中国経済新論:中国の経済改革

なぜ中国で腐敗が蔓延するのか(前編)

呉敬璉
中国社会科学院大学院教授 国務院発展研究センター研究員

1930年南京生まれ。1953年上海復旦大学経済学部卒業後、現在の中国社会科学院経済研究所に配属され、社会主義政治経済学などの研究に従事。80年代初めにオックスフォード大学やイェール大学で近代経済理論を学ぶ。1984年より中国の国務院発展研究センターで比較経済学、社会主義経済改革の理論や政策の総合研究に従事し、中国経済体制改革の理論構築や政策制定に直接携わっている。改革開放当初から一貫して競争原理に基づく市場経済の形成を主張、今日の中国経済改革はほぼ彼の提言通りに展開されている。70歳を超えたにもかかわらず、現在も中国経済体制改革の最前線で精力的に活躍し続けている。

改革開放以来、中国は一貫して高度経済成長を維持してきた。最初の二十年間においてはGDPを四倍増大させる目標を上回った。しかし、高度経済成長と同時に、いくつかの社会矛盾が顕在化している。その中で、腐敗の問題がその深刻さをますます増しており、政府と国民から広く注目されている。中国共産党と政府は80年代にすでに腐敗の撲滅と廉潔な政治をスローガンに掲げ、近年、宣伝と教育、そして取締キャンペーンを強化してきたが、腐敗進行の勢いは衰えることがなく、解決のめども立っていない。腐敗の問題には深刻な社会的経済的問題が根源にあるに違いない。教育や取締という「対症療法」に終始し、問題の根源を断ち切ろうとしないのであれば、腐敗蔓延の勢いを抑制することは難しいであろう。

現在の腐敗の現象は、実に多様な形をとっている。これを経済的な側面から見ると、主に三つの現象がある。第一は、行政が権力を悪用して市場活動に介入することで、レントシーキングを行うことである。第二は、移行期における財産関係の調整と変化を利用し、関係者が公共資産を自らのものにすることである。第三は、一部の人が市場体制の非完全性と未整備を利用して、暴利を自らの手に入れることである。こうした三つの腐敗活動はいずれも権力と関係している。計画経済から市場経済への移行期には、権力を制約する体制が、すばやく整備されなかったため、一部の人々はそうした特殊条件の中で、制約されない権力を私利私欲のために利用し、暴利を貪ったのである。

一、行政権力の利用による市場活動への介入を通じた私利の追求

移行期の経済社会では、経済資源を配分するメカニズムが主に二つ存在している。一つは、市場メカニズムであり、もう一つは、行政メカニズムである。これまで中国に実行してきた「増量改革」あるいは「漸進的移行」の特徴は、この二つのメカニズムが相当長い期間に渡って併存していることである。一部の人は、まさしく二つのメカニズムの間にある隙間と欠陥を利用し、行政機構の経済活動に介入することを通じて、自らの私利を追求している。最近の二十年間にも、こうした行為の性質と結果に対して、数回にわたって激しい論争が繰り広げられてきたのである。

最初の論争は、1970年代末から80年代初め頃に行われた。当時のホットな話題は、いわゆる「全民経商」のことであった。ここでいう「全民」とは、中国国民の全てという意味ではないが、この言葉で強調されたように、商売を行う人間が非常に多いことが議論の的になっていた。実際には、ごく一部の権力にありつける人だけに商売を行う許可が与えられていた。計画経済の時代には、あらゆる工業と商業は国家が独占経営を行っていた。こうした状況の中では、政府が農民の生産した食糧、綿、原材料の価格だけではなく、工業における中間財の価格も人為的に低く抑えることができた。こうして農業と工業の利潤が商業に移転された。商業の国有独占の度合いは最も高く、国家はこの分野における利潤の殆どを支配し、様々な用途に使うことができた。

改革開放以降、政府機関や企業が事業を興し、その利益を従業員に対する報奨金や手当の支払いに充てたり、その子供達に就職先を提供することが許可されるようになった。商業の利潤率は非常に高いため、商店の開業許可をもらえた人は、大儲けすることができた。その結果、労働者も農民も兵士も学生も一斉に商業を行おうとする機運が高まった。この現象は特に南方地域で顕著であった。これが腐敗現象だという指摘もあった。しかし、しばらくすると、民間に対して商業への参入が認められるようになり、さらに政府機関による商業企業に対する制限が強化されるにつれて、社会からの批判は次第に収まり、それほどの大きな問題にならなかった。

二回目の議論は80年代半ば頃に行われた。議論の焦点は、一部の人が価格の安い配給物資市場と価格の高い自由市場との価格差に目をつけ、それを利用し、暴利を得たことである。こうした「転売」活動の背景には、改革開放以降の「価格双軌制」がある。計画経済時代は、あらゆる重要な物資が、国家によって国有企業の間で統一して割り当てられ、そして統一された計画価格によって決済されていた。企業が儲けようが、赤字を出そうが、個人とは直接に関係がなかった。改革開放以降、企業には一定の経営権が与えられ、計画以上の製品を生産した場合、計画価格ではなく、市場価格でそれを販売することができるようになった。計画価格より、同一商品の市場価格の方がはるかに高かった。1985年、「価格双軌制」は一種の正式な制度として追認されるようになった。こうした中、計画価格と市場価格とのギャップがあまりに大きく、安い価格で品物を手に入れ、自由市場で販売すれば、簡単に暴利を獲得できた。例えば、当時、鉄鋼の計画価格は市場価格の二分の一に過ぎず、割り当てられた鉄鋼を市場に売れば、倍の金額を手に入れることができた。しばらくすると「転売」によって儲けるためには権力との結びつきが必要であることも知られてきた。権力がなかったり、コネがなかったりして割り当て物資の販売許可が得られなければ「転売」も行えないからである。後にこのような「転売」を行う人々またはその現象は「官倒」と呼ばれるようになった。社会では、様々な議論が飛び交い、だれそれの息子は、こうした権力をバックにわずか数ヶ月で百万元を持つ金持ちになったなどの話が頻繁に聞かれるようになった。

このような「官倒」現象に対しては、二つの意見が対立していた。一方の意見の持ち主は、計画経済時代の思想を依然として持ち続けた人達であった。彼らにとって、腐敗とは古い社会に固有の醜い現象であった。それが社会に再び現れたのは、市場志向の改革によって、人々がひたすら富を求めるようになったためであり、金銭に対する欲望が腐敗の蔓延を促したためであると考えていた。彼らは、改革の方向を正すべきだと主張していた。すなわち、生産財の市場開放や貨幣の役割ではなく、計画の規律を強調すべきだということである。当時の『紅旗』雑誌では、マルクスが早くから、金銭が人間の犯罪を促すことを予言していたという論文が掲載された。こうした観点を持った人々は、中国社会の純粋性を維持するため、市場志向の改革をすべきではないと考えていた。こうした考えに対して、もう一方の人々は、市場の役割の拡大、貨幣の役割の向上が、結果的に人々の欲望を刺激し、腐敗現象の増大を導くことは認めるものの、市場の開放、そして貨幣の役割を高めない限り、中国の経済は改善されず、国家全体が豊かになることはできないと主張した。従って、彼らは、経済発展のためにも、腐敗は容認すべきだと考えていた。彼らは、腐敗の拡散は経済を発展させるためには、払わざるを得ないコストであり、道徳的な純粋さのために、経済発展という根本利益を犠牲にするわけにはいかないと考えていた。さらに、その中の一部の人々は、計画経済は錆付いた機械であり、それを運転させるには、潤滑剤が欠かせないように、腐敗はまさしく取引コストを減少させる潤滑剤そのものであると考えた。従って、腐敗に対して、特に疑問を持つべきではなく、経済発展の利益のために腐敗を容認すべきであり、さらに、計画経済制度をぶち壊すために、腐敗を武器として活用すべきであるとの意見すら存在していた。

こうした二つの極端な考え方のほか、一部の経済学者達は、上述した二つの観点は、価値観では完全に対立しているが、両者は、市場経済を腐敗の根源、そして蔓延の経済基盤と見なしているという間違った共通の理論前提を持っていると指摘した。こうした経済学者達は、市場経済の発達によって人々の欲望が増大させられたことを認めるが、問題は欲望そのものではなく、その欲望を実現するために人々が生産活動よりもレントシーキングに励むことを助長する制度の欠陥であると彼らは主張する。

レント(rent)は経済学において早い段階から存在する概念の一つである。それは、地代と家賃のように供給不足によって作り出された超過利潤のことである。一般の業界では、供給の価格弾力性が高く、何の参入障壁も存在しないため、超過利潤があるところには、供給が自動的に増大し、価格が下がると、超過利潤はなくなってしまう。しかし、農業などでは、土地が有限であるために、土地がその所有者と経営者によってすでに所有され、自由な市場参入ができず、超過利潤が生じてしまう。このような状況を指して、「絶対地代」が所有権の独占、「差額地代」が経営権の独占によって作り出されたものであると、マルクスは主張していた。1970年代、発展途上国を対象に研究する西洋の開発経済学者、そして先進国を対象に研究する政治経済学者達は、所有権独占と同様に、行政独占も参入障壁になり得ることに着目しはじめた。例えば、多くの発展途上国の場合、民族の利益を守るために多額の利潤をもたらす特定の輸出製品の輸出に対して、通常、割当制度を実施し、超過利潤を維持しようとする。しかし、行政的な割当制度は、腐敗をもたらしやすい。なぜなら、輸出許可書さえ獲得できれば、レントを獲得できるからである。従って、人々は輸出許可書を発行する権力を持つ官僚に賄賂を渡し、レントを獲得しようとしている。こうした行為が「レントシーキング」と呼ばれている。1980年代中期から後期の「官倒」現象の本質は、「レントシーキング」によって説明することができる。それによると、腐敗の蔓延は、決して市場志向の改革によるものではなく、むしろ行政が市場の取引活動に介入したことに原因がある。

「官倒」達が欲望を実現できる理由には、物資の流通と価格の「双軌制」という制度が存在するからである。一つは「計画軌」であり、そのルートで取り扱われる物資の価格は低く抑えられている。もう一つは「市場軌」であり、このルートで売買される物資の価格は市場の需要と供給に伴って変化する。移行期経済は通常、物資が不足しがちであるため、「計画軌」と「市場軌」との間に大きな価格差が存在し、「計画軌」に参入できる人々が物資を「市場軌」に「転売」すれば、暴利を手に入れることができる。従って、普通の民衆たちは、何の経済理論を勉強したこともないにもかかわらず、直感的に「官倒」という経済現象の本質を認識している。要するに、「官倒」達は実際に割り当てた物資を自ら購入し、それを市場に売り出す必要はなかった。「官倒」達はただひたすらに各種の割当指令、役所の書類、言い換えれば権力の証明文書を「転売」するだけでよかったのである。物資のほかに、外貨の売買における「二重為替レート制」も、「官倒」にとって儲かる方法であった。

90年代初期になると、商品価格の殆どが開放され、「許可書などの書類」を「転売」することはもはや価値がなくなったが、レントシーキング行為はさらにその度合いを増していた。当時、二つの新しいレントシーキングの対象が生まれてきた。一つが貸出であり、もう一つが土地である。「官倒」活動の重点が、80年代の商品から、生産要素に対するレントシーキングにシフトしたのである。計画経済期には、貸出利率が非常に低く、改革開放に転じてからもそれは維持されてきた。90年代初期に、深刻なインフレになると、国家銀行の実質貸出金利がマイナスとなった。つまり、当時、国有銀行から金を借りることで、実質上利子を払う必要がないどころか、逆に補助金がもらえたのである。もう一つのレントシーキングの対象は土地である。計画経済の時代には、国有の土地は計画通りに国有企業に割り当てられ、無料で使用されていた。改革開放以降、国家は土地の使用者に対して、「賃貸」を行うことになった。それには主に二つの方法がある。一つは、「入札」であり、もう一つは「協議」である。90年代初期、国家は大規模な土地の賃貸に乗り出したが、大半は協議の方法が採用された。どの程度の面積を、いくらの価格で賃貸するのかは、行政のトップの言う通りになる。こうした状況の中では、コネのある人は、低い値段でよい土地を手に入れ、それを売却すれば、一瞬にして大金を儲けることができた。不動産バブルの波にうまく乗れば、二番目、三番目、四番目の取引参加者まで利益を受けることができた。それは最後の一人の運の悪い人だけが損失を被るまでそのプロセスが続くことになった。当時の広西省の北海市は、最も不動産バブルに沸きたった都市であった。そこには、中国全土から何百億元の資金が注ぎ込まれ、多くの金持ちを一夜にして作り出したが、その代わりに多くの幹部達が腐敗に手を染めた。バブル崩壊後は、公共財産に対して大きな損害を与えることになった。

レント価値の計算は、レントシーキング研究の一つの重要な内容である。アメリカのスタンフォード大学教授、IMFの筆頭副専務理事であるA・クルーガーは、1974年に「レントシーキング社会の政治経済学」という有名な論文を発表した。そのなかで、彼女は、世界で最も腐敗が深刻だと思われた二つの国―インドとトルコ―のレント総額をそれぞれGDPの7.3%と15%と推計した。それ以降、この比率が国の腐敗の度合いを表す一つの指標と見なされるようになった。

クルーガーの方法に基づいて、中国の経済学者胡和立と万安培は、中国の年別のレント総額を計算した。その結果は、トルコとインドより高く、実に驚くものであった。彼らの計算によると、中国のレント総額の対GDP比は、1987年が20%、1988年が30%、1992年が32.3%であった。つまり、中国人民が一年間に作り出した財の三分の一がレントシーキングの対象となり、賄賂を受ける官僚の収入になる計算である。これさえ理解できれば、1990年代初め、中国から毎年、海外へ流出した資金が何百億ドルにも上ったか、それほど高級ではない官僚でさえもが、海外で豪邸を購入し、自分の家族を移住させることが可能になった理由は、簡単に理解できる。

つまり、市場化改革がまだ未完成の状況では、政治権力を通じて資源を分配するメカニズムと市場で資源を分配するメカニズムが、お互い影響を及ぼしあうことがある。まさしくこうした体制の中、腐敗が流行するようになったのである。こうした状況の中、さらに一部の人は、「レントシーキング」にとどまらずに、様々な名目で、行政権力は経済活動に対する介入を強め、「レントシーキング」の機会を増やそうとした。それが結果的に、腐敗現象の一層の深刻化をもたらしたのである。

2003年7月14日掲載

出所

「中国腐敗的治理」(『戦略与管理』2003年第2期)より一部抜粋。
※和訳の掲載にあたり著者の許可を頂いている。

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