中国経済新論:中国の産業と企業

新技術革命と中国の国際競争力
ハイテクよりも適正技術の重視を

樊綱
中国経済改革研究基金会国民経済研究所所長

中国経済改革研究基金会国民経済研究所所長。1953年北京生まれ。文化大革命中における農村への「下放」生活を経て、78年に河北大学経済学部に入学。82年に中国社会科学院の大学院に進み、88年に経済学博士号を取得。その間、米国の国民経済研究所(NBER)とハーバード大学に留学し、制度分析をはじめ最先端の経済理論を学ぶ。中国社会科学院研究員、同大学院教授を経て、現職。代表作は公共選択の理論を中国の移行期経済の分析に応用した『漸進改革的政治経済学分析』(上海遠東出版社、1996年)。ポスト文革世代をリードする経済学者の一人。

はじめに

ITをはじめ進行中の技術革命は途上国にとって機会であると同時に、挑戦でもある。中国においても、新技術を活かして短期間に先進国に追いつく(いわゆるリープフロッグ・シナリオ)という期待が高まる反面、彼らとの格差がいっそう開く可能性(いわゆるデジタル・ディバイド・シナリオ)も否定できない。

こうした新しい情勢においても、発展途上国として、中国が直面している基本的問題は、相変わらず技術、人材、資本、制度など「あらゆる面で劣っている」という悪条件の下で、いかに諸外国よりも速く成長し、先進国との格差を縮めるかということである。そのために、我々は実状に合わず、高い代償を払っても成功する可能性の低い「ハイテク発展戦略」を追求してはならない。確かに、中国の産業は比較的に広い範囲にわたる重層的な発展を遂げる条件がそろっているが、相当長い期間にわたって、中国の競争力の源泉はやはり安い労働力に基づく「相対優位」であり続けるだろう。

技術革命と経済発展:過大期待が禁物

技術革命は人類全体の発展に貢献しているのみならず、後進国の発展と追い上げにも新しいチャンスを与えている。なぜなら、新しい技術が古い技術に取って代わることによって、後進国は先進国が歩んできた道を再び歩く必要はなくなり、新しい技術に基づいて発展し、迅速に先進国との格差を縮めることができるからである。長い目でみると、知識と技術によって生じた「外溢効果」は、我々の「後発優位」と結びついて、競争力の向上に寄与するであろう。

しかし一方、我々が新しい技術を経済発展に活かそうとするときに、多くのハンディを負っていることも事実である。

まず、現在進んでいる技術革命は先進国から始まり、彼らは最新の技術を武器に、生産性と競争力を高め、市場で優位を確立している。これに対して、発展途上国は国際的に進んだ技術革新の能力が備わらないため、先進国との競争において劣位に立たされている。その上、新しい技術は知的所有権に関する法律によって保護され、利用する時には高額のロイヤリティを支払わなければならない。

また、発展途上国は様々な面でまだ新しい技術を利用する諸条件が備わっていない。パソコンとインターネットを広範に利用する教育水準には達していない上、電信、金融、ビジネスなどのインフラと基礎条件は乏しい。例えば、クレジットカードがないため、インターネットでの支払いはできないこと、発達した資本市場がないため、リスク投資とベンチャー企業の資金調達は難しいこと、等々である。

さらに、先進国はより高い給料を支払い、より良い研究と生活環境が提供できるため、より多くの人材を引き付けることができる。その結果、発展途上国の人材は流失し、技術の進歩による格差は一層広まってしまうことになる。

企業にとって、技術は手段であって、目的ではない。技術の進歩を追求しないと明日はないというが、利益が得られないと今日さえもたない。無理して、ハイテク(特にそれほど労働力を必要としない自動化レベルの高い技術)の利用を一筋に追求すると、高いロイヤリティと資本コストを払わなければならない。もし、この技術が多くの労働力を必要としなければ、我々は労働コストの面で、総コストを下げることはできない。その結果、企業は同じ製品を市場の競争価格よりも高いコストで生産することになり、国際競争力を失い、赤字に転じてしまうことになる。したがって、優位を持たない「ハイテク」を盲目的に追求し、政府と企業の貴重な資源を競争力がまだ備わっておらず、採算性の悪いプロジェクトに投入してはいけない。

これは最近のアジア経済危機から学ぶべき重要な教訓の一つでもある。東南アジアのいくつかの国は、より多くの資本と技術を導入し、発展のペースを上げるため、各方面の条件がまだ整っていないうちに、金融市場の対外開放を急いだ。企業も「高い」「新しい」「大きい」ことばかりを追求し、過剰投資をしてしまった。多数の大企業は利潤を上げることができず、倒産を免れるために、借金に依存しなければならない。その結果、金融危機を引き起こし、成長率を高めるどころか、マイナス成長と資産価格の急落を招いたのである。

発展途上国として我々の最も忌むべきことはまさに「ジャンプ式発展」、「大躍進」、「洋躍進」などの類のものである。短期間にハイテクや資本集約型産業などの分野で強い国際競争力を目指すような発展戦略と産業政策が、結局発展のペースを落とし、先進国との格差を広げてしまうことは、我々の歴史の経験によっても証明されたのである。

「適正技術」こそ競争力の源泉

我々の企業は国際市場(日増しに国際市場になりつつある中国本土市場を含む)で売上を伸ばし、利潤を上げなければならない。その上で、資本を蓄積し、教育のレベルと科学研究の能力を高め、経済を持続的に発展させる必要がある。総じて言えば、我々は今、「競争力」しかも「国際的競争力」を持たなければならない。しかし、競争力をもたらす技術はハイテクよりも、「適正技術」であることを我々は認識しなければならない。

発展途上国にとって、導入すべき技術のレベルは、必ずしも高ければ高いほどよいのではなく、その生産要素と資源の状況や構造など各方面の条件によって決まる。ある国、あるいはある企業にとって、ある技術とそれを活かした産業から利益が得られ、国際的競争力を持っていればこそ、初めて「適正技術」と言える。簡単に言えば、「適正技術」というのは、一定の発展段階とそれに対応するのコスト構造の下で、企業に利益をもたらすような技術である。

「適正技術」は動態的な概念であり、条件が変化すると、「適正」の概念そのものも変化していく。技術の進歩や産業技術構造の高度化は、それぞれ漸進的プロセスであり、我々の夢を一遍に実現してくれるものではない。しかし、企業が利益を上げれば、設備投資や、人材育成、研究開発に資金を投入することができる。また、各種の技術の応用と生産の発展が進むにつれて、労働者の技術レベルが向上し、我々の「適正技術」のレベルも絶えず高まっていき、最終的には、国際競争力のあるハイテクを我々自身が創造できるようなレベルに達することになる。この段階に行きつくまで、多くの先進国にとっての「旧い経済」は、我々にとっては、まだ発展の余地のある「新しい経済」である。

現段階では、我々は、安価な労働力という資源の比較優位に依らなければならない。事実、中国の輸出の内、今国際市場でよく売れ、利潤が得られる主なものは、依然として「労働集約型産業」の製品、あるいは技術集約型産業製品の生産プロセスの一部としての労働集約型生産の工程(組立、委託加工など)である。これから相当長い間、我々の国際競争力の源泉は、やはり安い労働力を活かした労働集約型産業にあろう。

その上、中国のような人口大国にとって、労働集約型産業を大いに発展させることは重要な社会的意義を持っている。それは就職の範囲を広げ、5億の農業労働者の大部分をできるだけ早く工業化、都市化、現代化のプロセスに吸収し、彼らの所得水準を上げることによって、国内の市場を拡大し、国全体の持続的発展を保っていくことである。逆に、雇用が停滞すれば、貧富の格差や都市と農村の格差、地域の格差が拡大し、内需の低迷と社会不安が避けられない。したがって、政府は外資の導入と委託加工業を含めた労働集約型産業の発展をどんなに強調しても行き過ぎることはないであろう。確かに労働集約型産業から、我々は技術と資本によって生み出された高い付加価値を得ることはできない。しかし、少なくとも、ある程度の地租や税収を得ることができる。さらに重要なのは、数多くの労働者が収入を得ることである。

我々はいつまでも「低いレベル」に甘んじるわけではないが、本当に「高いレベル」へ行こうと望むなら、「低いレベル」から始めなければならない。それによってはじめて、投資資金を稼ぐことができ、企業規模を拡大させることができる。中国が先進国に追いつくことは、詰まるところ、技術、人材、資本、制度の面において、彼らのレベルまで達することである。それを実現するためには、一歩一歩前進するしかなく、長い歳月がかかるだろう。

2001年7月30日掲載

2001年7月30日掲載

この著者の記事