中国経済新論:中国経済学

改革の成果をもたらした経済学の進歩

呉敬璉
中国社会科学院大学院教授 国務院発展研究センター研究員

中国改革のこれまでの歴史を振り返ってみると、改革におけるあらゆる進歩が、われわれの現代経済科学に対する認識の深化と深く関わっている。

中国経済改革の戦略はよく「石を探りながら川を渡る」に例えられるが、中国改革の展開を見ると、私はこの論説を非常に疑わしく思う。現代市場制度は何百年の時間をかけて、変遷が繰り返しされた末に形成された巨大かつ複雑なメカニズムである。改革の実践を通じて、非常に短い歴史期間の中でこうしたメカニズムをゼロから作り上げていくには、このメカニズムの基本原則を反映する現代経済科学に対する深い認識、そして改革行動の自覚性を持たない限り、この非常に難しい歴史使命をスムーズに完成することはできない。こうした観点からみると、「石を探りながら川を渡る」という戦略はせいぜい、改革の初期段階において、改革のリーダー達と一般の参加者達が現代経済学の知識が殆ど分からない情況の下での一種のやむをえない選択に過ぎない。長期間にわたって、この戦略を実行し、こうした「試行錯誤」の方法で改革を実行していくと、改革のコストをひたすら上昇させ、目標である向こう側に一体何が潜んでいるかを十分に把握していない情況では、彼岸にたどり着くことは到底出来ないのである。

実際、改革におけるあらゆる進歩が、われわれの現代経済科学に対する認識の深化と深く関わっているのである。

現代経済学の中国改革に与える影響を低く評価する主要な根拠は、いわゆる「中国にはその独自の現状があり、西洋の理論はこうした中国の状況にふさわしくない」というものである。従って、80年代には、「中国の現実を西洋の理論で裁くわけにはいかない」との認識が流行していた。実際、50年代半ばに取り上げられた「経済管理体制改革」から、80年代半ば、中国の改革が軌道に乗り始めるまでには、こうした実態は一貫して存在していた。これはまさしくケインズの言葉のように、「どのような知的影響とも無縁であると自ら信じている実践家達も、過去のある経済学者の奴隷であるのが普通である」(「雇用・利子および貨幣の一般理論」)。

中国は50年代半ば以降、改革を実行して以来、長い間、毛沢東の「論十大関係」に取り上げられた「放権譲利」、「積極要素を生かす」という方針に基づいてきたのである。こうした方針の下で展開した様々な「行政的な権利の下放」の措置は、1958年の経済大混乱を招いたため、60年代初期に中止され、「調整、強固、充実、向上」という方針に取って代わられた。当時、孫冶方をはじめとする洞察力の優れた経済学者達はこうした改革戦略に批判的であった。しかしこうした人々にしても、「資源の稀少性」、「稀少資源の有効配置」といった現代経済学の基本概念を欠いていたため、結局「あらゆる積極的な要素を総動員する」、「人間のやる気を思い存分に発揮する」、「人間の努力で、あらゆる奇跡もありうる」といった思考から脱却することができず、独自の経済学の枠組みを形成させることもできなかった。1976年、四人組が失脚してからも、中国の「経済管理体制改革」は一貫して、「規制を緩めれば混乱を招くが、引き締めれば瀕死の状態に陥いる」という悪循環から脱出することができず、1978年の第十一期三中全会以降になっても、「行政性分権」の方針を完全に放棄することはなかった。例えば、1980年の「財政分権」、1988年の「財政請負制」、「外貨請負制」ないし「貸出請負制」といった政策が相次いで実施されたが、いずれも消極的な結果を招いた。80年代後半になって、改革経済学の主流には、多くの現代経済学の知識が導入され、それに基づいて「行政性分権」に対する分析が展開されるようになった。それより、「行政性分権」がもたらす問題点が確認され、「行政性分権」という改革路線は次第に歴史の舞台から退いたのである。

1978年の第十一期三中全会において、「思想を開放せよ」というスローガンが掲げられ、中国の経済学者達は、現代経済学の原理によって、経済問題を分析し、改革の政策作りに当たっていた。われわれのような改革に積極的に参加した経済学者はみんな熱心にPaul Samuelsonの『経済学』(第十版)を勉強し、現代経済学理論の吸収に取り組んでいた。しかし長い間、われわれが馴染んでいるのは、やはりいわゆる新古典経済学(Neoclassical Economics)、あるいは「新古典総合」の一部の結論に過ぎず、しかもその理論前提を常に軽視してきた。情報の完全性、取引コストが存在しないといった仮定を前提に、所有権をはじめとする制度に関わる問題は殆ど議論の対象にならなかった。しかしこうした単純化した結論を実際の政策作りに直接応用すると、多くの問題点と不具合が見られた。

私にとって比較的馴染みの深い比較制度分析のことを例にすると、当時、この学科はいまだに「比較経済体制」の発展段階に留まっていた。それは、新古典派の仮定前提の下で、計画と市場を所有制と何の関係もない二つの資源配分の方法であると見していた。すなわち、所有制の基礎は一切関係なく、計画と市場の間に自由に選択することが可能で、しかも市場経済は国有経済が支配する所有権制度の基礎の上にも可能であるという認識すら存在していた。このように、われわれは各国の経済制度を、単純な計画経済と純粋な市場を両極とするスペクトルに沿って、計画と市場が一定の割合で結合されたものであると理解していた。そして改革とは、スーパーでの買い物のように、計画と市場の要素を単に自分の経済体制という買い物カゴに入れるだけでよいと思われていた。従って、多くの人々は、「計画経済と市場経済の融合」を中国改革の目標であると見なし、「時には計画の要素が多いが、場合によって市場の要素のほうはそれを上回る」といった考え方とやり方は非常に流行した。こうして、市場経済の形成という大きな改革目標はあいまいになり、実際、改革の過程において、中途半端や迷いなどが多く見られた。

この時期の経済学は、実に新たな突破が成し遂げられていた。私を例にすると、80年代初期にEgon NeubergerとWilliam Duffyの「比較経済体制:意思決定の角度からの研究」を勉強し、そしてイェール大学でJ. Michael Montias教授のゼミに参加した際、私は大変有益なヒントを得た。すなわち、意思決定の問題、情報の問題、そしてインセンティブの問題(Decision Information MotivationからなるDIM問題)を考慮すれば、制度に関する分析が不可欠であることに気づいたのである。80年代後半、情報経済学、新制度経済学などの研究成果がより多く導入されることによって、中国改革の理論と政策に更に大きな進展が見られた。より多くの経済学者達が20世紀最後の二、三十年間の理論経済学の新たな成果を把握したことは、90年代、制度面におけるの中国の経済改革の進展を促した。それ以降、企業制度の革新をはじめ、各種の経済制度の革新は、改革の設計と実践の中心課題となったのである。

経済学者達は現代経済学という理論をベースに、重大な経済学の問題に対して、共通な認識を得られ、しかも共同の努力によって改革を推進していく時、改革はよりスムーズに前進することが出来た。

(1)1985年9月初め、中国体制改革委員会、国務院発展研究センターと世界銀行の共同開催の下、James Tobin、Jonash Kornai、Wlodzimiers Brusといった国際的にも有名な経済学者達が参加した「マクロ経済改革国際討論会」(「巴山輪会議」)が開かれた。その際、経済制度の分類、マクロ経済管理などの問題に関して、高いレベルでの議論が行われた。それは1985年10月に中国共産党全国代表会議において、中国市場化改革の目標モデルの確立、そして中国政府のマクロ経済政策に対する正確な把握にも科学的な根拠を与えた。

(2)1987年7月、世界銀行の主催で国有企業改革討論会(「釣魚台会議」)と1994年の「中国経済体制改革国際討論会」(「京倫会議」)において中国企業改革の多くの問題について深く議論された。後者にはOliver Hart、Paul Milgrom、Ronald Mckinnon、劉遵義(Lawrence Lau)、青木昌彦(Aoki Masahiko)、Nicholas Lardyといった顔ぶれがあった。こうした会議でたどりついたいくつかの重要な観点(現代企業にとって有効なコーポレート・カバナンスの必要性、西側諸国における破産の手続きの不備)が人々に受け入れられるまでに、多少の時間を要したが、こうした理論分析は中国国有企業改革に、目標、内容ないし方法論に基本的な枠組みを提供した。

(3)1994年に進められたマクロ経済改革のパッケージは、中国の経済改革以来、最も成功した改革の一つであると広く認識されている。その成功には、当局の実行力に加え、非常に充実な理論が用意されていたことも重要な原因である。現代マクロ経済学に対する把握には、上述した「巴山輪会議」をはじめ、1993年中国体制改革委員会と世界銀行の共同開催で、「中国経済発展と改革国際討論会」(「大連会議」)も大きな役割を果した。それには、Franco Modigliani、李国鼎、劉遵義などが参加した。

中国改革の深化に伴い、経済学理論の基礎に対する要求はますます高まり、われわれ経済学を研究するものにとって、担う任務の重要さもますます増している。ここで、中国の経済学を改善するためのいくつか私の提案を述べたい。

(1)基礎理論の教学と研究を強化すること。近年、私は中国社会科学院博士課程及び上海中欧管理学院MBAコースで教えた自らの経験から、わが国の学生は、ひたすら「最先端」のものばかりを追いかけ、逆に基礎を軽視する傾向があると考えている。この問題は、彼達の経済学の問題に対する深い理解を妨げている。こうした傾向を改める方法とは、基礎理論の研究と教学を強化し、基礎の重要性を常に強調することである。

(2)学問の進歩は、常に自由に意見を発表できる雰囲気と厳格な学術的な規範を前提としている。現在、中国の経済学界は、学術の自由と学術の規範を樹立という二つの関連する問題の対処に、大きな問題点が存在している。この二つの問題点を改善しない限り、経済学領域内での良性的な競争局面はなかなか形成できないだろう。

(3)異なる経験や教育背景を持つ学者達の間での交流と論議を活発化させること。経済学の発展と改革を推進するために、われわれはこれまでの学術的な交流や議論を軽視する傾向と決別し、学者達の間で議論しあうことによって、お互いに学術的な進歩を成し遂げる環境を形成させなければならない。現在、海外において、現代経済学の教育を受けた留学生達を「海亀派」という一つの特殊な集団と見なす傾向がある。一部の人々は密かに彼達に「外国の利益のために働く」というレッテルを張っている。こうした行為は、経済学者間の良好な関係と正常な学術的な雰囲気の形成には非常に不利である。あらゆる常識のある経済学者たちはこうした傾向と、断固として戦うべきである。

2002年12月24日掲載

2002年12月24日掲載

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