中国経済新論:経世済民

樊綱氏が語る中国人留学生の葛藤
― 米国から帰国するに際して ―

樊綱
中国経済改革研究基金会国民経済研究所所長

1953年北京生まれ。文化大革命中における農村への「下放」生活を経て、78年に河北大学経済学部に入学。82年に中国社会科学院の大学院に進み、88年に経済学博士号を取得。その間、米国の国民経済研究所(NBER)とハーバード大学に留学し、制度分析をはじめ最先端の経済理論を学ぶ。中国社会科学院研究員、同大学院教授を経て、現職。代表作は公共選択の理論を中国の移行期経済の分析に応用した『漸進改革的政治経済学分析』(上海遠東出版社、1996年)。ポスト文革世代をリードする経済学者の一人。

多くの留学生にとって、海外に残って何をするか、帰国して何ができるかは一番大切な問題である。これは、一部の人にとって割合と簡単に答えられる問題だが、一部の人にとってなかなか答えの出ない問題である。単に生活のために働くのであれば、もちろん米国に残るのが一番良い。中国で働いた場合、社宅や保険料などを全部含めても年収は2000ドルに過ぎないが、米国であれば、税金や保険料を差し引いても少なくとも2万ドルは残る。物価など単純に比較できない要素はいろいろあるが、米国はとうの昔に小康の段階に入っている。さらに、米国から一時帰国した場合、華僑あるいは中国系米国人というブランド価値がつき、ほかの人よりも優れているように見られる。しかし、少しでも成功をしようと考えるならば、状況はそれほど簡単ではなくなる。

学術的あるいは技術的な分野、特に国境のない分野であれば、国内よりも海外の方が条件がいいかもしれない。たとえば、自然科学の研究の場合、基礎理論にしても応用技術にしても、確かに米国に残る理由はたくさんある。私のハーバードの同級生で自然科学を学ぶ者は、一日中、ノーベル物理学賞や化学賞のことばかり考えている。あのような先進設備と一流大学の雰囲気がなければ、彼らの願いを叶えることはできない。技術研究も同じである。卒業してシリコンバレーで仕事を見つけ、3年で小さな発明を、5年で大きな発明をして、給料を10万ドル以上もらう。さらに、特許を申請したり、自分で小さな会社を作ったりすることもできる。

しかし、「社会」「民族」「文化」というような、少しでも国境にかかわることになると、話は別である。言うまでもないことだが、「政治」は外国人にとって最も通用しない分野である。米国生まれの2世や3世の華人でも、せいぜい州政府の局長程度のポストにとどまる。陳香梅(Anna Chan Chennault)、イレーン・チャオ(Elaine Chao、中国語名は趙小蘭、米労働長官、米国初の華人長官)はごく少数の例外で、特殊なバックグランドが必要である。二、三十歳になって初めて米国に留学する人は政治の分野に身を投じても、あまり将来性がない(米国で中国政治に携わるのであれば別だが)。

商売をしたり、経営管理をしたりすれば、小さな会社を起こして少し儲けて子孫のために資本を蓄えることができる。しかし、私は今まで1代目の留学生が大きな会社を作り、たくさん儲かったという話を聞いたことがない。商売の仕方は世界共通の部分がある。市場を熟知し、関係や人脈があって、営業に長じるなどが必要で、大きな売買を成立させることはそう簡単ではない。米国という市場は、競争が激しく、陣取りが難しい。年商1千万ドルは中国人にとって少なくないが、米国では個人企業に過ぎない。法律を学んで研究の道に進めば、多少の名声を得ることができるが、有名な弁護士になるのは難しい。1代目の留学生がネイティブの弁護士のように法廷で雄弁をふるうことができるとは思えない。

ほかの社会科学、たとえば私たちが研究する経済学について言えば、私は、国境線が存在しないことを信じている。特に基礎理論においては、米国の経済学や中国の経済学というような区分が存在するとは思わない。このため、たとえ三十過ぎてから初めて海外に行って勉強しても、努力して正しい道を歩めば、基礎理論あるいは純粋理論の研究において成果を上げることができ、また近代理論で中国の具体的な問題を分析することもできる。しかし、理論を西側諸国の問題に応用して米国の経済学界の主流派に入り、新しい問題に関する新しい理論を作ったり、政策分析を行ったりする場合、我々はハンディを抱えている。経済学は社会科学であり、その地で生まれ、その地で育ったのでなければ、現実社会の複雑な動きをいくら学んでも分からず、人の後ろについていくしかない。1986年に米国にいた時、ちょうどレーガン政権が税制改革に取り組んでいた。普通の米国人は、自分の収入への影響や、お隣さんへの影響などを含めてこの改革の影響について良く知っている。しかし、経済を研究している私は、この税制改革の効果についていくら考えても分からなかった。このような簡単な質問を大教授に聞くわけにはいかないので、経済学を全く勉強したことのない大家さんにたずねて説明してもらった。

米国経済の研究が無理であれば、中国経済を研究するしかない。しかし、長い間海外にいて現実の中国経済から遠ざかっていたため、中国問題をうまく研究できるかどうかという問題を別としても、もう一つの難点は、米国の学界では、中国人が「中国問題専門家」になることができないという不文律の存在である。研究にバイアスがかかり、「客観と公正」を欠くためである。経験に基づいた分析はともかく、「政策研究」や「見通し」というような内容になれば、最初に読まれるのはSmithやJohnといった名前のある論文で、Zhang(張)やWang(王)などは「客観的でない」と疑われる。これは、研究費の申請や就職の時、常に目に見えない障害になっている。本来、中国人が中国問題を研究するという優位性は逆に劣位になってしまう。米国の学界に生き残りたい中国人にとって、米国で中国問題を研究する時、「副業」として研究しなければならず、本業は純粋理論でなければならない。中国問題を「本業」としたら、ずるいと見られ、昇進の足かせになる。したがって、教授になって学界で地位を固めたいのであれば、しばらくの間、中国問題研究を「本業」とすることができず、せいぜい論文を書く時に、中国を例として分析することしかできない。

しかし、30過ぎて初めて海外留学する人にとって、中国問題はすぐにでも研究したい対象である。確かに20才代で仕事の経験がなく、大学を出たらすぐに海外留学したいと考える人たちは、最初から戻ってこないつもりで出国することが多い。「中国問題」は彼らにとって全く無関心というわけではないが、強い思いを抱いているというほどではない。しかし、私たちのように文化大革命や、農村への「下放」を経験し、何年も働いてきた人にとって、中国問題は単なる「祖国」の問題だけでなく、すでに我々の脳に深い溝を刻みつけており、一種のこだわりになっている。これは必ずしもすべてが愛国心に由来するものでなく、ただ自分が長い間関心を寄せた問題に対する執着で、ほっとけないだけかもしれない。たくさんの知識を学ぶほど、そこにある「誤謬」を正したくなり、そこにある問題点について論証、解釈し、問題解決の方法について自分なりの意見を出したくなる。私の観察では、多くの海外にいる人は、心の深いところで葛藤している。海外の学界で地位を得ようと刻苦奮闘し、やっと手に入れたものをあきらめることができない一方、たくさんの時間を費やしても本当のやりたいことができず自分の才能を開花させることができない。

中国の経済学界では、数え切れない程の研究課題が存在する。その中でかなりの部分は基礎的な研究である。現在の経済改革が抱える様々な問題に関する研究や、政策・対策だけでなく、中国における「経済学」の発展についても早急に研究すべきことがたくさんある。これまでの多くの経済学の著作は、50年代初めのソ連の「政治経済学教科書」をモデル、基礎としてきた。このモデルは今日の経済学と何も共通するところがないばかりでなく、本当に経済学に当てはまる内容はごく少ない。私が『近代三大経済理論体系の比較と総括』という本の中に書いたように、このモデルは各種経済理論の長所ではなく、むしろ多くの短所を集めたものである。たとえば、マルクス経済学の最も大きな特徴は、経済利益の矛盾、経済の衝突を通じて経済現象を分析し、例えば「階級闘争」で資本主義経済の問題を分析している。しかし、マルクス主義と称するこのモデルは、経済の万事調和、人々が「同志のように協力し合う」ことばかりを説き、協力しない、責任のなすりあい、奪い合い、貢がないと事を成せないなどは「古い社会の残骸」にすぎないと言っている。結局、残骸だらけになって、問題が益々深刻になり、理論も益々面白くなくなる。また、マルクス経済学の創設者は、当初の目的が「革命」であったため、資源の効率的配分、個人と企業の利益最大化への追及といった経済的行為などについて全面的に深く分析しなかった。しかし、ソ連式モデルは、教条主義的に早期の社会主義理論家が作った社会の将来設計にこだわるあまりに、新たに分析をしようとしないだけでなく、この面で貢献している多くの西側の経済理論を「反マルクス主義」として排除しようとした。その結果、経済学は経済学でなくなり、現実の経済問題を科学的に説明したり、経済発展に役に立ったりすることもできなくなる。このような状況を変え、中国の経済理論をよりしっかりした基礎の上で発展させていくには、理論面で2点について早急に着手すべきである。

第一に、教条主義をやめ、マルクス経済学と近代経済学の関係を明確化し、人類の持つすべての科学研究成果で自分を武装することである。私は、マルクス主義を知らずに海外に行って近代経済学を勉強し、マルクス経済学は何の長所もないと言っている人には賛同しないし、同じように、近代経済学を知らずに、近代経済学は何の長所もないと言っている人にも賛同しない。マルクス経済学(自分の経済をめちゃくちゃにしたあのソ連式モデルの「経済学」ではない)は、まず、古典経済学と同様に、経済学の発展に大きく貢献しており、今でも、多くの新マルクス経済学者はマルクス原理から出発して経済学の発展に貢献している。今日の経済問題を解決するには、マルクス主義の原理と命題に拘らずに、人類のすべての科学成果を吸収、利用しなければならない。それを通じて、我々の理論をより広くよりしっかりした基礎を有するものにし、我々の経済分析手法をより近代的なものにすべきである。新しい世代の経済学者は、既存のすべての成果で自分を武装して始めて、より高い次元に進むことができる(私自身は、帰国した後に完成した博士論文でその後1990年に出版された『近代三大経済理論の比較と総括』の中で、この点について初歩的に試みた)。

第二に、新しい理論の基礎の上で、近代経済学の原理と方法を活用し、自分たちの経済体制と直面している経済問題について体系的に分析することである。最近の近代経済学は、もはや経済活動を機械のような「命の無い」体系として捉えるのではなく、個人・企業・政府など経済主体が各々の利益の最大化を求める行為であるとし、そして、経済行為は各主体間の衝突・制約の結果として捉えるようになっていることが益々鮮明になっている。個別経済主体の行為に関する分析は、体制の現象、生産と交換の問題、物不足・インフレ・経済過熱・景気循環などマクロ経済問題を説明する基礎であるべきである。個人・企業(各種形態の企業)・政府部門の一定の経済体制下での行動方式を体系的に明確化させて始めて、経済全体の運営の特徴と結果、様々な経済現象を説明することができる。そして、経済改革と経済発展のために体系的で役に立つ、整合性のとれた経済政策を提案することができる。そうでなければ、対症療法的で自己矛盾した、朝令暮改で役に立たない政策になってしまう。私が帰国してから執筆し1990年に出版された2冊目の著書『公有制マクロ経済理論大綱』は、この面に関する研究である。しかし、このような仕事は、一人や二人でできることではない。多くの人が着実に少しずつ進め、互いに議論、批判し、論争を展開して、少しずつ知識を積み重ね、成果を上げ、様々な角度からわが国における経済学の理論研究の発展を推進しなければならない。

このようなことは、他の人にとっては関心のある問題ではないかもしれないが、私にとっては一種の願望あるいは「趣味」になっている。私は、最初に中国の「伝統的な経済学」の洗礼を受け、その独特な表現、概念、方法を勉強し、その限界を知ったことで、状況を変えるために何かをしたいと考えていた。大学の専門課程に入ると、その準備として、私は様々な経済理論と手法を学んだ。このような方針と問題意識をもっていたこともあり、また、ミスを犯し将来後悔することがないようにするため、私は勉強していた時、なるべく口数を少なくし、たくさん学び、多くの問題について自分の考えがあっても我慢して発表しなかった。そして、一通り勉強して自分で新たに成長したと実感し、やっと悟った今になって、突然、これらの問題をあきらめ、話そうとしたことも話さず、米国で別のことを研究することは、私にとってやりきれないことである。少なくとも、言いたいことを言い、10年来のしたいことをして、願いをひとつ果たしてから、別のことに移るのであればまだいい。さらに言うならば、私が勉強していた時、理論とは何かを知らない人、理論の役割を知らない人、理論研究の楽しみを知らない人、さらに、理論を研究する人の努力を無駄と見て、理論研究が役に立たず問題を解決できないと考える人がいた。無知は傲慢であり、浅はかであることも傲慢である。より多くの人に理論研究の真の意義を認識させるだけでも、帰国する価値がある。うやむやのままで終わってしまえば、己の心の中から抗議の声が聞こえてきそうである。結果はいかなるものであれ、力を尽くして自分のしたいことをやり遂げるべきである。社会と学界は、分業が必要である。他人はどうであれ、私自身は自分の「特殊な趣味」に沿って、自分のしたいことをするのだ。

2004年7月8日掲載

出所

樊綱著『経済人生』(広東経済出版社、1999年)より抜粋
※和訳の掲載にあたり著者の許可を頂いている

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