中国経済新論:中国経済学

中国における制度経済学の台頭

盛洪
天則経済研究所理事

「われわれが制度変遷の時代に生きていることは、本当に幸せなことである。なぜなら、われわれは、(ダーウィンの進化論に例えれば)猿が人間に変わるその瞬間を目にすることができるからである」

中国における制度経済学の導入と発展

1980年代後半は、中国経済学界が新しい理論を非常に強く求めた時代であった。農村改革の成功、人々の予想をはるかに越えた郷鎮企業の台頭などに対する理論的な説明を必要としていたのである。市場化の主な内容である価格体系の改革は困難に直面しながらも着実に前進し、企業改革の目標モデルについても激しい論争が展開されていた。こうした中、中国の経済学者たちは新しい理論の到来を強く待ち望んでいた。まさしくその時に、新制度経済学が、他の経済学理論とともに、中国に上陸したのである。

まず、1987年にオリバー・ウィリアムソン(Oliver Williamson)教授が、中国社会科学院工業経済研究所に招かれ特別講義を行った。彼は「取引費用経済学」について系統的な紹介をし、大いに反響を呼んだ。翌1988年には、ロナルド・コース教授の名著『企業の本質』が中国語に翻訳され、雑誌『中国:発展と改革』に発表された。また香港大学の張五常教授も、論文集『売柑者言』において、コース教授の理論を取り上げ、さらには中国各地で講義を行い、所有権理論を宣伝した。90年代初め、制度経済学に関する文献の翻訳は最盛期を迎え、コース教授の『企業、市場と法律』、ノース教授の『西欧世界の勃興』、『文明史の経済学』、『制度・制度変化・経済成果』が相次ぎ中国語に翻訳された。コース教授が1990年に、そしてノース教授が1993年にそれぞれノーベル経済学賞を受賞したことを受け、新制度経済学の中国における伝播は一層勢いを増したのである。その数年後、『新制度経済学名著選訳』(1999)が経済科学出版社から出版され、そして張五常教授の『分益農の理論』と『経済解釈』(2001)も出版され、二種類の新制度経済学の教科書が中国語に翻訳された。

一口に制度経済学といっても、近年の新制度経済学に加え、歴史的には前期制度経済学と後期制度経済学も含んでおり、さらに新制度経済学に関しても、公共選択理論、法と経済学、「集団行動の分析」などの理論と深く関連している。早くも60年代には、コモンズの『制度経済学』(1962)やヴェブレンの『有閑階級の理論』(1964)といった前期制度経済学の代表作が中国に紹介された。また後期制度経済学の主要な代表人物であるシュンペーターとガルブレイスの著作も中国語に翻訳された。例えば、シュンペーターの『資本主義、社会主義と民主主義』と『経済分析史』などである。そして80、90年代には、まず公共選択理論の巨匠ブキャナンの『自由、市場と国家』や『民主主義過程の財政学』、『合意の経済理論』など、そして利益集団理論の先駆けとして知られているマンサー・オルソンの『集合行為論:公共財と集団理論』や『国家興亡論』、さらに「法と経済学」に関する著作の中国語版が次々と出版されるようになったのである。こうした文献の翻訳は、海外の理論の流行ではなく、むしろ中国国内の経済理論に対する需要によるものであることを物語っている。

翻訳活動と並行して、中国の学者たちは制度経済学理論を紹介した。80年代末には、『中青年学者経済論壇』や『中国:発展と改革』、『経済研究』といった非常に影響力の強い学術雑誌において、こうした理論に関するいくつかの論文が載せられた。さらに、90年代初め、『経済研究』と『経済学動態』に、それぞれ制度経済学の問題を議論する場が設けられていた。『経済研究』では特に名称はなかったが、『経済学動態』では連載のタイトルが「新政治経済学の討論」と名づけられていた。また、中国の学者による新制度経済学を紹介する著作として、例えば、張軍の『現代産権経済学』(1994)が出版された。

時間が経つにつれ、中国の学者たちは、制度経済学に対して、単なる紹介ではなく、評論や批判を行うようになり、そしてさらには制度経済学の理論を中国の経済問題に応用して分析するようになったのである。その結果、彼達の著作の中には、より多くの独創性が含まれるようになった。林毅夫の「誘致的制度変遷と強制的制度変遷」、汪新波の「企業特性に対する再思考」などはその好例である。また、その前後には、制度経済学を主要な分析方法として用いた著作、例えば、盛洪の『分業と取引』(1993)や張宇燕の『経済発展と制度変革』(1994)が相次いで出版された。

90年代初め、制度経済学は、一種の理論の流行としてもてはやされた。注目されていた若手経済学者の多くは、制度経済学に関わっていた。1992年、『経済研究』で制度経済学をテーマにした研究会が開かれたのに続き、1993年に設立された北京天則経済研究所は、制度経済学の理論をバックにしていることを自ら宣言した。1995年に成立した北京大学中国経済研究センターも、移行経済学研究を自らの研究焦点としていることを強調した。しかし、90年代半ば以降、外国文献に対する翻訳が多少沈静化してくるなど、新制度経済学によって引き起こされた過熱ぶりが次第に収まったが、その間、周其仁、汪丁丁や張維迎などが影響力のある論文を次々と発表するなど、新制度経済学に関する研究は着々と進んでいた。その中で、天則経済研究所は、依然として新制度経済学の分野でリーダーシップを発揮している。三回に渡る「中国制度変遷の案例研究」が完成され、二冊の論文集として出版された。また天則経済研究所は、「計画経済から市場経済へ」と題する制度経済学の論文集を出版した。2001年9月、天則経済研究所の主催で、中国制度経済学会は第一回年次総会を開いた。

制度変遷という時代の要請

言うまでもなく、中国における制度経済学の台頭は、明らかに中国が制度変遷の時代を経験していることと深く関っている。まず、人々は、なぜ計画経済が効率性の低い経済システムであり、市場経済が有効的であるのかということを理解しなければならない。この問題に対して、計画経済の優位性を一貫して主張している伝統的マルクス主義は、即座に答えを提供することはできない。一方、近代経済学の主流である新古典派経済学も、市場制度の条件を与えられたものと考え、一般的に、異なる経済制度の優劣を解釈しようとしない。面白いことに、資源配分に関するそれらの理論は、時には計画経済に根拠を提供することに用いられているのである。例えば、かつてオスカー・ランゲ(Oscar Lange)は、(1)中央計画当局が試行錯誤の結果として均衡価格を探し出し、そして(2)企業経営においては、限界費用が価格と一致するよう生産量を決めれば、資源の最適配分が可能であることを理論的に証明したのである。しかしその論証には、中央計画当局自身も自らの利益を追求する主体であるという事実、そして企業の経営におけるインセンティブの問題を無視しているため、実践することは無理であることが判明したのである。

各種の理論が競い合う中、新制度経済学は、こうした問題に簡潔かつ有力な解釈を与えているように見える。かつてレーニンが提起した、「社会全体は一つの大きな工場である」という例えに対し、新制度経済学は取引費用の理論を以て批判している。すなわち、一種の取引費用である企業内組織費用は、企業規模が一定の限度を超えると、企業規模の拡大に伴って増加していくのである。企業組織の限界費用と市場取引の限界費用とが一致する点で、企業の最適規模が決定される。仮に企業の規模がこの点を超えて、社会全体まで拡大してしまうと、明らかに企業の組織費用が市場の取引費用を超えることになり、経済効率が低下してしまうのである。この時、企業の規模を、市場との均衡点まで縮小させる市場化改革を行えば、経済社会的効率が上昇するに違いない。

新制度経済学におけるもう一つの重要な概念である所有権も、非常に強い解釈力を持っているように見える。国有所有権の概念ははっきりとしているが、所有権の有効性は実践されて初めて証明されるのである。しかも所有権と支配権が分離している現代企業においては、委託人と代理人との利益衝突が一貫して存在しているのである。コーポレート・ガバナンスは、こうした衝突を解決する方法として存在しているが、しかしそれを代理してもらう際の費用は負担しなければならない。その究極の事例が国有企業である。十数億の委託人にとって、代理人に対する監督が公共財に当たり、誰一人として積極的にそれに資源を投入しようとしない。また一方で、全国人民という初始委託人から企業代理人まで、数多くの段階が存在し、あまりにも長い委託と代理を結ぶチェーンが存在しているため、有効な監督が届かない。従って、国有所有権の形態が国有企業の根本的な問題である。

取引費用と所有権の理論に基づくこうした2つの解釈が、中国の経験から裏付けられている。実際のところ、二十数年にわたる改革が基本的には、(1)中央計画当局の指令を市場価格メカニズムによって代替すること、(2)非国有的所有権によって国有的所有権を代替する、この二つに要約されるのである。非国有企業が独自に努力を行い成長するのか、それとも国有企業自身の所有権改革をするか、そのどちらかである。

制度変遷に関しては、「如何に変えるか」がもっとも重要な問題である。この問題に対して、新古典派経済学はさらに無力である。なぜなら、新古典派経済学は、制度内での資源配分問題だけを研究の対象に設定しているからである。制度変遷に対して、一般均衡理論における次善の理論は、変えないか、それとも全部変えるかといったことを強調している。この理論をベースに、「ビッグ・バン」の方法が選ばれるようになったが、ロシアやいくつかの東欧諸国で実行されたショック療法が挫折したことによって、こうした理論が重大な欠陥を持つことが明らかになった。

「生産関係革命」を強調するマルクス主義は、事実上、制度変遷を認めている。しかしマルクスは、流通費用の存在に気づいたが、政府の組織費用と企業の管理費用を一般化することに失敗したため、取引費用の概念を形成することが出来なかった。その結果、マルクスは市場メカニズムの効率性を見落とし、その理論には、制度あるいは「生産関係」、ならびにその変遷を分析する有効な経済学のツールが欠けているのである。さらに、マルクス主義は、生産関係における階級間の対立が調和不可能であると考えており、「生産関係革命」はあくまでも暴力的革命の基礎の上に成立するもので、それは旧制度の破壊と新しい制度の形成として現れると考えている。このような考え方は、明らかに、平和的な漸進改革には役立たないのである。

これに対し、新制度経済学は、取引費用の概念を用いて、異なる可能性を示している。「制度運営の費用」として取引費用が、制度の効率を図るだけではなく、「制度変遷のコスト」や「改革コスト」などの概念によって、異なる改革の方法の優劣を判断することも出来る。人と人との利害衝突を重視する立場から、制度経済学は、「改革コスト」が、改革によって生じる一部の人々に対する分配上の損害と、こうした人々の改革への反対にあるとしている。従って、改革の方法として、ルールを変化させるとき、損害を受ける人々の数あるいは損害の程度を抑えることができれば、改革のコストが小さくて済み、改革を容易に成功に導くことができるのである。こうして、新制度経済学の理論は、国における漸進的改革の実行の必要性に対し有力な解釈を与えているだけではなく、効率的な改革の計画を立案するときの枠組みをも提供しているのである。実際、林毅夫らによる『中国の奇跡』(1994)、盛洪編『中国の移行経済学』(1994)、天則経済研究所の張曙光編『中国制度変遷の案例研究』(第一巻、第二巻)、そして樊綱の『漸進改革の政治経済学分析』(1996)といった移行期経済についての分析は大きな成果を上げた。

マルクス経済学は、その主張が制度経済学とはかなり異なっているが、事実上、制度経済学の先駆けの一つである。マルクス主義は、生産力を重視するだけではなく、生産関係も強調しており、生産方式や交換方式も分析している。マルクス主義は、生産過程における人と人との関係を強調している。つまり古典政治経済学の伝統を継承し、人と人との利益衝突に関心を払う一面を持ち合わせているのである。マルクス主義は、制度こそ衝突を解決する手段であると認識している。例えば、国家は、階級圧迫の道具でありながら、階級闘争の結果でもある。面白いことに、マルクス主義は、生産関係において、所有制が最も重要な部分であると考えている。これは私的所有権の否定をもたらしたが、所有権を強調する面においては、制度経済学とは非常に似通ったところがある。最後に、生産力と生産関係や、生産方式と交換方式との相互作用、さらに生産関係によって歴史を解釈することは、制度変遷による歴史の解釈そのものである。この点において、新制度経済学は、マルクス主義の伝統を大いに継承したことを反映して、ダグラス・ノースの西欧史に対する解釈は、少なくとも前近代部分においては、マルクスとエンゲルスの解釈と非常に類似しているのである。マルクス主義は、中国の経済学界において数十年にも渡って君臨していたため、その影響を強く受けた経済学者にとって、制度経済学を理解し、さらには受け入れることは比較的容易であった。

新制度経済学は、新古典派経済学の一部の欠陥を批判しながら発展を遂げてきたが、コースの言う通り、まさしく主流派経済学の方法を用いて、制度を分析する経済学のことである。その分析方法は、あくまでも新古典派経済学を基礎にしたものである。改革開放以降、新古典派経済学は、中国の大学の経済学部の教育に導入され、いくつかの分野で主流になった。これは、新制度経済学の中国への導入に対し、分析方法の基礎を提供したのである。

このように、現実問題に誘導され、そして各種の理論に支えられ、制度経済学は中国において台頭したのである。

2002年6月3日掲載

出所

中評網

関連記事

2002年6月3日掲載

この著者の記事