中国経済新論:実事求是

上海の香港化・香港の上海化

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

戦前中国の金融センターであった上海は、計画経済下の停滞期を経て、近年、改革開放の波に乗り、その活力と大きな潜在能力を見せつけてきた。長江流域という広大な後背地や巨大な経済力、整備されつつあるインフラ、高度化が進む科学・技術と教育・人材の質など、上海はその優位性と好条件により、国際金融センターとしての輝かしい展望を示唆している。現に、この十年間、上海は浦東新区の開発を梃子に、連続して10%を上まわる高成長を遂げており、証券取引所を中心に立派な金融街も姿を現しつつある。一方、1997年7月1月に中国に返還された香港が、そのすぐ後に勃発したアジア通貨危機を受けて、不況に陥っている。昨年以来の世界経済の減速も加わり、香港経済はいまだ回復の目処が立っていない。こうした中、香港の国際金融センターとしての地位がいずれ上海に取って代わられるのではないかという見方が盛んになっている。しかし、中国は人口13億人の大国であり、その経済発展が順調に進めば香港と上海の両方が発展できる余地は十分あるはずであり、ゼロ・サム・ゲームの発想は必ずしも当てはまらない

伸び率で比較すると、確かに、近年上海の飛躍が目立っているが、人材、法律、言語、通貨、インフラなどこれまで蓄積したストックの面における香港の優位は簡単には揺るがない。まず、欧米で教育を受けた多くの大陸出身のプロフェッショナルを含め、世界中から集めてきた弁護士や会計士など優秀な人材が香港で活躍している。第二に、返還後も、中国の法律は香港では適用されず、国際金融取引は従来通り、ロンドンやニューヨーク市場で適用されている英米法に従う。第三に、香港は植民地であったお陰で、国際語である英語の教育が普及している。最後に、香港ドルが資本取引も含め交換性のある通貨であるのに対し、人民元は当面ハード・カレンシーにはなれない。これらの条件を合わせて考えると、当面、上海は人民元の取引を中心とする「国内」金融センターにとどまり、「国際」金融センターの名に相応しくなるまで、相当長い歳月がかかるであろう。

振り返ってみると、80年代末まで、上海が香港の脅威になるという考え方は一種の贅沢な悩みにすぎなかった。当時、多くの香港市民はむしろ返還に伴う香港の上海化を懸念していたのである。上海では1949年の共産政権樹立に伴い、それまで上海経済を支えてきた内外の資本と人材が香港をはじめ海外に流出し、上海経済の活力は急速に失われた。そして、黄浦江沿いの旧租界に建てられたヨーロッパ風の建物のみが、上海の過去の栄光を伝える遺跡として残った。香港には、共産政権から逃れてきた上海出身の資本家も多く、その中には全財産が共産政権に没収された経験者も珍しくない。彼らにとって、香港の上海化はまさに悪夢の再来である。しかし、90年代に入ってからの上海の復権は目覚ましく、「香港の上海化」はもはや当初の意味を失ってしまった。

2002年3月8日掲載

2002年3月8日掲載