はじめに
アジア金融危機の発生後、多くの人々は、「アジアの奇跡」が消え、「次の世紀はアジアの世紀」という希望も崩壊したと考えた。しかし、この危機は、アジア地域の発展過程の中の一つのエピソードと見なすこともできる。第一に、経済発展自身はリスクに満ちたものであり、発展途上国は先進国からの圧力があるためそのリスクがさらに大きく、波乱を避けられない。それでも、今回の危機は、30年代の西側の大恐慌ほど深刻ではない。第二に、アジアの奇跡はすでに起きた。人々の収入は、ここ20~30年間に数倍も増加し、高層ビルが乱立している。今回の危機を経て、人々は問題点をより明確に認識し、改革と調整を進め、今後の健全な発展に結びつくだろう。このような歴史観を持たなければ、我々は情勢を誤って判断し、経験と教訓を得ることはできないのである。
アジア金融危機の経験を振り返ってみると、中国として、次の3つの側面から教訓を得ることができる。
(1)マクロ政策面-為替政策をはじめとする経済の安定化のためのマクロ政策の在り方
(2)経済体制面-政府、企業、銀行などの経済・政治の体制およびその相互関係
(3)危機への対応面-金融危機の状況下における投機者の戦略およびその主観的・客観的条件、政府の危機への対策など
アジア金融危機に見舞われた国の中で、特にタイのマクロ経済政策、対外開放および為替管理などの問題と、韓国の経済制度、特に政府・銀行・企業の関係に関する問題が我々にとって参考となる。
一、マクロ経済政策
アジア金融危機で比較的大きな被害を被った国に関し、その危機の直接的な原因は、対外収支をはじめとするマクロ経済のバランスが崩れ、政府によるマクロ・コントロールも不適切であったことにある。よって、アジア金融危機の経験と教訓を分析する際、まずマクロ経済政策面から着手するのが妥当であろう。
1)経済関係の不均衡化の予防と経済原理の重視
今回の金融危機の発生は、為替制度、資本市場の開放などにも関わっているが、根本的な原因は本国のマクロ不均衡、すなわち過剰投資、経済過熱、輸入の急増、大幅な貿易赤字、そして外国資本、特に短期借入れへの過度の依存にある。タイの場合、貯蓄率が30%であるのに対し、投資率は40%を超えた。そのギャップは自ずと外資に頼らざるを得なかった。しかし、大量の外資の流入による国内需要拡大を背景に経済過熱や輸出の減速、輸入の増加、貿易赤字が発生した。確かに、固定為替制度が問題を悪化させた一面もあるが、為替要因がなくても過剰投資は短期資本の流入への過度の依存を招き、リスクを高めた可能性がある。一方、資本市場の開放は外資への依存を高めた要因の一つではあるが、資本市場の開放だけで経済過熱がなければ、外資へ過度に依存することにはならなかったであろう。
途上国は先進国への追い上げに焦っており、投資機会もたくさんあることから過剰投資が発生しやすい。最初の頃は経済が繁栄し、資本流入によるメリットが目立ち、問題点は隠され、現実を無視した楽観的な雰囲気に包まれる。この時、人々は、一般的な経済原理は自分たちには当てはまらず、右肩上がりの状況がいつまでも続くと思い込む。これがアジア金融危機の心理的要因とも言える。これに対し、マクロ経済の不均衡に注意を払ったシンガポールと台湾は、今回の危機による被害が比較的小さかった。
2)短期の対外債務と外資の証券投資によるリスク
途上国は、比較的高い成長率を維持し、先進国を追い上げ、雇用の拡大、所得水準の向上を実現させるには、国内の貯蓄率がいくら高くても足りないため、外資の力を借りざるを得ない。彼らにとって、経済成長率を国内貯蓄の許容範囲内に抑える政策はむしろ保守的である。外資は資金だけではなく、技術、経営管理のノウハウ、マーケット、知識なども持ってくる。しかし、外資の中でも、債務、特に短期融資や証券投資など投機的資本(ホット・マネー)の比率が高すぎると、金融リスクを誘発することは必至である。以前のメキシコ危機と今回のタイや韓国などで勃発した危機は、いずれも短期資本の比率が高すぎたことによる。
これに対し直接投資は、短期的には国際収支を均衡化させる効果があるだけではなく、市場が変動しても国外に逃避しにくく、長期的には生産性の向上、輸出の増加による貿易収支の均衡化という効果があり、国際収支の不均衡を誘発しない。
この点について、韓国の経験は特筆に値する。韓国は長い間、民族産業を保護し、その発展を促進するために直接投資を拒否する政策を採っていた。その一方、高い成長率で先進国を追い上げるため、国際市場で融資と起債の形で大量の資金を調達し、短期債務が巨額に膨れ上がってしまった。国内経済に問題が生じた時、国際市場からの資金調達が困難になり、対外支払の危機が発生し、国内の金融危機を一層悪化させる。ある意味で、韓国の金融危機は、外国からの直接投資を拒否したことに起因するとも言える。
3)重視すべき比較優位の発揮による競争力の向上
一部の国における経済危機の発生は、貿易赤字や経済成長パターン、国際経済における構造調整などに関連することから、これらの国は技術進歩と産業高度化を軽視し、投入の拡大による経済成長と労働集約型産業の発展に偏重したという批判がある。しかし、このような見方には必ずしも賛成できない。
確かに、科学技術の遅れや人材不足は、途上国が経済発展から取り残される主な原因である。資本不足の状況を改善するには外資を導入すればよいが、科学技術の発展、教育の発展、人材の育成は数世代にわたってやっと成果が現れるものである。急いで一気に成果を上げようとすると、韓国のようになってしまう。韓国は、ハイテクや新産業の発展段階へといち早く移行するため、コストを惜しまず海外で起債し、人材を高く買い、科学研究に巨額の資金を投じた。しかし、ハイテクや新技術は世界の先端レベルにすぐに到達できず、逆に、金融システムや企業制度に危機の根を植え付けてしまったのである。
アジア金融危機の実体面での要因の一つは、労働コストの急上昇に生産性の上昇がついていけず、その結果、国際競争力が低下してしまったことである。実際、一部の国における労働コストの上昇は、固定為替制度による自国通貨の過大評価と大量の外資流入による不動産価格の上昇に加え、政府の政策と社会の風潮に助長された過剰消費と無理して推し進めた産業高度化政策によってもたされた結果でもあった。
この点についても韓国は典型的な例である。経済面と政治面の要因が重なり合い、韓国の労使関係は近年、賃金上昇の方に動いていた。特に大企業では、近代化を目指すと同時に賃金・福祉制度の近代化も図った。韓国政府は大企業集団主導の工業化政策を採り、大企業の賃金水準の経済全体における役割が大きかった。1988年のソウル五輪の後、韓国人は民族としての自負が高まったと同時に、先進国のように消費すべきだと考えるようになった。消費拡大に伴い、輸入が増加し、労働コストも上昇したことにより、それまでの低い労働コストという比較優位を早い時点で失ってしまった。企業は、自ら進んであるいはやむを得ず中国などに労働集約型産業を移転した結果、産業の空洞化が発生した。一方、ハイテク産業と新産業もすぐには高いレベルに到達できなかったため、国際競争力に欠け、純輸出(輸出から原材料と部品の輸入を差し引いたもの)が伸びず、貿易収支の赤字が拡大してしまったのである。
国際競争力の上昇は、途上国にとって経済効率の向上(制度の改善、教育・科学技術の発展が必要)と比較優位の発揮を意味する。アジア地域、特に中国にとって最も大切な比較優位は低い労働コストである。制度改革や技術進歩も重視すべきではあるが、その実現は困難に満ちた長い道のりである。しかし、その実現を徐々に図る一方、労働コスト面での競争優位性の維持にも十分な注意を払わなければならない。消費の過熱、賃金コストの速すぎる上昇を警戒すると同時に、産業の高度化ばかり強調して労働集約型産業の発展を早い時期に放棄してはならない。政治家や学者は、科学技術の競争力を強調するあまり、他の比較優位を無視してしまうことを防ぐべきである。
4)柔軟な為替制度と為替政策
アジア金融危機は、外為市場をきっかけに発生したことから、外為管理制度と政策に関する多くの議論がなされてきた。最も大切な教訓は、固定為替制度はメリットがあると同時に大きなリスクも抱えているという点である。発展途上国は、為替レートの一定の範囲内における変動を容認することにより、外貨収支を調節し、国際収支の不均衡の拡大を防ぎ、金融政策の運営に余地を残すことができる。
5)経済成長の維持
東南アジア諸国が危機に陥った原因の一つは、1996年に世界的に需要が減速した中、各国の輸出伸び率が鈍化したことにより、各国の経済成長率の低下、債務問題の露呈、貿易不均衡と国際収支の不均衡問題の深刻化を招いたことである。しかし、輸出が鈍化した時、内需拡大のマクロ政策をとり、経済成長を保つことができたのであれば、少なくとも国内における金融危機の発生、ひいては国際収支の危機の発生は避けられたはずである。韓国は銀行の不良債権問題に見られるように、深刻な体制問題と構造問題を抱えていた。こうした中、1996年の半導体の世界的需要の低下と価格の下落は、輸出と国際収支に大きな悪影響を与え、一連の債務問題を誘発した。そして企業が破産し、国際信用格付と資金調達能力が低下し、最終的に全面的な経済危機が勃発したのである。
銀行の不良債権問題が金融危機にまで発展するかどうかは、人々の経済成長に対する予想とコンフィデンスによるところが大きい。なぜなら、信用問題自身が将来に対する信頼の問題でもあるからである。不良債権が増えれば人々は敏感になるため、成長率のわずかな変化で「バブル」崩壊につながる可能性が出てくる。資本市場が開放されておらず、通貨が自由に交換できない経済は、アジア金融危機から次のような教訓を学ぶことができる。すなわち、国内での金融危機の発生を防ぐには、不良債権問題が深刻であればあるほど、体制改革を着実に進めると同時に、マクロ政策による調整機能の強化にも力を入れ、景気後退を防ぎ、適度な経済成長を維持すべきであるということである。
二、経済体制
ここでいう「体制問題」とは、主に政府・企業・銀行の間の経済関係を指す。
いわゆる「東アジア経済モデル」とは、従来、東南アジア諸国にとって学ぶべき対象であった。しかし、アジア金融危機は「東アジア経済」に属する韓国でも発生し、また「東アジア経済モデル」の先導役である日本では経済停滞から抜け出すどころかむしろ問題が深刻化している。我々は、「東アジア経済モデル」について反省すべきであろう。
1)政府と企業の関係
「東アジア経済モデル」の最も大きな特徴は、政府主導型の経済成長である。アジア経済危機後、この点に関する議論が最も多い。しかし、途上国は先進国の経験を参考にすることができるため、すべての事について市場を通じて試行錯誤を行って成功の道を探る必要がなく、経済発展における早期の段階に政府の力で資源を配置し、より高い経済成長を目指すことにはそれなりの道理がある。日本の経済企画庁が民間部門に情報を提供し、意思疎通と協調を図ることは、政府が公共機能を果たす良い例である(本当に学ばなければならないのは、「計画的指導」や「産業政策」ではなく、情報の交流と協調である)。しかし、「政府主導」が韓国式の「政府保護」、すなわち銀行が政府の指示にしたがって企業に融資し、企業は政府と銀行を頼りに収益性を無視して拡張しつづけることを意味するのであれば、将来の危機の種になりかねないのである。
「政府の保護下の企業と銀行」という経済関係の下では、たとえ企業と銀行が国有でなくても、その経営は国有企業とあまり変わらない。赤字や債務超過になっても、国の信用で借金して生き残れるからである。つまり、事実上の「ソフトな予算制約」という性格を有している。これが経済を歪め、次のような非効率的な経済行動をもたらしたのである。
まず、資金が入手しやすいため、企業は内部効率の向上や資源配分の効率向上に努力せず、収益を度外視した投資に走りやすい。韓国では1996年に、全国の売上の97%を占める49の財閥の純利益が合計で僅か6,500万米ドルに過ぎなかった。すでに破綻した韓宝集団を含めると、韓国のトップ50社は赤字を計上した。その経営効率と返済能力の低さは明らかである。
第二に、資金の配分は主に「人脈」によるため、人脈作りに大きな力が注がれ、これが政治の腐敗、社会矛盾の激化を生んだ。ここ数年の韓国の政局の動揺は、実際、上述のような経済体制の発展の必然的な結果である。
第三に、経営効率が悪い分、企業規模を大きくしなければならない。規模が大きければ経済に対する影響力も大きくなり、政府は様々な考慮から破綻させにくくなる。つまり、「破綻させるには大きすぎる」(too big to fail)である。企業規模を大きくし、企業の破綻を政治・社会問題にすれば、政府も救済せざるを得ない。企業は政府をわなに引き込んだのである。一部の人は、韓国では経済問題を事前に予測し、警鐘を鳴らす良い経済学者がいないと指摘した。しかし、韓国に世界一流の経済学者がいないわけではない。ただ、このような経済体制の下、経済政策の最終的な調整が完全に政治の利益構造に制約されるため、問題を予測できても解決することは難しいのである。
第四に、収益を度外視して拡大を続け、負債だけが増える中、企業は新規資金を調達するためには新たな理由を見つけて新しい投資プロジェクトを作り、どんどん「新規投資分野」を開拓しなければならない。この結果、多くの複合企業(コングロマリット)が生まれ、一つの企業集団が十数ないし数十の互いに関係のない産業に参入したのである。これは、明らかに市場経済の分業原理に反したものである。このような投資は、効率的でなく国際競争力も持たない。これに対し、西側の成功した大企業の大半は、本業が明確で、数十年間にわたってある特定の分野で発展を遂げてきたのである。
国内の金融危機をきっかけに発生した韓国の経済危機と対外支払危機の根底には、企業と銀行(金融機関)が政府の保護下で収益を度外視した投資を続け、不良金融資産を膨らませたことがある。政府と銀行と企業との関係という問題において、韓国の例が示した教訓は大きい。先進国のクラブであるOECDへの加盟という悲願を達成したばかりの韓国の国民は、一転してIMFと日本に融資を請わなければならないという屈辱を味わってしまった。我々は、これを戒めとすべきである。
2)「メイン・バンク」制度の見直し
日本と韓国の経済発展を支えてきた要因の一つに「メイン・バンク」制度がある。この制度の長所は、企業と銀行の間に安定した信頼関係が築かれ、企業の資金調達と銀行の企業に対する監督が円滑に行われることである。しかし一方で、企業を銀行に縛りつけるため、企業と銀行の利益面での相互の牽制力が弱く(多くの健全な経済関係は、二つの利益主体の協力関係の上に成り立つものではなく、双方の利益の衝突と牽制によって生まれるのである)、企業の予算制約がソフト化してしまう。最終的には、企業の経営効率が低下するだけではなく、銀行も不良債権問題で破綻してしまうのである。韓国の韓宝銀行は、同行がメイン・バンクを務める3社の企業の不良債権によって倒産に追い込まれたのである。
タイなどの金融危機がヘッジファンドの攻撃と関連したことに対し、韓国は明らかに銀行の不良債権問題で崩壊した。タイなどは、為替レートに関わるマクロ指標の比率の不均衡による側面が大きいのに対し、韓国は、銀行と企業と政府の間の制度的要因による側面が大きい。こうした制度的要因は、銀行の不良債権という形で反映されている。この点について、我々は分析を行ってその教訓を吸収すべきである。
3)奨励すべき中小企業の発展
大企業には大企業の長所があり、小企業には小企業の長所がある。しかし、韓国の教訓からも分かるように、政府保護、政府主導で大きくなった大企業・大集団(とりわけ国有企業)は、長所よりも短所が目立っている。一方、台湾では近年、中小企業が競争への柔軟な対応で持続的な発展を遂げ、今回の危機においても良い成果をあげた。この事実は、途上国では小企業から大企業に成長するには徐々に発展していく方が長期的にはプラスであるということを証明した。
途上国は先進国や多国籍企業に遅れをとっているため、早く大企業を作って対抗し、国際市場でのシェアを確保したいという考え方は理解できる。しかし、国際競争は、効率と品質の競争である。単に規模が大きいだけで、規模の経済のメリットが他の面のデメリットを上回らなければ、最終的には損をすることになる。問題の鍵は規模ではなく競争力にある。小企業でも柔軟で効率良く、コストが低ければ同じような成果が得られる。そして、市場競争の中で小企業から一歩一歩大企業になってゆく(企業自身の資本蓄積のほか、合併・買収という方法で達成することも可能)。そうすれば、多国籍企業と競い合える実力を身に付けることができるのである。
現在の中国は、大企業が良いのか、それとも小企業が良いのか、という議論ではなく、公平な競争メカニズムを作り、中小企業、特に非国有中小企業に対する差別的政策(特に銀行融資、資本市場における資金調達など)を廃止すべきである。以前のように、規模の大小を基準に「傾斜」するのではなく、効率の良い企業に「傾斜」すれば、より高い成長率を実現することができ、韓国が見舞われたような問題も回避することができるのである。
大企業の発展に関して言えば、「多角経営」「総合商社」といったやり方は特に止めるべきである。こうしたやり方は、すでに競争が激化している国際市場においてはふさわしくなくなった。西側の大企業が「副業」から撤廃する動きを加速させ、専業化に向けて発展している現在、アジアの一部の企業は「横向きの拡張」を続けている。このような行動は、アジア新興市場の特殊性によるところもあり、また、市場経済の発展の初期段階においてそれなりの道理がある(多くの市場では、生産と消費は共にスタートしたばかりで、拡大の余地は大きい)。しかし、長期的に見ると決して発展性のあるものではない。
4)求められる改革の加速化
アジア金融危機は、自国の経済体制に多くの問題を抱え、経済発展の水準がまだ低い状況の下での一部の国における資本市場の早過ぎた開放によってもたらされたリスクを露呈した一方、日本やシンガポールなどにおける金融市場の不完全な開放によるメリットを映し出した。このことから、中国も金融市場の開放を遅らせるべきであるという意見がある。しかし、一部の国が資本市場を早めに開放した目的は、国際市場に早く参入し、競争から利益を勝ち取ることである。中国もWTO加盟を果たした以上、国際競争に参加しなければならない。これは、中国にとってメリットのあることである。リスクを完全に回避しようとすれば、国際市場で利益を勝ち取ることはできない。今回のアジア金融危機の教訓として、我々は消極的な面、すなわち「開放を遅らせる」のではなく、積極的な面を吸収すべきである。国際市場からより多くのメリットを受けるためにも、我々は企業制度や金融制度、政府の体制など、国内の経済体制の改革を加速し、今回の危機を改革開放の加速への圧力と原動力に変えるべきである。
三、危機への対応
経済発展自身は本来リスクに満ちた事業であり、現実には完璧な制度も完璧な政策も不可能で、いくら良い状況であっても紆余曲折があり、危機が起こり得るのである。アジア金融危機から危機発生のメカニズムを分析し、危機への対応の経験と教訓を学ぶことも重要である。
1)ヘッジファンドの戦略
アジア金融危機は、金融市場のリスクを示し、経済のグローバル化と金融派生商品の多様化が進んでいる時代において、国際金融市場の投機者がどのような方法で一国の金融システムと経済を投機的に攻撃するのかを教えてくれた。タイに関し、投機者は、開放された市場を利用してタイバーツを借入れ、米ドルを購入し、タイバーツを下落させて為替差益を獲得するという「直接的攻撃」の戦略をとった。一方の香港では、香港ドルと株の先物を同時に空売りし、これを受けた金利の上昇による株価の急落で利益を上げるという間接的攻撃法がとられた。
金融市場のグローバル化と金融派生商品の多様化により、今後、国際市場競争はさらに熾烈になり、投機者の手段も多様になってくるため、我々は様々な角度から研究し予防しなければならない。
2)市場の変化に留意しリスクによる損失を減らす
今回の危機において、台湾の危機対策は参考になる。1997年7月にタイで通貨危機が発生したが、台湾当局はすぐに通貨の切り下げを決定すると同時に、金融市場に対するコントロールを強化することにより、問題を早期に解決し、危機を免れた。台湾の経験が示しているように、情勢を早めに判断して能動的に行動することは、リスクに対応するための重要な策略である。
3)周辺地域との協力強化
タイは、国際金融市場における投機者の攻撃に見舞われた後、すぐに周辺諸国との協力体制を築いた一方、タイバーツの貸出を制限したことにより、投機者の攻撃の広がりを防ぎ、損失を抑えることで一定の成果を上げた。その後、アセアン諸国は全般的に危機に陥ったが、相互間の国際協力により損失を軽減できたのである。この点からも分かるように、我々にとって発展段階が近い途上国、特に周辺諸国との協力関係を結び、国際機関の活動に積極的に参加することは、経済リスクの予防に積極的な意味をもつのである。
4)危機直後の悲観的な見方の予防
危機勃発後、情勢が悪循環に陥るかどうかは、人々の悲観的な予想の広がりと悪化に大きく関わっている。危機の発生後、タイや韓国では海外投資家が撤退し、IMFが融資に厳しい条件をつけて被援助国の企業の破産とリストラを強いたため、国内外で悲観的な見方が広がり、通貨が繰り返し切り下げられ、国際収支が悪化した。もちろん、一部の国にとっては問題がすでに存在していたため、危機はそうした問題を露呈したに過ぎず、難関を乗り越えるには多くの措置を採らざるを得なかった。しかし、悲観的な予想の広がりを防止することは、危機への対応の重要な一環である。米国の著名な経済学者、ジェフリー・サックスは、フィナンシャル・タイムズで、アジア金融危機でIMFが犯した誤りを厳しく批判したが、その中の重要な論点の一つは、IMFが悲観的な気持ちを払拭するどころかそれを助長したことであるというものである。
四、アジア金融危機の教訓を活かそう
これまで中国人は、外国で起きたことを今回のように広く議論し研究したことがなかった。数十年前あるいは百数十年前にヨーロッパと北米で発生したことはすでに忘れ去られていた。90年頃から始まった日本におけるバブルの崩壊や不良債権問題などに注目した人もそれほど多くない。なぜなら日本は先進国で、中国との発展段階における格差はあまりにも大きいからである。メキシコで起きた金融危機や対外収支の不均衡も、多くの人の関心を集めなかった。それは遠く南米の話であり、文化的な背景や国際環境が違う。しかし、今回のアジア金融危機は、我々の隣国で起きたことであり、我々と発展段階も近く、文化的背景も似ている。また、我々と緊密な経済関係を持っているだけではなく、銀行の不良債権、不動産バブル、固定為替制度など似通った問題を多く抱えている。
ある意味、今回のアジア金融危機は、我々にとって「無料の授業」である。すなわち、我々は大きな代価を払わず、金融危機に遭遇した時と同じような教訓を得ることができたのである。アジア金融危機がなければ、企業・銀行システムや資本市場などの問題点とその深刻な結果を深く認識することはできず、「危機意識」を持たずにこれまでの道をそのまま辿るだろう。さらには、日本と韓国の問題のあるやり方をそのまま真似すれば、われわれは東南アジア諸国よりも深刻な危機を引き起こしてしまう可能性がある。今大切なことは、他人が代価を払った経済危機の経験と教訓を、いかにタイムリーかつ真剣に吸収するかということである。
2003年2月3日掲載