中国経済新論:中国の経済改革

長期政権を維持するための政治改革
― 「立憲党主制」に向けて ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

近年、中国共産党は、革命党から政権党への転換を目指して、経済発展とイデオロギーの革新に加え、法治の確立と「党内民主」を中心とする政治改革を通じて、正当性と統治能力を高めようとしている。この方針が、2009年9月に開催された中国共産党第17期中央委員会第四回全体会議(四中全会)において再確認された。長期政権の維持を前提とするこのような政治改革の取り組みは、共産党の権力を憲法によって一部追認する一方で一部制約するという「立憲党主制」(中国語では党主立憲制)に向けた動きとして注目されている。

一、問われる政権党としての共産党の正当性と統治能力

1921年に結成された中国共産党は、毛沢東に率いられ、1949年に国民党との内戦で勝利を収め、政権を樹立した。しかし、政権党になってから60年経った今も、革命党の意識から完全に抜け出すことができていない。経済面における市場化と政治面における一党独裁という矛盾の激化も加わり、政権党としての共産党の正当性が問われるようになり、統治能力も低下してきている。

革命党と政権党は、政党である点において共通するが、目標や、イデオロギー、行動様式などの面において、極めて異なるものである。まず、革命党にとって、その任務と目的は政権奪取であり、そのために武力を行使することも辞さないが、政権党になると、社会、経済の秩序を保たなければならない。また、イデオロギーの面において、革命党は旧体制との違いを鮮明にするために階級の対立を強調するが、政権党になると、階級の融和を目指さなければならない。さらに、革命党は自らの正当性を「革命」に求める(いわゆる「造反有理」)が、政権党は民主体制と法治を確立することを通じて正当性を高めなければならない。最後に、革命党の場合、軍隊と同じように下級の上級に対する服従が強調されるが、政権党になると、より民主的意思決定のメカニズムが求められる。

しかし、中国が標榜するマルクス・レーニン主義、毛沢東思想という従来のイデオロギーはまさに革命のための理論であって、国造りのための理論ではない。実際、中国共産党は、中華人民共和国を建国してからも、長期にわたり、革命党から政権党への転換が進まなかった。法治と民主への取り組みが遅れてしまったことや、人民解放軍がいまだ共産党の軍隊であり、国の軍隊ではないことはその現れである。このような体制の下では、党の指導部は、絶大な権力を握り、外部からも、内部からも有効な制約を受けていない。文化大革命は、まさに権力の集中によって引き起こされた悲劇である。

このような反省に立って、改革開放に転換してから、共産党は経済発展や、イデオロギーの革新、そして政治改革に取り組むようになったが、乗り越えなければならない多くの課題が残っている。

まず、1978年12月に行われた第11期三中全会で、鄧小平は改革開放路線を打ち出し、共産党の正当性を経済建設の成果に求めようとした。この戦略が功を奏し、中国経済の高成長とともに、国民生活水準も上昇し、共産党の支持基盤も強化された。しかし、経済発展の実績のみに正当性を求めることには限界がある。まず、これまでの高成長は社会主義を堅持した結果というよりもそれを放棄した結果である。また、経済成長が低迷すれば、人々の共産党に対する不満は一気に爆発しかねない。さらに、近年急速な経済発展の代償として所得格差の拡大や、環境問題の深刻化といった歪みが顕在化している。最後に、共産党による一党独裁体制の下で、権力に対する監督が欠如し、党員の腐敗が深刻化している。こうした問題を解決できなければ、共産党の政権党としての正当性は失われてしまう恐れがある。

また、共産党は、「社会主義」という看板を維持しながらも、伝統的イデオロギーを見直してきた。その典型は、資本主義化を正当化した「社会主義初級段階論」や、共産党の階級政党から国民政党への転換を意味する「三つの代表論」、そして効率一辺倒から公平重視への転換を目指す「調和の取れた社会(和諧社会)論」である。これらは文化大革命の時なら、「修正主義」として批判されるものだが、いまや「時代とともに進化する(与時倶進)」社会主義の象徴となっている。しかし、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想が否定されていないがゆえに、イデオロギーは依然として改革の妨げになっている。まず、指導者が明確な改革目標を提示できないため、多くの改革は大義名分が欠如したまま行われ、改革派が政治的に弱い地位に置かれているため、保守派からの攻撃を恐れて、改革の好機を失ってしまう。また、改革のための政策は、十分に議論されないまま実施される場合も多い。特に、イデオロギーによる制約によって、経済学者以外の社会科学者たちは改革に参加しにくくなり、彼らの知恵を得られなかった結果、政治と社会の改革は経済改革と歩調を合わせることができなかった。

さらに、改革開放の総設計師である鄧小平は、1978年にすでに法治と民主を中心とする政治改革が必要であるという認識を示していた。「人民民主を保障するために法制を強化しなければならない。指導者と、指導者の考え方と関心が変わっても、制度と法律が変わらないように、民主を制度化し、法律化しなければならない。」(中央工作会議閉幕式での講話〔1978年12月13日〕、「思想を解放し、事実に即して真相を探求し、一致団結して、前進せよ」『鄧小平文選』第2巻p.146、人民出版社)。その上、経済基礎と上部構造の矛盾を意識しはじめた彼は、「我々は改革を打ち出した時、そこに政治体制の改革も含めた。いま、経済体制改革で一歩前進するごとに、政治体制改革の必要なことを痛感している。政治体制を改革しなければ、経済体制の成果を保障することはできず、経済体制改革を引き続き前進させることもできないので、生産力の発展が妨げられ、四つの現代化の実現も妨げられるだろう。」と指摘した(公明党竹入義勝委員長との会見時の談話〔1986年9月3日〕、『鄧小平文選』第3巻p.176、人民出版社)。しかし、その後、天安門事件とソビエト連邦の崩壊もあり、政治改革は経済改革と比べて大幅に遅れてしまった。

二、法治と党内民主は政治改革の突破口になるか

しかし、近年、共産党は正当性と統治能力を高めるために、法治と党内民主を再び強調するようになった。

まず、改革開放への転換とともに、法制度の再構築の取り組みが始まった。現行の「憲法」、「刑法」、「刑事訴訟法」、「民事訴訟法」、「民法通則」、「行政訴訟法」などの基本法が相次ぎ修正もしくは作成され、中国は「人治」から法律を統治の手段とする「法による統治」(Rule by law, 中国語では「法制」)という新しい段階に入った。

特に、1997年に開かれた中国共産党第15回全国代表大会(第15回党大会)の政治報告で、「法制」より一歩進んで、「法の下の平等」と政府も法律によって制約されなければならないことを意味する「法治」(Rule of law)という表現が初めて登場した。その上、「依法治国」(法に依って国を治める)という基本方針が打ち出され、「社会主義法治国家の建設」が社会主義現代化の最も重要な目標として掲げられた。その旨は1999年に憲法にも書き加えられた。

21世紀に入り、中国の法制度の整備はさらに加速している。2004年には「国家は人権を尊重し保障する」ことが憲法に書き加えられた。2007年に開かれた第17回党大会において、「依法治国」という基本方針を着実に行い、社会主義法治国家の建設を加速する方針が決められた。

一方、党内民主については、毛沢東の死後、復権を果たした鄧小平が「これまで長期にわたって民主集中制は実際には実行されず、民主を置き去り、集中だけが強調され、民主が少なすぎる。」(中央工作会議閉幕式での講話〔1978年12月13日〕、「思想を解放し、事実に即して真相を探求し、一致団結して、前進せよ」『鄧小平文選』第2巻p.144、人民出版社)と指摘した。しかし、党内民主が党の改革、ひいては政治改革の焦点と位置づけられるようになるには、21世紀初頭まで待たなければならなかった。

まず、2001年の結党80周年記念大会において、江沢民総書記は、「党内民主を発展させ、広範な党員及び各級党組織の積極性と能動性を充分発揮させることが、党事業発展のための重要な保証である」と述べた。

また、翌年の第16回党大会政治報告において、江沢民総書記は、党内民主が「党の生命であり」、「社会全体の民主化にとって重要な顕示・牽引効果がある」とした上で、政治体制改革の重要な部分であるという認識を示した。

さらに、2007年の第17回党大会政治報告において胡錦涛総書記は、「党内民主は党の革新の活力を増強し、党の団結・統一を打ち固めるための重要な保証である。党内民主の拡大によって人民民主を促し、党内の調和を図ることによって、社会の調和を促進しなければならない。」と述べた。

党内民主の内容について、胡錦涛総書記は、次のように指摘している。「党内民主の促進により党員の知る権利、参加する権利、選挙権、監督権などを保障し、党内における党員の主体的な役割を発揮させるべきだ。党の末端組織では、民主の実現方式を多様化させ、民主的な政策決定を推進し、指導的ポストにある幹部の選抜と登用を民主促進によって着実に行い、これを通じて党員の質と能力の向上を図るべきだ。」(2009年6月29日、第17期中国共産党中央政治局集団学習会〔第14回〕での発言)。その詳細は、2009年9月に開催された第17期四中全会で審議・承認された「新たな情勢下での党建設の強化と改善についての若干の重大な問題に関する党中央の決定」に盛り込まれている。

その中でも、「選挙権」は民主を象徴するものである。多くの先進国において、民主化は、選挙権を持つ人口の割合が段階的に拡大されるという形で進展してきた。中国共産党は7600万人(2008年末現在)の党員を擁し、エリートによって構成された中国における唯一の政権党である。共産党における党内民主の拡大は、「全民民主」に向けての第一歩に当たると期待される。

もっとも、ここで取り上げている党の公式文献での法治と党内民主に関する記述は、あくまでも指導部が目指す目標であり、実態はそれより大きく遅れている。真の法治と党内民主の実現に向けて、党の方針という総論を超えて、それを如何に具体化していくかという各論が求められている。

三、政治改革の中間目標としての「立憲党主制」

共産党による一党支配を維持しながら、如何に民主化を進めていくかについて、すでに多くの研究がなされているが、その中で、1989年に発表された劉大生氏の「立憲党主論」は、最近になって特に注目されている(劉大生「党主立憲制を論じる―社会主義初級段階に見合う政治体制に関する研究」『社会科学』、1989年第7号)。

劉氏によると、「立憲君主制」は「君主制」と対置する概念である。君主制は、「朕は国家なり」という言葉が示すように、君主が法律の拘束を受けずに至上の権力を持つ専制的な政治体制である。君主の選抜に当たり、世襲制が採用されている。これに対して、立憲君主制は、君主の持つ権力が憲法によって制限されている。国家権力の一部は、代表が選挙で選ばれる議会などが担う。このように、立憲君主制は君主制と民主制を組み合わせたものである。

一方、「立憲党主制」は、「党主制」と対置する考えである。党主制では、政権党が法律の拘束を受けず、至上の権力を持つ専制的な政治体制である。政権党は、選挙によって選ばれるのではなく、武力闘争で政権の座に着くのが一般的である。一党独裁下の旧ソ連や中国をはじめとする「社会主義国」は、その典型である。これに対して、立憲党主制は、党主制と民主制を組み合わせたものである。立憲党主制の下では、政権党の持つ権力が憲法によって制限され、国家権力の一部は、代表が選挙で選ばれる議会などが担うことになる。

劉氏は、中国における共産党による一党独裁を「党主制」と位置づけた上、次の内容を中心とする立憲党主制を提案している。

  1. 共産党の権限を法律によって明確化する。現在のように共産党が法律では与えられていない権力まで行使する状況を改めなければならない。
  2. 共産党内の民主的意思決定のプロセスは、党の規約だけでなく、法律にも制約されなければならない。党の規約の改定も法律に従わなければならない。
  3. 各レベル(中央と地方)の人民代表大会の権限を明確化する。現在の憲法では、全国人民代表大会は「最高の国家権力機関」とされているが、単に承認の判子(「ラバースタンプ」)を押すだけの機関であると揶揄されるように、実態では共産党に従属している。実態と憲法の規定の間のギャップを埋めるべく、「全国人民代表大会は最高の国家権力機関」であるという文言を憲法から削除する代わりに、その権限を実質上強化する。
  4. 共産党の指導下における多党協力体制を改善し、各レベルの人民代表大会において、「民主党派」と「無所属」の議席数を増やす。ただし、共産党が政権党の地位を維持できるように、議席数における優位を法律で保証する。
  5. 国家の権力は、共産党と人民代表大会が共同して行使し、その分担やチェック・アンド・バランスは法律によって定められる。

共産党の公式文献には、「立憲党主制」という表現はまったく使われていないが、進行中の政治改革は多くの点においてその内容と共通している。また、政府の政策に強い影響を持つ中央党校研究室の周天勇副主任を中心にまとめられた今後の政治改革案も同じ方向を示している(『攻堅:17回党大会後の中国における政治体制改革研究報告』新彊生産建設兵団出版社、2008年)。周氏によると、政治体制改革は、共産党の強いリーダシップで推し進める必要があり、またそれに伴う政治的不安定を解消するために、漸進的に進めていくしかない。そのために、党による軍隊の支配、幹部の支配、情報の統制という三つの原則を堅持しなければならないという。彼の言う政治改革の内容は、あくまでも行政管理体制、財政税収体制、中央と地方の関係、一部の国家権力と司法機構、人民代表大会、政治協商会議、司法体制の改革にとどまり、民主主義体制の根幹となる選挙の実施は含まれていない。

立憲党主制の実施により、中国共産党の正当性と統治能力を高めることを通じて、経済の持続的発展と社会・政治の安定を実現できると、その擁護者たちは考えている。これに対して、立憲党主制に異論を唱える声も多い。まず、改革派によると、中国が目指すべき目標はあくまでも立憲民主であって、共産党の特権を追認する立憲党主制ではないという。一方、保守派は、このような「妥協」が立共産党の一党独裁の崩壊につながるのではないかと懸念している。

確かに、立憲党主制は、「党主制」という現状よりは一歩前進であるが、立憲民主制という「理想」からは大きくかけ離れるものである。立憲君主制を採った多くの国が最終的に象徴君主制または立憲民主制に進んだように、立憲党主制はあくまでも移行期の戦略の一環と捉えるべきである。中国は、それを推進する際、最終目標である立憲民主制への道筋も合わせて提示すれば、国民の支持をより得やすいだろう。

2009年10月30日掲載

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