中国経済新論:実事求是

地域通貨協力に積極的になった中国
― アジア通貨基金の復活に向けて ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

アジア通貨危機を経て、中国は高成長を持続させるためには、安定した国際環境が絶対に必要であると認識するようになった。これを反映して、当局が通貨協力を始め域内経済協力に関する消極的姿勢も積極的なものへと転じている。

アジア通貨危機が勃発した当初、日本は、域内金融協調の枠組みとして、1000億ドルという膨大な資金を動員できる「アジア通貨基金」(AMF)の創設を提唱した。通貨投機の規模が各国の外貨準備の水準を上回り、IMFの支援も限界に来ているといった環境変化に対応するために、各国当局が外貨準備の一部をプールして緊急時に備えることが同構想の狙いである。その上、協調介入をはじめ通貨当局間の政策協調が実現できれば、アジア危機の際に見られた切り下げの伝染効果を最小限にとどめることも期待される。

中長期的には、AMFはアジア各国間の金融仲介の効率向上に寄与することが期待されている。日本を除いても、東アジア地域において、国内貯蓄が国内投資を上回っている。現に、NIEsと中国を中心に同地域は経常収支黒字を計上しており、国際金融市場においてネットの資金供給地域になっている。アジア各国の外貨準備米国債をはじめするドル資産を中心に運用されていることから、アジア市場を投機対象とするヘッジ・ファンドなどに間接的に安い資金を提供していると言っても過言ではない。資金を米国経由ではなく直接に域内の資本市場で効率よく循環させるためには、決済システムや格付け機関といった市場インフラの整備が不可欠である。

今回の通貨危機から得られた一つの教訓は、アジア各国の運命はあまりにもIMFや米国政府などワシントンにある機関や、これらと利益が一致する多くの市場参加者に振り回されていることである。危機の対応に当たっても、市場原理主義に近いワシントン・コンセンサスが指導的役割を果した。一方、IMFや世界銀行などの国際金融機関において、アジア各国は、必ずしも実力に相応しい決定権を与えられていない。こうした観点からアジア通貨基金は、アジア各国が米国の金融支配から自立しようとする試みであると見なすことができる。

アジア通貨基金構想は米国の反対で実現しなかったが、98年夏にアジア危機の悪影響が、ロシアや中南米を経て、ウォール街に及ぼうとすることを契機に、米国は同構想に対するスタンスを賛成に改めた。これを受けて、98年10月に日本はアジアの再建を目指した300億ドルに上る新宮沢構想を発表した。また、2000年5月に、ASEAN+3(日本、中国、韓国)の大蔵大臣の間で、二国間のスワップのネットワークを軸とする緊急融資の枠組み(いわゆる「チェンマイ・イニシアティブ」)について合意に達した。融資に当たって、米国債の代わりに(随時増刷できる)自国通貨を担保として認めるという点において、危機前に結ばれたレポ協定と比べて、借り手にとって条件が緩やかになっている。

チェンマイ・イニシアティブの枠組みに沿って、すでに多くの二国間スワップ取極めが締結されている。中でも、2002年3月28日、日本銀行と中国の中央銀行に当たる中国人民銀行との間で、緊急時に30億ドル相当の円または人民元を互いに融通しあうことを認めた円と人民元のスワップ取極を締結したことの意味が大きい。これまで中国と日本が他のアジア諸国との間に締結されたスワップ取極は、要請があれば、ドルを相手国の現地通貨と交換するという一方的協定であった。これに対して、今回の日中間の取極はドルを使わず、しかも相互支援の協定となっているという点において、よりアジア通貨基金の精神に沿ったものである。このように、復活に向けて、アジア通貨基金は大きな一歩を踏み出したと言えよう。

2002年7月26日掲載

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