Special Report

日米貿易協定はWTO協定違反か?

川瀬 剛志
ファカルティフェロー

※ 2019年10月11日追記

低い自由化の野心

筆者の手元に色あせ、埃をかぶった一冊の本がある。「日本とアメリカ21世紀のシナリオ-『日米経済憲章』を目指して」と題されたこの一冊は、元WTO上級委員であり、わが国国際経済法研究の重鎮として今なお一線でご活躍の松下満雄先生と、通商産業審議官として日米摩擦が最も激化した困難な時期に通商交渉の陣頭に立たれた黒田眞氏が取りまとめた、日米FTA構想の書である。奥付によれば1990年4月6日刊、筆者が大学を卒業し、大学院生として研究生活の第一歩を踏み出した正にその時に手にした、思い出深い一冊だ。日米経済摩擦の最中にあり、GATTウルグアイラウンドの先も見えないあの時期に、壮大な夢を描くトップランナーお二人の先見性には、改めて畏敬の念を禁じ得ない。

あれからほぼ30年に近いこの9月26日、夢は現実になった。昨年11月の日米首脳会談で交渉開始が合意された日米貿易協定は、今年4月の本格交渉開始から僅か半年足らずで妥結し、少なくとも第1ラウンドの合意に達した。ただ、現実は壮大な夢とは程遠い。今回の合意については、農業分野でTPP並みの市場開放にとどまる一方で1962年通商拡大法232条に基づく自動車追加関税を回避できたことをもってよしとする見方、あるいは我が国を取り巻く地政学的状況な厳しさと日米の安全保障上のパートナシップ堅持に鑑みて致し方ないとする見方もある一方、自由貿易の旗手を自任する両国の協定にしては、市場アクセスにおける自由化の野心(level of ambition)が著しく低いことは否定しがたい。

象徴的なのは米国の自動車関税(乗用車2.5%、トラック25%)であり、TPP12では長期での撤廃を約束したにもかかわらず、今回は全く手付かずのままになった。自動車部品も併せて、これらについて今回は米国譲許表に「更なる交渉による関税撤廃」と記載するにとどまった。この自動車・自動車部品は対米輸出額の38%を占めると言われ(注1)、4割近い貿易額が関税撤廃の目処が立っていない(ただし政府発表ではこれらを含めて米側自由化率は貿易額ベースで92%とされる(注2))。また、日本は有税の工業製品は全く譲許せず、米国も工業製品は譲許品目自体がHS8桁で199品目、農産物が42品目の譲許にとどまる。工業製品については具体的品目と税率が明らかになっているが、撤廃は199品目中150品目にとどまり、それ以外は基本的に有税のままだ。

こうした結果が予想された頃から、米国でも識者から今回の合意のWTO協定整合性を疑問視する声が上がり、合意後のわが国の報道や識者コメントでも同様の意見が少なからず聞かれた(注3)。これらの評価は、要するにこのような自由化水準の低い合意はFTAたる要件を充足しておらず、GATT24条に適合しない、という含意である。筆者もこうした問題意識を共有するが、他方で法的議論としては十分ではないと感じている。以下、こうした評価は妥当なものか、そうであるとすればいかなる理由か、そして今後政府はどうすべきかにつき、もう少し立ち入った検討を行いたい。

FTAであるためには

GATT1条1項には基本原則として一般最恵国待遇原則(MFN)が定められおり、輸出入される他の全てのWTO加盟国産品には、関税率はもとより、輸出入にかかる法令や国内法について、無条件に最も有利な待遇を与える義務がある。しかしFTA/EPAおよび関税同盟(以下、RTA(地域貿易協定)と総称)の締結によって、RTA構成国域内の貿易についてのみ無税ないしは低税率を適用し、制限的な通商規則を撤廃することで、互いに優遇することが例外として認められる。

GATT・WTO体制の「礎石(corner stone)」とまで言われるMFNにこうした大きな抜け道を認める理由は、RTAに伴う域内優遇がもたらす差別の悪影響を凌駕するだけの域内貿易量の増大が見込める、という前提がある。つまり、域内で関税等貿易障壁が除去された分だけ域内貿易への需要が増大するが(貿易創造効果)、依然関税等の障壁が残ることでその分だけ域外からの輸入は相対的に競争力を失い、減少する(貿易転換効果)。この時、「貿易創造効果 > 貿易転換効果」であれば、世界的に厚生は増大することになる、という前提により、差別であるせよRTAは正当化される。むろんこうした単純なモデルは様々な与件にとってその妥当性が変わりうるが、長くRTA例外の根拠とされてきた(注4)。

このためには、RTAの一形態であるFTAを締結するには、GATT24条は以下の条件を要求する。

  1. FTAを締結するにあたり、域外との貿易に適用される関税その他通商規則は、締結前より制限的になってはいけない。(5項(b))
  2. FTA域内では、実質上のすべての貿易について、関税その他の制限的な通商規則を撤廃しなければならない。(8項(b))

つまり、前者はFTA締結の結果不可避な貿易転換効果を超えて域外との貿易を減少させないための条件であり、後者は貿易創造効果を極大化するための条件である。これらの条件は併せて「貿易創造効果 > 貿易転換効果」の実現を確保することを目指しているものといえる。

「実質上のすべての貿易」

今回報道や識者が問題とするのは、冒頭に述べた限定的な関税撤廃率では、この条件②、すなわち「構成地域間における実質上のすべての貿易(substantially all the trade between the constituent territories )」の自由化を充足できない、という点である。例えば報道ベースでは90%という数字がひとつの基準になっているようだ(注5)。

ある実証的分析によれば、WTOに通報があり、地域貿易協定委員会(CRTA)で審査された115件のRTAについては、自由化完了時点では貿易額・関税項目数(後述)どちらでも85%以上の自由化を達成するものが殆どである(注6)。その意味では識者コメントや報道が示す違和感は極めて妥当なものである。

しかし注意しなければならないのは、この数字はあくまでも従来のRTAから導かれた相場観であって、確立した法的基準ではない。これまでWTO上級委員会がこの「実質上のすべての貿易」を解釈したのは、ただ1件トルコ・繊維製品事件においてのみである。その際上級委員会は、「実質上」とあるので字義どおりの「すべて」の自由化ではなく、域内貿易の自由化に「一定の柔軟性(some flexibility)」は認められるが、「域内貿易の単なる一部よりは相当多い(considerably more than merely some of the trade)」自由化が求められると理解した(注7)。ただ、これ以上の具体的な数値基準を求めることには文言上の根拠がなく、パネル・上級委員会の解釈によるその設定を期待できない(注8)。更に、CRTAをはじめWTO内の所管組織による決定や指針もない。

また、「実質上のすべて」の評価手法も確立していない。量的には自由化率は関税項目(タリフライン)の数で測るのか、それとも貿易額で測るのか、また、質的には重要なセクターが抜かれていないか、更に構成国それぞれの貿易についてなのか、あるいは域内貿易全量で評価するか、など、多角的な評価方法がありうる(注9)。この点についても、パネル・上級委員会の判断、あるいは加盟国が合意した指針等もない。

これらに鑑みれば、今回の日米合意の自由化水準が、直ちに明確な協定違反であると厳密かつ法的に判断することは、困難と言わざるを得ない。しかし他方で、冒頭に述べたように、自動車という日米貿易の最重要セクターが手付かずになっていること、その分を抜くと対米輸出額の5割強の自由化にしかならないこと、関税項目ベースでもそれぞれ関税撤廃に及ぶ品目が極めて限定的であることから、上記のいかなる視点から見ても、域内貿易の完全自由化には程遠いことには疑いはない。抽象的なものであるが、上記のトルコ・繊維製品事件上級委員会が示す基準に照らしても、この水準は「単なる一部よりは相当に多い」とは言えないだろう。その点で、GATT24条8項(b)の基準を満たすことは、現時点では疑わしいと言わざるを得ない。

中間協定と「妥当な期間」

ただ、問題は域内の「実質上のすべての貿易」をいつ自由化するかだ。例えばTPP12における米国の農産物・工業製品の即時関税撤廃は、それぞれ5割程度、7割程度に留まっていた。米国はここから段階的に関税を撤廃して、最終的に貿易額・関税項目いずれでも100%の自由化率を達成することになっており、この中には乗用車の25年、トラックの30年といった超長期間での引き下げも含まれる。

GATT24条5項柱書によれば、RTAを直ちに完成させる必要はなく、これらに必要な中間協定(interim agreement)を締結することができ、当該RTAが中間協定である間は同8項の義務、つまり域内貿易の「実質上のすべての貿易」の自由化を免れると解される(注10)。この中間協定は「妥当な期間(a reasonable length of time)」存続できるので、「実質上のすべての貿易」の自由化はその満了までに行われればよい。GATT24条解釈了解3項によれば、この「妥当な期間」は10年を超えるべきではない。しかし、あくまで「べき(should)」書きであって、義務ではない。しかも、「例外的な場合」はこのかぎりではなく、より長い期間が認められ得ることを示唆する。更に10年で十分でない場合、中間協定締約国はより長い期間を設定できる。10年超の期間の必要性は中間協定締約国が自己判断でき(「中間協定の締約国である加盟国が…認める(Members parties to an interim agreement believe…)」)、その場合物品理事会に対して説明義務のみが生じ(「十分な説明を行う(shall provide a full explanation)」)、承認は不要である。

今回の日米合意は"first stage"と称されているが、両国にはこれを中間協定と位置付ける意図があることを窺わせる。そうであれば、TPP同様、現状で自由化率が低いことは問題にならず、原則10年後の中間協定終了段階で「実質上のすべての貿易」の自由化が達成できればいいことになる。よって、現時点で自由化率が低いことは、少なくとも法的には問題とならない。しかもこの10年の期間も原則であり、協定上より長い期間を設定することも物品理事会への説明義務のみが条件で、そのハードルは低い。

しかしGATT24条5項(c)によれば、この中間協定は「妥当な期間内に…関税同盟を締結する計画及び日程を含む」ものでなければならない。翻って今回の日米協定は、対米輸出の相当部分を占める自動車については、「更なる交渉による関税撤廃」と譲許表に明記するのみだ。また、日米ともに、譲許対象とならないその他産品については関税撤廃に関する特段の予定は明記されておらず、現状では日米共同声明パラ3にある日米貿易協定発効後4ヶ月以内に開始される第2ラウンドの交渉に委ねられるとしか理解できない。少なくとも公開情報のかぎりでは、日米協定はRTA締結の具体的なスケジュールを含んでいない。

GATT24条5項(c)の「計画及び日程」が何を示すかにつき、解釈は明らかにされていない。しかし、これが「妥当な期間内に関税同盟を組織し、又は自由貿易地域を設定するための」(強調は筆者)ものであり、文脈としてGATT24条解釈了解3項にこの「妥当な期間」について10年という具体的な数字が提示されている以上、この期間内での関税削減・撤廃の具体的日程を示すことが求められていると理解すべきだろう。だとすれば、今回の政府発表の範囲ではこの義務の充足には不十分と言わざるを得ない。

また、相場観の観点からも、こうした曖昧な「妥当な期間」の設定は例外的だ。CRTAに通報された250件以上のRTAを検討した実証研究によれば、その6割以上では10年以内でこの期間が完了しており、この期間を明示的に定めないRTAはわずか2%にとどまる(注11)。今回の日米合意は全く自由化の予定に言及していないわけではないので、この2%に含まれるか否かについては議論のあるところだが、やはり具体的な自由化のスケジュールを示さないRTAは例外的と見るべきだろう。

現行のGATT24条解釈了解10項によれば、もし仮に中間協定がGATT24条5(c)の規定に反して「計画及び日程」を含まない場合、個別RTAの審査を行う作業部会がRTA完成の計画・日程を勧告する。中間協定締約国にその勧告に従って当該RTAを修正する「用意がない(are not prepared to …)」ときは、「状況に応じ(as the case may be)」、当該協定の維持・発効が禁じられる。

この規定は一見厳しいようだが、中間協定締約国は作業部会の勧告に従って当該協定を修正しなければいけないのではなく、あくまでもは修正の「用意」があれば十分である。また、仮にその「用意」がなくても、必ずしも中間協定を発効させられないわけではなく、あくまで「状況に応じ」てなので、発効を制限される場合は限定される。今回わが国は第2ステージ交渉開始の期限を共同声明で具体的に示しているので、中間協定修正の用意が既にあることを示している、とも理解できる。また、こうした作業部会による手続は、2006年以降は情報共有と透明性確保CRTAによる透明性手続に置き換わっており、そこでは個別のRTAの協定整合性は検討されない。

このように考えると、仮にわが国がGATT24条5項(c)の「計画及び日程」の提示義務を怠っていたとしても、CRTAでの説明には苦慮するだろうが、直ちに日米協定の発効が妨げられるには至らない。また、RTAのGATT24条整合性それ自体を紛争解決手続で争った事案はなく、他国のRTAにつきそのような紛争の提起がコストに見合わないことや、GATT24条の解釈を明確化・厳格化することが自国のRTA締結にマイナスになりうることなど、加盟国がこうした紛争を提起しないことは合理的である、とされる(注12)。よって、WTO紛争の心配も当面不要であろう。

試される二大経済大国の責任感

以上のように考えれば、今回の合意が協定違反である、という指摘については、以下のように整理できる。

  • 評価方法、数値基準が確立していないため、明確かつ厳密な法的判断は困難だが、現時点での日米貿易協定の自由化率は域内の「実質上のすべての貿易」を自由化したものとは言えない。
  • もっとも、日米協定が中間協定と位置付けられれば、前項の事実は直ちに協定違反を構成するものではない。
  • 中間協定が存続しうる「妥当な期間」、つまり原則10年が原則は「実質上のすべての貿易」の貿易を免れる。また、この10年も柔軟であり、より長期の設定への制度的障壁は低い。よって、第2ラウンド交渉の間を含め、当面日米間の今回合意の自由化率のまま据え置くこと自体は協定整合的である。
  • ただし、「妥当な期間」内に中間協定からFTAに至る日程・計画を明示する義務があり、今回の両国政府発表の範囲では、当該義務への不適合が懸念される。ただ、中間協定の修正勧告に応じる最低限の用意はあることから、直ちに日米協定の発効・維持に影響はない。

以上を踏まえた上で、1962年通商拡大法232条による自動車追加関税の回避、日米の地政学的状況・安全保障上の紐帯、日米首脳間の良好な個人的関係、米大統領選の日程など様々な考慮要素を踏まえ、致し方なし、というのが政府の最終判断だったと推測する。この外交上の極めて政治的かつ複合的な判断の是非について論評することは筆者の能力を越えるものであり、差し控えたい。また、RTAについてはGATT24条の解釈は必ずしも明確ではなく、多国間監視も必ずしも有効に機能していない。したがって、殆どのRTAは何がしかの「脛に傷」を持つものであって、だからこそ、以前の作業部会による審査においてはRTAの協定整合性にコンセンサスで結論を得ることはなく、一度も審査報告書の採択に至ることがなかった。その中でわが国だけが極端に身ぎれいにすることを求められるのも現実的ではない、という判断もあり得るだろう。しかしそれはそれとして、今回の合意が日米間のものであることに鑑みて、その多国間通商システムに対する影響だけは中期的な視野で慎重に評価しなければならない。

先に述べたように、RTAの締結を認めることが国際貿易、ひいては世界大の厚生の増大につながるとの前提のもと、GATT24条がRTA形成による域内貿易の優遇をMFNの例外として認めている。上記のように、GATT24条の「実質上のすべての貿易」も、「妥当な期間」も、基本的には抽象的で柔軟な概念であって、慣行の積み重ねによる「相場観」が基準を形成する。日米は世界第1位と第3位、たった2か国で世界のGDPのおよそ3割を占める経済大国であり、そして単体の国家としては自由主義経済の2大大国である。万が一にも、この日米両国が自由化の野心が低い中間協定を無期限に維持することがあれば、それが今後のGATT24条適用のスタンダードになるおそれがある。これに各国が倣うようなことがあれば、同条の要件充足の基準が著しく下がり、貿易創造効果の極大化を達成できず、単に域内優遇の差別だけが残るRTAが横行するだろう。このことは、GATT24条のみならず、WTO体制の礎となる無差別原則を実質的に空洞化させるおそれがある。

WTO協定整合性への懸念を払拭し、このような事態を避けるために日米両国がなすべきことは、協定発効後速やかに第2ラウンド交渉に着手し、自動車関税も含めて今後日米協定が本格的なFTAに至る道筋を示すことだ(注13)。菅原経産相は閣議後記者会見(2019年10月1日)において、この第2ラウンド交渉につき「日米双方の利益となるよう、また利益にかなうよう、交渉の対象分野も含めて、一定期間の中でしっかりと議論していきたい」と述べているが、この「利益」が二国間のものだけではなくWTO体制全体のそれでなければならないことを、政府は十分に意識すべきだ。現時点での合意が「農業関係団体や日本自動車工業会、経団連、日本商工会議所などから評価をもらっている」(注14)(茂木外相)というだけでは、日米の多国間通商システムにおけるこれまで受けた恩恵と負うべき責任に鑑み、あまりに内向きで、不十分と言わざるを得ない。

わが国は1990年代後半に国際通商システムの趨勢が大きく地域主義に舵を切る中で、最後まで多国間通商体制重視の姿勢を維持した経済大国である。地域主義の濫用防止に腐心する姿勢は例えばウルグアイラウンドにおいても見られ、上記のGATT24条解釈了解3項にある中間協定の期限の明確化は、実はわが国の提案(注15)によるものだ。また、直近でも、G20大阪会合ではわが国はWTO改革を進め、WTO体制を重視する首脳宣言の取りまとめに指導力を発揮した。そのパラ8には「WTO協定と整合的な二国間及び地域の自由貿易協定の補完的役割を認識する」とあり、あくまでWTOを主、RTAを従と捉え、後者の前者に対する整合性を重視する姿勢が鮮明になっている。加えて、安倍総理は今国会冒頭の所信表明で、「自由貿易の旗手として、自由で公正なルールに基づく経済圏を、世界へと広げてまいります」と誓った。今回の日米協定についても、こうしたこれまでの言動を踏まえ、言行不一致があってはならない。

来るべき第2ラウンドでは、日米間の協定だけにひとつ間違えば多国間通商体制を大きく損ないかねないことを政府は十分に自覚した上で、後に振り返って、曲がりなりにも「日米両国がWTO体制の『終わりの始まり』を演出した」と言われることのないよう、歴史の批判に堪えうる合意に導いてほしい。そして単なるWTO協定整合性の確保にとどまらず、自由主義経済の2大大国間にふさわしく、また、RTA交渉を官邸直轄とし、強力なリーダーシップの下でCPTPP、日EU協定を実現した安倍政権らしい、「スーパーFTA」を目指してほしい。

-追記-
本稿公表の直後、現地時間の7日にワシントンD.C.で日米協定への署名がとり行われ、日本時間の翌8日に協定のテキストが公表された。本稿本文は政府の概要発表に基づいて執筆したが、テキストを見て、GATT24条整合性の観点から以下の点に言及しておきたい。

第一に、問題の自動車・自動車部品関税については、協定附属書II(米国の関税及び関税に関連する規定)パラ7が、"Customs duties on automobile and auto parts will be subject to further negotiations with respect to the elimination of customs duties."と規定している。表現ぶりとしては、関税の「削減(reduction)」に止まる、あるいは自動車セクターの「自由化(liberalization)」といった抽象的な表現を用いることなく、明確に「撤廃(elimination)」と明記された。しかし、関税撤廃については将来の交渉に服する、というだけであって、(時期は不明確にせよ)将来の交渉で関税が撤廃されることを確約したものとは読めない。

第二に、農産物については、協定附属書I(日本の関税及び関税に関連する規定)B節第1款5項において、「アメリカ合衆国は、将来の交渉において、農産品に関する特恵的な待遇を追求する。」と定められている。ただ、あくまで米国が追求するというある意味当然のことを書き込んだまでで、日本側を含めた当事国の自由化水準を高める意思を反映したものとは読めない。

他方、この自動車関連の関税撤廃および農産物自由化の交渉を含む第2ステージについては、交渉開始義務および時期が法的約束として協定に書き込まれておらず、あくまで日米共同声明パラ3の政治的合意だけが根拠となっていることが確定した。もし両国がいっそうの自由化を目指し第2ステージを開始する強固かつ明確な意図があるなら、時期を明確にした交渉開始義務を書き込むだろう。実際このような例は、WTO協定の農業協定20条やGATS19条、また日豪EPA2.20条などにも見られる。

本文で述べたように、もし「妥当な期間」内に中間協定からFTA完成に至る「計画及び日程」を示してないことの協定不整合性をある程回避できるならば、それはあくまで作業部会勧告に応じて中間協定を修正する「用意」があればこそだ。そのためには、両国はできるだけ早期に第2ラウンド交渉を開始し、最低限この「用意」を既成事実とすべきだろう。互いの政治的事情を超え、両国の自由貿易体制における責任感に期待したい。

脚注
  1. ^ Schott (2019).
  2. ^ 朝日新聞2019年9月26日夕刊1面。
  3. ^ 鈴木 (2019)、細川 (2019)。"Analysts Question WTO Compliance of U.S.-Japan Trade Deal." Inside U.S. Trade, Sept. 20, 2019.
  4. ^ Pravin (2015) pp.12–15.
  5. ^ 産経新聞2019年9 月27日朝刊3面、読売新聞2019年9 月27日朝刊15面。
  6. ^ Crawford (2016) pp.30, 32.
  7. ^ Appellate Body Report, Turkey–Textile, ¶48, WT/DS34/AB/R (Oct.22, 1999).
  8. ^ Mitchell & Lockhart (2015) p.96.
  9. ^ Estevadeordal (2009) pp.99–100; Mitchell & Lockhart (2015) p.96.
  10. ^ Mitchell & Lockhart (2015) p.96.
  11. ^ Crawford (2016) p.49.
  12. ^ Mavroidis (2012) pp.216–221.
  13. ^ Schott (2019).
  14. ^ 産経新聞2019年10月1日
  15. ^ Article XXIV: Submission by Japan, MTN.GNG/NG7/W/66 (Dec. 22, 1989).
参考文献
  • 松下満雄・黒田眞(編)(1990)「日本とアメリカ21世紀のシナリオ-『日米経済憲章』を目指して』PHP研究所.
  • 鈴木宣弘(2019)「【日米貿易協定はWTO違反】国会承認は違法」JAcom 2019年10月3日.
  • 菅原淳一 (2019)「日米貿易交渉は第2段階へ-今次合意は米の早期妥結要望に沿った『初期協定』」みずほインサイト(2019年9月30日). みずほ総合研究所.
  • 細川昌彦「日米貿易協定で日本がWTOルールの‟抜け穴"つくる?」日経ビジネス2019年9月30日.
  • Crawford, Jo-Ann (2016) "Market Access Provisions on Trade in Goods in Regional Trade Agreements." In Rohini Acharya (ed.) Regional Trade Agreements and the Multilateral Trading System. WTO/Cambridge University Press.
  • Estevadeordal, Antoni, et al. (2009) "Market Access Provisions in Regional Trade Agreements." In Antoni Estevadeordal et al. (eds.) Regional Rules in the Global Trading System. WTO/Cambridge University Press.
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  • Schott, Jeffrey J. (2019) "Reinventing the Wheel: Phase One of the US-Japan Trade Pact." Trade and Investment Policy Watch (Oct. 2, 2019). Peterson Institute for International Economics.

2019年10月7日掲載