中国経済新論:中国の経済改革

国有商業銀行改革の現状と課題(第1節/全4節)

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

はじめに

金融は経済の中核をなし、銀行は金融の中核をなしている。中国の銀行業界においては、四大国有商業銀行(中国工商銀行、中国農業銀行、中国銀行、中国建設銀行)がその主体となっており、重要な役割を果たしている。四大銀行の安定を維持し、その健全な発展を促進していくことは、中国の経済・社会の発展のためであり、政治的安定の前提条件でもある。しかし、国有商業銀行がそれまで抱えてきた問題、そして、対外開放の進展によって新たに生じた問題は深刻になってきており、投資の効率を高め、また経済の安定を保つために、市場経済への移行を目指す中国にとって銀行改革は最優先課題となっている。

改革開放以来、中国の銀行部門は、中央銀行と市中銀行の分離(1980年代の半ば)、商業銀行と政策銀行の分離(1994年)を経て、1997-98年のアジア通貨・金融危機をきっかけに、不良債権処理の本格化と、上場を目指した四大銀行の株式制への再編の段階に入っている(注1-1)。不良債権の処理の狙いは、歴史の負の遺産を清算することであるのに対して、株式制への再編の目的は、銀行のコーポレート・ガバナンスの改善を図り、国有商業銀行を真の市場主体に変えていくことである。そのために、戦略投資家の資本参加はもちろんのこと、最終的には、民営化を通じて、政府が銀行の経営と所有から撤退しなければならない。

1.脆弱な銀行部門

25年間の改革開放を経て、中国では全体的に見ると、市場経済が浸透し、所有権の多様化も進んでいるが、国有商業銀行を中心とする金融部門の改革だけが遅れている。財政が厳しくなる中では、政府が銀行を完全にコントロール下に置くことによって、国有企業という旧体制を支える資金を捻出することができた。それにより体制内部の安定性を維持し、大規模な経済と社会の混乱を防いできた。その反面、金融システムの資源配分の機能が著しく損なわれ、資源配分効率の低下と不良債権比率の上昇といった状況を招くことになった。

1)銀行改革が立ち遅れた原因とその帰結

中国における銀行改革の最大の制約は、銀行システムにおける高度な寡占体制を維持するためには金融資源に対する政府の所有と支配権が保証されなければならないにもかかわらず、いかなる市場化改革も政府の所有と支配権を弱めるという矛盾にある。これが中国の国有銀行改革が遅れた最大の原因である(王曙光、「中国経済の移行期における金融自由化」、『金融自由化と経済発展』、北京大学出版社、2003年)。

中国は計画経済から市場経済への移行に当たって、社会と政治の安定性を保つために、急激なビックバン方式ではなく、漸進的な改革を進めてきた。そのために「既得権益」を尊重しなければならない一方で、外資企業を導入し民営企業を発展させながら、従来の国有部門をも支えなければならなかった。そのためには、政府が自ら国有企業改革にかかる巨額のコストを負担し、直接的または間接的に赤字企業への補填を行ってきた。しかし、中国の経済移行が進むにつれて、貯蓄と投資のメカニズムは大きく変化した。改革前には政府が(財政を通じた)投資と貯蓄の主体であったが、改革以降、都市部住民が貯蓄の主体となり、それによって預金総額の対GDP比は大幅に上昇してきた。その反面、政府の財政収入の対GDP比は低下傾向を見せている。このようにして生じた経済全体の貯蓄主体と投資主体の間の乖離は、国有企業を継続的に支えることに対して潜在的な脅威となっている。貯蓄主体と投資主体が乖離する中で、国有企業改革のコストを引き続き補填するためには、国有銀行に対して政府がコントロールを強め、国有企業への資金供給源という役割を発揮してもらうことが、もはや唯一の解決方法となってしまった。実際、1980年代半ばに「撥改貸」(財政資金交付から銀行融資への転換)が実施されるようになり、企業融資の資金源は政府財政から国有商業銀行へと次第に変わってきた。

既得権益を尊重しつつ国有企業の改革を進めていかなければならないため、政府は国有銀行部門の改革に慎重な態度を取らざるを得なかった。つまり、銀行システム全体の寡占状態と所有権構造の単一性を最大限に維持し、国有銀行の市場競争における絶対的優位を確保しようとしてきたのである。実際、四大国有銀行は、依然として中国の金融システムの中核をなしている(図1)。2003年末現在、国有商業銀行で取り扱っている総資産残高や、貸出残高、そして預金残高は、いずれも銀行部門全体の6割を超えている(表1)。

図1 中国の金融体系
図1 中国の金融体系
(注)金融資産管理会社は国有商業銀行の不良債権を処理するために1999年に設立されたもの。
(出所)各種資料より作成
表1 四大国有銀行を中心とする中国の銀行部門の規模(2003年末現在)
表1 四大国有銀行を中心とする中国の銀行部門の規模
(出所)中国人民銀行

このように、中国経済全体の移行過程において、金融部門改革の立ち遅れは体制の安定性を維持し、大規模な経済と社会の混乱を防ぐことに寄与している。その反面、金融システムの資源配分の機能が著しく損なわれ、金融部門(銀行部門)の所有権構造と市場構造が長期にわたって歪んだ状態に留まるという結果を招いている。国有銀行の市場シェアと集中度がいずれも高い水準にあることや、銀行システムに対して高い参入障壁が設けられていることは、市場メカニズムの発達を著しく制約している。また、銀行部門改革の立ち遅れは銀行自身の効率の向上をも妨げている。市場の寡占構造と所有権構造の単一性が存在するため、銀行部門には経営管理の改善、資産の質的上昇、そして金融リスクを防止するインセンティブが欠けてしまっているのである。

一方、政府は一貫して国有銀行を国有企業への資金供給源、かつマクロ経済に対する調整役であると見なしている。つまり国有銀行は多くの政府の政策に基づいた貸出(政策性融資)を行い、社会安定に寄与する役割を担っていると考えられている。しかし、国有企業への貸出による資金運用はもともと効率が低い上に、国有企業に経営を改善するインセンティブが欠如していることも国有銀行に大量の不良債権をもたらす結果となっている。実際、各銀行の資産に対する利潤率と収入に対する利潤率を見ると、四大国有商業銀行とその他の商業銀行との営業力には大きな格差が見られている。これは国有銀行部門の改革の立ち遅れがその資金配分効率を著しく損ねたことを証明している。これに対して、新興銀行は不利な競争環境に直面しているにもかかわらず、非常に高い収益力を発揮している。

しかし、今に至るまで中国の国有商業銀行は、政府の規制に守られて、金融システムの中枢という地位を維持してきた。しかし、資産規模が大きい割には、収益性などが低く、不良債権比率が非常に高いなど、経営体質が非常に脆弱なままである。特に、四大銀行の株式制転換へと再編が本格化する前の2002年の状況は深刻であった(以下の関連数字は、いずれも2002年の『中国人民銀行年報』による)。

まず、2002年末時点で、自己資本比率が8.15%に達した中国銀行を除くと、他の三大銀行の自己資本比率はすべて7%以下であった。近年、資産が急速に増えるにつれ、国有商業銀行の資本不足の問題は顕著となった。

第二は、2002年末時点で、貸出債権5分類にしたがって算出が行われた国有商業銀行の不良債権総額は2兆1,372億元に上り、不良債権比率も25.4%に達している。なお、四大銀行の中でもっとも不良債権比率が高いのは中国農業銀行(36.6%)であり、最も低いのは中国建設銀行(15.2%)であった。

第三は、2002年末現在、四大銀行の貸倒準備金残高は1,547.8億元であり、貸出残高の1.8%にすぎなかった。そのうち、一番高い割合を有しているのは中国銀行(5.2%)であったが、もっとも割合の低い中国工商銀行では0.45%しか積み立てられていなかった。巨額に上る不良債権と比べ、四大銀行の貸倒準備金は明らかに不足していた。

その後、巨額の公的資金の注入により各銀行のこれらの指標は改善を見せたが、経営の実態はあまり変わっていない。

まず、現時点においても経営効率が低い。帳簿を見る限り、四大銀行はここ数年の間黒字経営を続けている。しかし、もし貸し倒れリスクに十分見合った準備金や定期預金の金利を支払うために必要な資金を積み立てたとすれば、赤字に転ずると見られる。

また、今なお労働生産性が低い。四大銀行は巨大な支店網と過剰人員を抱えており、従業員の質にも問題がある。そのため、経営管理コストが高くついてしまう。

さらに、内部におけるチェック・アンド・バランスのメカニズムがいまだに弱い。四大銀行では、有効なリスク管理体制やインセンティブ・メカニズムが欠如している結果、背任や汚職といった違法行為もたびたび発生している。

2)不良債権が増大した背景

国有商業銀行におけるこれらの問題は、国民経済におけるさまざまな矛盾の反映であると同時に、コーポレート・ガバナンスの欠如によるインサイダー・コントロールが起こした弊害の現れでもあった。これらの問題には歴史を重ねてつみあがった原因もあれば、現時点でなお生み出されている要因もある。また、銀行の意志とは関係のない行政の政策によって生じた原因もあれば、銀行自身の行動によって生じた原因もある。さらに、経済体制による原因もあれば、行政管理体制がもたらした影響もある。ここでは不良債権が形成された背景を通じて、国有銀行が直面する諸問題を確認してみよう。

(1)銀行に求められる財政の役割
1980年代の半ば頃から「撥改貸」が実施され、財政の代わりに国有銀行が次第に企業投資の資金源となった。これによって、銀行は事実上国有経済を支える担い手として、国有企業に資金を提供する資金源となってきた。「撥改貸」により、企業は借りた資金に利息をつけて返さなければならないことになるため、従来の効率を無視した投資の拡大に歯止めをかけることが期待された。しかし、その後も、少なくとも1995年に「商業銀行法」ができるまで、銀行自身の判断で融資することは難しかったため、そのような期待は裏切られることになった。従来の国有企業は政府の関与の下で銀行から大量な融資を獲得できるだけではなく、明確な経営目標のないままに設立された多くの新規国有企業もほとんど自己資金のないままで、銀行の貸出によって経営が維持できた。銀行の融資によって事業を拡大していくような状況の下で、ほとんどの国有企業は重い債務を背負うようになった。その中で、相当の部分が返済できなくなり、不良債権と化してしまったのである。

(2)利潤追求へのインセンティブの欠如
国有銀行は金融機関である前に政府機関である。そのため、政策及び管理体制に際しても、国有銀行は「放権譲利」(個々の企業の経営権と利潤留保の拡大)、請負制、株式制への転換などの改革の枠外に置かれてきたため、いまだに伝統的な行政管理の状況を脱しきれていない。それゆえ、所有権と行政管理権が政府行政部門に集中している状況の下、国有銀行は自らの経営管理及びリスク回避に責任を負うことができておらず、債務に対する責任も負わずにいた。国有銀行は、貸出さえ提供すれば、貸出資金の安全性と企業の返済能力に対する監督責任を全く負わなかった。事業プロジェクトの立ち上げから貸出の決定まで、すべての過程において行政機関が主導権を握ってきたため、銀行は規定に従って執行していればよかったのである。また、銀行の持つ資本は国が所有しているため、銀行はその経営結果に対する財務責任を負わなくて済んだ。経営赤字も銀行の不良債権の処理も最終的に財政支出によって賄われたのである。つまり、国有銀行は経営上の債務責任を負う必要もなければ負う能力もなかった。銀行はルール違反や違法行為を行わない限りは、債務に対する責任を引き受けなくて良かったのである。その結果、貸出にかかわる制約が弱くなってしまい、資金が有効に利用されない状態が続いていた。

(3)政府による銀行経営への介入
国有商業銀行は設立当初から行政の一機関としての性質を強く持っており、現在も行政機関が国有銀行の支店に対して強い政治的影響力を持っている。特に地方政府の影響力は強く、現在でも地域発展の名目で銀行に大量の融資を要求することが可能なままである。また、銀行の支店は当該地域における重要な社会組織の一つであるため、地方政府はしばしば銀行の融資内容にも関与してきた。社会安定と経済発展という名目の下で、長期にわたって赤字経営を続ける国有企業の経営を維持するための融資は、銀行の不良債権の急増を招いた。その一方で、民営企業に対しては大きな差別を行ってきた。さらに、地方政府による圧力の存在によって、各種の金融機関が持つ資金の地域間での流動性が抑えられている。そのため、金融資源がそれぞれの地域ごとに分割された形になってしまった。資金の流動性が悪い状況の下では、自分の属する地域で投資効率の悪い企業に融資することもしばしば見られた。そのため、金融資源の選別機能が働かず、一方で企業は容易に資金を手に入れられるため、経営効率の向上に力を入れてこない状況が続いた。その結果、経営による損失が銀行に転嫁されてしまった。1992から95年の間の開発区ブーム、不動産ブーム及び株式投資ブームの際には、地方政府の黙認もしくは指示の下で、大量の資金がリスクの高い投資に流れていた。その後、開発区ブーム、不動産ブーム及び株式投資ブームの衰退に伴い、これらの資金は不良債権になってしまった。

(4)ずさんな経営
長い間にわたって、国有商業銀行は規模の拡大を行ってきたが、現代的な内部のチェック・アンド・バランスやインセンティブ・メカニズムの確立は行われなかった。中でも重要な経営問題としては以下の四点を挙げることができる。

第一に、上述したように、銀行の貸出構成は所属する地域の行政機関の指令に従った結果であり、自らの戦略によるものではなかった。第二は、リスク管理能力が弱く、リスクに対する意識も薄いことである。企業に対する信用調査、貸出に対するモニタリングも不十分なままである。第三は、健全な情報管理システムが形成されていないことである。銀行の統計は伝統的な金融商品品目表に従い銀行側の業務情報を記録してきたが、融資先の企業情報やマーケティング情報が欠如していた。第四は、銀行がリスク回避・解消の有効な手段を十分に持っていないことである。『担保法』が公布された1995年以前には、大部分の貸出に合法的かつ有効な担保をつけていなかった。1995年以降に形式的に差し出された担保も法整備と体制の不備があるために、融資する際に果たす役割はきわめて小さいままである。また、1988年までは、銀行は貸倒引当金を計上して不良債権を相殺するという考え方も存在しなかった。1988年から1994年にかけて、銀行は徐々に引当金を計上し、不良債権の解消に充て始めたが、巨額の不良債権残高と比べるとあまりにも小さかった。そのため、銀行はリスクの回避と解消ができず、不良債権が雪だるまのように増えてしまったのである。

もちろん、ここまで列挙してきた問題はすでに中国の金融当局も把握している。中国人民銀行の調査によると、国有銀行が抱えるようになった不良債権全体のうち、各レベルの行政機関の干渉によるものが約30%、国有企業に対する資金面の支援が約30%、法律の不備が約10%、政府による一部の企業の閉鎖と産業構造調整が約10%となっており、銀行自身の経営不備によるものは20%となっている(周小川、「国有商業銀行改革を巡るいくつかの問題」、『金融時報』、2004年5月31日)。

2005年2月4日掲載

脚注
  • ^ (注1-1)改革開放まで、中国は一元的な銀行体制をとり、中国人民銀行が唯一の銀行であった。長年にわたって、中国人民銀行は中央銀行の職権を行使しながら、貸出と預金といった商業銀行の業務も扱っていた。1980年代の半ば頃には、中国農業銀行、中国工商銀行、中国銀行、そして中国人民建設銀行(後に中国建設銀行に変更)からなる四つの専業銀行と、中央銀行業務に特化する中国人民銀行からなる二元的な銀行体制が形成された。1994年、国家開発銀行、輸出入銀行、農業発展銀行という三つの政策銀行が創設され、これまでに四つの専業銀行が行っていた政策性金融業務を引き受けた。これは、専業銀行の商業化改革を促す条件を提供した。1995年には、「中華人民共和国商業銀行法」が公布された。それによって、四つの専業銀行の「国有独資商業銀行」という法的地位が明確にされた。この改革は銀行の自主経営権を強化して地方政府などとのしがらみを断つとともに、自己責任原則の徹底により融資規律を高めることを狙っていた。

2005年2月4日掲載