ドルの切り下げを実施しなければならない。

図 不況が深まる香港
図 不況が深まる香港
(出所)香港の公式統計より作成

2003年5月23日掲載

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