中国経済新論:中国の経済改革

中国における儒教のルネッサンス
― 共産党の政権強化の切り札となるか ―

関志雄
経済産業研究所

今年の1月に北京の天安門のすぐ近くに巨大な孔子像が現れた。これに象徴されるように、近年、中国において、儒教が静かに復活している。その背景には、1990年代以降、海外ではソ連が解体し、中国では市場経済化が進んだことを受けて、共産主義の求心力が低下する中で、道徳による社会秩序の維持や民主主義と一線を画す「仁政」を中心とする儒家の思想を、共産党が政権強化の手段として利用しようとしていることがある。

封建主義の象徴から中華文明の象徴へ

歴代の王朝は、政権を維持するために、孔子を尊敬し、その教えである儒教を実践することを標榜したが、1919年の「五四運動」(ヴェルサイユ条約の内容に対する不満から発生した反日、反帝国主義を掲げる大衆運動)や70年代前半の文化大革命の最中において、孔子と儒教は封建主義の象徴として厳しく批判された。しかし、近年、次の一連の出来事を通じて、再び脚光を浴びるようになった。

①孔子学院の設立
2004年以降、中国政府は、世界各国の大学と提携し、語学教育や中国文化を海外で普及させる機関である「孔子学院」を設立している。2010年現在、その数は約280校に上る。「毛沢東」ではなく、「孔子」を担ぎ出したことから、中国の共産主義国としてのイメージを薄めようとする政府の意図が見て取れる。

②孔子生誕記念式典
2005年9月28日に、初めて政府主導の下で大々的に孔子生誕記念式典がその故郷である山東省曲阜市で行われた。中国中央電視台は4時間にも及ぶ実況中継を放送し、式典には共産党幹部、各界の重要人物が数多く出席した。

③映画「孔子」の上映
2010年年初に、国策映画と見られる「孔子」が公開された。同映画の上映から、「孔子」を肯定するという指導部のスタンスがうかがえる。

④天安門の斜め向かいに現れた孔子像
2011年1月11日、天安門広場に隣接する中国国家博物館の改装工事の終了に伴って、その北口に建てられた高さ9.5メートルの孔子像が披露された()。毛沢東の肖像画が掲げられている天安門の目と鼻の先に巨大な孔子像が登場したことは、儒教の復活を強く印象付けた。

共産党が孔子と儒教を批判する立場から、その復興を後押しするようになった背景には、次のような内外の環境変化があった。

中国では、「失われた十年」といわれた文化大革命によって、社会が荒廃し、経済が破綻する中で、人々は共産主義に幻滅した。1990年以降のソ連の崩壊と東欧の激変も加わり、共産党による統治の正当性が厳しく問われるようになった。近年、経済が急速に発展したが、その一方で、貧富格差の拡大、党幹部の腐敗、環境の悪化などを背景に、国民の不満は高まっている。社会を安定させるために、共産党は、従来のイデオロギーの代わりに、国民が共有できる何らかの精神的支えが必要だと考えるようになった。

しかし、共産党は無神論を標榜してきただけに、仏教やキリスト教といった既存の宗教を利用するわけにはいかない。宗教ではなく、中国人に理解されやく、しかも由緒ある思想を探したところ、孔子・儒教に辿り着いたのである。儒教は、正真正銘の中国独自の思想であるだけに、中国国内では納得、支持を得やすく、愛国教育の一環としても推進しやすい。また、海外に向けて、コピー製品ではない本物の「中国ブランド」として正々堂々と「輸出」できるのである。

統治の道具として利用される儒教の思想

儒教の影響は民間にとどまらずに、政権内部でも強まっている(BOX)。現に、「小康社会」、「調和の取れた社会」、「以徳治国」(徳を以て国を治める)など、儒教に由来する多くの理念は共産党の政策綱領に盛り込まれている。

①小康社会
鄧小平は改革開放の初期の段階で、中国の現代化の目標を、「いくらかゆとりのある社会」を意味する「小康社会」に定めた。「小康」とは、前漢期にまとめられた儒教の古典の一つである『礼記』の「礼運篇」の中では「大同」に次ぐ理想の社会として描かれたものである。大同は、共産主義社会と同じように、争いのない公有制を前提としているのに対して、小康は、私有制と人々の私欲を前提とし、「礼」(制度)によって治める社会として描かれている。

②調和の取れた社会
胡錦涛・温家宝政権になってから、「小康社会」は「調和の取れた社会」(「和諧社会」)であることが強調されるようになった。それを実現するための指針として、「人間本位主義(「以人為本」)の立場から社会全体の持続的な均衡発展を目指す」という「科学的発展観」が提示されている。具体的には、①都市と農村の発展の調和、②地域発展の調和、③経済と社会の発展の調和、④人と自然の調和のとれた発展、⑤国内の発展と対外開放の調和という「5つの調和」がその主な内容になっている。これらは、まさに儒教の「和」の思想に基づいている。王毅駐日大使(当時)が指摘しているように、「儒教が最終的に追い求める目標は「仁」を中核とし、「徳」を基礎とし、「礼」を規範とし、「調和」を目指す理想的境地であります。従って、儒教文化の終始変わらぬ特徴は、「和」の一言に集約できると言えます」(「東方文化を高揚し、調和の取れた世界を築こう」、立命館孔子学院で行った講演、2005年11月17日」)。

③「以徳治国」
社会の安定を維持するためには、違法行為に対して重い懲罰を課するという法治による「他律」に加え、自分の利益を求めるときに他人に損害を与えないという道徳による「自律」も欠かせない。残念ながら、このような道徳観念は、共産主義というイデオロギーが退潮し、功利主義が主流となっている今日の中国では欠如している。これを背景に、2000年6月、江沢民総書記は「中央思想政治工作会議における講話」において、「法律と道徳は上部構造の構成部分として、いずれも社会秩序を維持し、人々の思想と行動を規範化する重要な手段であり、そして相互に関連し補完している。法治はその権威性と強制的手段で社会の成員の行為を規範化している。徳治はその説得力と誘導力で社会成員の思想認識と道徳的自覚を向上させる。道徳規範と法律規範は互いに結合し、統一的に作用を発揮すべきである」と語り、「以徳治国」という方針を打ち出した。江沢民の後を継いだ胡錦涛総書記も「八栄八恥」という道徳規範を提唱している。その内容は、マルクス・レーニン主義よりも、儒教の考え方に近い(表)。

表 「八栄八恥」とは
表 「八栄八恥」とは
(出所)胡錦濤、全国政治協商会議の委員会での講話(2006年3月4日)

権威主義体制に正当性を与える「仁政」

その上、政権を強化するために、共産党は、実質的に、エリートを体制内に取り込みながら一党支配という権威主義体制を強化する一方で、国民生活の向上を通じて支持を得ようとしている。このような統治術は、「賢人治国」と「民本主義」を標榜し、儒教が理想とする「仁政」からヒントを得ているに違いない。

共産党は、革命党として労働者や農民の支持を得て政権の座に着いたが、経済発展と市場経済化が進むにつれて、資本家階級をはじめとする新興社会勢力の支持なしに政権を維持することが難しくなってきた。このような新しい環境に対応するために、2001年7月の建党80周年記念講話において、江沢民総書記は、ついに資本家の入党を公式に認めることに踏み切った。それを正当化したのは彼自身が2000年2月に広東省を視察した際、重要講話として発表した「三つの代表論」である。「三つの代表論」は、共産党が先進的生産力(=企業家)、先進的文化(=知識人)、さらには最も広範な人民の利益を代表すると提唱しており、共産党と企業家や知識人といったエリートとの連盟結成宣言であると受け止められている(康暁光「未来3-5年中国大陸政策穏定性分析」、『戦略与管理』2002年第三期)。

しかし、エリート連盟の下では、政治資源、経済資源、文化資源が結託した結果、統治する側とされる側の格差が広がり、また対立も深まっている。それに歯止めをかけようと、胡錦涛政権は、調和の取れた社会の構築とともに、「新三民主義」と呼ばれるようになった「権は民のために用い、情は民にかけ、利は民のために図る」ことを謳った「民本主義」を強調するようになった(胡錦涛、河北省石家荘市平山県西柏坡での講話、2002年12月6日)。民本主義は「民を貴しと為し、社稷之に次ぎ、君を軽しと為す」(人民が最も重要で、国家はこれに次ぎ、君主は最も軽い)、執政者は「民の父母になり」という(孔子の思想を継承し、発展させた)孟子の思想に遡る。新旧の民本主義は、「権は民に与えられる」という発想が欠けており、あくまでも父権的温情主義の上に立った統治側の論理であるという点において共通している。

儒家が追い求める仁政は、執政者が権力をどのように手に入れたのかを問題にせず、執政者の主観的動機のみに注目する。暴力革命で政権の座に着き、公平公正な選挙の実施を拒む共産党にとって、正当性を主張するのにまさに都合の良い理論である。しかし、仁政は、政治制度として、重大な欠陥を抱えている。

まず、仁政の前提である「仁」を中心とする儒教の道徳観は、君主に対する忠誠心と秩序を重んじ、固定された身分制度を肯定し、男尊女卑の考え方を固定化させるという点において、民主や平等といった現代社会が共有する価値観とは、明らかに矛盾している。その上、仁政は、国家の運命を聖人君子に託しているだけに、法治の確立が難しく、人治に頼らざるを得ない。

また、仁政は、性善説に基づいており、君主がみな聖人君子であると期待しているが、残念ながら、歴史上、この期待は裏切られ続けている。確かに、儒教は、私利私欲に走る君主に対して、人民が革命を通じて彼を追放する権利を認める。しかし、それに伴う社会の不安定化が避けられない上、「成王敗寇」(勝てば官軍、負ければ賊軍)という強者の論理の下で新たに誕生する君主も、その地位を世襲する子孫も、聖人君子である保証がまったくない。結局、中国では、仁政が実現されたことはほとんどなく、王朝の交替とそれに伴う動乱期が繰り返されているのである。

この歴史の教訓を踏まえて、日中戦争中に共産党の根拠地である延安に訪ねてきた中華民国政府の国民参政会の黄炎培委員が毛沢東に対して、共産党が政権を奪取できたら、王朝の興亡の周期律から逃れることはできるかと質問したところ、毛沢東は、「我々はすでに新しい道を見つけた」、「その新しい道は民主である」、「人民に政府を監督させることによってのみ、政府は油断できなくなる」と答えた(黄炎培、『延安帰来』、重慶国訊書店、1945年)。このように、毛沢東は、中国が長期にわたる安定と繁栄を実現していくためには、「仁政」ではなく、民主、自由、平等、法治に基づく「憲政」を実施しなければならないと認識していたのである。残念なことに、毛沢東の「民主中国構想」はいまだ実現されていない。

BOX 儒教が共産主義に取って代わることはないのか

共産党はあくまでも儒教を、現体制を強化するための手段として利用しようとしているが、儒教が共産主義に取って代わって公認のイデオロギーになることはないのかを巡って、学者の間では意見が分かれている。

まず、新左派の代表の一人である甘陽氏は、儒教と共産主義の融和が可能であると考えており、市場や自由や権利を重んじる改革開放以来の伝統、平等を強調する毛沢東時代に形成された伝統、家族関係を中心とする倫理を重視する儒教の伝統を統合し、「儒教社会主義共和国」を建設すべきだと主張している(「中国道路――三十年与六十年」、『読書』(第六期)、2007年)。これは、現政権のスタンスと大きく離れるものではない。

これに対して、清華大学の康暁光氏と儒学者の蒋慶氏をはじめとする一部の学者は、中国は共産主義を放棄し、儒教国家を目指すべきだと主張している。

康暁光氏は、儒教の国教化を提案している。彼によると、統治の正当性を失った共産党にとって、「仁政」の実施しか道は残されていない(「仁政:権威主義国家の合法性理論」、『戦略与管理』、2004年第二期)。ここでいう「仁政」とは、賢人・儒士による国家統治、すなわち、「仁」と「慈」に基づいた権威主義のことである。そのために、共産党員はマルクス・レーニン主義教育の代わりに、孔子と孟子の教えを習う「共産党の儒教化」と、儒教を国教とし、教育体系に完全に組み込む「社会の儒教化」を同時に進めていかなければならない。主権は国民全員に属するが、儒士のみが統治権力を持ち、大徳が小徳をリードし、統治するという。

蒋慶氏は、儒教の国教化にとどまらずに、儒教の教えを全面的に政治体制に反映させる儒教国家を提唱している(『政治儒学』、三聯書店、2003年)。彼の構想では、政治体制の中心は、超越的合法性(人類全体の利益、道徳)を代表する「通儒院」、民意の合法性を代表する「庶民院」、西洋古代の貴族院に相当し、歴史文化の合法性を代表する「国体院」からなる。ここでは、共産党の四つの基本原則(社会主義の道、人民民主主義独裁、中国共産党の指導、マルクス・レーニン主義・毛沢東思想)が完全に否定されている。

このように、儒教の復興は、一歩間違えば、共産党にとってかえって脅威になりかねない。儒教を利用することは、まさに両刃の剣である。

2011年4月27日掲載

脚注
  • ^ 2011年4月20日にこの孔子像は中国国家博物館の構内に移された。

2011年4月27日掲載