中国経済新論:中国の産業と企業

海爾と格蘭仕:典型的モデルの比較(第1回/全3回)

盛洪
北京天則経済研究所 学術委員

中国における新制度派経済学の代表者の一人。1954年北京生まれ。1983年中国人民大学卒業。1986年、1990年に中国社会科学院より経済学修士と博士学位を取得。その間、アメリカのシカゴ大学に訪問学者として留学、新制度派経済学の創立者であるロナルド・コース教授に学ぶ。帰国後、コース教授の論文集『生産の制度構造』を翻訳、自ら取引費用の理論に基づいて中国の計画経済下の低効率を分析する『分業と取引』(上海三聯書店、1992年)を出版するなど、新制度経済学の中国への導入と普及に精力的に取り込んでいた。彼が主編した『中国の過渡経済学』(上海三聯書店、1994年)は移行期経済という研究領域における代表的文献として認められている。1993年、中国における新制度経済学の総本山ともいうべき天則経済研究所の創立に直接携わり、現在も理事を務めている。彼が中国古典経済思想に関しても造詣が深く、随筆集『為万世開太平』や代表作とも言われる論文「中国先秦哲学と現代制度主義」においては、中国の古典思想の根底には制度主義の発想が横たわっており、近代経済学における中国学派の形成など彼独自の主張を大胆に展開している。現在も、中国における新制度派経済学の更なる応用へと活動を続けている。

黄一義
北京天則所咨詢有限公司 研究員

一、二つのモデルのいずれによっても成功を収めうる

海爾と格蘭仕は中国で最も特徴のある企業だが、経営戦略に関して、全くの対立した路線が見られる。海爾は中国でも最もブランド意識が強く、かつ最高のブランド価値を有する企業の一つであるのに対して、格蘭仕は低コスト製造で勝負し、またそれを徹底的に活用している企業である。経営戦略がどうであれ、重要なことは、両方とも注目すべき成功を収めているということである。2000年の中国家電輸出のランキングでは、海爾はトップで、格蘭仕はその次にランクしている。売上額で見ても、海爾は406億元で首位に君臨している一方、格蘭仕は56億で第7位を占めている。一方は自社ブランドを強調、もう一方はあえて他社ブランドを利用、一方は多角化展開、もう一方は専業経営、というまったく反対の戦略をとっている二つの企業がなぜ共に成功を収めているのか。もしこれらの模範とすべき企業の真似をむやみにしたくなければ、我々はその戦略の背後にある経済的なメカニズムを究明しなければならない。

海爾と格蘭仕が今日のような経営戦略を選んだのは、事前に熟考した結果というより、むしろそれぞれが発展してきた過程に関連している。海爾が設立された1985年当初、創業者の張瑞敏が行った不合格の自社製冷蔵庫を社員を集めて叩き壊すという芝居がかった行為は早くもブランド戦略の開始を示唆している。海爾はそれ以後の6、7年間にわたって、生産プロセスにおける全面的な品質管理を実行し、人的資本をコアとする企業文化を作り上げてきたのである。具体的には、企業管理者が生産プロセスと従業員に対する監督を前提に、市場メカニズムにしたがった雇用制度や、報酬を実績・品質に直接的に結びつける信賞必罰的制度など、各種厳格なルールや制度を徹底させた。これらに基づいて海爾は、90年代の初めに特有の「OEC」作法、すなわち、全方位・全過程の整理整頓とコントロールを打ち出した。いわゆる有名な「日事日毕、日清日高」(仕事はその日のうちに終わらせ、日々精算、成長する)である。

海爾は特に販売面において「スターレベルのサービス」というコンセプトを打ち出した。顧客の製品に対する意見に耳を傾け、それを製品設計や製造工程にフィードバックさせることによって、消費者の間に「高品質な国産ブランド」というイメージを確立させた。このようなスターレベルのサービスを特徴とする販売方式、顧客を重視した製品開発、「OEC」作法の三つを一体とした効率的で高品質な経営体制を作り上げた。そして、この体制を基礎とした「永遠に誠意を尽くす」というキャッチフレーズの利用も、ブランドの確立にうまく作用したのである。さらに重要なのは、このシステムによって海爾のナレッジマネジメントの基盤が作り上げられ、国内企業のリーダー的地位を占めるようになったことである。この基盤を活用して、海爾は製品多角化を通じてブランド拡張という次の段階へと成長していったのである。

一方の格蘭仕は、もともと紡績、印刷、服装と羽毛製品の企業であった。90年代の初め、格蘭仕の経営者はこれまでの製品に成長の限界を感じ、調査を繰り返した結果、国内市場に導入されたばかりで製造企業がまだ四社しかなかった電子レンジを製造転換の対象に選んだ。電子レンジは格蘭仕の従来から得意としていた技術とまったく関係がなかったため、経営者の梁慶德は自ら上海に行って、五人のエンジニアと現在の副総裁である営業の専門家、愈尭昌をスカウトした。その後、格蘭仕は東芝からアセンブリーラインを輸入し、さらに、日本人の生産管理者を雇用したことによって、電子レンジ生産の専門技術と管理能力の基礎を作ったのである。

1993年、格蘭仕は国産電子レンジを発売した。その年の生産量は1万台に達し、格蘭仕は電子レンジ産業への初代参入企業となった。しかし、本当の転換期は1995年に訪れた。当時、業界リーダーの硯華が外国企業であるWhirlpoolに買収されたが、統合の失敗で不振に陥った。このタイミングを見逃さなかった格蘭仕は硯華を圧倒し、年間売上げを25万台、市場シェアを25%に押し上げ、業界一位に躍進した。しかし、その年末には日本の松下が中国に進出し、市場におけるシェアは格蘭仕を6パーセント上回っていた。そこで、格蘭仕は価格戦争を起こし、一位の座を取り戻した。その価格戦争の財源として、梁慶德はグループの黒字紡績企業をディスカウントして売却した代金を充てたほどだった。96年には格蘭仕は電子レンジの価格をさらに40%下げ、市場シェアを松下の2倍にあたる35%へと引き上げた。成功した格蘭仕は、その後7回にわたって価格戦争を発動し、価格戦争をあたかも電子レンジ産業の業界ルールであるかのように定着させた。2000年には格蘭仕の国内市場におけるシェアは70%にも上っていた。

海爾と格蘭仕のストーリーは、企業の成功が必ずしも一つのモデルに依存する必要がないことを物語っている。具体的にどの戦略を採るかは、ある程度、企業を取り巻く特定の環境によって決まる(すなわち経済学者のいう「経路依存」)し、企業家の先見力によって決まるところもある。冷蔵庫を叩き壊した張瑞敏は、ブランド志向を容易に戦略レベルまで広げたが、紡績業から家電業に転業した梁慶德は、逆に家電生産の規模の経済性を重視した。当然のことながら、最終的に成功しうるか否かは、具体的な状況に対応する創造性と戦略遂行の意志にかかっている。

二、自社ブランドと他社ブランド、両者に長所あり

いわゆるブランド戦略は、具体的には自社ブランドを利用して製品の差別化を図り、消費者に同じ性能を持っているものをあたかも違うものに感じさせることを指す。企業が強いブランドを持つと同業者との競争を避けられる。タバコの例でいうと、「紅塔山」は中国の喫煙者からみれば、他のタバコに代替できないほどの独特のブランドなのである。競争の回避は、ある程度の独占を意味し、企業に独占的利潤をもたらす。ブランドに市場価値があるゆえに、ブランド戦略として製品の多角化、製品ハイエンド化などの利点を活かすことが可能になる。

海爾はまさに自社ブランド戦略を頂点まで極めた好例である。自社ブランドの基礎を築き上げてから、海爾は多角化の道を歩み始めた。1991年に海爾は青島エアコンと冷凍庫工場を買収したあと、広東、武漢などの地方政府から低価格でいくつかの赤字工場も手に入れ、エアコン、洗濯機やカラーテレビ等の新事業を展開した。90年代に入って、海爾は徐々に白物家電、黒物家電、コンピューター、各種小型家電および製薬、バイオテクノロジー、金融サービスなど広範囲にわたる事業を展開する会社となった。海爾の買収・多角化戦略の実績をみると、エアコン、洗濯機および電気給湯器などの製品は大きな成功をおさめ、その市場シェアは元々の事業―冷蔵庫と同じく国内上位の水準になった。一方で、カラーテレビのような黒物家電は少し劣り、業界二番目のレベルである。小型家電、たとえば電子レンジの2000年のシェアは1.7%しかなかったが、ハイエンドの電子レンジ(千元以上)は市場の23.4%も占めている。海爾の主要製品、たとえばエアコン、冷蔵庫、洗濯機、テレビなどの価格は大体同類製品の中でもハイエンドにある。価格戦争に対して、海爾は一貫して傍観、あるいは逆行の姿勢をとってきた。最も有名な例は、1989年に冷蔵庫の価格戦等で海爾の価格は下がるどころか、むしろ上ったが、結果的には、市場での地位はまったく変わらなかった。2000年、海爾のブランド価値は330億元で、439億元の「紅塔山」に次いで第二位である。2001年になって、海爾は69種類にわたる10,800品目に及ぶ製品を有するまでになった。

さらに、実際には、海爾のブランドと紅塔山のブランドには違う意味合いが含まれている。紅塔山は人にタバコの味と製造技術を連想させるが、海爾は品質、信頼性やアフターサービスの代名詞である。1980年代、国産の家電製品は品質の悪さや低い信頼性、アフターサービスの乏しさで消費者を悩ませた。消費者は家電を買う際、ある程度品質の良し悪しを見分けられる知識を必要とした。また、消費者は故障で家電を修理に出す際、その故障の責任問題でしばしば製造業者と喧嘩をした。これらはすべて消費者が負わなければならなかった取引コストあるいは価値損失であった。このような状況の下では、品質、信頼性とアフターサービスを代表するブランド製品は消費者のコストや損失を削減できるため、消費者は余分にお金を払ってでもこのブランドを買いたがる。ブランドと非ブランドの差額はブランドそのものの市場価値になる。まして一流ブランドとなって知名度だけでなくステータスまで獲得し、その結果、人々がただ見せびらかすためだけに買うようになればなおさらである。

いったん自社ブランドが確立されると、賢明な企業家はそのメリットを察知できる。ブランドの確立に多少コストが伴ったとしても、そのコストは製品の種類が増えるにつれて分散されるので、製品をたくさん売れば売るほど、一種類の製品あたりのコストも少なくなる。品質、信頼性とアフターサービスは特定の製品・技術にとどまらないため、ひとつの製品のために作ったブランド・イメージが他の製品にも使える。張瑞敏は冷蔵庫を壊したが、カラーテレビとエアコンを壊す必要性はもはやなくなった。多角化はブランド戦略のロジカルな結果である。具体的にいえば、多角化には二つのタイプがある。ひとつは製品カテゴリーの多角化である。そのメリットはリスク分散とさらなる市場の開拓にある。特に、強いブランドを持っている企業がブランド・イメージの少ない産業に参入するとき、そのブランドの恩恵を受け、競争力を高めることができる。これは、海爾が冷蔵庫だけでなく洗濯機、エアコン、カラーテレビでも成功したことで証明されている。もうひとつの多角化は同じカテゴリーの中での製品多角化である。この戦略は市場細分化と見なし得るし、製品差別化とも類似している。この種の戦略は競争回避の戦略でもあるが、特定の顧客層の需要に沿った製品によって市場価値を高めるという点で違っている。標準化、大衆化された製品は、多数派の需要を満足させると同時に、具体的な個人の特定需要を無視するものであり、製品の市場価値が抑制されてしまうことは経済学においてすでに実証済みである。多くの人が特定の嗜好を満たすために高いお金を支払って、既製品よりテーラーメイドを選択するように、市場細分化とその終着点たる製品個性化自体はより高い市場価値を作り出すことになる。この戦略を活用した成功例は、海爾の「小神童」洗濯機、「百変神童」洗濯機から、個性化したコンピューター、インターネットを通じて注文できるテーラーメイドの冷蔵庫などである。消費者が数多くの個性派商品の選択に迫られたとき、安心できるブランドこそが重要となってくるのである。

ブランドのメリットの議論から逆に格蘭仕を見たとき、格蘭仕が海爾と全く反対の戦略をとっていたことに気がつく。極端に言えば他社ブランド戦略であり、すなわち外国市場を占有するために、厭わず外国企業のブランドを拝借する戦略である。格蘭仕の実例は、まさに企業の成功が必ずしもブランド戦略によるとは限らず、その戦略遂行の余地が実に広いことを物語っている。ここで注意すべきなのは、ブランド戦略をとらないのは製品の質やアフターサービスを軽視しているわけでなく、ブランドを戦略の重点に置いていないだけということである。それでは、格蘭仕が成功を収めた秘密は何か。簡単に言えば、その秘密は価格弾力性と規模の経済性にある。

価格弾力性とは、いわゆる「安ければたくさん買う」、あるいは「高ければ買う人が少なくなる」ということであり、経済学では価格が1%下落した際の数量の増加率と定義される。価格と数量は反比例をなしているため、価格弾力性は一般にマイナスである。もし価格が1%下落するとき、販売数量が1%以上増えれば、企業の収入が減少しないことになる。価格の引き下げによる収入の減少が数量の増加によって補われるからである。一般的に言えば、価格弾力性がマイナス1より低い、あるいは、その絶対値が1より大きい状況の下で、販売価格が製品のコストより高いのであれば、価格の引き下げは企業にとって有利である。前に述べたように、96年の格蘭仕の価格引き下げ幅が40%にも達したとき、その売上げ数量は95年の20万台から65万台に急増した。このエピソードは価格弾力性がいかに高いかを示している。売上げ数量の大幅な増加によって、格蘭仕は明らかに巨額の収入を得ることができた。市場シェアを拡大させるための価格引き下げの効力は、中国のような低所得国では特に顕著である。格蘭仕はこのような度重なる価格の引き下げによって、電子レンジを一般の消費者でも買える大衆消費財に変身させたのである。格蘭仕が大規模な価格引き下げを実施し始めた96年だけで、電子レンジの市場規模は前年の100万台足らずから200万台以上にまで増大した。今やその市場規模は700万台ほどになっている。

次に、いわゆる規模の経済性は、ここでは主に生産における規模の経済性を指し、つまり生産の拡大に伴うユニットコストの低下を意味している。電子レンジ産業の最低生産規模は100万台で、格蘭仕がこの規模に達したのは96年から97年にかけてであったが、ほかの企業はと言えば、LGを除けばいまだにこの規模に達していない。96年の価格引き下げが格蘭仕にもたらしたメリットは、売り上げの増加だけでなく、生産能力の拡大によるユニットコストの下落も大きかった。そのユニットコストは最低生産規模を満たすコストで、たとえこの規模を超えたとしても、大規模な原材料購入費や管理コストなどの固定費用が分散されるので、格蘭仕は規模の経済性を実現できたのである。

比較的高い価格弾力性と明らかな規模の経済性に支えられた格蘭仕の経営モデルは外部から見ると価格戦争そのものである。ダイナミックな視点で見れば、格蘭仕はいつもリードを取って規模拡大を図り、新しい段階において更なる大きな規模の経済を手に入れると、すぐさま価格をコストよりも少し高いところにまで引き下げる。価格の引き下げは業界の平均利潤を押し下げ、一部の競争相手を淘汰させると同時に、潜在的な参入者を脅すことになる。そして格蘭仕は現在の競争相手からマーケットシェアを奪い、更なる規模の拡大へ乗り出すという循環を享受することができる。さらに、格蘭仕は自らの売り上げ規模の増加よりもはるかに速い速度で生産能力を増大させ、供給が需要を上回る状況を作り出す。これらの全ては強いシグナル効果を持っており、一種のコミットメントでもある。つまり現在の競争相手であれ潜在的な参入者であれ、もし反旗をひるがえせば、いずれは格蘭仕からの厳しい報復に直面すること意味する。このコミットメントにはある程度の信憑性があった。格蘭仕はその過剰な生産能力と規模の優位性をもって「価格破壊者」の名声を得ているからである。

価格戦争を引き起こす低価格戦略はブランド重視の定価戦略とは異なる。後者は価格をハイエンドに設定するという特徴がある。一方、たとえ格蘭仕の名前に市場価値があるとしても、それは低価格戦略と衝突するため、ブランドのプレミアムを受け取ることはできない。外国市場においては格蘭仕のブランド・イメージがまだ確立されていないため、低価格によって自社ブランドを放棄しても大した犠牲を払わない。したがって、他社ブランドを拝借するのは当然である。少なくとも、現段階では格蘭仕の他社ブランド戦略と海爾の自社ブランド戦略には、それぞれの長所がある。

2002年10月7日掲載

出所

中評網

2002年10月7日掲載

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