中国経済新論:中国の産業と企業

雁行形態の形成に向かう汎珠江デルタ経済圏
― リーダーとなる香港と広東省 ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

中国の対外開放は、80年に設立された四つの経済特区から始まり、中でも香港に隣接する深センは外国企業の投資先として注目された。その後、より安い労働力と土地やより緩い規制を求めて、外国投資が経済特区の境を越えて、北の方に広がりを見せた。その結果、珠江デルタを中心とする華南地域が世界の工場としての中国の一翼を担う一大経済圏として浮上してきた。さらに、2003年に香港特別行政区と中国本土との間で結ばれるCEPA (Closer Economic Partnership Arrangement、経済貿易緊密化協定)、2004年に広東省をはじめとする9省・自治区と香港とマカオの二つの特別行政区(「9+2」)から構成される「汎珠江デルタ経済圏提携枠組み協定」が、相次いで調印されたことによって、華南経済圏の拡大と深化は新たな段階に入っている。国内版FTA(自由貿易協定)とも言うべきこのような地域間協力は、域内のモノ、ヒト、カネの流れを活発化させ、中でも、圏内の先発地域から後発地域への直接投資を通じて、工業化の波が広がりを見せている。このような「圏内版雁行形態」を持続させるため、群れの先頭に立つ香港や広東省は、古い産業を積極的に後発地域に移転しながら、産業の高度化を図らなければならない。

一、国内版FTAとしてのCEPAと「9+2」

市場の拡大による経済活性化を狙って、中国は近隣諸国と自由貿易協定(FTA)を締結することを目指している。FTAによる効果は加盟国(地域)間の相互依存度が高く補完関係が強いほど大きいとされている。このような条件を満たしているのは、近隣諸国よりも中国国内の各地域である。しかし、中国には地域間の障壁がいまだ残っており、統一したマーケットにはなっていない。中国経済がさらなる発展を遂げるためには、外国とのFTAよりも先に国内の各地域からなるFTAを精力的に推し進めなければならない。CEPAと「9+2」は、それに先鞭をつけた。

1.香港と中国本土間の経済貿易緊密化協定

中国の最初の国内版FTAとも言うべき中国本土・香港経済貿易緊密化協定(CEPA)が2003年6月に正式に締結された。CEPAの内容は財貿易の自由化にとどまらず、サービス貿易の自由化と投資の簡素化なども含まれている。香港は中国の一部ではあるが、一国二制度の取り決めの中で香港が別の関税区となっているため、このような枠組みが必要となった。

CEPAが締結されることにより、一部の禁止品目を除いて、香港から中国本土への輸出される商品はゼロ関税で大陸市場に参入できるようになった。これは、資金、情報、起業そして技術導入における香港の優位性の利用を促すだけではなく、大陸の科学技術研究ならびに豊富な人材という優位性との結びつきをさらに強めることを通じて、新しい優位産業を形成させることにも非常に有利となった。

CEPAのもう一本の柱は、中国が香港企業に対して金融や小売、物流、通信事業といったサービス分野の市場をWTOで規定されたタイムテーブルより早期に開放したことである。ここでいう「香港企業」の定義は「香港に法的に設立され、3~5年の営業実績があること」となっており、この条件を満たす多国籍企業の香港での現地法人もその対象となる。中でも、中国本土の企業にとって、CEPAの恩恵を享受するために、香港で拠点を設けることが有利になっている。また、CEPAによって、中国本土の銀行は国際証券・債券取り扱い及び外国為替センターなどを香港に移転することが可能となり、中国本土の銀行が香港において、買収や合併による事業拡大を行うことも奨励されている。

2.汎珠江デルタ経済圏

華南地域を中心とする経済圏は、1978年の対外開放政策により広東省の貿易と投資がいち早く海外に開かれたことから、珠江デルタが先発組として発展を始めた。その後、香港・マカオも含めた大珠江デルタへと拡大し、香港・マカオとの関係を強化する動きがでてきた。そして、2004年に広東省が提唱した「汎珠江デルタ経済圏提携枠組み協定」が調印されることにより、中国の南部に位置する9省・自治区(広東省、湖南省、福建省、海南省、江西省、広西チワン族自治区、雲南省、貴州省、四川省)と二つの特別行政区(香港、マカオ)からなる巨大な経済圏が誕生した(図1)。これは、「一つの国、二つの制度」下の香港とマカオを経済圏内に組み込むとともに、発展段階の異なる省間の連携を深めながら、新たな経済協力の道を探ろうというものである。具体的に、「汎珠江デルタ経済圏提携枠組み協定」には、次の10項目の広域経済プロジェクトが盛り込まれている。

(1)道路や鉄道、航空、海運、石油パイプラインなどのインフラ整備
(2)企業間の技術提携などによる産業活性化
(3)税金引き下げなど貿易障壁の撤廃
(4)観光・旅行分野での協力
(5)農産物貿易の拡大や品種改良など農業分野の協力
(6)労働力の移動と労働者の権利の保護
(7)教育機関における科学技術交流の活発化
(8)情報ネットワークシステムの構築
(9)環境対策活動
(10)新型肺炎(SARS)などの流行病や疫病の防止

図1 汎珠江デルタ経済圏の構成地域
図1 汎珠江デルタ経済圏の構成地域

汎珠江デルタ経済圏は、早くから外資が進出してきた広東省を中心とする世界有数の生産基地であるとともに、消費市場としても魅力を増している、総人口は4億9000万人、広さは200万平方キロ、域内総生産(GDP)は9300億ドルに達する。総人口で全国の4割弱を擁し、面積では中国全土のおよそ5分の1を占める。その規模の大きさをASEAN(東南アジア諸国連合)と比べてみると、面積ではその半分近くに相当し、人口では約9割に匹敵する。今後、汎珠江デルタ経済圏は、長江デルタ経済圏と環渤海経済圏とともに、中国経済を牽引する成長の軸としての役割が期待される(表1)。

表1 中国における三大経済圏の規模(2005年)
表1 中国における三大経済圏の規模(2005年)
(注)全国の合計には香港とマカオを含む。全国のGDPは各地域のGDPの数字を合わせたものであり、通常の産業ベースまたは支出ベースの数字とは必ずしも一致しない。全国の人口も各地域の数字を合わせたもので、軍人が含まれていない。
(出所)『中国統計摘要2006』、香港とマカオの公式統計より作成

二、雁行形態の形成に向けて

戦後のアジアにおいて、産業の移転を通じて、工業化の波が先発国から後発国へと波及する過程は雁行形態と呼ばれている。この「国際版の雁行形態」に対して、中国においても、沿海地域と中西部の間、また三大経済圏内の各地域の間でも、「国内版」と「圏内版」の雁行形態が形成されつつある(図2)。

1.比較優位に基づいた分業体制の構築

雁行形態とは、アジア各国は工業化の発展段階に応じ、それぞれ比較優位のある工業製品を輸出するといった分業関係を維持しながら、外資導入などを通じて工業化の水準を高めている構図である。例えば、60年代以降、繊維をはじめとする多くの産業の中心地が、発展段階の順番に従って、日本から、NIESへ、東南アジア諸国連合(ASEAN)、そして中国へシフトしてきた一方で、先発国である日本では産業の中心が繊維から、化学、鉄鋼、自動車、電子・電機へと高度化してきた。先発国も後発国も、それぞれが積極的に新産業の育成と衰退産業の海外への移転を組み合わせた産業構造調整を進めていくことは、地域全体のダイナミックな発展の原動力となっている。

図2 産業発展の雁行形態
図2 産業発展の雁行形態
(出所)筆者作成

このように、従来、雁行形態は国単位で議論されてきたが、中国のような大国の場合は、発展段階に大きな格差が生じている東部、中部、西部という地域単位でも、そのまま当てはまるだろう。これまでの20数年間、東部は労働集約型製品の生産と輸出を梃子に、高成長を遂げた。しかし、上海や広東省などの沿海地域においては賃金と土地の価格が上昇している中で、労働集約型産業の競争力を失いつつある。より安い労働力と土地を求めて、外国企業のみならず、やがては中国企業も直接投資などを通じて、生産拠点を移転せざるを得なくなってきている。現に一部の中国企業は、ベトナムやインドネシアといった低賃金国に生産拠点を移転し始めている。本来、地域格差を是正しながら、中国の経済成長を持続させるためには、東部における衰退産業を海外よりも中西部に移転させるべきである。

これまで外国企業に限らず、中国企業の投資も東部に集中し、中西部ではあまり行われていない。なぜなら、インフラ不足により、部品を中西部に輸送するために非常に高いコストがかかるだけでなく、製品を輸出しようとしても採算が取れないからである。したがって、「国内版の雁行形態」を実現させるためには、まず政府の主導でインフラ整備を進めていかなければならない。

実際、市場と政府の力をあわせて比較優位に基づく分業体制を構築する「雁行形態」という考え方は、「東部・中部・西部が相互に作用し、相互に補完し、相互に促進し、共に発展する構造を作り上げる」という第11次五ヵ年計画(規画)の方針に反映されているように、まさに中国政府の地域政策の指導的思想になっていると言っても過言ではない。

2.汎珠江デルタ経済圏の中でも形成される雁行形態

雁行形態は、「沿海地域と内陸地域」の間よりも先行する形で、三大経済圏の中ですでに圏内版という形で展開されている。汎珠江デルタを構成する各地域は、一人当たりGDPに示されるように、異なる発展段階に属しており、これを反映して各地域は、資金、インフラ、人材、情報、技術、市場などの面において補完し合っている(図3)。地域統合を通じて、それぞれの強みを発揮できれば、互いにとってメリットが大きいはずである。具体的に、香港は国際的金融・ビジネスセンターであり、サービス業において競争力が強く、地域全体を世界と結ぶ橋渡しの役割をも果たしている。マカオは有名な観光地で、ポルトガル語系の国々と密接な関係を保っている。広東省は世界的に見てもすでに工業の一大集積地となっている。それ以外の地域は、工業化は遅れているが、エネルギーをはじめとする鉱物資源や、農産品、労働力に恵まれている。

図3 中国における各地域の1人当たりGDP(2005年)
―異なる発展段階に属する「9+2」の構成地域―

図2 産業発展の雁行形態
(出所)中国統計摘要2006、香港とマカオの公式統計

このような補完関係を生かそうと、香港企業は、汎珠江デルタ経済圏に投資してきた。その金額は2005年までで累計1557億ドルに上り、同経済圏に属する9省のいずれにおいても、香港が最大の直接投資元となっている。また近年、香港に続いて広東省も周辺地域への直接投資を増やしており、近隣諸省に対する国内投資家としての広東省の重要性が高まり続けている。汎珠江デルタ地域の輸送網やその他インフラの発達に伴い、雁行形態に沿った地域内の産業移転は更に進むだろう。

三、雁行形態を持続させるために

汎珠江デルタ経済圏における雁行形態を持続させるためには、先発組である香港や広東省が絶えず産業の高度化を図る一方で、比較優位のなくなった産業を積極的に後発地域に移転しなければならない。

1.中国の活力を活かす香港

これまでは香港企業が中国に「出て行く」という形で中国経済との一体化を進めてきた。実際、中国から見ても香港は欧米や日本を凌ぐ第一位の投資元となっている。その一方で、香港の製造業の規模は大幅に縮小し、GDPに占める割合は3.5%まで低下している(2005年)。中国への生産移転は利潤を追求する企業にとって合理的選択だが、香港経済の空洞化を招いてしまったという懸念も生じている。幸い、モノ、ヒト、カネなどが香港に集まってくることにより、新たに雇用が創出され、香港経済の活力が維持されている。現に、中国の活力を活かす形で、香港は、2004年の8.6%、2005年の7.3%に続いて、今年の第1四半期も8.2%の高成長を遂げている。

まず、モノの面では、香港は華南地域と世界を結ぶ中継地になっている。2005年香港の輸出総額は2885億ドルに達しているが、その94.0%が中国関連を中心とする中継貿易となっている。香港にとって、中国は輸出入の45.0%を占める最大の貿易相手国となっている。

また、ヒトの面では、香港を訪れた旅客数は2000年の1306万人から2005年には2336万人に急増した。中でも、ビザ発給が大幅に緩和されたことを背景に、中国からの旅客数が379万人から1254万人に急増し、全体の53.7%を占めるようになった。それに加え、定住を視野に、香港の不動産などに対する投資額が650万香港ドル(約1億円)を超え、かつその投資期間が満7年を超える海外居住者に対し永住権を与えるという「投資移民制度」と、中国本土や海外から才能ある人材を誘致するための「優良移民制度」が相次いで導入されている。

さらに、カネの面では、香港は、中国企業の主要なオフショア資金調達センターでもある。2006年6月現在、221社 (H株、レッドチップ) の中国本土企業が香港市場に上場している。その株式時価総額は5167億ドルで、香港市場全体の株式時価総額の約4割に相当する。また、これら企業の総資金調達額の累計は1500億ドルにも達している。最近では、中国建設銀行、中国銀行といった世界的にも大型のIPOが相次いでいる。その上、中国から香港への直接投資は、1308億ドル(2004年末現在)に上り、世界から香港への直接投資の三割近くを占めている。

このように、香港は「出て行く」から「来てもらう」という戦略転換により、単なる「中国への玄関」から「汎珠江デルタ経済圏のビジネスセンター」に変貌している。対中ビジネスに関して、これまで蓄積した経験に加え、地理、言語、文化の面における香港の優位は揺るがないものである。今年から始まる中国の第11次五ヵ年計画(規画)においても、「香港の金融、物流、観光、情報などのサービス業を支援し、国際金融、貿易、航運センターとしての地位を維持する」という方針が盛り込まれている。

2.産業高度化が進む珠江デルタ

一方、これまで、「外資企業」による「輸出指向」の「労働集約型産業」の発展は、珠江デルタを中心とする広東省に高成長をもたらした。しかし、上海を中心とする長江デルタの台頭により、外資誘致の競争が激しさを増すにつれて、広東省も産業高度化に積極的に取り組むようになった。産業の集積と裾野の拡大や、国内企業の成長、インフラの整備、さらには現地市場の拡大など、産業高度化のために有利な条件がすでに整いつつある。

まず、安い労働力と土地とともに、産業の集積は広東省の国際競争力の源になっている。中でも、東莞市を中心にできあがったIT関連の産業クラスターは世界でも最大級のものである。これに加え、日系メーカーの参入による自動車産業の発展が注目されている。1998年に撤退を決めたフランスのプジョーの工場を買収する形でホンダが進出したのに続き、中国のWTO加盟を受けて、日産やトヨタも広州に工場を建設し、生産を本格化している。これに合せて、すでに多くの日系自動車の部品メーカーが進出しており、広州を中心に、米国のデトロイトと日本の豊田市のように、自動車関連の産業クラスターが形成されつつある。広州はやがて上海を抜いて中国最大の自動車生産地となろう。

また、これまでも外資企業の投資拡大が珠江デルタの発展の原動力になってきたが、これに加え、中国の民営企業も新たな力として加わりつつある。その大半は、外資系企業とOEMや合弁などの形で協力関係(または協力した経験)を持っており、これを通じて、技術や経営管理を学んできた。DVDメーカーの歩歩高(BBK)は自社ブランドで国際市場において高いシェアを獲得しており、電子レンジの海外からのOEM(受託生産)で急成長した格蘭仕(Galanz)も、自社ブランドでの国内販売を伸ばしている。また、通信機器メーカーである深センの華為(Huawei)のように、全国から優秀な技術者を集め、すでに自分で研究開発能力を持つハイテク企業も現れ始めている。

さらに、高速道路網や発電所をはじめ、インフラの整備も着々と進んでいる。産業の発展は各レベルの政府に潤沢な税収をもたらし、インフラ投資の資金源を提供している。それに加え、内外企業も同地域の高成長を見込んで、インフラ投資に積極的に参入している。中でも、現在、香港系企業の主導で香港とマカオ・珠海の間に全長30キロに及ぶ大橋の建設計画が進められている。この橋が完成すると、珠江デルタの西部と東部間を往来するための時間が大幅に短縮されることになり、西部地域はこれまで東部に集中していた外国企業の投資に新たなフロンティアを提供することになろう。

最後に、工業化が進み、所得水準も上昇する中で、現地市場の魅力も高まっている。日系の自動車メーカーは、一部の製品を広州から海外へ輸出することも考えているが、主な市場としてはむしろ華南地域に照準を合せている。自動車の普及に伴い、道路関連の建設はもちろんのこと、カーローンやメンテナンスなど、関連する需要も盛り上がってくるだろう。自動車の他に、住宅や観光、物流、環境などの分野も高成長が見込まれる。

このように、広東省では、産業集積、国内企業の成長、インフラ整備、さらに国内市場拡大といった優位は産業発展の原因であると同時にその結果でもある。両者が互いに促進しあうという好循環が定着している中で、産業の高度化と経済規模の拡大の勢いは留まるところを知らない。広東省の躍進は、サービス業に特化する香港に大きなビジネス・チャンスを与えるとともに、産業の移転の移転を通じて、汎珠江デルタ経済圏を構成する他の地域に活力をもたらすだろう。

2006年7月28日掲載

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